なぜハネムーンに巡礼路を選んだのか
安田洋介さんは、誕生日の1週間ほど前後にハネムーンへ出かけ、妻とスペインのサンティアゴ・デ・コンポステーラ ── スペイン北西部ガリシア地方の都市。聖ヤコブの墓があるとされる大聖堂を目指す巡礼路は、中世から続くキリスト教の三大巡礼の一つとして知られていますの巡礼路を歩いてきました。
安田さんは巡礼路を、日本でいう熊野古道のように昔から伝統として歩かれてきた道だと説明します。自身は宗教的な理由で歩いたわけではなく、内省の時間や、大変な思いの中で他者と支え合う体験を通じて自分への気づきを得る場として捉えていたといいます。
百二十キロ(を)歩きました。6日間かけて。
元木啓貴さんは、AIの起業家が超アナログに歩き続けることを選んだ点に二面性があって面白いと反応します。安田さん自身も、道中で「ハネムーンでそれ選んだの?」と何度も言われたそうです。
普通もっとリラクシングな、なんかリゾートとか行くんじゃない?
高野山、アイスランド、ガラパゴス。候補の中で刺さった理由
安田さん夫妻は以前から、高野山の宿坊に泊まるなど、少し変わった体験をする旅がお互いに好きだったといいます。普通の旅行も好きですが、一風変わった体験を楽しむ点で二人の好みが重なっていました。
加えて、世界各地を旅するマニアックな旅行通の知人が何人も、サンティアゴ巡礼は良かったと話していたことも、安田さんがいつか行ってみたいと思うきっかけになりました。妻も同じように行ってみたいと考えていたそうです。
ハネムーンの行き先を話し合う中では、アイスランドやガラパゴス諸島も候補に挙がりました。いわゆるリゾート地は年を取ってからでいい、というスタンスが二人に共通していたといいます。
一番そのサンティアゴ・デ・コンポステーラ歩くみたいなのがお互いなんか刺さったみたいな。これ逆に元気な時じゃないと行けないしねみたいな。
もう一つの決め手は、100キロ以上歩くと踏破の証明書がもらえることでした。安田さんは結婚という節目の記念として、歩いて証明書をもらえるのは良いと感じたそうです。
共通の好み
夫妻とも、高野山の宿坊のような変わった体験が好き
旅行通の評判
世界を旅する知人たちが「すごく良かった」と話していた
元気なうちに
リゾートは年を取ってからでも行ける
節目の記念
100キロ以上で踏破の証明書がもらえる
1日27キロ、山越えもある6日間の実際
元木さんがまず「疲れるの?」と尋ねると、安田さんは「めっちゃ疲れる」と即答します。同じ距離をもっと細かく日程を分けて歩くこともできますが、マドリード観光の時間も取りたかったため、巡礼は6日間に収めたそうです。
単純平均でも1日20キロ。泊まれる村が点在しているため均等には分けられず、長い日は1日27キロ、トータル6時間以上歩いた日もありました。山を越え、アップダウンもある道で、かなりタフな行程だったといいます。
それでも季節的には気持ちのいい時期で、昼は日差しが強いものの、早めに出発すれば涼しい中を歩けたそうです。安田さんは振り返って、行っている最中も楽しかったし、全体としてとてもいい経験だったと話します。
ガリシアの街並みと、コロンビア出身の巡礼者との出会い
安田さんが歩いたのは、スペインのガリシアというエリアです。単一のエリアでありながら、街ごとに雰囲気も美味しいものも違い、そのバリエーションの豊かさが印象に残ったといいます。
巡礼路では、他の巡礼者とおしゃべりしながら歩き、休憩のタイミングがずれてまた別れる、といった交流もあります。ある朝、まだ暗い中で「この道合ってるんすかね?」と声をかけたことから、コロンビア出身の人と話し始めたそうです。
その人は20年前にアメリカに来て住んでいると話し、経緯を聞くと、メキシコ国境を越えて密入国したのだと明かしました。20年前なら行けたが、今なら本当に死ぬリスクがある、と笑いながら語っていたといいます。
普通はあんまそういう人出会わないじゃないですか。日本だとなおさらだし。
結構そういう、なんかこう、ある種人生が交差するという。結構こういうのすごい面白いなと思いますね。
安田さんは、普段なら出会わない人生が巡礼路の上で交差することに面白さを感じたようです。
体が疲れると何が見えるのか。モニター5枚の日常との落差
元木さん自身も、四国のお遍路を4分の1ほど歩いた経験があります。元木さんは、フィジカルにアプローチできること、つまり体が疲れること自体に良さを感じているといいます。
体が疲れるってすごくいいことだなと思ってて。普段の思考の延長ではない、なんかもうちょっと研ぎ澄まされていって、なんか本当に大事にしたいことが見えたりとか。
これに対して安田さんは「まさに」と応じ、普段の自分の環境を引き合いに出します。安田さんの目の前にはモニターが5つほどあり、それぞれでAIを動かしているなど、デジタルに囲まれる時間がとても長いのだそうです。
1日10分の散歩とはスケールの違う、5〜6時間歩き続けて疲れるという超フィジカルな体験を通じて、安田さんは日常の側を捉え直しました。
モニター5つに囲まれ、AIを動かし続けるデジタル中心の日常
1日5〜6時間歩き、身体の存在や道を感じる体験
安田さんは、フィジカルや存在、道を感じられる体験は、定期的にあった方がいいと強く思ったと話しています。
終着点の大聖堂のミサ。AI翻訳で聴いた説教
具体的な発見は少なかったものの、抽象的な感覚として残ったものがあると安田さんは言います。それが、巡礼の終着点にある大聖堂でのミサでした。大聖堂には、有名な聖人セイントジェームスにゆかりのある大物が祀られているそうです。
ミサは1日に数回行われ、当然ながらスペイン語です。最初は聞き流していた安田さんも、長いし内容を知りたいと思い、途中からデバイスを出してAIで翻訳しながら説教を聴いたといいます。
安田さんによれば、説教の内容は、巡礼を終えた人たちに向けたものでした。先人たちが歴史を築いてきた道を歩き切ったこと、つらく大変だったと思うが、この先の未来には歩いたからこそ得られる栄光が必ずある、という話だったそうです。
安田さんは、キリスト教には現世を苦痛の中で生き、その先に栄光があるという考え方があると触れたうえで、それを信じるかどうかとは別の次元で説教の構造に注目しました。
身体的な体験
巡礼路を歩き切る
意味づけ
その体験を意味に転換する
ストーリー
先人の道と未来の栄光を紡ぐ
活力の再加熱
この先を生きる希望や活力が戻る
この身体的な体験を、こういう意味付けということに転換させて、で、そこからなんかこうストーリーを紡いでいって。
生きていく希望だったりとか、この未来に対する活力みたいなものをこう再加熱するみたいな。
安田さんは、このフレームは昔から必ずあり、今も行われているはずで、人間心理の本質をついているのだろうと語ります。実際に歩き切った人間として、心に染みる部分もあったといいます。
あわせて安田さんは、ベタだけれどAI翻訳はすごいとも感じたそうです。拙い訳ではあっても、言いたいことはこういうことだろうとわかる程度にはきちんと訳してくれたといいます。
余白と節目は、なぜ人生を味わわせてくれるのか
安田さんの話を聞いた元木さんは、「余白や余暇の持ち方」と「プロセスと結果」という2つのテーマを感じたと話します。
1つ目の余白について、元木さんは、仕事をずっと続けるのではなく1週間ほど離れることで、人生の抽象的で大事なことを感じ、また頑張れるようになるのだろうと語ります。
2つ目のプロセスと結果について、元木さんは、ずっと道の上にいるだけでは節目を味わえず、人生を味わえなくなると指摘します。誕生日もただの一日として通り過ぎることもできれば、節目として味わうこともできる、という例を挙げています。
安田さんはこれに納得し、巡礼路を振り返ります。山のエリアで唐突に馬が現れたり、急に町に着いて雰囲気が変わったり、平坦な道が続いたりと、道中のリズムや町・スポットが節目として現れてきたといいます。
でもそこ(終着点)でのメッセージっていうのは、またこれからこの先でまた道が続きますよねっていう話でもあるわけだから。
安田さんは、道中の変化や節目、そして終着点がまた次の道の始まりでもあるというリズムの大切さを、あらためて実感したと話しています。
深い体験を誰かと共有することが資産になる
元木さんは、安田さんがよく余白や遊びの大切さを語っていることに触れ、ハネムーンも節目も作らなくてもよいものなのに、この余白があって何が良かったのかと問いかけます。
安田さんが挙げたのは、この体験を共有している他者がいるという感覚です。道中で交流した人たちはもちろん、交流がなくても、みんなこの大変な道を歩いてきた人たちだという共有感が良かったといいます。
安田さんにとっては特に、結婚したばかりの妻とこの体験をしたことが大きかったそうです。
こういう誰かと深い体験を共有してるということそのものが、(これからどう)結びついてくるのかみたいな話は完全にわかってないところももちろんあるけど。
安田さんは、人生をサポートするAI体験を作っている立場から実利的な学びも語れるとしつつ、それ以上に、体験して実感したこと自体に、人生を豊かに紡げたというプレシャスさを感じていると話します。
巡礼の情景は人生そのものに似ている
元木さんは話を聞きながら、巡礼の情景が人生に近いと感じたといいます。不安や探検感を抱えて歩き、一番近くの人もいれば、何度か会う人、一度しか会わない人もいる。それでもみんな同じようなところを目指している、という情景です。
それぞれが歩んでるっていう、なんかことで、歩んでることを共有し合うことでなんか一体感あったりとかするみたいな。
元木さんは、こうした歩みの共有が人間社会の本質なのかもしれず、仕事もそうだと述べます。
これを受けて安田さんは、センスや感覚をどう蓄え、積み上げられるかが今すごく過小評価されていると考えており、それを後半のテーマとして話したいと提案します。前半はここで区切られ、続きは次回に持ち越されました。
まとめ
安田さんのサンティアゴ巡礼の話は、身体を使い切る体験が、デジタル中心の日常を相対化し、意味づけや節目、他者との共有を通じて人生を味わわせてくれることを浮かび上がらせました。
- 巡礼を選んだのは、変わった体験が好きな夫妻の好みと、元気なうちにしか行けない、節目の証明書がもらえるという理由から
- 1日最大27キロ歩く身体の疲れが、モニター5つに囲まれた日常がいかにバーチャルかを気づかせた
- 大聖堂のミサには、身体的体験を意味に転換して未来への活力を再加熱する、昔からの強いフレームがある
- 仕事から離れる余白と、道中に現れる節目が、プロセスの中で人生を味わう「果実」になる
- 深い体験を誰か、特にパートナーと共有していること自体が資産になるという感覚



