会話するために集まる「会話会」
オッキーです。
ミヤムです。
あわい会議始めます。今回もヤンスくんに来ていただいております。
よろしくお願いします。
やっぱ改めてこの三人で話すって今まで一回もなかったから、めちゃくちゃ面白いな今。会話をゴリゴリリードする奴がいないのよ。みんながこの三十三パーずつ持とうみたいな。いい感じにパスし合ってるよね。
どの飲み会にいても、たぶん回しのタイプだったりとか、どう思う?って振る役に徹してる三人なんだな。
今まで俺が今ゆっくり喋れてるのも結構それがあると思ってて。すっごい心地よくパスが回せるから、意識せずに三十三パーセントで話せてるなっていう。
そっち側にもなりたいけど、俺がさ、こんなことあってさ、めっちゃおもろくない?で会話を終えてみたい。
なりたい。めっちゃ憧れる。でも自分はおもんないからそういうことはできないっていう。人権なかったから、大学の時は。
面白いと面白みが違うっていうのが難しいよな。
我々面白み側?
面白み側だと思う。喋っていくと味が出る。劇薬みたいな人間もいるやん。
大学の時、バイトが終わったら、店の一番大きいテーブルでみんなで賄い食うねんけど、一人ずつ面白い話していくっていう毎回。
俺は毎回面白い話ができひんくて、半泣きになりながら、どうやったら面白くなれますかっていうのを一番面白かった先輩の彼女に聞いたことがあって。お笑い番組見なって言われて、真面目にずっと見てた時があって。でもそれでも面白くなられへんから、何か突き詰めたろで写真。
でもやっぱこの会話する機会は、本当に作ってよかったなってマジで思う。話したいなって時に、場をちゃんとセッティングしてやれるっていうのはすごいいいなと思ってて。
なんか会話するだけで集まるっていうの、別ポッドキャストじゃなくても、俺の周りで流行ってほしいなってすごい思ってて。ペア読書ってあるじゃないですか。一つの本を二人一組で読んで、得た学びを発表し合うみたいな。
そのペアじゃなくてもいいねんけど、グループ会話みたいなもので、本の代わりにテーマを与えられて、一週間後これについて話そうみたいな感じで集まって、みんなのいろんな意見を聞くっていう遊びをやりたい。
そのアプリも作れそうやな。
俺もアプリなんか作れるんちゃうかなみたいなの思ってる。好きなやつだけ集めて、お題が隔週で来て、次遊ぶ時までに考えてきて話そうやみたいな。やりたいんですよ。
じゃあネーミング考えたんであげます。会話会にしてください。会話をする会です。
会話会、いいですね。
だと、こう、二人が話を挟んでる風に見えるじゃないですか。
なるほどね。じゃあ俺キービジュアル撮るわ。
会話会の右の方の会を反転させたらなんかいい感じになりそう。
確かに。これ刷りましょう。さすが大先生。
昭和のサラリーマンのおじさん方とか、これずっとやってたんかなと思うんだよね。仕事終わって、四人でテーブル座って喋ってるおじさん方とかいるやん。あの文化が我々に案外ないのではと。
確かに。コロナでオンラインになっちゃった感じで、雑談というものがどんどんなくなったじゃん。だから我々が最後の世代というか。
俺ミヤムと一回二人会をオンラインでやってみたんやけど、リアルやと三人でいても、目の中に今次喋ろうとしてくれてるのかがわかるから待てんねんけど、オンラインはラグがあって重なっちゃうよね。だから会話会もやるんやったら絶対にオフラインやと思ってる。
良さそう。
もう齊藤さんみたいな感じで、知らん人と話させられて会話始まるみたいな。
そっちの方がいいよな。そういうマッチングアプリとかもありじゃないかな。
マッチングアプリするとどうしても性に結びついてしまうやろな。でも、ただ会って喋りたいだけなのになーって欲望を持ってる女性の方も多い気するけどな。そこの安全性をどう担保するかですよね。
我々はみんなドパ書き
話題は、ゲストのyansuさんも含めた三人の「ドーパミン中毒」ぶりへと移ります。
ところで皆さんは、皆さんはドーパミン中毒ですか?
僕はドーパミン中毒です。
クリエイティブするやつってドーパミン中毒じゃないと無理じゃないか。
もう納品の度に出るし、撮影が終わるたびに毎回出るから。三十時間撮影とかも、もう二度とやるかと思いながら、終わった瞬間しんどさ忘れるんですよ。
仕事上でそれ結びついてるのは結構すごいな。もうドーパミン報酬としてやれてるってことやもんね。
だから撮影がない休みの日とかは、俺もう世界から必要とされてない、みたいな。ドパ書きなんで僕は。
ドパ書きすぎるなって思った。本当に暇な時に、自分は世界に必要とされてないみたいなストーリー上げてて。
同じ友達がバンドマンやってて、そいつドラムなんですけど、フェスで六万人の目の前でバッてやった後、次の日オフとかだと、もうやめようかなって。六万人を熱狂させた、もうこの世界に俺はいらないってなるらしいな。
でもそれやからこそ、メジャーな人たちって仕事としてはもう稼ぎきってる人がおるやん。けどドーパミン側の報酬は代替できひんから、ずっとステージ立て続けやろなっていう風にも思うな。
より大変なもの、より難しいものを求めちゃうから、より大変になっていくって。
セットログが今流行ってるのも、一時間ごとに自分を報告できる何かをしようみたいな。思い出を残すために必死になってる感があって、あれも多分一種のドーパミン的なものなんだろうな。
ミヤモ結構セットログ更新してる方ではあるよね。
してるね。私はただただ継続が得意ってだけなんで。
オッキーはドーパミンどう?最近。
ヤンさんの話聞くとそこまでではないかもとは思いつつ。でも小説読んで物語を享受したいっていうのもドーパミンとするなら全然あるなって思う。いい物語に出会った時とかに、すごいドーパミンみたいなのが刺激される感覚はある。
もうわかりやすいドーパミン。飲み会もそうですし、暇さえあればもうTikTok見てます。最新も最新みたいな曲まで全部わかるんで。
ミヤモは全部歌えるっていう噂を聞く。
だからもう全年齢から支持されるよなっていうのはミヤモ見てて思う。
我々みんなドパ書きと呼ばれるもので、ドパ書きって言葉もほんま最近やね。これはメジャーな言葉なの?
Xで誰かがドーパミン中毒の書きじゃあるまいしみたいに書いたのから生まれた。二千二十五の何年かみたいな。今年の流行語大賞とか入るんちゃう。
これは悪いこととして捉える。だってドーパミンをそそるためのコンテンツしかもう世に氾濫してないじゃないですか。丁寧な暮らしの動画を見せつけて煽ろうとするその気持ちもドーパミンの搾取に見えますし。
でもやっぱそのガキってついてるのが悪意あるなって思うけどね。ドパメンズとかさ。
音楽とルーティン、ドパを刺激するクリエイティブ
三人はそれぞれ、ドーパミンと音楽やルーティンの関係、心を揺さぶられたクリエイティブについて語り合います。
結構重症やな、自分って思うのが、気に入る音楽かけ当たるまで作業開始できひんとこがあんのよ。同じ音楽を聴き続けることがあまりできなくて、今の気分にぴったりの音楽を探してからじゃないと作業開始できなくて、もう余裕で五十分とか過ぎます。
逆やわ。毎回撮影の時に同じBGMかけるから、この曲を聴いたらギグバスイッチが入るのよ。たまに居酒屋とかで流れた瞬間、なんか感情がぐちゃぐちゃになる。
パブロフの犬すぎるな。
こっち側がちゃんとこの世にドーパミンを放出できるものを作れてるのか。作り手としてはちょっと意識しなきゃいけないんだろうなとは思うけどね。
やっぱドーパミンを放出するものを作らなきゃって思ってんの?
うーん、そんな気がするなっていう。
やっぱこう出た時に、それに対して俺はジェラシーを感じるから。こんな良いもん作りやがってってなっちゃう。最近その二人がドーパミン感じたなっていうクリエイティブ何?僕は写真とか絵から感じることが多いねんけど、巨大すぎる写真をこの前見たのよ。
めちゃくちゃでかい写真で、写ってるもの自体は大したことない風景やったけど、あまりにもでかくて、なんかもうぶわー出たんだよ。俺にはこれは作れない。悔しいなって打ちひしがれて病んだ。
ドーパミン出つつ病んだ。
ドラマとかも出るけど、ドーパミンって言われてパッと出てくるのは、ミュージックビデオとか音楽の方がすっごいやられたなって一瞬でバンと来る感じは俺はある。
オッキーが言ってたあれなんだけど、GENERATIONS。
GENERATIONSのミュージックビデオが最近話題なんやけど、言葉で説明するの難しいから。海外のアーティストのミュージックビデオで、かっこよすぎて話題になったんやけど。
前半すっごいドラマなんよね。しかもアングラな感じで使ってたから、ドラッグやってるみたいな刺激があって、これどうなるんやろうと見てたら、後半でクリエイティブなダンスと絵作りでバーンと出されるのよね。刺激的なアングラの世界を覗き見てるみたいなドーパミンを見せられつつ、そこにバチバチに音楽と相まったダンスと絵力で見せてくるから、一気にまた解放されるみたいな感じ。あれが最近一番ドーパミンガンと上がったなっていうクリエイティブやったね。
私、PRODUCE 101っていうオーディション番組を見てたら、最近デビューメンバーが決まったんだけど、オーディション番組好きで。
ドーパミン的な好き?
ドーパミン的な好きやな。一連のオーディションの中で一番バズってた曲が、中身が超薄い、猫みたいな男の子が女の子に振り回される、君に従いたいんだみたいな内容の歌で。最初は薄って思って聞いたんだけど、なんかずっと聴いちゃって。なんかいいなって。
ドカーッと出たというより、少量のドーパミンがずっと投与され続ける感じ。
自分に作れないものを見るとさ、うわって思うみたいな感覚。どうしても言葉が重くなってしまったり、核心を突きたいとか言い得て妙なことを言いたい欲ばかりが先行してしまうけど、こっちの才能自分になくて悔しいなみたいな。自分小説家で全然関係ないのに、その曲作る人に嫉妬するとかある。悔しい、この種類自分に出せないなって。
セロトニンが出るクリエイティブはあるのか
話題は、ドーパミンの対極にある「セロトニン」へ。自然や神社での体験を語りながら、創作とセロトニンの関係を考えます。
今一般的にドパガキが好むと言われるコンテンツより、ちょっとレイヤー上のドパの話を今我々してしまった気が。逆にじゃあそこまでドパって言うんやったら、セロトニンが出るクリエイティブってなんかあんのかねっていうのは聞いてみたいな。
でも最近軽井沢に旅行行ったんですよ。めっちゃ良くて、風景っていいな、って。
自然に帰るんか。とうとう来てしまったか。
自分がこの熊本の生まれで、すぐそこに阿蘇山があるのよ。草千里って言われる辺り一帯草原で馬が歩いてるみたいなのを幼少期から見てたおかげで、田んぼとか見てもさほど何も思わないのね。
何に感動したんやろうな。どこに行ったとして、その自分を必要としてない感がすごくあって、溶けれた感じかな。よそ者として自分がいるという感じとか。東京にいると、この人は自分より年収があるんだろうなとか、ポスター見て、これ俺に作れるかなとか思っちゃうねんけど、それを一切度外視した、もう自然という対象物に対して。
自分がこの都会に住み過ぎたなのを痛感したタイミングでもあるし。川上屋っていう蕎麦屋さんの本店に行ったのよ。めっちゃ高いの、あの天井が。
東京やったら土地の坪の値段的に絶対もっと有効活用するやんみたいな。
高いところにちっちゃいファンがついてて、こういう無駄もできるんだ、とかも含めて、なんかでっかいセロトニンだった。
ドパじゃなくてセロやもんな。
クリエイティブでニュアンスある?これはセロトニンだな、っていう。
クリエイティブでセロは、基本ドパな気がするな。最近のセロなんやったかなと思ったら、年始に伊勢神宮に車で行ったんですよ。伊勢神宮はドパではなくセロでした。高野山金剛峯寺とか行った時も、圧倒されて、あれはセロだったな。
人工物じゃない、自然とかそういうところってすっごいセロトニン側が強いんやろなっていうのはちょっと思ったかもしれないね。
抱かれるに近いんじゃない、感覚として。
興奮というより、なんかこう落ち着く。
ドキドキとかゾクゾクする感情よりも、いていいんだみたいな、認めてもらうタイミングを迎えられるとセロトニン放出するんだろうなみたいな。
セロトニン中毒と、変わらないために変わり続ける
一方で、セロトニンに傾きすぎることの危うさや、クリエイターが「変わり続ける」ことについても議論が及びます。
セロトニン中毒になるのもまた危険だと思っていて。私が占い師として発言していいものなのかわからないけど、完全にこのSP側に傾倒しすぎると、自我を失う。自分が自分でいる必要がないことが、説得されすぎて。
中庸でありなさいとかあるじゃん。仏教の基本思想である。もちろんそれがいいんだが、中庸でありすぎて、その感覚を失ってしまった人間は人間ではないと思う。
やっぱどっか偏ってるとか、そういうのが人間にブレかんよね、結局。
じゃないと君が生きてきた意味がないと思って。君でしか味わえない経験がたくさんあったにも関わらず、中庸を重んじるがあまりそこを略しすぎてしまったら、君に歌える歌がなくなると思っちゃう。
マジでそう。前の回で俺は意見持ってないやつ苦手みたいな話をしたけど、偏りがないと意見って持てない気がしていて、中庸になってしまうと意見じゃなくなるもんね。
じゃあ自分が今そのドーパミンを出ないようにってやったら、多分俺は職を失うので。多分死ぬまでほんまにカメラを置くその時までドパ中なんやろな。
クリエイターもそうやって多分。セロトニンでクリエイティブやれてるやつおらんと思うもんな。
セロトニンに浸りまくってるやつは作り出そうと別に思わないんじゃないかな。
そうだね。宇多田ヒカルとかもそうなんかな。
宇多田ヒカルとか藤井風とかそこまでいくとどうなんだろう。本当にごく少数の超人だけが成し得る技な気がするけどね。それを真似て一般人である我々が何かしようとすると、すごく作為的に見えたりとか。
やっぱドーパミンじゃないと戦えへん。
セロトニンは、その自己の成長をわかりやすく留めてしまう作用もある。君は君のままでいいんだよとか、ありのままでいてねとかは、ある種成長促進をしない、止めるっていうものな気がしている。
むずいな。でも変わらんためには変わり続けないといけないじゃないですか。だから俺はフォトグラファーとして変わらないためには、AIも取り入れてかなあかんし、旅行行かなあかんし、より一層いいものを作り続けないといけない。それでやっぱ相変わらず写真撮ってるねが生成されてるから。
一個思うのは、宗教を作るっていうのが、変わらずにでかくなり続ける方法やなって俺ちょっと思ってて。藤井風とかもずっと進化してるっていうよりかは、ずっと藤井風をやってる印象があるよね。
あんだけでかくなったのって、神みたいな存在になったコミュニティがいて、その神格化のボリュームがでかくなって。ヤンス教ってのを作って、ヤンスが教祖になって信者が増えていくと、ヤンス自身は変わってないけど、なんかいろんなものがでかくなるみたいなのはあるんかもしれんな。
でもそのカリスマ性は俺にはないし、人を惹きつける魅力もないから。俺は逆に、選ばれ続けるために変わり続けないといけないんだっていう強迫観念がある気がするな。
若すぎてセロに浸れない、そして猫は神
最後は、ドーパミンを手放せるのか、そして自分たちにとってのセロトニンはどこにあるのかを語り合い、ある共通点にたどり着きます。
瞑想をしてデジタルデトックスをしてみたいなのやってたけど、それをやるにはまだ若すぎるってめっちゃ思っちゃった。20代でここまで行ってしまうと、人と関わる意味を失ってしまうなってめっちゃ思う。
でもそれを俯瞰して理解できてるというのは、やっぱミヤムの面白いところかな。
ゲートボールとか盆栽とか、ダチョウを見るとか、その老後に取ってんのよ。初心者から始められるものがなくなった時に、結構やる意義を失うな、生きる意義を失うなと思っちゃって。
どのタイミングで二人そのドパを捨てると思う?
飛ばすてへんのんちゃう?
俺がやらなくても良くなっちゃったらもうやめるかもな。俺がやる必要ないんやってなった瞬間、カメラ置いて卒業しますつって。でも何すんねやろ。
老人ホームでも話振ってそうちゃう。
わかる。モテてそう老人ホームでも。
施設長とか新しい行事の提案とかしてそうやもんな。
餅つきしましょう、そこであの時の経験が。
やめられないと思うけどね。作ることをやめる時ってほんまにもうあるんかな。
世界との関わり方がなくなっちゃうから。マジで人の形じゃなくなる可能性ある俺は。
今家具ブランドをやり始めたのも、ちょっとそこは視野に入れてるというのはあったな。でも最終的に僕がやりたいのは飲食店をやりたい。僕は今までずっと人に助けられてつなげてもらって今ここにいるから、死ぬ前にはそういう場所を作って、受けた恩を次につないでいく場所を作って死なねばならぬっていうのはあるから。
結婚して私人生大丈夫なんかなとか思ったけど、1週間後には大丈夫やったし、離婚したら人間として終わりになるんちゃうかなと思ったけど、めっちゃ大丈夫やし。ドーパミン中毒のやつって順応する速度めっちゃ速いねん。だから飽きが早いのよ。
次のドーパミンをくれるやつを探しに行くみたいな。
やっぱ海外旅行はほんまに老後に取っといた方がいいんかな。
だってホルモンやからさ、抑えるとか0にするなんか無理なはずやん。オキシトシンもセロトニンもドーパミンもあってこそ人間だぜっていうところを、それの快感に気づいているのであれば、ちょっとメタ的に自分を俯瞰して調整すればぐらいの感じでは思うけどね。
俺たちのセロはどこにあるんやろ。
日常生活でセロトニン、わかりやすく日の光を浴びるとか散歩するとか、逆にそれでしか得られないと怖くない?
でも二人で、多分この瞬間セロトニン感じてるやろなって外から見てて思う。二人の共通のアクションがあって。猫ちゃんと遊ぶ。
セロトニンの塊やからな、やつらは。
寿命全部あげたいもん。マジで。
これはマジの俺の偏見の意見やけど、猫飼ってる人って結構こういう退廃的な人の方が多いイメージがあって。でもそこで唯一セロトニンを摂取する物として、めちゃくちゃいいものなのかもしれなくて、猫ちゃんって。自然と惹かれてるんちゃうかなって今日話してすっごい思ったな。
言うこと聞かへん生き物やから、犬と違って。諦めてるのよ。従わせようとかもないから。寄ってきたら嬉しいし、離れて行ったら可愛いしみたいな。
ただ元気に生きててほしいっていう。
猫宗教側の人は割と多分そうなんだと思う。
猫は神だからな。
結局そうなんですよ。
っていう話でした。
まとめ
クリエイターにとって、創作は「ドーパミン」を求め続ける営みであり、変わらないために変わり続ける宿命でもあると三人は語り合いました。一方で、自然や神社、そして猫との時間には、興奮ではなく「いていいんだ」と認められる「セロトニン」的な安らぎがあることを確認します。どちらか一方ではなく、両方を俯瞰して調整することの大切さが浮かび上がった回でした。
- クリエイターは納品や撮影の達成感に支えられ、より大変なものを求めて変わり続けてしまう
- 自然や神社では、自分を必要としない場所に溶けるようなセロトニン的な感覚が得られる
- セロトニンに傾きすぎると自我や意見を失う危うさもあり、両方の調整が重要
- 三人にとっての共通のセロトニンは、言うことを聞かない猫との時間だった
