ビジネス書一辺倒だった私が純文学にハマるまで
池田さんはここ数年、読書といえばビジネス書や実用書ばかりだったと振り返ります。
自身もビジネス書を十冊以上書いているため、仕事やキャリアに効く本を読むのが習慣になっていたそうです。
そんな池田さんが最近、純文学を読み始めました。純文学とそうでないものの違いはよくわからないものの、芥川賞の文章は純文学かな、というイメージを持っていると話します。
学生時代から純文学が読める自分に憧れはあったそうです。ただ、手に取っても内容が地味に感じたり、心の動きだけで進む展開にスピード感を感じられず、敬遠していました。
読んでるうちに内容はちょっと地味だなとか、心の動きだけで進むっていうところがスピード感がなくてよくわかんないなみたいな感じで敬遠していたんですよね。でもよくわからないけど憧れるんですよね。
離れては、また憧れて手に取る。そんなことを繰り返していたところ、あるきっかけから芥川賞作家の宮本輝さんにハマったといいます。
きっかけは一本のnote記事とオーディブルの講演録
宮本輝祭りが始まったきっかけは、一本のnote記事とオーディブルでした。
ブッククラブコミュニティを展開するOSIROオンラインコミュニティやファンクラブを運営するためのプラットフォームを提供する企業。ブッククラブなどのコミュニティ運営に使われる。という会社の杉山博一社長が、noteに書いていた記事が目に留まったそうです。
記事のタイトルは「ビジネス書しか読んでこなかったビジネスパーソンに純文学をすすめる理由」。そこで紹介されていたのが、今回取り上げる宮本輝さんの講演録でした。
聞いてみて、池田さんは驚いたそうです。純文学の作家先生は気難しくて上から目線だろう、途中で挫折するだろうと思っていたのに、めちゃくちゃ面白かったといいます。
波瀾万丈な人生を面白おかしく語る宮本輝
池田さんは、宮本輝さんが波瀾万丈な人生を歩んできた方だとこの講演録で知ったそうです。
父の浮気と借金、家に来るヤクザの取り立て。母は心労からアル中になり、本人は不安神経症に苦しんで会社を退職しました。
後がない中でやっと芥川賞を取ったと思ったら、直後に結核で入院してしまいます。
文字にすると壮絶ですが、宮本さんはこれを笑ってしまうほど面白く語るそうです。広告代理店でコピーライターを命じられ、何かをコピーする仕事だと勘違いした、という脱力エピソードもあったといいます。
これを本当に面白おかしく、笑ってる場合じゃないんですけど、笑っちゃうぐらい面白く話されるんですよね。
興味が湧いた池田さんは、講演の後に代表作『錦繍』を読み始めました。学生時代に読んだはずが内容を全く覚えておらず、読み返すと深く染みたそうです。
報われないけれど、振り返れば幸せだったと思えるような大人の恋がしみじみと描かれた話だったと語ります。
続けて『泥の河』『螢川』『道頓堀川』の「川三部作」にも手を伸ばしました。本は一文字も変わっていないのに、自分が変わったらスルスル読めるようになったといいます。
肩書きが通用しない場所で見えた「生と死しかない」
講演の中で池田さんが一番心をつかまれたのが、芥川賞を取った直後に結核病棟へ入院した話でした。
当時三十歳そこそこの宮本さんは、世間で「先生」と呼ばれ少し天狗になっていたそうです。ところが病院では誰も自分を知りません。
病室で職業を聞かれ「作家です」と答え、名前を告げても「宮本輝、聞いたことないな。赤川次郎みたいに有名になれよ」と言われてしまったといいます。
そこでわかったのは、肩書きが何の役にも立たないということでした。池田さんはこの場面を、点数で人を測る今の社会の縮図のようだと感じたそうです。
結核が治り、さあこれからという時に、今度は母ががんになってしまいます。こうした経験から宮本さんが語った言葉が、池田さんには強く印象に残りました。
この世の中には生と死しかない。どのように生きてどのように死ぬか、それだけだって書かれてて。ああ、そっかと思って。確かにもうそれが背骨なんですよね、宮本輝作品の。
池田さんが読んだ宮本作品には必ず誰かの死が描かれ、それでも生きていく覚悟が書かれていたそうです。究極を見た人は究極を書くのだと感じたと語ります。
文学の極意は「簡単なことを難しく書くな」
池田さんがもう一つ心を動かされたのが、宮本さんの文章論でした。
宮本さんを見出した池上季一さん{要確認: 池上季一}から教わったという極意が、とても究極的だと池田さんは言います。
簡単なことを難しく書くな、文章は簡単に書く。それが文学というものだったそうです。
そこから宮本さんは、辞書を引かなければ読めないものは書かないようにしているそうです。だからすーっと読めるのだと池田さんは納得します。
池田さんは、文豪とは細かいところを小難しく書くものだと誤解していたと振り返ります。しかし文学の極意はその逆でした。
難しい言葉で飾りたくなるのは、どこかで人の目を気にしているから。賢く見られたい、ちゃんとして見られたいという気持ちがそうさせると考えます。
私の中の根底にバカだと思われたくないってあって、癖みたいにマウント取りたくなっちゃうんですよね。でも究極の前では簡単な言葉しか残らないんだなと思いました。
賢く見られたい、ちゃんとして見られたいという人の目を気にした飾り。報告書や言い訳のようになりやすい
辞書がいらず、体温が通っているように感じられる。生と死のような究極の前に残る言葉
朝ノートで見つける、自分にとっての「究極」
池田さんは一時、宮本さんのような壮絶な人生を送らなければ究極には行き着けないのでは、と思ってしまったそうです。
表現には壮絶な経験が必要だと感じる人もいるかもしれません。けれど池田さんは、私たちにもできることがあると考え直します。
それは、簡単な言葉で書く練習です。自分の中の飾りを、玉ねぎの皮を剥ぐように一枚ずつ外していく練習なら、誰にでもできると話します。
宮本さんは講演で「言葉はたくさんあるけれど、言葉にできないことがある。それを表現するのが小説だ」とも語っていたそうです。
池田さんは、これが自分の朝ノートを書く理由ともつながったと言います。まだ言葉になっていない内側の自分を、辞書のいらない簡単な言葉で毎日少しずつすくい上げていく。
最後に、朝から簡単にできる問いワークが紹介されました。今感じていることを、辞書のいらない言葉で一行だけ書くとどうなるか、という問いです。
例えば三連休明けの憂鬱を難しく書くと「オンオフの切り替えができておらず、自己管理能力の欠如を痛感している」と報告書のようになってしまいます。
でも「切り替えたくないな、それぐらい三連休楽しかったな」と素直に出せばいい。かっこよく書こうとせず、とにかく簡単に。それが文学の極意であり、生きることの極意にもつながると池田さんはまとめます。
まとめ
ビジネス書中心だった池田さんが、宮本輝さんの講演録をきっかけに純文学と出会い、「簡単に書く」ことの奥深さにたどり着いた回でした。肩書きや飾りを手放したところに残る言葉こそが、自分の究極に近づく手がかりになると語られています。
- 読書のジャンルの壁は、思いがけないきっかけで越えられることがある。
- 肩書きや点数が通用しない場所で、人に本当に残るものが見えてくる。
- 文学の極意は「簡単なことを難しく書くな」。飾りは人の目を気にした結果でもある。
- 簡単な言葉で書く練習は、自分にとっての究極や生きる意味に近づく入り口になる。
- その入り口は劇的な事件ではなく、朝のノートのような日常の中にある。
