正体公表後の反応と、どこにも属せない性格
前回、ヒャダインさんは自身が前山田健一であることを表明しました。その反応について、川邊さんが尋ねます。
反発もあったものの、全体としては好意的に受け止められたとヒャダインさんは振り返ります。売れなかった頃から活動していた事実が、リスナーとの距離を近づけたようです。
ワンピースの曲を知ってたヒャダインだったんだとか、あと売れなかった頃からやってたっていうのが良かったみたいで。一緒に育ってきたんだなみたいな感じで、好意的に捉えてくださる方が多かったですね。
一方で、ニコニコ動画のコミュニティには馴染めなかったといいます。ドワンゴ側からの誘いも極力控えていました。
今日お話ししてるいろんなケースもそうなんですけど、コミュニティには属せなかったんですよね。どのコミュニティにも基本馴染めないんで。
村感がなんか馴れ合いにも見えましたし、自分はここで止まるような人間でもないと思ってたので。一ところに留まれない性格というか。
コミケにも数回足を運びましたが、出展したり深くのめり込んだりはしませんでした。そこで見たある光景が、自分自身の姿と重なったといいます。
ドラクエの勇者の格好をした男の人が、誰にも声かけられずぼーっと立ってるんですよ。撮影待ちなんですよね。彼は私だと思ったんですよね。
勇気を出して自分の好きなことをやって、このコミュニティに入ってみようとトライしたけど、結果はじかれてるっていう。これはこの姿は自分だと。パラレルワールドの自分だなと思って。
惨めになりたくない。その思いから、結局どのコミュニティにも属さないままだったとヒャダインさんは話します。
歌手デビューと、心身をすり減らした10年
正体を明かして1年ほど経った頃、京都アニメーションから主題歌を歌わないかという話が舞い込みます。歌手志望ではなかったものの、その機会の大きさに惹かれて引き受けました。
そこから自身のCDシングルが発売され、しかもトップテンに入る事態になります。当時はモモイロクローバーZの楽曲やアニソン提供も重なり、多忙を極めていました。
2011年のことです。食事もおろそかになり、心身ともに疲弊した時期だったといいます。
それでも川邊さんが「逃げ出したくなるのか」と問うと、ヒャダインさんの答えは違いました。
アドレナリンの方が強かったですね。自分は将来の目標を全く設定しない人間なんで、逆にそのおかげでどこまでも行けるよなっていう気持ちがあって。
不確定要素ばっかりが落ちてくる毎日なので、それがとても楽しくて。体と心は結構すり減りながらも。
転機になったのは、事務所の人からのある助言でした。仕事を選ぶことで価値が生まれる、と言われたのです。
仕事を選ぶことによって価値が生まれるから、どんどん仕事を選んで断りするのを増やしていってもいいよって言われたので。何でもかんでもやるフェーズは終わりましたね。
売れっ子作曲家としての代表曲と、幼少期の蓄積
裏方の作曲家としても多くの楽曲を手がけるようになります。自身のヒット曲としては、モモイロクローバーZやゆずとの共作、SHARE THE WORLDなどを挙げました。
SMAP、SUPER EIGHT、山P、キスマイ、そしてキンプリやなにわ男子など、旧ジャニーズ系グループの楽曲提供も続きます。
ただ、本人が「人生で一番知られている曲」と語るのは、Eテレ「いないいないばあっ」の体操曲「ピカピカブー」です。
いないいないばあっていうEテレの番組のピカピカブーっていう体操の曲があるんですけど、それをもう今年で6年目、多分今年で最後なんですけど。
これもコンペを勝ち抜いた仕事でした。街を歩く子どもたちを見るたびに感慨を覚えるといいます。
いろんな子たち、今街を歩いてる子たちとかを見るたびに、この子を育てたのはわしやねんっていう。国民の叔父として。
ヒャダインさんの作風のルーツは、幼少期に見たものにありました。バラバラの個性が一つのことを成し遂げる群像劇が好きで、それが曲作りにも反映されているといいます。
違う個性が集まって戦うものが好きだったんですよね。ドラゴンボールもそうだったんですけど。バラバラの個性のものが一つのことを成し遂げるっていう群像劇がすごく好きだったので。
AKBグループが全盛の時代に、ユニゾンを回してキャラソンのように展開させる作風は、むしろカウンターカルチャー側だったと自己分析します。
大人になって出会った、古い音楽と作品
大人になってから、幼少期に聴きそびれた音楽をよく聴くようになったといいます。とくに影響を受けたのが1980年代のシティポップでした。
一番よく聴いてるのはやっぱオメガトライブでしたね。杉山清貴さんもそうですし、カルロストシキさんもそうですし、そこら辺のものは結構今影響を受けてコード進行とかやったりします。
ヒャダインさんはこの音楽を「シティポップよりもっとトレンディードラマ寄り」と表現し、一人で「トレンディポップ」と呼んでいるそうです。
作品では、一昨年からスケバン刑事にはまり、東映チャンネルで三代目まで見たといいます。荒唐無稽さも含めた魅力を、川邊さんと語り合いました。
こうした古い作品との出会いは、当時の心境とも深く関わっていました。
コロナ禍と「名誉オタク」という到達点
仕事を絞り始めたのは、実はコロナ禍がきっかけでした。2010年から2020年までは走り続けていたといいます。
楽しいことしか基本しないようにしたいことによって、何のストレスもなくなりましたし。会いたい人に会えるし、なんなら楽曲提供もできるし、名誉オタクみたいな存在なんですよ。
クラウドファンディングの最上位コースでやっと得られるような経験を、逆にギャラをもらい感謝されながら実現できる。その状況をヒャダインさんは面白がっています。
コロナ禍では、必要とされていないのではという不安に苛まれたといいます。コンサート向きの楽曲を得意としていたため、声を出せない状況は大きな痛手でした。
それでもKing & Princeの楽曲で、声出しをせずにうちわで盛り上がれる曲を作るなど、創意工夫で乗り切りました。ちょうど40歳、中年の危機の真っただ中でもありました。
新しいものをプレッシャーを感じながら摂取するよりも、昔のもので心の安定ということで、スケバン刑事っていうのもかなり中年の危機からの脱出には助かりましたね。
古いのに新しく感じる作品に触れることで、中年の危機を脱したとヒャダインさんは語ります。
新しいプレイヤーとの仕事、そしてAIへの向き合い方
コロナ明けは、VTuberや歌い手からの楽曲提供の依頼が増えました。彼らの多くは10年前、キッズだった頃にヒャダインさんのアニメ曲を聴いて育った世代です。
VTuberや歌い手といった新しいプレイヤーの存在を、どう捉えているのか。
川邊健太郎 さんからの質問
不確定な要素は多いものの、今のティーンの心を打つ理由があるはずだとヒャダインさんは見ています。とくに、中の人が誰であっても嫌悪感なくアバターを愛せる文化が熟成されてきたことを興味深く感じています。
中身の人がいないからこそ書ける曲もある、とヒャダインさんは指摘します。5年前に手がけたアニメの4人組向けの束縛的な曲は、生身のアイドルには歌わせにくい内容でしたが、大きくウケたそうです。
話題はAIによる音楽制作にも及びます。ヒャダインさんは、あまり焦りは感じていないと話します。
自分が作る曲って結構その王道とかベーシックではなくて、創意工夫とか気まぐれとかすっとんきょうな部分が多いので、そこって一番AIが苦手とするジャンルなんで。
中央値的なものは得意でも、外れ値は苦手。その外れ値こそが自分の売りだといいます。ただし、駆逐されるミュージシャンもいるだろうと冷静に見ています。
一方で、音質の向上や歌詞の韻の提案など、ミクロな部分ではAIをツールとして使っているそうです。
作曲家の亀田さんや歌人の俵万智さんの言葉にも触れ、ヒャダインさんは「過程の楽しさ」の大切さを語りました。
結果だけポンと出すことはできるかもしれないんですけど、途中の楽しみっていうのを、これを奪われたらちょっと嫌だなとは思いますね。
曲作りは趣味であり遊びだとヒャダインさんは言います。ハロー系の曲を書くときは、このキャラにこれを用意している、と想像を膨らませながら作っているそうです。
ハローへの変わらぬ情熱と、椿の新曲
ヒャダインさんは今も熱心にハロー系を追い続けています。取材時点で、椿の新曲を手がけていることが明かされました。
今もう発表されてるんですけど、椿の新曲書いてて。もうほぼ出来上がっていて。めっちゃいい曲です。
山梨のラジオ局のラジオ推進キャンペーンの曲で、葛西麗さんが中心になるといいます。
ヒャダインさんは、アーティストごとにそこでしか使えない言葉やメロディがあると語ります。それが作曲の醍醐味の一つのようです。
ハロでしか使えない言葉とかタイトルとかってあるんですよね。ももクロでしか使えない、エビ中でしか使える、毎回そのアーティストさんでしか使えないみたいなものがあって。
今回の椿の曲にも、自身のハロー文脈がぎっしり詰まっているといいます。川邊さんも、そのタイトルや言葉に想像を巡らせながら聴くことを楽しみにしていると応じました。
まとめ
コミュニティに属せない性格のまま、ヒャダインさんは正体公表後に作曲家として駆け抜け、心身をすり減らしながらも多くのヒットを生みました。今は「名誉オタク」として、憧れた世界のつくり手であり続けています。
- 正体公表は好意的に受け止められたが、ヒャダインさんはニコニコ動画やコミケのコミュニティには馴染めなかった
- 京都アニメーションの主題歌をきっかけに歌手デビューし、2011年前後は多忙で心身をすり減らしたが、アドレナリンが勝っていた
- 「ピカピカブー」を人生で一番知られた曲と語り、幼少期に好んだ群像劇の感覚が作風の根にある
- コロナ禍を機に楽しい仕事だけを選ぶようになり、会いたい人に会える「名誉オタク」の立場に到達した
- AIによる作曲には焦らず、外れ値的な創意工夫と「作る過程の楽しさ」を自分の価値として大切にしている


