そもそもルーティン化って、すごく大事なもの
まず前提として、仕事の作業を定型化していくこと自体、私はすごく大事だと思っています。
マニュアル化することで、誰がやっても品質が一定になる。これはルーティンの大きな価値なんですよね。
この番組も、その最たるものだったりします。放送が終わって10分後くらいには公開できるように、いろいろルーティン化しているんです。
だから「ルーティンなんて」と軽く見る話ではまったくない、というのが出発点です。
でも、ルーティンには落とし穴がある
一方で、ルーティン化には怖いところが1つあります。
誰でもできる作業になっていくと、乱暴に言えば頭を使わなくてもこなせる状態になっていく。そうすると、思考が止まってしまいがちなんですよね。
何が問題かというと、そのやり方を改善しなくなってしまうこと。
だから10年前と同じ紙の報告が続いていたり、「これSlackで終わりじゃん」というものが残ってしまったりする訳です。
なので私は、たとえ手に馴染んだやり方でも、「これは改善できないだろうか」という問いだけは忘れちゃいけないと思っています。
この書き方でいいんだろうか、この言い回しでいいんだろうか、と疑い続ける。それをしないと、自分の仕事も硬直化していってしまいます。
正直、頭が硬くなっていく年齢の私にとっては、これは自分への戒めでもあるんです。
ルーティンには「2段階の重要性」がある
ここからが、私がいちばん話したかったところです。
ルーティンには、私の中で2段階の意味があるんですよ。
1つ目は、ルーティンがルーティンである理由は、ミスが許されない業務だからということ。
たとえば経理処理。私は本当に苦手で、細かいことを積み上げていくのがダメなので、うちの総務経理には頭が上がりません。
ミスが許されない仕事は、むしろ淡々とこなせる状態まで持っていったほうがいい。頭を使わなくてもできるレベルにしておくことで、ルーティンとしての本懐が果たせるんです。
2つ目は、多少ミスが許されるものをルーティンにする場合。こっちは逆で、思考停止の単純作業になりやすい。
私の仕事で言うと、不動産業界のサイトの物件検索を「セオリーはこうだから、これでいい」と決めつけてしまうようなケースです。
でも私は、そこはずっと疑うようにしています。エンドユーザーが比べているのは、Amazonや楽天のような絞り込み体験なんですよね。
巨大企業が改善し続けているUIと競っている訳ですから、「本当にこれでいいのか」と問い続けないと先がない、と思っているんです。
だから私は、ルーティンを守れる人を尊敬しています
相談をくれた方は、上場企業のIR情報の公開を手伝っているそうです。
これ、私からすると死ぬほど怖いですよ。自分の会社でもない、他社の重要情報の公開ですからね。手順通りにやっても胃が痛くなるのは、当然だと思います。
だからこそ、上司が「簡単にできるでしょう」なんて言うのは、私は違うと思うんです。
ミスしたらどれだけお客さんに迷惑がかかるか。それを淡々と守り、間違いなく進めていること自体が、本当は素晴らしいことなんですよね。
やるべきことを淡々と守れることは、それ自体が企業の強みになる。オペレーショナルエクセレンスという言葉が、ちゃんとあるくらいですから。
そういう人がいるから、他の人が別の仕事に集中できる。私は、拍手をするくらい尊いことだと思っています。
もう一方の、硬直したやり方を変えたいという相談については、ドラスティックにやると社内のハレーションが大きいので、小さく変えていくのがいいと思います。
「次はチャットで送るのはどうですか」「こんなものを作ってみたんですけど、これでの報告じゃダメですか」と、一つずつ。
そして「10年やってるんですから、そろそろ見直してみませんか」と、ちょっとずつ文化にしていく。それが、いちばん現実的なやり方じゃないかと思います。
まとめ
ルーティンワークは軽く見られがちですけど、私はそこに2つの顔があると思っています。ミスが許されないから淡々と守るべきものと、改善し続けなければ先がないもの。どちらも頭を使わずに済ませた瞬間に、価値が損なわれていくんですよね。いまの私の結論は、守れる人を尊敬しつつ、自分は問い続ける、というところです。
- ルーティン化は品質を一定にする大事な仕組み。軽視するものではない
- ただし思考が止まると改善されなくなる。「これでいいのか」と問い続けることが要
- ミスが許されない業務は淡々と、改善が前提の業務は疑い続ける、と使い分ける
- IR公開のように重い仕事を淡々と守れる人は、拍手するほど尊い存在







