新シリーズはパスツール、その名前の意外な身近さ
今回から始まる新シリーズのテーマは、フランスの偉大な化学者ルイ・パスツールです。
この番組では久しぶりに、研究者の人生とその背後にあるドラマを追うシリーズになります。
とみーさんにパスツールの印象を尋ねると、意外な入り口の話が出てきました。
発酵、お料理の発酵の本とかに名前が出てきたりするんだよね。
科学の本ではなく、料理の本で名前を見かけたというのです。低温殺菌の概念のところで登場したのかもしれません。
この番組をやるようになってからパスツール研究所の人、いっぱい出てくるじゃん。いや、誰やねんと思ってた。
番組を手伝ううちにパスツールの名前を何度も耳にして、気になっていたそうです。
パスツールが変えた世界、低温殺菌から消毒まで
パスツールは、およそ百五十年前に活躍したフランス人の化学者です。
最初は化学の分野で頭角を現し、それから生命科学の方へと入っていった人物です。
彼の幼少期はフランス革命の時期にあたり、王政から市民の政治へ、そしてまた王政へ、さらにナポレオンの登場へと、ヨーロッパが激しく揺れ動いた時代でした。
時代はちょうど日本の幕末の頃にもあたります。以前このシリーズで紹介した北里柴三郎も、若い日に老人となったパスツールに会いに行っています。
身近な発見としては、牛乳パックなどに書かれている「低温殺菌」があります。これは食品の風味を飛ばさずに、腐敗させる菌だけを殺す技術です。
さらにパスツールは、傷口を消毒することや、感染症を防ぐためのワクチンといった発想の元になる発見もしました。
当時の医者は手を洗わずに手術をするのが当たり前で、患者の多くはその後の感染症で亡くなっていました。
パスツールは、傷口から病原菌が入り込んで感染症を起こすと見抜き、外科医たちに手術前に手を洗うこと、手術台を清潔にすることをうるさく言い続けました。
化学者であるパスツールに対し、医者たちは「医者でもない奴が偉そうに」と反発したそうです。
それでも実際に手を洗うと、傷口が膿んで亡くなる人が大きく減りました。こうしてその主張はだんだんと世の中に認められていきます。
パスツール以前、人類は細菌の正体をほとんど知りませんでした。彼は微生物というものに光を当て、医学と科学の歴史を大きく動かした天才でした。
農奴から自由を買い取った曽祖父
ここからパスツールのルーツをたどります。まずは曽祖父、つまりひいおじいちゃんの時代です。
これは一七六〇年代、今から二六〇年ほど前の話です。
当時のフランスは、王様と貴族による厳しい身分制度のもとにありました。
民衆の多くは、土地に縛られ、貴族の所有物として一生ただ働きをさせられる農奴でした。パスツールのひいおじいちゃんも、その農奴の一人でした。
しかしひいおじいちゃんは、この苦境から抜け出そうという野望を持っていました。必死にお金を貯め、一七六三年に地主の貴族から自分と家族の自由を買い取ることに成功します。
この背景には、フランスがイギリスとの七年戦争に負けた事情がありました。
戦争で貴族たちがお金に困っていたため、農奴でもお金さえ払えば自由が得られる仕組みができていたのです。
自由の身になったひいおじいちゃんは、家族を養うために新しい仕事を始めます。それが動物の革をなめすレザー工場の職人でした。
革なめしは、動物の死体を扱い、臭いもきつく、重い肉体労働で、危険な薬品も使う嫌われた職業でした。
一方で革は非常に重要な製品だったため、農奴だった人が解放後に就ける職業の一つでした。
ひいおじいちゃんは懸命に働いて財産を築き、その技術は息子たちへ、そして孫であるパスツールの父ジャン・ジョセフへと引き継がれていきます。
フランス革命とナポレオン、革職人から兵士になった父
そんな中、一七八九年にフランス革命が勃発します。
七年戦争の借金返済のため、フランスには非常に重い税が課せられていました。収入の九十パーセントが税金で取られ、空気にまで税金をかけると言われたほどです。
生活が立ち行かなくなった民衆の怒りが革命を呼び起こし、封建制度は崩壊しました。
一七九三年一月にルイ十六世が、同じ年に王妃マリー・アントワネットもギロチンにかけられます。
これに周囲の王国が恐怖しました。自分たちの国でも民衆が立ち上がるかもしれないと、フランスの民主制を潰そうとし、フランスは周りの国々すべてを敵に回すことになります。
そこで救世主として立ち上がった大天才がナポレオンでした。
ナポレオンは一七九九年に実権を握り、一八〇四年には皇帝の座に就きます。市民のものになったはずの政治から、なぜか皇帝が現れたのです。
戦争の天才であるナポレオンはヨーロッパ全土で戦争を巻き起こし、ほぼ統一するほどの勢いを見せます。
そして兵士を集めるため徴兵制を敷きました。この強制徴兵により、パスツールの父ジャン・ジョセフは革職人から兵士へと変わります。
徴兵された彼は、ナポレオン戦争でも最もしんどい戦場、スペイン戦線に送られます。
一八一二年から始まったこの戦いで、スペインの兵たちはゲリラ戦を仕掛けてきました。待ち伏せしてフランス兵に襲いかかり、さっと引き上げる戦い方です。
ジャン・ジョセフは襲われる側でしたが、山岳地帯に潜むゲリラの指導者を討伐する任務を課せられます。仲間が次々に倒れ、激しい雨にも遭う中、黙々と任務を果たして出世していきました。
最高勲章と、革命後を生き抜いた父の帰郷
一八一四年、ナポレオンの衰退とともに戦況が変わります。
スペイン戦線で活躍したジャン・ジョセフたちは、ロシア、オーストリア、プロイセンといった強国の連合軍を迎え撃つため、フランス本土の防衛に回されます。
フランスのシャンパーニュ地方サン・ディジエでの戦いは激戦でした。味方の部隊はほぼ全滅し、父を含めて最後にはわずかしか残れなかったといいます。
もしここで父が亡くなっていたら、パスツールも生まれていなかったことになります。
この死に物狂いの防衛戦で活躍したジャン・ジョセフは、ナポレオン本人から功績を認められ、フランス最高の栄誉であるレジオン・ドヌール勲章を授与されました。
曽祖父の代には農奴だった家庭が、勲章を抱くほどの立場になったのです。
ただ、歴史が知るとおり、ナポレオンは敗れます。
ナポレオンを失った後のフランスでは、処刑されたルイ十六世の弟が呼び戻され、再び王政に戻る王政復古が起こります。
勲章まで授けられたパスツールの父も、故郷サランに帰り、再び革なめし職人に戻ります。
その頃、後にパスツールの母となるジャンヌ・ロキと出会って結婚し、ドールという場所に移り住みました。
ワインと革の匂いの街で育った少年ルイと、意外な才能
結婚後まもなく生まれた最初の子は、生後数ヶ月で亡くなってしまいます。
その後に生まれた娘に続き、一八二二年十二月二十七日にルイ・パスツールが生まれました。
上の子は亡くなり、姉がいて、そしてルイが生まれ、後に妹が二人生まれます。一人の姉と二人の妹の四人兄弟の中で、ルイは唯一の男の子でした。当時は男尊女卑の社会だったため、非常に大事にされて育ちます。
ルイが四歳になると、一家は母方の祖母と暮らすためにドールを離れ、マリノという小さな村へ、さらに近くのアルボアという町へと移り住みます。
アルボアはフランスでも有名なワインの名産地です。父はここに革なめしの工場を置いて精を出しました。
ルイは、ワインの香りと革なめしの匂いが混ざり合う環境で少年時代を過ごします。本人にとって、この匂いはとても忘れられないいい思い出だったそうです。
父は毎晩のように戦争時代の話を聞かせました。そのため、ルイはナポレオンを尊敬し、フランスへの強い愛国心を育てていきます。
一方で、学校でのルイは決して天才と呼ばれる子ではありませんでした。教科書をじっくり時間をかけて読む、慎重で物静かな生徒で、先生たちからは少しどんくさい生徒だと思われていたそうです。
ところが十代前半のルイは、周囲の大人をあっと言わせる才能を発揮します。それがパステル画でした。
ルイが描いたパステル画は今も残っています。少年が描いたとは思えないほど緻密で正確で、両親や姉妹、近所の人々の肖像画をたくさん描きました。
同時代のフランスの有名な画家ジャン・レオン・ジェロームは、ルイの絵を見てこう語ったそうです。
彼が科学の道に進んでくれて、私たちはとても本当にラッキーだった。もし彼が絵の世界に残っていたなら、私たちはとんでもなく恐ろしいライバルを相手にすることになっていたよ。
後に化学者となったパスツールは、顕微鏡を覗いて驚くべき観察眼を発揮します。細かく緻密に見る目は、この頃からすでに備わっていた才能なのかもしれません。
ルイが十五歳ほどになった頃、地元の学校の校長先生が、彼の並外れた集中力と才能を見抜きます。そして父親に、こう進言してくれました。
ルイをこの田舎で終わらせてはいけない。フランスの最高学府であるパリの高等師範学校に入れさせるべきだ。
十五歳の頃には集中力があり、勉強もかなりできるようになっていたのです。こうしてルイは、十五歳でパリへと出向くことになります。
まとめ
新シリーズ第一回は、パスツール家のルーツを、農奴から自由を勝ち取った曽祖父、ナポレオンから勲章を授けられた父の物語としてたどりました。ワインと革の匂いの街で育った少年ルイは、パステル画で緻密な観察眼の片鱗を見せ、十五歳でパリへと旅立ちます。
- パスツールは低温殺菌や消毒、ワクチンの発想の元になる発見をした、微生物に光を当てた化学者です。
- 曽祖父は農奴から自由を買い取り、革なめし職人として一家の基礎を築きました。
- 父ジャン・ジョセフはナポレオン戦争を戦い抜き、最高勲章レジオン・ドヌールを授けられました。
- 少年ルイは学校ではどんくさいと思われながらも、パステル画で驚異的な才能を発揮しました。
- 絵で培われた緻密な観察眼が、後の科学者としての強みにつながったと考えられます。



