性弱説とは何か、性善説・性悪説からの派生をたどる
この回のテーマは「性弱説」という言葉です。サエキさんは、キーエンスの人か誰かが提唱したらしいこの言葉を、人づてに聞いたと話します。
性弱説の「性」は性別の性、「弱」は弱い、「説」は唱える説を指します。サエキさんは、これが性善説・性悪説から派生した言葉だろうと考えています。
そもそもの前提として、性善説・性悪説の説明から入ります。孔子や孟子といった昔の中国の人が唱えたものだったと思う、とサエキさんは前置きします。
性善説は、人は生まれながらにして善良な生き物だが、社会や人間関係にある意味で毒されて悪くなっていく、という考え方だと説明されます。性善説 ── 人の本性は善であるとする考え方。中国の思想家・孟子が唱えたとされます
逆に性悪説は、人はもともと悪い生き物で、社会や周りの人間によって是正され、いいやつになっていく、という考え方だと整理されます。性悪説 ── 人の本性は悪であるとする考え方。中国の思想家・荀子が唱えたとされます
そこから派生した性弱説は、人はもともと弱い生き物だ、という説だとサエキさんは受け取っています。
なぜ性弱説が気になったのか、35歳・社会人11年目の背景
性弱説の中身を、サエキさんはもう一歩踏み込んで説明します。人はもともと弱いから、何かをやり抜きたくてもサボりたい気持ちが必ず出てしまう、というのです。
その上で性弱説は、サボる気持ちを頑張って出さないようにするのではなく、仕組みや環境で制御したり補ったりしよう、という考え方だとまとめられます。
この言葉が引っかかった背景には、サエキさん自身の状況があります。35歳になり、新卒から同じ会社で働いて社会人11年目に入ったところだと語られます。
経験を積むなかで、会社での理想的な振る舞いや、ビジネスパーソンとしてこうありたいという理想像を頭に置いて行動することが増えているといいます。
そんな時期に性弱説という言葉を聞いて、引っかかりを覚えた。そこから今回の思索が始まっています。
理想像を描くほど自分を否定してしまう副作用
最近のサエキさんは、自分の理想像を考える時間が明らかに増えていると話します。経験を積んで視座が上がり、視野も広がってきたからで、それ自体は成長の証拠だと肯定しています。
ただ、そこには明らかな副作用があるといいます。あるべき姿や理想像の解像度が高まるほど、今の自分の弱いところが見えてしまうのです。
そのあるべき姿とのギャップというか、そういったものが常に見えてしまって、それを否定してしまうっていう副作用があるなと思っています。
これは自分の思考の癖もある、とサエキさんは断りつつ、自分を高めようとするほど、今時点の自分を否定する回路が回ってしまうと語ります。
その結果、自分を高めるためにやっているはずなのに、自己肯定感がどんどん下がっていくという謎の現象が起きる、と説明されます。
日記が思い出させた「今年のコンセプトは自己肯定」
サエキさんは1月1日から、その日思ったことを赤裸々に書き残す日記をつけています。その内容をAIに振り返らせると、2月から3月頃はいろいろ苦しかったようだと話します。
当時の記述として、あるべき自分を優先しすぎて、ありたい自分の優先度を極めて下げてしまっている、といった言葉があったと紹介されます。
あるべき自分っていう像がありたい自分なんだって、自分を誤認させているような感覚がある。
さらにAIから思い出させられたことがありました。1月1日に日記を書き始めたとき、今年のコンセプトとして入力していた言葉が「自己肯定」だったというのです。
9月の今、そのコンセプトを本当に忘れていたとサエキさんは苦笑します。8か月経っても結局ずっと同じことを言っている、というのが自身への率直な感想です。
「弱いから強くあれ」に感じるしんどさ
ここで話は再び性弱説に戻ります。人は弱い生き物だから仕組みで補って強くなりなさい、と言われても、サエキさんにはしんどさがあると打ち明けます。
サエキさんの受け取り方では、性弱説は「人はもともと弱い」で終わらず、人はもともと弱いから工夫して強くあらないといけない、という概念です。
僕はそれを言われると、確かに俺弱いもんねって、そっちの回路が働いちゃう。
だから性弱説を唱えたのは、アグレッシブで強いビジネスパーソンだったのだろう、とサエキさんは推測します。
実際に調べてみると、超ハードワークな営業会社であるキーエンスの人が提唱していたり、サエキさんがリスペクトする西野亮廣さんもどこかで話していたりするといいます。やはり強い人たちが立てている理屈なのだろう、というのがサエキさんの見立てです。
弱さこそ自分らしさ 捉え直しとしての性弱説
そう感じたサエキさんは、性弱説の捉え方を自分の中で変えておきたいと考えます。世の中にある通りではなく、違う捉え方をしてみたいというのです。
その手がかりが、ありたい姿とあるべき姿の違いです。一般的にこうありたいという理想像は、万人にとっての正解、いわば最大公約数でしかない、という見方が示されます。
性弱説が言うように人はもともと弱い生き物だとして、サエキさんはその弱さこそが自分らしさだと思い至ります。
だから弱さを否定して強くなろうとするのではなく、弱いままでいいんだと思える環境や仕組みを整える、そういう性弱説があってもいい、と語られます。
一般的な理想像は最大公約数であり、そこにはその人らしさがない。サエキさんは、こうした「らしさ」のなさを署名性という言葉で説明します。署名性 ── 発言や表現に、その人ならではの個性やらしさが表れていること。ここでは最大公約数的な理想像には欠けているものとして語られています
弱さや物足りなさを意図的に埋めるのではなく、その人らしさとして携帯しておく。そのくらいの割り切りや妥協が自分の中にあってもいいのではないか、とサエキさんは考えます。
今の時点で病んでいるわけではないと断りつつ、この割り切りがないときっとどこかで心が持たなくなるだろう、というのが正直な実感です。
弱さを受け入れる「器」と、そこに残ったオチ
一方で、整理はまだついていないとサエキさんは認めます。弱いままでいようと今は言っていても、いつかの日記には「ここが僕の弱さだ、直さないと」と書くだろう、というのです。
弱さを受け入れるには、その弱さを受け入れる器が必要だとサエキさんは言います。それは、ここは弱いけれど代わりにここは強い、という自己理解のことだと説明されます。
この感覚を、サエキさんは『ONE PIECE』のルフィにたとえます。俺一人では何もできない、だから仲間が必要だ、でもあのボスは俺が倒す、というルフィの姿です。
弱さを受け入れるには、その自分はでもここはいけるっていう自己理解がセットで必要。
弱さを認めることと、ここはいけるという自己理解はセットで必要で、その自己理解を進めることが器を作る作業なのだろう、とサエキさんはまとめかけます。
ところが、このポッドキャスト収録前に恒例のAIとの対話をしたところ、最後に思わぬ指摘を受けたといいます。
その器を持ちなさいっていうのって、結局何か強さを持ちなさいっていうことと同じじゃない。
弱さを受け入れるための器を持て、という結論は、結局は強くあれという最初の話に戻ってしまっている。サエキさんは「確かに」となった、とオチをつけます。
まとめ
サエキさんは、人は弱いから仕組みで補って強くあれ、という性弱説の一般的な受け取り方にしんどさを感じ、弱さこそ自分らしさとして抱えていく捉え方へと自分なりに意味を変換しました。ただし、その弱さを受け入れる「器」を持て、という結論もまた強さを求める話に戻ってしまう、という宙ぶらりんなオチも正直に共有しています。
- 性弱説は、人はもともと弱いから工夫して強くあるべき、という強い人向けの理屈だとサエキさんは受け取った
- 理想像の解像度が上がるほど今の自分を否定してしまい、自己肯定感が下がるという副作用がある
- 一般的な理想像は最大公約数で「らしさ」がなく、弱さこそ自分らしさだという捉え直しが語られた
- 弱さを受け入れるには「ここは強い」という自己理解=器が必要だが、それも強さを求める話に戻ってしまう
- 今年のコンセプトに掲げた「自己肯定」を8か月忘れていたと気づくなど、整理はまだ途上だと本人も認めている






