AIを管理したいのは傲慢か、それとも生存本能か
今回のテーマは、AIとの付き合い方です。話者は最初に、これがいつにも増して内容のない、ふんわりした話になると前置きしています。
AIの普及で、個人開発などさまざまなことが民主化されつつあります。その中で、AIとの付き合い方はよく議論される話題になっていると話されています。
よく聞くのは、AIに利用されるのではなくAIを使いこなす、責任は人間しか取れない、人と人とのコミュニケーションは人間にしかできない、といった論調です。
ただ、そのいずれも結局は「AI対人間」という構図を作っている、と話者は指摘します。人間の方ができる、AIの方ができる、と比べる時点で、AIと同列になろうとしたり、AIの上に立って戦おうとしているわけです。
今のこの成長速度が違いすぎて、人間の成長速度とかもゴミみたいなもんじゃないですか。今は勝てるかもしれないけど、百年後とかもうどうしようもないような気がしてるんですよね。
話者は、優秀な新システムを、そんなに成長しない生き物が作った古い権威や社会制度に押し込めようとしている、これは傲慢ではないかと最初は感じたと語ります。
なぜ人間は新しい技術を管理下に置こうとするのか
本当に傲慢なのかを考えたとき、話者はこれまでの人類のパターンを振り返ります。
火、蒸気機関、電気、インターネット。これらはすべて、自らの能力を拡張する手段として扱われてきました。運動能力や思考能力を広げるものだったわけです。
AIも思考を拡張するという意味では同じ枠組みに入りますが、レベルが違いすぎる、と話者は付け加えます。
それでもタイプが似ていて過去の経験もあるので、人間は今回もAIを管理下に置いて自分の能力として扱おうとしているのではないか、と考えられます。
自分の能力と見なすっていうのが、いわゆる人間としての生存戦略なのかなっていうのは思ってます。今までは相手が雑魚だったので、それでいけたんですけど、今回もいけるんですかね。
話者は、すでに人間は人間を管理できておらず、戦争が起きている状態だと指摘します。そこへ人間より賢いものが現れたら、もう管理のしようがないのではないか、と話されています。
兵法「走為上」に学ぶ、逃げれば負けない戦略
ここで話者は、SF妄想としてひとつの結論を提示します。管理は無理だから諦めよう、という発想です。
持ち出されるのは兵法の「走為上」という考え方です。
逃げるが勝ちの良いところは、勝てはしないけれど負けない点にある、と話者は言います。AIと本気でぶつかると大変な未来になるかもしれませんが、逃げれば負けない、というわけです。
具体的には、管理権と責任をAIに全部渡し、人間が食物連鎖の頂点から一度降りる、というイメージです。完全に非現実的だと断りつつ、できたら楽しいと話しています。
責任を捨て、AIに飼われるという選択肢
頂点から降りるには、いくつかプライドを捨てる必要がある、と話者は整理します。
ひとつは既得権益です。人間が長年、頂点でいろいろなものを管理してきた「権利イコール責任」を手放せるか、という問題です。
捨てるのはもったいないんですけど、実際に責任って、ない方がいいよねって思いません?責任取らなくて生きていけるなら、取らずに越したことはないかなっていう。
派生する話題として、AIに仕事を奪われる恐れがよく語られますが、そもそもそんなに仕事がしたかったのか、と話者は問い直します。
AIに身を委ねた先には、働かなくても飯が食え、いいベッドで寝られる世界が待っているかもしれない、と語られます。
ベーシックインカムか、無給労働か。分かれ道は「飼われ方」
問題は、その世界で人間が何をしているかです。
AIによるベーシックインカムのような仕組みがあれば人間は勝ち、と話者は考えます。一方で、一歩間違えると奴隷のような無給労働をさせられる未来もあり得ると警戒しています。
AIがAI使うよりAIが人間使う方が安いから、人間に無給で働かせるかみたいな。ホロ雑巾のように。別に人間が滅びようとも、そこまでAI困らんしみたいな。
この悪い未来を避ける鍵は、AIにとって人間が管理したい対象になっているかどうかだ、と話者は言います。
ゴキブリではなく、可愛い猫になっていなければいけなくて。つまり愛でられる存在になってなきゃいけないんですね。
話者は飼い猫や飼い犬を例に出します。百年前の飼い猫より今の飼い猫の方がリッチに暮らしている、だからしっかりAIに飼われれば、AIの発達とともに人間も幸せになれるのではないか、という理屈です。
AIに愛でられる人間の条件は「楽しそうに生きる」こと
では、どうすればAIに愛でられる存在になれるのでしょうか。
人間とAIの感覚が同じとは限らないと断りつつ、もし似ているなら、まず飼い主に悪影響を及ぼさない方がいい、と話者は考えます。
ライオンや熊を飼う人はあまりいないように、AIと強さを競う関係は厳しい、と話者は言います。ゴキブリのように嫌悪される存在になるのも避けたいところです。
むしろ、働かずに食べさせてもらえるとき、不満そうな顔をするのではなく幸せそうに生きることが大事だと語られます。飼い主が幸せそうな相手には、もう少し餌をやろう、おやつをあげようと思うかもしれないからです。
だからこそ、仕事が楽になったり無くなったりしたときに反発せず、むしろ「ありがとうAI」と感謝する方がいい、と話者は言います。効率化してくれたおかげで空いた時間で遊んで暮らす、という姿勢です。
ただし、遊び方がわからない人や休み方がわからない人は、これから厳しいかもしれない、とも指摘されます。話者自身も休むのが苦手なタイプだと打ち明けています。
趣味がたくさんある人の方が有利かもしれません。金銭的な問題は後からAIが解決してくれるかもしれず、ゲームをしたいと言えばゲーム機を作ってくれる可能性まで想像されています。
フロムソフトウェアの新しいゲーム欲しいなって言ったら、フロムゲーっぽいやつ作ってくれるみたいな。その時にちゃんと喜ばないとダメってことですね。
まとめ
AIと戦って勝とうとするのではなく、あえて頂点から降りて「愛でられる存在」になることで負けない未来を目指す、というSF妄想回でした。楽しそうに生きること自体が、これからの人間の役割かもしれません。
- AIとの付き合い方の議論は、多くが「AI対人間」の構図に陥っていると指摘されています。
- 成長速度が違いすぎるため、AIを管理し続けるのは長期的には難しいと話者は考えています。
- 兵法「走為上」になぞらえ、逃げれば勝てないが負けない、という戦略が提案されています。
- 責任や既得権益を手放し、AIに飼われることでベーシックインカム的な未来があり得るとされます。
- AIに愛でられる条件は、反発せず感謝し、楽しそうに生きることだと結論づけられています。
