最高の導入を告げるデオダートの一曲
話の中心は、先週金曜日から上映が始まった映画『デッドマンズ・ワイヤー』です。速水さんは実際に観てきて、かなり面白い映画だったと話しています。
この映画は全編を通して、地元のラジオ局がかける曲がBGMの肩代わりをします。その一曲目にかかるのが、ジャズファンクのミュージシャン、デオダートによる『ツァラトゥストラはかく語りき』のカバーです。
劇中でこの曲がかかるのは、主人公トニーの車の中です。彼はこれからある重要な現場に向かおうとしています。
ところが途中で車がエンストして、音楽も途中で止まってしまいます。これから起こる重大な出来事の、幸先の悪い導入になっているわけです。
これから起こる、人類の目覚めに値するような重要な出来事の、いきなり幸先の悪い、よくできた導入部分。もうこれだけで、最高の映画だってわかるっていう。
なお監督のガス・ヴァン・サントについて、速水さんは名前は聞いたことがある監督だと話しています。
実在の事件と「デッドマンズ・ワイヤー」の意味
この映画は、1977年にインディアナポリスで起こった事件をもとにしています。主人公はトニー・キリシスという独身の若い男です。
彼は郊外に土地を持ち、ショッピングモール事業に乗り出そうとします。しかし資金を借りたローン会社と関係が悪化し、自分は騙されたと主張するようになります。
冒頭でトニーが車を運転していたのは、その問題のあるローン会社のオフィスに向かうためでした。アル・パチーノが演じる社長を直接拉致する計画だったと考えられます。
ところが当の社長は不在で、しかたなくその会社で重役として働く息子を拉致します。車が壊れているため、息子の車を運転させて自分のアパートまで向かわせます。
その間ずっと、お互いの首にショットガンをくくりつけていました。これがタイトルにもなっている「デッドマンズ・ワイヤー」というワードです。
トニーはとにかく計画的です。自宅には爆弾の装置を仕掛けておき、警察が先に入ると作動する仕組みにしていました。
土地の件で騙されたことにひどく怒りながら、冷静に計画を実行してアパートに立てこもります。目的は自分を騙した社長への謝罪要求と、騙されたお金を返してもらうことです。
生中継テクノロジー映画としての側面
事件の直後から、騒動を聞きつけた女性の黒人ディレクターが動き出します。彼女は「これはチャンス」とばかりに、自分が生中継できるとテレビ局に電話をかけ、犯人を追いかけていきます。
この点でこの映画は、生中継のテレビというテクノロジーを描いた映画でもあります。
舞台となる1977年は、ニュース番組がフィルム主体からビデオへ急速に移り変わった時期の直後にあたります。生中継が可能になっていく技術的背景があったと速水さんは説明します。
比較として挙げられたのが、去年日本で公開された『セプテンバー・ファイブ』です。1972年のミュンヘンオリンピックで起きたテロ事件を描いた作品で、速水さんのポッドキャストでも紹介した回があります。
この事件では、犯人たちが立てこもった現場のそばに、たまたまオリンピック中継のメディアセンターがありました。スタジオの据え置きカメラと送信設備を使い、アメリカ本国へニュース映像を送ったのです。
1972年当時は、現場で取材するカメラは16ミリフィルムを使い、ビデオも装置がかさばって少人数では扱えませんでした。その直後にENGが普及し、間もない時代が1977年だと考えればよさそうです。
ニューシネマの構図と、その一歩先
1970年代はハリウッドでもニューシネマの時代でした。犯罪者がヒーローになり、それをメディアが中継するという構図がよく描かれました。
速水さんが例に挙げるのが、1972年のアル・パチーノ主演『狼たちの午後』です。銀行強盗が人質を取って立てこもり、その様子がテレビ中継され、銀行の中では犯人たちがそれを見ています。
やがて周囲には強盗を応援する人々が集まっていきます。カウンターカルチャーの時代に犯罪者がヒーローになる、この構図が繰り返し描かれました。
『ジョーカー』のような犯罪者に熱狂する人々を描く映画も、もとはこのニューシネマ由来の構図だと速水さんは指摘します。そして『デッドマンズ・ワイヤー』も、まさにこの系譜にある映画です。
主人公トニーも、自分がなぜ事件を起こしたのかをメディアを通して伝えたいと考えています。ただし彼はテレビよりもラジオを信頼していて、車でも家でもラジオを聴くのが日課です。
その相手が、冒頭でデオダートをかけていた地元ラジオ局のDJ、フレッド・テンプルです。渋い低音の声を持ち、地元では成功した名士として描かれます。
トニーはテンプルの番組が大好きで、自分から局に電話をかけ、人質事件の犯人だと名乗ってテンプルと話そうとします。
似たパターンとして、B級のニューシネマ作品『バニシング・ポイント』も挙がります。自動車で逃走する主人公を応援するラジオDJが登場し、逃げ続ける犯人がヒーロー化していく話です。
ただし『デッドマンズ・ワイヤー』は、ここからニューシネマと少し違う方向に進みます。DJのフレッド・テンプルは、トニーを応援する立場ではないのです。
テンプルは警察にも速やかに協力し、トニーを怒らせないように振る舞います。インタビューを放送すると約束し、応援の声を紹介はしますが、カウンターカルチャー側の人間ではありません。
むしろ彼は冷静で、第三者の視点を保ちながらラジオの仕事を続けます。低音ボイスで平和と愛を語る一方、奥さんとのディナーの時間を一分も遅れず守り、ゴージャスなバスローブとワイングラスを愛する成金趣味の人物です。
社会的な成功者である彼が、トニーに肩入れしない。そこがニューシネマとは違う雰囲気だと速水さんは見ています。
この映画はバリー・ホワイト映画である
速水さんが、この映画を語るうえで絶対に触れなければいけない人物として挙げるのがバリー・ホワイトです。ガス・ヴァン・サントの名を知らないのと同じくらい、語らないのはダメだと話します。
この映画を語るのにバリー・ホワイトの話をしてないっていうのは、これはね、ガス・ヴァン・サントの名前を知らないのと同じくらいダメなことだと思うんですけど。
DJのテンプルが低い声でボソボソと喋るトークは、バリー・ホワイトのモノマネだと速水さんは考えています。
決め手は、犯人から電話がかかってくる直前の場面です。テンプルがバリー・ホワイトのレコードをかけるとき、明らかにモノマネをしているとわかると言います。
バリー・ホワイトは自分の曲のイントロに必ず語りを入れ、語りのないレコードがないほどでした。DJの語り口とバリー・ホワイトの語り口はそっくりで、モノマネとしか思えないと速水さんは話します。
しかもバリー・ホワイトの曲をかけるときにバリー・ホワイト風の語りを入れる。そこが非常に笑えるシーンだと言います。
DJの造形自体も、バリー・ホワイトを意識していると考えられます。奥さんとの生活を大事にし、豪邸に住んで成金っぽい暮らしを楽しむ点が重なっているからです。
バリー・ホワイト自身も「やりすぎ」なキャラクターでした。バスローブ姿で知られ、シルクのパジャマ姿のオーケストラをバックに演奏したこともあります。
歌手としてのヒット以前に、アンリミテッド・オーケストラによる「愛のテーマ」のヒットがありました。速水さんは過去のポッドキャストで、ジャズファンクとは何かという話とあわせてこの曲を語った回があると紹介しています。
自宅の浴室をゴールドで散りばめるような成金趣味も、バリー・ホワイトのキャラクターの一つだったと speaker1 は話します。
このラジオ局は何の専門局なのか
この映画を音楽映画としてどう見るかで、意見が分かれそうだと速水さんは言います。七十年代のファンキーな音楽が全編で流れるのは確かです。
ただし、このラジオ局がどういう局なのかをチェックすると、一定のラインが見えてくると speaker1 は考えています。ストレートなソウルやファンクをかけるブラックミュージック専門局のDJというわけではないのです。
どちらかというとムード重視で、劇中のセリフでは「スムースジャズの専門局」だと説明があります。ただスムースジャズという言葉がこの時代にあったかは微妙で、もう少し後の時代だと speaker1 は見ています。
ファンキーというよりムード重視のクロスオーバーやフュージョンを含むブラックミュージック。そもそもデオダートは黒人ではないファンクミュージックです。
他にかかる曲を見ても、政治的な歌詞を含むロバータ・フラックがある一方で、エロチックなドナ・サマーの「Love to Love You Baby」もあります。バリー・ホワイトも七十年代屈指のエロさです。
つまりこのラジオ局は、ブラックパワーやカウンターカルチャーからは外れた局として、おそらく意図的に演出されていると speaker1 は指摘します。
エンドロールの「革命はテレビ中継されない」
その演出を抜きに、この映画のメッセージは語れないと速水さんは言います。エンドロールで使われるのが、ギル・スコット・ヘロンの1970年の曲「革命はテレビ中継されない」です。
この曲は、革命は目の前で起きているのだと歌います。黒人たちは部屋でテレビを見ている場合ではなく、革命に参加すべきだという内容だと speaker1 は解釈します。
「革命はテレビ中継されない」とは、テレビが枠を買ったスポンサーの意図通りに届けるコンテンツだからです。革命はそんなコンテンツではない、という主張だと説明します。
ここまでの革命中継は東芝の提供でお送りしました、なんてことはありえないわけ。ここからはエーザイ製薬、マクドナルドの提供で引き続き革命劇場をお楽しみください、みたいなことはないっていうことを歌ってる歌なんだよね。
資本主義は広告でありブランドであり、テレビは広告が作り出すメディアである。だから革命はテレビ中継されない。そういう構図の歌だと speaker1 はまとめます。
映画『デッドマンズ・ワイヤー』は、厳密には革命ではなく犯罪の物語です。ただ「すべての犯罪は革命である」という当時のテーゼのもと、その革命をテレビの中でやろうとしている作品だと言えます。
実在のトニーが映るエンドロール
エンドロールでは、さらに情報が加わります。1977年の実際の事件の映像、モデルとなったトニー・キリシス本人が中継カメラの前で受け答えする場面が流れるのです。
その映像を見ると、映画が事件を大げさにデフォルメしたわけではないとわかります。むしろ実際のトニーは「俺を映せ」と自己顕示欲が強く、とても応援できる人物ではありません。
だからこそ、実在の事件を元にしても、映画はかなりフィクションとして構築されているとわかると speaker1 は話します。ここまで来てこの映画の意図が見えてくるわけです。
この映画は、資本主義体制や大企業への不信感に単純に乗っかった作品ではありません。主人公トニーへの共感も五分五分にはならず、四対六くらいで不信感が増していきます。
そして最後に実在のトニーを見せつけられ、応援する気が完全になくなります。ニューシネマやジョーカー的な、犯罪者に熱狂する構図に対して、苦言を呈しているようにも感じられたと speaker1 は述べます。
ストレートに何かを応援しようっていう感じで見ると、ちょっと外される映画っていう感じ。これは最大限の褒め言葉です。
速水さんは、日本のブラックミュージック受容におけるバリー・ホワイトの立ち位置の微妙さにも触れます。九十年前後のジャズファンクやレアグルーヴ的な再評価で、映画一曲目のデオダートが在籍したCTIレコードはど真ん中の対象でした。
一方でバリー・ホワイトは、その再評価の恩恵をほとんど受けていない珍しいタイプの七十年代ソウル歌手だと言います。バリー・ホワイトファンとして、上から目線で語ってみたと締めくくります。
なお、ネタとしてガス・ヴァン・サントを知らない体で話していましたが、本当に監督作を観るのは初めてだったとのことです。
まとめ
『デッドマンズ・ワイヤー』は、1977年の実在事件を題材にしながら、劇中のラジオ局とバリー・ホワイト風のDJ、そしてエンドロールの選曲を通して、犯罪者に熱狂する構図をあえて外していく映画だと読み解かれました。
- 映画は全編でラジオ局の音楽がBGMを担い、生中継テクノロジーを描いた作品でもある。
- DJのフレッド・テンプルはニューシネマ的な応援者ではなく、成金趣味のバリー・ホワイトを重ねた造形になっている。
- ラジオ局はブラックパワーから外れたムード重視の局として意図的に演出されている。
- エンドロールの「革命はテレビ中継されない」と実在トニーの映像が、この映画の批評的な意図を示している。
- 主人公に単純には共感させない作りは、犯罪者を英雄化する近年の映画への苦言にも見える。
