前編のおさらい、Will・Can・Mustとは何だったか
この回は、Will・Can・Mustで物事を整理するというテーマの後編です。サエキタカフミさんは冒頭で、前編で話した内容を簡単に振り返っています。
サエキさんによれば、Will・Can・Mustという3つの括りは、リクルート ── 人材、求人広告、販促メディアなどを手がける日本の企業グループ。Will・Can・Mustの枠組みを目標管理に使っていることで知られていますが目標管理シート上で運用しているものだったそうです。
本家の運用では、上司と部下がWill(やりたいこと)、Can(やれること)、Must(会社のミッションとしてやらないといけないこと)をすり合わせます。3つが重なるように近づければ、やりたいし、やれるし、やらないといけないという最も都合のよい状態をつくれる、という考え方です。
上司と部下が目標管理面談ですり合わせ、上司が第三者の調整役になる
自分なりに解釈を変え、一人で仕分けをしている
サエキさんはこの枠組みを自分なりに解釈し直して使っています。ただ、本家には上司という調整役がいるのに対し、一人で仕分けをしていると「エラー」が起きると話しています。
つまり気づかぬうちに、ここに置いたはずなのに、こっち側だったみたいな間違いですね。
いちばん多いエラーは「MustがWillに化ける」こと
サエキさんが自分の中で最も多いと挙げるエラーは、やらねばならないからやっていると思っていたMustが、いつのまにかWill(やりたいこと)に変換されてしまうことです。
サエキさんは、この変換が良い方向に働く場合もあると認めています。そのうえで今回は、あくまで良くない例、つまりエラーとして捉えた話をしています。
あるべきと考えている自分が、ありたい自分のように振舞ってきやがるみたいなことですね。
サエキさんは、自分は「ありたい自分」の優先度を極端に下げ、「今あるべき状態」を優先してしまう性格だと語ります。それを続けるうちに、あるべき自分として掲げていたものを、ありたい自分だと誤認してしまうのだといいます。
ハンカチを2枚持つのは「やりたい」から?
MustがWillに化ける具体例として、サエキさんはハンカチの話をします。サエキさんは外出時に大体ハンカチを持ち、しかも2枚持ち歩いています。
2枚持つのには理由があります。子どもと一緒にトイレに行くと子どもも手を拭くので、1枚では濡れてしまうからです。
考え込むきっかけになったのは、友人家族と2家族で遊んだときのことでした。相手のお父さんは、ハンカチなんて面倒だから持たない、トイレの後は服で拭けばいいというトーンだったそうです。
ハンカチは、ある意味持ちたいから持ってると思ってたんですけど、その時まで自分で(ハンカチを)2枚持ちたいやんと。
ところが自分と向き合ってみると、サエキさんがハンカチを持つ理由は、「ハンカチを持っている父親」は世間体的に良しとされるから、そうあるべきだと思っていたからではないかと気づきます。
持ちたいから持っているWillだと思っていた
ちゃんとした親・社会人であるべきという規範的なMustが優勢だった
I will bring my ハンカチだと思ってたんですけど、それはこう、I must be bringing ハンカチっていうかな。
サエキさんは、ちゃんとした親、ちゃんとした社会人といった規範的なMustが、いつのまにか自分のやりたいことだったように書き換えられる現象だと整理しています。行動を変えると思考が変わるという話にも近く、思考と行動のどちらが先かは鶏と卵の問題だろうとも述べています。
なぜWillを優先できないのか
サエキさんは前編の最後で、副業や個人事業、つまり発信やミュージシャン活動ではWillを意図的に優先するよう心がけていると話していました。しかし後編では、本当はWillを優先することができないのだと打ち明けます。
だからそのwill、やりたいからやるっていうの、シンプルにできる人ってめっちゃ僕羨ましくて。
サエキさんは、やりたいを貫ける人がなぜそうできるのかを考えたといいます。やりたいを貫くことは、規範的ではない振る舞いをすることでもあり、多少なりとも人に敵対視される可能性を引き受けることになる、というのがサエキさんの見立てです。
それでも貫ける人には、敵対視されても挽回できるという自信や自己効力感 ── 自分ならある状況でうまく行動できる、と感じられる感覚。心理学者バンデューラが提唱した概念ですが深層心理にあるのだろう、とサエキさんは考えています。
Willを優先する
あるべき状態からかけ離れる
周囲への影響
迷惑や不快感を与えるかもしれない
挽回できないという思い
自己効力感が低く、取り返せないと感じる
Mustを優先する
無意識の自己防衛策になっている
サエキさん自身は、人としての魅力や自己効力感がそれほどないと思っているため、迷惑や不快感を与えたときに挽回できないと感じています。ポッドキャストで繰り返し話してきた自己肯定感の低さに、結局は行き着くのかもしれないと冷静に振り返っています。
一番高いお菓子を買えた日の小さな達成感
サエキさんにとって、Willを優先するのは簡単なことではありません。だからこそ、今日はWillを優先できたと感じる日には、小さくても大きな達成感があるといいます。
例として挙がるのがお菓子選びです。値段が小・中・大の3種類のお菓子があるとき、サエキさんは大体、一番安いものか真ん中のものを買います。お菓子は嗜好品なので、そこにお金を使うのはあるべき姿ではないと考えているからです。
でも(一番高いお菓子は)買えないんですよ、僕は。でもたまに買えるんですよ。
一番高いお菓子をたまに買えたときには、「買ってやったぜ」という気持ちよさがあるそうです。サエキさん自身も、意味がわからないと笑いながら話しています。
Willに紛れ込むMustを追い出す、音楽とマネタイズ
締めに向けてサエキさんは、Willの括りにしれっと入り込んでくるMustをなるべく追い出したいと語ります。その具体例が、副業として続けている音楽活動です。
サエキさんの音楽活動というWillの中には、マネタイズ、つまり利益を追求したいという感情が紛れ込んでくるといいます。その根本には、家庭から見れば個人の時間を勝手に割いているのだから、少しは稼いでおかなければというMust的な思考があると気づいたそうです。
これを排除するには、そう決めて貫くしかないとサエキさんは考えています。今の時点では、音楽活動でマネタイズするという概念を一旦すべて外そうと思っているそうです。ただし、明日には違うことを考えているかもしれない、とも付け加えています。
サエキさんは、こうしたやりたいという衝動的な思考を、音楽活動や発信活動で優先していきたいと話しています。
このポッドキャストもWillの範疇でやっている
このポッドキャスト自体について、サエキさんは基本的に、頭に流れた情報やアイデアを言語化して出力し、残しておきたいのだと説明します。やってみたいという純粋な興味もあり、毎回冒頭の「雑多な思考をとにかく吐き出して置いておくための場所」という言葉もそこから来ています。
そのためサエキさんは、このポッドキャストをWillの範疇でやれていると感じています。だからこそ、インプレッションを稼ぐためにマーケティング的な思考でテーマを絞ることは、基本的にしないでおこうと考えているそうです。
「やりたいことがない」人へのヒント
前後編の締めくくりとして、サエキさんは「やりたいことがない」という世間の声に触れます。サエキさん自身は正直「なんで?」と思うところもあるそうです。
サエキさんの提案は、Willがないなら、まずやれること(Can)やいまやらなければいけないこと(Must)に何があるかを書き出してみることです。そこに置いたものの中に、実はWill側だったものが意外とあるかもしれない、と話しています。
そこに置いてるけど、あれ、実際これってなんかWILLでもあるなみたいな。むしろWILL側だなみたいなのって意外とある気はしてて。
こうした仕分けを一度してみると新しい気づきが得られるのではないか、という思いから、サエキさんは今回のポッドキャストを録ったと結んでいます。
まとめ
後編では、Will・Can・Mustを一人で仕分けるとMustがWillに化けるというエラーを、ハンカチやお菓子、音楽活動の例で掘り下げています。サエキさんはその背景に自己効力感の低さを見つつ、Willに紛れ込むMustを決めて追い出す姿勢を語りました。
- Will・Can・Mustは本来、上司と部下がすり合わせる目標管理の枠組みで、一人で運用すると仕分けのエラーが起きやすい
- ハンカチを2枚持つ習慣も、よく見ると「ちゃんとした父親であるべき」というMustだったかもしれない
- Willを優先しきれないのは、挽回できないと感じるがゆえの無意識の自己防衛策かもしれない
- 音楽活動では、マネタイズというMustを一旦排除し、やりたい音楽を作って届けることを優先したい
- やりたいことがない人は、CanやMustを書き出すと、実はWillだったものが見つかるかもしれない




