AIがすごすぎて服従してしまう問題
この回は、前回のテーマだった「エージェンシー」の実践編として始まります。庭本さんは、AIをめぐる現場のリアルな悩みを最初に持ち出しました。
100人いたら100人中、本当にAIのことを理解してエージェンシーを持って使う人って限られてるなってやっぱ思ってて。
庭本さんによると、AIが進化しすぎたことで、何がわからないかもわからず、言われるがままになってしまうケースが多いと言います。
AIに服従しちゃうというか。ってなっちゃうケースってなんかすごいあるなって思ってるんです。AI進化しすぎてる問題で。
そのうえで庭本さんは、どうすればエージェンシーを高めながらパフォーマンスも出していけるのか、多くのビジネスパーソンが詰まっている論点ではないかと問いかけました。
安田さんも、自分が正解を知っているわけではないと前置きしつつ、ヒントになりそうな仮説を語る形で応じます。
失敗を恐れない子供の遊びから学べること
安田さんが最初に持ち出した手がかりは、身近な子供の姿でした。友人の子供が0歳1歳で育っていく様子を間近で見て、童心の重要さを感じたと言います。
彼ら彼女らはなんか失敗する恐れとか本当にないわけですよ。
安田さんは、子供がやる前に「これやるべきかな」と迷わず、やってみて、できて嬉しい、というサイクルをそのまま生きている点に注目します。
一方で大人がAIを使えないのは、失敗体験が積み上がりすぎて「これもまた失敗するんだろうな」と身構えてしまうからではないか、と安田さんは考えます。
だからこそ、面白そうというところだけにピュアに乗っかればいいのではないか、と安田さんは話します。ただし単純化しすぎている可能性も自覚しつつ、庭本さんに問いを返しました。
受け身になっていく自動化への違和感
庭本さんは、安田さんの視点をポジティブなものだと受け止めつつ、大多数の人は出発点が違うと指摘します。
大多数って(AIをどう活用したらいいんだろう、どうやったら生産性上げるんだろう)、そういう自分の目の前の仕事をどうするかで問いからスタートしてるなってまず思ってるんだよね。
さらに庭本さんは、ChatGPTでパソコンの操作を録画し、単純作業を裏側で自動化していくような技術が進むことで、人間がどんどん受け身になっていると感じています。
ポジティブに見れば、技術がわからない人でも自動化で楽になります。しかし庭本さんは、ネガティブな見方も併せて示しました。
本当にAIが何たるかを分からずにどんどん自分の仕事なくなっていくとか、それって知らず知らずのうちにやっぱりセキュリティ大丈夫なの?
批判的思考ができなくなり、自分の人生や仕事の主(あるじ)がAIになってしまう。まさにこうやってエージェンシーがすごい失われてっちゃう、と庭本さんは危機感を語ります。
一方で、単純作業がなくなって暇になれば、後からやりたいことを見つめ直せるという希望的観測もある、とも庭本さんは付け加えました。ただ、本当にそうなるのかは疑わしいとも話しています。
遊びとして導入する、二つの意味の「遊び」
安田さんは、庭本さんの課題感を大事だと受け止めたうえで、ここでも子供のアナロジーが使えると言います。鍵は、会社にも個人にも「遊びとして導入できるか」です。
遊んでみよう、やってみよう、試してみようみたいなものができるか。
安田さんは、トイストーリー5を見てきた話を挟みつつ、子供は遊び方を考える間もなく、目の前のものを動かして楽しんでいると振り返ります。
ところが育つ中で、他者から見て正しいかわからないことを「変なことはやめなさい」と止められ、その感覚が失われていく、と安田さんは指摘しました。
ここで安田さんは、「遊び」にはもう一つの意味があると話します。工学的な意味での、ハンドルの遊びのような余地のことです。
ガチガチにその狭く作りすぎると、本当に動きの余地が生まれないから、かえって壊れやすいとかっていう話とかあったりする。
一定程度自由にやっていい領域を担保しておくことで、個人が安心して遊べる状況を作れる。安田さんは、この二つの遊びを掛け合わせて考えます。
安全だから遊べる。ガードレールを敷く前提
安田さんは、子供の遊びとの掛け合わせで、もう一つ重要な前提を挙げます。それは「安全だから遊べる」ということです。
これやったらマジでデータ吹っ飛ぶかもしれないみたいな。吹っ飛んだとして、その復旧できるかもわからないみたいな環境の中で遊べって言われたって無理な話じゃないですか。
だからこそ、ここはダメというガードレールをしっかり敷くのは大前提で、そのうえで自由にやっていい領域を作ることが大事だと安田さんは話します。
大企業であれば、子会社を切り出したり、小さな舞台を作ったりする形でもいい。安田さんは、いかに遊びを設計するかに本質があるのではないかと述べました。
庭本さんは、これをAI推進の文脈と重ねて面白がります。アメリカと日本で浸透のさせ方が違うという実感があるからです。
日本人の方が、ベストプラクティスは何かをパクるというよりかは、みんなに置いていかれないようにしようとか、失敗したらまずいから安全地帯を整えるとかの方が効果的である。
庭本さんは、遊びを切り口にガードレールを設計しながら、その中で遊ぶ余白を持たせるという発想を、いい発想だと評価しました。
ホイジンガと天照。遊びは日本古来のルーツ
安田さんは、遊びが哲学的にも重要なテーマだと話を広げます。人間の本質を何と見るかという議論の系譜です。
理性の人としてのホモ・サピエンス、宗教を本質とする見方などがある中で、ホイジンガは遊びこそ本質だと説きました。安田さんは、これが体感的にとても腑に落ちると言います。
さらに安田さんは、遊びが日本古来のルーツを持つと指摘します。神楽や古事記に見られる楽しみやドラマがその例です。
アマテラスがこう洞窟に引きこもっちゃったけど、なんか外でどっちゃら騒ぎしてるからなんかが気になって出てきてみたいな。
その騒ぎから神楽という文化が生まれたとされるように、遊びは本来とても日本的なルーツを持つ。安田さんは、近代化の中で忘れられたそれを掘り起こすべきだと話しました。
遊べる余地が生まれた今、準備が整っていない
庭本さんは、概念には共感しつつ、実際に遊べる状態になるまでの時間を問います。暇にならないと無理なのか、という現実的な問いです。
そういう風に本当にそれになるのって10年とかかかるのかな?やっぱり暇になんなきゃいけないの?
安田さんは、これをいい問いだと受け止めます。生物的にも社会構造的にも、失敗を恐れる傾向が埋め込まれているため、変わりにくいのだと言います。
遊ぶ余地って、なんか今こそめちゃくちゃ生まれたじゃんみたいな話になってるんだけど、なんか我々はそこを十全に享受できるように準備が整ってない。
安田さんは、この歪みをどうすればアラインさせられるか、その加速に強い興味があると語りました。
自己効力感の弾み車をAIで回す
安田さんは、遊びを妨げるものとして、できずに恥ずかしい思いをしたトラウマ的な体験の積み重ねを挙げます。それがブレーキになるという見立てです。
以前、教育に取り組む人から聞いた話として、安田さんはこれを打破する方法に触れます。
何かやってみた、できたっていう、その自己効力感みたいなものを感じられるタイミングがどれだけあったかみたいな話にほぼ尽きる。
これは子供の教育に限らず、大人でも本質的にできる、と安田さんは考えます。1週間に1つ2つだった「できた」を、3つ4つに増やそうとトライすることは本来可能だからです。
ただし、自分でマインドセットを変えるのは実際には起こりにくい。そこで安田さんは、AIの働きかけに期待します。
すっと、できそうなところまで準備してあげて、目の前に置いて、「いや、できたじゃん」みたいな感じで言ってくれるみたいな。
ちょっとしたことに見えて、ものすごく弾み車が回るのではないか。安田さんは、今まさに開発しているプロダクトでもそこを狙っていると話しました。
自己探求と外との相互作用のバランス
庭本さんは、弾み車が回るには二つの要素が大事だと整理します。自己探求的な要素と、小さな筋のいいアクションの要素です。
社会とか会社とか、そういう外的なものに規定された自己によりすぎると、本当の自己じゃない可能性もあるみたいなのもある。
庭本さんは、自分は何がしたいのかという探求姿勢と、それを少しずつ行動に移すことの両方を、AIで加速するといいのではと話しました。
安田さんは、これに再現性の高い先例があると応じます。ソクラテスの周りからは歴史に名を残す人が数多く生まれ、吉田松陰、勝海舟、福沢諭吉なども例に挙げました。
スティーブ・ジョブズのメンターだったビル・キャンベルの例も引きつつ、安田さんは、そこには何らかのメソドロジーがあるはずだと考えます。
ただし、それは人と人の間だからできる面もあり、リソースも要ります。吉田松陰が今の世界中の人にそのまま届けられるわけではない、と安田さんは指摘しました。
そこをうまくAIとかプロダクトの形で再現できるようにしたら、世界全員とまでは言わなくても、10パーでも20パーでも届いて、その人たちがすごく生き生きと生きられるようになって。
業務効率化とエージェンシー育成、二つの持ち場
庭本さんは、二人の切り口の違いを面白がります。自分の仕事は、AIと人間を掛け合わせて企業の業務効率をどう上げるか、という論点が多いと言います。
一方で安田さんが向き合っているのは、そもそも何がしたいのか、というエージェンシーの特定と、それをプロダクトで促進する側だと庭本さんは整理しました。
問いは両方ともAIと人間のパートナーシップみたいな問いな気がするんだけど、ここをこう、解き方が向き合ってるテーマが違うのがすごい面白い。
安田さんも同意しつつ、自分もスタートアップとして、会社にどういうロジックで売るかは今も試行錯誤中だと率直に語りました。
さらに安田さんは、自己探求に注意も付け加えます。「あなたは何したいの」一辺倒でやりすぎるのも良くない、というのです。
自分というものの輪郭はむしろ外とのインタラクションの中で生まれるっていうことも結構真じゃないですか。
誰かに何かをした結果のフィードバックで、自分がよくわかる。自己探求は、自分の内側ばかり見ることではない、と安田さんは強調しました。
ダンシングピープルと動的平衡
庭本さんは、自分の信条を「ダンシングピープル」だと明かします。その時々で流れている曲が違う、という感覚です。
流れる曲に合わせつつ、自分が一番踊りたい踊りを踊る。庭本さんは、探求しすぎても、曲に合わせすぎても良くないと言います。
流れてる曲に合わせすぎても、逆にそれで自分ないしみたいな。ちょうどいい甘いみたいなものが一番なんか人間にとっての遊びじゃね?
安田さんは、これを動的平衡という概念に重ねます。自然界では、ある時点で完璧に平衡している状態はほぼないという話です。
ある時点ではこう、あるバランスが崩れてるんだけど、そのバランスを次の瞬間とか一定の周期の中で戻していくという、このリズムが生まれてるからこそ生物も成り立ってる。
歩くという行為も、完全に静止すればほぼ確実に倒れます。安田さんは、ある瞬間だけを見て平衡を評価するのではなく、あえてバランスを崩しながら長い時間軸で整えていく意識が大事だと話しました。
起業家目線の自覚と、対話で発見していくこと
安田さんは、締めにあたって自分の話し方を振り返ります。起業家としての目線が色濃く入っていた、という自覚です。
すごい起業家としての目線とかが色濃く入って喋ってるんだろうなみたいな。感覚もすごい自覚的に自覚してはいつつ。
そのうえで安田さんは、こうした考えを独り善がりで終わらせず、他の人にもフィットする形で広げていきたいと語ります。
独り善がりで言っててもしゃあないと思ってってるんで、この対話も通じて、なんか僕も発見していけたらな。
庭本さんは、この回のキーワードとして、エージェンシー、遊び、動的平衡を挙げ、AI時代の生き方をめぐる対話を締めくくりました。
まとめ
AIがすごすぎて言われるがままになりがちな時代に、主体性を保つ鍵を「子供の遊び」から捉え直した回でした。ガードレールと余白の設計、小さな「できた」の積み重ね、そして自己探求と外との相互作用のバランスが、繰り返し語られます。
- エージェンシーの実践には、失敗を恐れず「やってみて、できて、嬉しい」という子供の遊びのサイクルが手がかりになる
- 遊びには「楽しむ」意味と、工学的な「余地」の意味があり、安全を守るガードレールと自由な余白の両方を設計することが大事
- 自己効力感を得られる「できた」の体験を増やすことがブレーキを外す鍵で、そこをAIが後押しできる可能性がある
- 自己探求は内側ばかり見ることではなく、外との相互作用の中で自分の輪郭が見えてくる
- 動的平衡のように、ある瞬間の均衡ではなく、崩しながら長い時間軸で整えていく視点が生き方にも通じる





