巡礼で歩いた体験は、なぜ誰にも代替されないのか
前回の放送で、安田さんはハネムーンでサンティアゴ・デ・コンポステーラ ── スペイン北西部の都市。聖ヤコブの墓があるとされ、中世から続くキリスト教の巡礼路の終着点として知られていますへの巡礼路を歩いた話をしました。今回はその続きとして、元木さんが「センスの作り方」をテーマに据えます。
安田さんによれば、巡礼の体験は自分の中にロジカルな形ではそれほど残っていないといいます。事業への影響のように言葉にできる部分もありますが、「なぜ良かったのか」は、突き詰めると「自分はそう感じた」以上の説明にならないそうです。
(巡礼の体験が)何で良かったの?みたいな話って、究極的には自分はそう感じた以上みたいなところじゃないですか。
さらに安田さんは、「私はこう感じた」という部分は他者にもAIにも置き換えられないと指摘します。仮にロボットが代わりに巡礼路を歩いても、安田さん自身が歩いたことの代わりにはなりません。
少なくとも自分が代替され得ない価値というものは、もうすでにそこに集約されていくんじゃないかみたいな話がある。
安田さんにとって、価値は「私が何を感じたか」に移っていくという考えはもともと持論でした。今回の巡礼を経て、その考えを改めて実感したといいます。
元木さんは、この話を「身体性を伴っているかどうか」として受け取ります。AIでプレゼン資料が100枚できても、その細部まで身体性を伴って説明できるかが、AI時代にはむしろ大事になると話しました。
性能が上がるAIに残る「わかってない感」
安田さんがハネムーンに出ている間にも、ClaudeのOpus 5.5が出たといいます。ChatGPTの6は出発前に出ていた記憶だそうで、AIの性能は短い期間でも次々と上がっています。
それでも安田さんは、実際の場面でAIを使うと「なんか違うんだよな」と感じることがあるといいます。その理由として挙げたのが、AIは人間とセンスを共有していない、という点です。
どこまで行ってもやっぱり人間とセンスを共有していないって話はあるんだろうなっていうのはすごいあるんだよね。
安田さんによると、AIは視覚情報をRGBのデータとして取り込み、人間が美しいと評価しそうなものを大量のデータから模倣しています。ただ、人間が目という感覚器官で見て、脳が刺激を受ける過程そのものを再現しているわけではありません。
安田さんは、視覚はAIが比較的模倣しやすい領域だとも言います。嗅覚、味覚、肌触りのような触覚になると、近似的にも共有できていないと話しました。
安田さんは最近、自身のサービスのロゴをデザイナーに依頼した経験にも触れています。そのうえで、センスがいい人の価値はまだ大きく、少なくとも一般に思われている以上には残り続けるのではないか、と見ています。
センスのいい人とAIは何が違うのか
元木さんは、センスのいい人とAIの違いがどこにあるのかを問いかけます。AIはセンスのいい人のデータを大量に学習しているはずで、データ量ではAIのほうが多い可能性すらある、という疑問です。
AIも一応さ、センスがいい人のデータってたくさん学習してるはずで、最適解を出せるはずだなと思っていて。
安田さんはまず、自分が使う「センス」は、真似できない才能というニュアンスではなく、直訳の「感覚」の意味だと前置きします。そのうえで、AIがしているのは大量のパターンから「センスの良さ」を模倣することだと整理しました。
安田さんは、すべてを演算に置き換えた結果としての模倣で本当にいいのか、と疑問を投げかけます。人間の感覚はかなり繊細なので、センスがいい人のアウトプットをAIが代替するまでには、まだ時間がかかりそうだという印象を持っているそうです。
元木さんは具体例を2つ挙げます。1つは脳科学者から聞いた手術の話で、約40年の経験がある医師が、AI的な最適解とは違う「感覚的にこっちがいい」という判断をしたほうがうまくいく手術がある、というものです。
もう1つは、元木さんがその日の朝にもしていたサーフィンです。この波にはこう乗るという最適解はあっても、身体性が伴わなければ実行できず、30年ほど続けている人にはパターン認識だけではない何かがありそうだと話します。
安田さんは、AIと人間ではそもそも知覚のメカニズムが違うと応じます。人間はRGBを数字の羅列として受け取っておらず、物理的な現象として刺激を受けているという説明です。安田さんが語った人間の知覚の流れは、次のように整理できます。
光の振動
物理的な光の振動が目に届く
刺激
感覚器官に刺激が起きる
電気信号
刺激が電気信号に変わって脳に入る
脳への作用
ある形状が人間の脳に特定の作用を及ぼす
安田さんによれば、誰かがとりあえず描いたものが、たまたま人間の脳に強い刺激を与える形だった、ということも起こります。人間なら100人中ほぼ100人が同じ刺激を受けるものでも、AIはまったく違うように捉えてしまうかもしれません。
多くの作られたものは結局人間が使うわけだから、見たり触ったりするわけで。
作られたものを使うのは人間なので、人間がそれをどう知覚するかは、人間が関わり続けなければわからない、と安田さんは話します。そうでなければ、AIの判断と人間の知覚はずれ続けるのではないか、という見立てです。
「最高の音楽」は一つに決められるのか
安田さんは次に、「いいとは何か」という問いを持ち出します。ここでの「いい」は善悪ではなく、評価されるかどうかというニュアンスです。
最高オブ最高の音楽というものをなんか一意に決められるかみたいな話と聞いて結構面白いと思っていて。
安田さんは、証明できるものではないとしたうえで、最高の音楽や最高の絵を一つに決めるのは無理だと感じているといいます。そこから出てきたのが、良さの在りかについての仮説です。
安田さんの仮説は、他の形もあり得た中でこの形を取ったことに、人は良さを感じるのではないか、というものです。いいと感じる時点で別の可能性も存在しているので、単一の「いい」はどこまで行っても存在しないのではないか、と考えています。
元木さんは、「いい」の定義が時代によっても変わる点を加えます。平安時代と令和では女性の美しさの基準が違い、ゴッホのように死後に評価される画家もいます。個人と時代の両方から影響を受けるので、最適解だけを出すのは難しそうだと話しました。
安田さんは、いい作品とは「いいと言う人もいれば言わない人もいる」ことを最初から含んでいるのではないかと応じます。万人が最高だと言うものはあり得ないからこそいいのでは、という見方です。
元木さんはこの話を企業の競争戦略につなげます。市場を分析して最適解を出すと100社が同じ答えにたどり着いてしまうので、差別化には「自分がこれをやりたい」という右脳的な「いい」を出すことが大事だと考えています。
市場を分析して最適解を出すと、100社が同じ答えにたどり着いてしまう
「これをやりたい」「これが面白い」というその人にとっての「いい」を出し、選ばれる理由をつくる
元木さんは、この2つを掛け合わせたバランスがあるのだろうと話します。
安田さんは、西洋には「ベストなものは存在するはずだ」という前提があり、背景に一神教的な信条があるのではないかと話します。競争を好むのも、指標があって勝ち負けが決まるからで、その競争が正しいと誰が決めたのか、という問いは残るといいます。
そういう指向性だからこそ、その競争だったり成長というものに対していち早く突き進んでいくっていう強さもあるんだけど。
安田さんはこの指向性の強さを認めつつも、真理を捉えているかという点ではずれているところもある、と見ています。元木さんも、絶対解やスピード、スケールを求める姿勢は西洋文化の一面だと、メタ的に受け止めました。
「IQ 300」より「素早い秘書」が求められ始めた理由
ここで安田さんは、テクノロジーの話題に戻ります。周囲でよく話題になっているJevは、System 1 ── 心理学者ダニエル・カーネマンが『ファスト&スロー』で示した、直感的で速い思考の型。熟慮的で遅い思考はSystem 2と呼ばれますと2の枠組みと重ねて語られることが多いといいます。
安田さんは、Jevの話を先ほどのサーフィンのたとえとつなげます。AIやロボットがサーフィンのように大量の情報を素早く処理するには、まだ非常に大きなギャップがあるという見方です。
すごいその原理まで遡ると、やっぱ我々ってこのタンパク質ベースで神経系というものを物理的に(構築している)。
安田さんによれば、タンパク質でできたアナログ回路である人間の神経系の効率性には、現在の物理アーキテクチャの機械はかなわない面があります。それでも、Jevのようにコストが下がり速度が上がる流れはまだ続き、その差が縮まれば大きな可能性が開けると見ています。
安田さんが注目しているのは、AI開発の話題の中心が変わってきたことです。その変化は次のように整理できます。
アインシュタインのように、IQ 150、200、300と賢くなり、本当に難しい問題を解けるようにする
簡単な問題をめちゃくちゃ早く解けるようにする
元木さんも、GPT-6やFableは深く長く自律的にやり続けて完遂することを目指していたのに対し、Jevは素早く打ち返す「卓球みたいな世界線」だと表現しました。
安田さんは、自身が開発している「気が利く秘書」のようなAIを例に挙げます。秘書に求めるのは、アインシュタインのような賢さではないといいます。
別に賢くなくて全然いいから、素早くて的確にテキパキやってくれる人が欲しいじゃん。
元木さんは、これを役割の違いとして捉えます。安田さんも、がんの治療薬を開発するならアインシュタイン的な知能が活躍しそうだが、未読メッセージ100件をテキパキ返すなら秘書が欲しい、と同意しました。どんな人にいてほしいかが場面で変われば、最適なAIも変わるという考えです。
安田さんはさらに、パーソナルAIエージェントの多様化にも触れます。以前話題になったオープンソースのOpenCrowは、普段使っているチャットから呼び出してマイクロタスクをこなせるものでした。その後、Xの系列からGrokbotが、MetaからはMuseが登場しています。
安田さんによると、MetaのMuseは賛否が分かれつつも、可愛い系のキャラクターに旅行の手配などを頼める一般消費者向けのコンセプトです。コーディングを頼むときにインターフェースの可愛さは気にしなくても、アイデア整理のための雑談なら話しやすさが重要になる人もいる、と安田さんは話しました。
人間に残るコアは何か?センス、パッション、ウィズダム
締めくくりに元木さんは、「AI時代に自分の仕事は代替されるのか」という多くの人が抱く不安を取り上げます。GPT-6、Opus 5.5、Jevと技術が進む中で、人間の価値はどこにあるのかを安田さんに尋ねました。
安田さんは、人間にとってのコアは3つあると答えます。1つ目は、ここまで話してきたセンスです。
2つ目はパッション、つまり理由はよくわからないけれど熱量がある状態です。安田さんによれば、AIにパッションを持たせること自体はできても、誰がそれを作るのか、あったとして何の意味があるのか、という話になるといいます。
3つ目はウィズダムです。安田さんは、知識は存在するだけでは価値がなく、必要なときに引き出されて使われたときに価値が生まれると説明します。
じゃあ適切なところにその知識を引っ張り出してきて使えるかっていう話ってずっとイシューとして残るんですよね。
安田さんによれば、AIは検索で情報を集める手助けをしてくれますが、自分のものも含めて情報は無限にあります。サーフィンで「昔こういうことがあったからこうする」と半ば無意識に判断するように、場面に合う知恵を持っているかどうかが、どこに行っても重要になると安田さんは考えています。
安田さんが挙げた3つのコアは、次のように整理できます。
| コア | 中身 | AIとの関係 |
|---|---|---|
| センス | 感覚器官で知覚し、感じること | AIは大量のデータから模倣するが、知覚のメカニズムは違う |
| パッション | 理由はわからなくても熱量があること | 作れたとしても、誰が作り、何の意味があるのかが問われる |
| ウィズダム | 必要な場面で知識や経験を引き出して使うこと | AIは情報集めを助けるが、何を使うべきかの判断は残る |
元木さんが「エージェンシーはどこに分類されるか」と尋ねると、安田さんはエージェンシーはパッションに対応していると答えました。安田さんはこのテーマで記事も書いており、エピソード説明にリンクを載せることになりました。
まとめ
巡礼の体験から始まった今回の対話は、「私が感じたこと」は代替されないという実感を出発点に、AIと人間の知覚の違い、良さの多様性、AIトレンドの変化をたどり、人間に残るコアを3つにまとめるところで締めくくられました。
- 安田さんは、代替されない価値は「私が何を感じたか」に集約されていくと考えている
- AIはセンスの良さを大量のデータから模倣できるが、人間の知覚のメカニズムそのものは再現していない
- 良さは「他の形もあり得た中でこの形を取ったこと」に宿り、単一の最高は存在しないのではないかという仮説が語られた
- AI開発の話題は、IQを上げる方向から、簡単な問題を素早く解く方向へも広がり、役割ごとに最適なAIが分かれつつある
- 人間に残るコアとして、安田さんはセンス、パッション、ウィズダムの3つを挙げた





