ゆっくり喋るだけでメロくなる?
この回の冒頭、おっきーはいつもと違う点があると切り出します。答えは「ゆっくり喋っていた」ことでした。
もともとおっきーは、ポッドキャストや動画を二倍速で聞く習慣がありました。だから会話も等倍で聞いた経験がなく、自分の話すテンポも速かったといいます。
ところが最近、時間に余裕が生まれて等倍で聞き始めたところ、好きな芸人がとてもゆっくり喋っていることに気づいたそうです。
そりゃこんなゆっくり喋って面白いこと言ってたら、メロい芸人ランキングで上位になるわと思って。で、俺は昔から色気が欲しいという話をよくしてるんやけど、やっぱり色気ってこの喋るゆっくりさが一つ重要やと思ってて。
おっきーは以前から「お前に色気は無理」と言われ続けてきたと話します。それでも、ゆっくり喋る意識を持ったら「ちょっとメロいかも」と言われ始めたそうです。
話すだけやったんやな。簡単やな。
メロさとは「何かがデカい」こと
MIYAMUは、メロさを解剖すると「何かがデカいのでは」という持論を語ります。
たとえば懐の大きさ、体格の大きさ、牽引性の大きさです。弁護士や医者のように、わかりやすいラベリングもここに含まれると話します。
何かがでかい。例えば懐のデカさ。受け止めてくれるだろう、この人ならみたいな。あとはシンプルに体格のデカさ。もうごついし、きっと私を守ってくれる。
その上でMIYAMUは、令和ロマンやKing Gnuを例に挙げます。才能で先に売れたメンバーではなく、二番手側に惹かれる感覚があるといいます。
令和ロマンの先に才能惚れされた後に、私はケムリくんがいいみたいな。KingGnuも同じで、常田が才能でバーンと売れた後に、いや私は井口がいいって。
MIYAMUは、井口のメロさを庶民的で寄り添ってくれる点に見出します。そこにギャップと、歌のうまさという別の大きさが重なると整理します。
懐、体格、牽引性など、頼りがいにつながる大きさ
ギラギラした集団で庶民的に振る舞うなど、振り幅の大きさ
掴みどころのなさと哀愁
yansuは、掴みどころのなさもメロさにつながるのではと話します。何を考えているかわからない謎めいた部分です。
掴みどころがないみたいなところもメロさになるんじゃないかな。井口は庶民的やけど、でもなんか謎なところがありそうやなとか。
yansu自身も「笑顔だけど何を思っているのかわからない」とよく言われるそうです。ただしMIYAMUは、yansuはとても正直だと補足します。
ヤンス歴が長いと、ヤンスは割ととても正直っていうのがわかる。今思ってることが百で喋ってるよって思うんだけど、突然静かになったりするのよ。
yansuは、考えていることは百でも、口に出るのは三十から四十くらいだと明かします。言わない方がいいことを整理しているうちに、話し方がゆっくりになるといいます。
ここからおっきーは、遅く喋ることがメロく感じられる理由へと話を進めます。MIYAMUは、受け取る側の処理速度の問題だと指摘します。
早くバーって言われたことを処理できてないまま話が次に進んでいくことへの恐怖感がある人が多い気がして。ゆっくり話してくれたら、こっちも処理時間が猶予として持たされるからラッキーみたいな。
3人は、声の低さもメロさの共通点だと確認します。おっきーは、声が低いのはゆっくり喋っているからではないかと推測します。
早送りしたらピッチが早くなって高くなるやん。だから俺も声高いんよ。ゆっくり喋ったら多分声低くなっていけると思う。
yansuは、映像ディレクターの友人と出会ってから、意識的に声を低くするようになったと話します。メロいと言われるようになったのは、その頃からかもしれないといいます。
色気とメロいはどう違うのか
話題は、色気とメロいの違いに移ります。3人とも違いは感じているものの、言語化は難しいようです。
MIYAMUは、メロい人は口説いてこなさそうだと表現します。おっきーもそのニュアンスに共感します。
色気ってどっちかっていうとセックスの匂いがする感じがすんねんけど、メロいは残り香くらいはあるんやけど、ガッツリと入ってこうへんみたいなのはすごい感じる。
MIYAMUは、色気は身体性を伴い、くびれや首筋のように指差しできるものだと整理します。一方でメロいは、指差しできない概念的なものだといいます。
身体性を伴う。くびれや首筋など指差しできるわかりやすさ
概念的で指差しできない。退廃的・諦念・哀愁を背負った感じ
さらにMIYAMUは、メロさには退廃的で諦念を背負った感じがあると加えます。バツイチや、わかりやすい失敗を背負った人に、人は優しくしがちだといいます。
諦めたとか、分かりやすい失敗を背負ってる人に対して、人はちょっと優しくする傾向がある気がしていて。
MIYAMUは、おっきーには哀愁がないと指摘します。言いたいことを言い、幸せな家庭があり、ネガティブなことをあまり言わないからです。
二番手男子と、多幸感の時代
MIYAMUは、メロいの発起人を「少女漫画の二番手男くん」と表現します。成就しないとわかっているからこそ、退廃的で哀愁を背負っているといいます。
メロいの発起人は多分おそらく少女漫画の二番手男くん。成就しないの分かりきってるから、これも退廃的である、哀愁を背負ってる。
その上でMIYAMUは、時代は巡るという持論を展開します。パリピ、チルや丁寧な暮らし、ヒップホップ全盛といった流れを経て、今は「メロ」が来ていると分析します。
そしてMIYAMUは、メロの次に「多幸感」の時代が来ていると話します。一緒にいるとハッピーになれる人が重宝されるといいます。
多幸感、幸せを感じる多幸感がメロの次にもう来ているよねっていう時代観のつかみ方をしていて。
女性の美しさの基準も、細く華奢な方向から、運動していて生命力のある方向へと移りつつあると語ります。おっきーは、退廃と真逆でエネルギーがあると受けます。
言い切るキャラと、寄り添うキャラ
話題は、鋭く言い切るキャラクターの行く末に移ります。おっきーは、年齢を重ねると強すぎるキャラは嫌われて消えていくのではと考えています。
一方でMIYAMUは、言い切りに特化した方がいいと逆の意見を述べます。AIが忖度なく正解を返せる時代だからこそ、あえて人に言い切ってほしい需要があるといいます。
この人に聞けばこれが返ってくるとわかってるけど聞いちゃうみたいな。
MIYAMUは、誰も叱れない時代だからこそ、ロジカルに完膚なきまでに潰されたい欲望が生まれる予感があると語ります。
yansuは、相談を受けるときは相手が何を求めているかを見極めてから出し方を変えると話します。言い切らないこともあるといいます。
自分の意見を言わずして相手に寄り添った方がいいのか、意見を求めてきたのか、ただ話を聞いてほしいだけなのかによって出し方を変えてる。言い切らない時も全然ある。
おっきーは、奥さんに対しては気持ちに寄り添うことができると明かします。しかし友達に対しては、他にも相談相手がいる前提で「言う役」を引き受けているといいます。
人格をクローゼットに持つ
MIYAMUは、唐突に告白された経験を語ります。悩み相談のときに、解決や共感ではなく「楽しいことしようか」と返したのが刺さったそうです。
悩み相談を聞くとか解決するとかじゃなくて、何が辛かったの?とかじゃなくて、山岡家行こうやみたいな。楽しいことしようかって第一声で言ってくれたのがめっちゃ良かったって言われて。
この話からおっきーは、言われたことを一度そのままやってみる、つまり「メロい男の役を着てみる」という発想に至ります。
俳優が別の人格を演じられるように、キャラクターは技術として作れるのではないか。おっきーはそこに強い興味を示します。
MIYAMUとyansuは、小説やカメラの仕事のために、人と会うのをやめず、いろんな人になってきたと話します。それが感情のストックになっているといいます。
写真集っぽく、恋人みたいなっていうテーマになった時に、その瞬間ほんまにその人の恋人にならないといけないんですよ。一番短い時間でそれになりきるのをずっとやってきてる。
yansuは、分身が多すぎて病むこともあると打ち明けます。だから懸垂をして一度リセットするといいます。持っている人格を、クローゼットの服にたとえる会話が続きます。
MIYAMUは、おっきーが直近で着た衣装は「コーチング」だと指摘します。人の中に答えがあると信じてみる姿勢です。
その延長で、教師のような「今の素質を生かして教える人」もあり得るのではと提案します。yansuは、まず何のためになるのかを明確にした方がいいと助言します。
何のためにそれをするかをもうちょい明確にしたらいいかもね。なんでなるかっていうことを決めて、じゃあそこに行くには何を着たらいいんだろう。
おっきーは、この役作りができないと自分の「ロボット」というキャラはAIに奪われると語ります。だからこそ、人間であるらしさを追求したいと締めくくります。
まとめ
「メロい」の正体は一つではなく、ゆっくり低く喋ること、何かがデカいこと、掴みどころのなさや哀愁が重なって生まれるものとして語られました。さらに話は、時代とともに巡る多幸感の潮流や、人格を演じ分けて生きることの重さにまで広がっていきました。
- メロさには、ゆっくり喋る・声が低い・何かがデカいといった要素が共通していると語られた
- 色気は身体性を伴い指差しできるが、メロいは概念的で退廃や哀愁を含むと整理された
- MIYAMUは、時代はメロから多幸感へ移りつつあるという持論を語った
- 相談への向き合い方は、言い切るか寄り添うかを相手の求めに応じて変えるという考えが示された
- 俳優のように人格を演じ分けることを、クローゼットに服を持つことにたとえる会話が展開された
