ホームシックでたった1ヶ月で逃げ帰る
前回はパスツールの少年時代と、パストゥール家のルーツが語られました。今回はその続きから始まります。
時代背景としては、フランスの政治は王政復古と革命が入れ替わる大混乱の時期でした。ただ、庶民は淡々と生活し、ルイもすくすくと学問に打ち込んでいたと話されています。
15歳のとき、校長先生に優秀さを見抜かれたルイは、フランス最高学府であるパリの高等師範学校エコールノルマル ── フランスの高等師範学校。研究者や教員を養成する超エリート校で、パスツールが目指した最高学府とされますを目指すことになります。
父の期待を背負い、15歳の秋、ルイは全寮制の予備校バルベ塾へ送り出されました。毎年エコールノルマルに合格者を多数出すスパルタ塾だったそうです。
ところが、まだ少年だったルイはパリに馴染めず、猛烈なホームシックにかかります。たった1ヶ月で「帰りたい」と言い出し、父が迎えに来て実家に帰ることになりました。
もしパリに、アルボアの革なめの匂いとワインの発酵する匂いがあったら、もうちょっと頑張れたのにな
故郷の匂いを恋しがるほどのホームシックだったことが、この言葉から伝わってきます。
隣町ブザンソンで学び直し、文系の壁に挑む
傷を癒したルイは、1839年、自宅のアルボアから40キロ離れた隣町ブザンソンの中等学校に入り直します。
この街は父が革を売りに来る場所で、父も立ち寄れるためホームシックにもなりにくいと考えて選ばれたそうです。
1年目に学んだのは、歴史、地理、哲学、ギリシャ語、ラテン語、科学、そして修辞学でした。
なんかロジカルシンキングとプレゼン力みたいな感じだね
いつもポッドキャストで喋るために、どうすれば伝えられるかなってすごい考えるんですけど、修辞学習いたいなって思いました
当時のフランスでは、理系に進む人間でも、まず基礎教養としての文系知識がなければ科学を学ぶ資格がないとされていました。
そのため、まず文学バカロレアを取る必要がありました。ルイは1840年、18歳でこの文系の国家試験を受け、一発で合格します。
特待生としての優遇と、孤独な数学の日々
次の年、ルイは科学と数学に集中し、理系のバカロレアに挑みます。
文学バカロレアを一発合格する人は少なく、その優秀さから学内チューターの職を得ます。後輩の勉強を見る、学校内の家庭教師のようなものです。
これによりわずかな給料、学費免除、食事と部屋が与えられ、父にあまり迷惑をかけずに過ごせるようになりました。
奨学金が出るみたいな。スカラシップみたいな感じじゃない
一方で、理系バカロレアの受験は失敗に終わり、もう1年ブザンソンで勉強することになります。心は孤独で惨めだったようです。
数学の勉強ほど心を枯れさせるものは他にありません
家族への手紙にはこう書かれていたそうです。数学ばかりで感情がなくなったような気分だったと語られています。
さらに、1年目に親友になったシャルル・シャピュイが一足先にエコールノルマルへ入ってパリに行ってしまい、それも寂しかったようです。
それでも一生懸命勉強し、1842年、二十歳の年に理学バカロレアに合格します。
22人中15位で合格、しかし辞退して再浪人
理学バカロレアの資格を取り、いよいよエコールノルマルの受験に挑みます。ルイは見事に合格しました。
ところが合格順位は22人中15位。完璧主義のプライドが、この順位を受け入れられなかったのです。
22人中15位っていうのは下位じゃないかということで、入学を辞退することをいたします
あきさんも「僕なら絶対行くのに信じられない」と話しており、そのプライドの強さがうかがえます。
合格を蹴ったルイは、かつて逃げ出したパリの予備校バルベ塾に戻ることになります。
両親は、二十歳のルイがパリの誘惑に負けるのではと心配しましたが、ルイは誘惑に負けず真面目に勉強に励みました。
風呂屋の下宿と、父からの過保護な手紙
ルイが下宿したのは、なんとお風呂屋さんでした。若者二人とルームシェアをして暮らし始めたそうです。
当時のパリでは水を買うのが高く、お湯も薪で作る時代でした。庶民が家風呂に入るのは難しく、公衆浴場があちこちにあったのです。
お風呂屋さん併設の部屋はボイラーの音や湿気で嫌われ、部屋代が安かったそうです。ですが、綺麗好きのルイは喜びました。
ここだったらしょっちゅう風呂入れるじゃんっていうので、すごく喜んだみたいですね
ボイラーの熱で寒いパリの冬でも部屋が暖かく、それも良かったようです。父もこの環境を息子に良いと感じていたと語られています。
父の手紙には、しょっちゅう風呂に入るように、ただし熱すぎるお湯には入らないように、という助言まであったそうです。
運命の推し教授、デュマとの出会い
パリでは、ブザンソン時代の親友シャルルとも再会し、一緒に勉強したり、たまにお芝居を見て息抜きをしました。
そして、ルイのパリでの一番の楽しみは、ソルボンヌ大学の公開講義を聞きに行くことでした。
当時のフランスでは、スター教授たちが市民に広く開放された公開講義を行っていました。最高峰の知識を社会に還元し、市民の知的水準を上げる国家方針だったそうです。
その公開講義の中で、ルイが「この人推しだ」と夢中になった科学者がいました。ソルボンヌ大学教授のジャン・バティスト・デュマです。
デュマ教授の講義は大人気で、数百人が入る階段教室が毎回満員、立ち見も当たり前だったといいます。
映える科学実験を次々と実演し、観衆は熱狂しました。ルイは講義前に行って一番良い席をキープするほどの熱の入れようでした。
こうした楽しみを支えに、ルイは2回目のエコールノルマル入学試験に挑み、今度は4番で合格。自信を持って入学します。
科学者への道と、数学を勧める父の親心
1843年10月、ルイはエコールノルマルに入学します。毎日、講義と勉強と実験に12時間を費やす日々が始まりました。
物理と化学を専攻し、特に実験に熱中します。
当時の理工系エリートには2つの道がありました。ルイが選んだエコールノルマルは、卒業後に中等教育の教師になる道です。
卒業後は国家公務員の科学者となり、応用工学や軍隊、農業などのプロジェクトで働く道
卒業後は中等教育の教師になる道。当時、教師も尊敬された職業だったと語られています
生活費のため予備校の講師を続けつつ、日曜日には憧れのデュマの実験室で働かせてもらえることになり、休まず実験を続けました。
父は誇りに思いながらも心配し、手紙で健康や食事、勉強しすぎるな、暖かい服を着ろ、といったお小言を書いていたそうです。
お父さん結構過保護ですよ
勉強しすぎないようにはちょっと面白い
フランス人らしく「良質のワインを飲むように」という助言もあったといいます。さらに、数学を専門にするようしつこく勧めました。
理由は、数学の教師は物理の教師より働く時間が短く給料が高いから、というものでした。ですが数学好きではないルイは、この助言は守りませんでした。
息子のことを思ってるけれども、息子の希望ではないところを一生懸命勧めてくる。親心ってそんなもんなんだろうな
ルイは物理の教員試験に挑みます。14人中10人が不合格という中で、3番目の合格者となり、今度はちゃんと受け入れました。
任命先はトゥルノンという田舎町でしたが、実験室が大好きなルイはパリに残りたいと考えます。
デュマに手紙で願い出たところ、デュマだけでなくアントワーヌ・バラール先生も賛同してくれました。
将来有望な学者をパリから追いやってしまうのは惜しい
その結果、ルイはバラール先生の実験室で助手として雇われ、田舎町に行かずに済みました。
助手として頑張り、1年で物理学と化学の論文を1本ずつ書き上げ、博士号を手に入れます。
そしてルイは、当時始まったばかりの有機化学、特に有機化学物質の結晶を作る結晶学に夢中になっていきます。
まとめ
15歳のホームシック脱走から、名門合格の辞退、風呂屋の下宿、そして推し教授との出会いまで。パスツールの若き日は、完璧主義の葛藤と科学への狂熱に満ちていました。次回はいよいよ、ルイが光学異性体を見つける科学者編へと入っていきます。
- 15歳でパリに送られたルイは、猛烈なホームシックでたった1ヶ月で逃げ帰った
- 当時のフランスでは、理系に進むにもまず文学バカロレアという文系の教養が必須だった
- 22人中15位で名門エコールノルマルに合格したが、完璧主義のプライドから辞退し再浪人した
- ソルボンヌ大学の公開講義でデュマ教授に熱狂し、それが科学者への情熱を支えた
- 父は数学の教師を勧めたが、数学が好きでないルイは従わず、有機化学と結晶学に夢中になっていった



