標高2800メートルのライブで知った「みんなで登る」意味
今回の冒頭で今井さんが話したのは、夏休みに参加した白馬岳でのライブです。スーパー登山部というバンドが、2800メートル級の山にある白馬山荘の大食堂でライブを行いました。
白馬山荘は300人ほどが泊まれる大きな山小屋で、今井さんは「日本最古」とも聞いたといいます。ただ、たどり着くまでの道のりは想像以上に過酷でした。
(会場がZeppの)倍ぐらいかなって気持ちで、そのお誘い受けた時OKしたんすけど、やっぱシャレにならなかったですね。一人なら途中でやめてたなっていう。
今井さんが実感したのは、集団で登ることの意味でした。熟達した人がペースを守ってくれるうえ、見た目の険しさと実際のしんどさのずれを、仲間の一言が埋めてくれたといいます。
岩場のような明らかに険しい場所は心の準備ができる一方、平和そうに見える急なスロープのほうが意外とつらかったそうです。そうした場面で誰かが「ここやばいね」と言ってくれると、安心できたと振り返ります。
(誰かが)ここやばいねとかって言ってくれると、あ、やばいと思ってて大丈夫なんだみたいな。
最後は若い参加者に荷物を一部持ってもらい、なんとか下山できたといいます。ライブ自体は良かったものの、意識もうろうとした状態で見ていたそうで、山頂での参加は「1回でいいかな」という気持ちになったと話しています。
今井さんは準備のために熊撃退スプレーも購入しました。価格は1万5000円ほどで、中身は濃縮されたカプサイシンです。風上に向けて撃つと失明の危険もあるといいます。
さらに中身の入っていない練習用スプレーも9500円で売られていて、ホルスターから一瞬で取り出せるかが重要だそうです。ネイチャーガイドなどの試験項目には、何秒以内に撃てるかが含まれていると今井さんは紹介しました。
10メートルまで引きつけるのが怖えよな。
登山に向いていなさそうだと振られた青木さんは「向いてるわけない、絶対やらない」と即答し、ここから本題に入ります。
「自分の言葉で話せ」はなぜ言われるのか
今回のテーマは「人の言葉を借りちゃいけないの?」です。今井さんは、面接や、時には恋愛の場面でも「自分の言葉で話して」と求められることがあると切り出しました。
確かに受け売りばかりでは、その人自身の考えが見えにくくなります。その一方で、座右の銘は基本的に人の言葉ですし、大切にしている言葉が詩や歌詞、セリフだという人も少なくありません。
今井さんはそうした矛盾を踏まえて、人の言葉を借りることがなぜダメと言われるのか、そもそも自分の言葉とはどこからなのかを考えたいと提案します。
今井さんは、青木さんのことを「借りてない感じがする」人だと話します。それに対して青木さん自身は「めっちゃ借りてるでしょ」と返し、印象と実態のずれが話の入り口になりました。
元編集長の「企画の定義」は誰の言葉か
今井さんは、自身が運営する編集の学校での悩みを語ります。講義の最初に、企画とは「既存のものを組み合わせて意外な正解を出す技術」だという定義を話しているそうです。
ただ、この定義は今井さんがかつて所属していた編集部の編集長の言葉です。講義では基本的にその出典も伝えていますが、本当は自分が考えたふりをしたほうがありがたみが増す気もすると明かしました。
編集者のまあある種のマナーとして、やっぱ出典は言わないとみたいな気持ちがあって。
今井さんは、「意外な正解」を「スペシャルなアンサー」などと言い換えれば自分の言葉になるのか、とも迷ったそうです。結局、今は引用元を明かしたうえで採用しています。
青木さんは、この定義が経営学者のシュンペーター ── オーストリア出身の経済学者。既存の要素の新しい組み合わせ「新結合」がイノベーションを生むと論じ、イノベーション理論の祖とされますの考えと構造が近いと指摘しました。シュンペーターは、もともとあるもの同士の新結合によってイノベーションが起こると述べています。
青木さんによれば、その編集長がシュンペーターの影響を受けて言い換えた可能性もあれば、自分の経験を構造化した結果、自然と同じ構造にたどり着いた可能性もあります。
青木さんが差として挙げたのは、借りたかどうかよりも、その言葉を使うときに自分の経験や思考に基づく「実感」や「納得」があるかどうかです。まだふわっとした段階で使っているのかどうかで、違いが出るかもしれないと話しています。
出典はどこまで言うべき?注釈だらけ問題
青木さんも出典はきちんと言うようにしているといいます。ただし、やりすぎると話が注釈だらけになるため、線引きが難しいと話しました。
青木さんはさらに、まだ発表していない雑談のネタが、相手の記事やトークに出てくるケースにも触れます。今井さんとの間ではそういうことはないと断ったうえで、一般論として語りました。
別にさ、自分のネタとして話すのってさ、全然悪くはないけど、なんか一緒に話したもんとしては、ふとさ、あれなんかちょっと寂しくない?みたいな感じることもあっても不思議じゃないじゃない。
青木さんは、借りることのマナーの問題に加えて、「借り物の言葉で喋るな」「自分の言葉を持て」というフレーズがそもそもなぜ良いとされるのか、と問いを広げました。
カタカナ語の多さは「借り物」の証拠なのか
「借り物の言葉で喋っている人」を揶揄するときには、専門用語や横文字、カタカナが多すぎるという指摘がよく使われます。もっと平易な言葉で話したほうがいい、というアドバイスです。
しかし青木さんは、同じ言葉を使っていても、まったく借り物に聞こえない人もいると話します。実質が伴っている人に向かって相手を選ばず「専門用語が多い」と批判するのは、トンチンカンに見えることもあるといいます。
視点でこう突っ込んでて恥ずいよなみたいなこともあるじゃない。
青木さんのこの指摘は、批判している側のほうがむしろ借り物の視点で突っ込んでいる、という今井さんの言葉を受けたものです。
今井さんは、借りてきたと感じる瞬間を「その言葉を知ってはいるが理解していないように見える時」と言語化しました。若い人が背伸びした言葉を使うと、構造上そう見えがちだといいます。
青木さんも同意し、話を聞けば本当にわかっているとわかる人なら、借り物だと揶揄されることはないと続けます。「知っている」と「理解している」は違うという整理です。
言葉を知ってはいるが、理解していないように見える
芯から共感し、言葉を言った人以上に深く理解している
その言葉を言った人以上に深めて理解してるみたいな人がさ、借りたとてね、何も悪いことないもん。
なぜ任天堂の社長は下手でも自分で話すのか
今井さんが「自分の言葉」で思い出したのは、任天堂ダイレクト ── 任天堂が新作ゲームなどを紹介するオンライン配信番組。公開直後から世界中のファンの反応がSNSを埋め尽くしますです。新作ゲームソフトを紹介する40分ほどの放送で、今井さんによれば半年に1回あります。
放送は日本時間の平日23時ごろに始まることが多く、タイムラインがその話題で埋め尽くされます。直後には、海外YouTuberが派手なリアクションを競う動画も次々に出回るそうです。
今井さんが注目したのは、任天堂の社長などが自ら出演して話すことです。専門職ではないため特別流暢ではないものの、本人の声で語られます。
同じく日本のゲームメーカーであるレベルファイブも、最近の配信で社長の日野さんが3Dキャラクターの姿で、自分の声のまま話し続けていたといいます。
何なんでしょうね、それはジョブズから始まったことなのか。
一番思いのある人が下手でも、あえて言うと下手でもいいから自分で喋るみたいなのって。
今井さんは、ナレーターに任せたほうが絶対にきれいなはずなのに、配信や収録であっても本人が話すことに関心を持ち、AIの影響もあるのかと問いかけました。
伝達するだけのマネージャーに欠けているもの
青木さんは、任天堂ダイレクトの話に近いことを、中間マネジメントという別の軸で考えてきたと応じます。経営の方向性を踏まえ、部門の方針をスタッフに伝える場面です。
青木さんは、伝え方や態度によって、受け取る側の納得度や動き方は変わると話します。そして、ただ伝達しているだけの人こそ「借り物の言葉で喋っている人」かもしれないと指摘しました。
青木さんによれば、経営のコンセプトはあくまで情報です。マネージャーがそれを持論で処理せずに伝えると、部下からは「経営から直接聞けばいいのでは」と思われてしまいます。
いやあの青木さんからこう聞いてますって話し方になったら、この人である意味ないよね。いや、青木さんから聞きたいですってなっちゃう。
青木さんは、中間マネージャーがそこにいる意味を順を追って説明しました。
今井さんはこれを受けて、現場の状況を踏まえ「無理だと思うかもしれないけど、自分はこう納得している」と言えるかどうかだ、と補いました。
社外に語る役割は、なぜトップが担うのか
青木さんは、中間マネージャーが持論で語るのは簡単なことではないとしたうえで、話を任天堂ダイレクトのような社外への発信に戻します。
会社対社会、会社対マーケットという外側の景色について、一番肌感覚を持ち、持論があるのは経営者だと青木さんは話します。現場のことは現場の人が語るほうがいい一方、社外に向けて語る必然性があるのはトップだという整理です。
青木さんによると、かつては動画配信ができないなどの技術的な制約があり、さまざまな人が伝達係を担う必要がありました。ブロードキャストが可能になったことで、トップ自ら語る場面が増えるのは自然だといいます。
技術的な制約があり、いろいろな人が伝達係を担っていた
ブロードキャストで直接届けられるようになり、トップ自身が語ることが増えた
ただし、トップが出てきても、誰かが書いた原稿を読むだけで持論による処理が通っていなければ、効果は半減してしまうと青木さんは付け加えました。
日本語だって自分で作った言葉じゃない
青木さんは、言葉や表現はあくまで持論を相手と共有するための「素材」だと位置づけます。その素材をすべてオリジナルで作ることはできないといいます。
青木さんにとって表現とは、他の人の言葉やレトリックを聞きながら、自分の持論を適切に伝えられる言い方を集めていく作業です。歴史の中で積み重ねられた表現の上澄みをすくわせてもらっている、という感覚があるそうです。
一方で、表現したい中身は、自分の経験や思考から生まれた価値基準としてかなり持論化されているといいます。だからこそ、素材としての言葉のオリジナリティを過度に意識したことはあまりない、と青木さんは振り返りました。
平易な言葉にしすぎるとリアリティが消える
青木さんは、自分が「持論とアラインして」のようなカタカナ語を使うことで揶揄される場面もあるだろうと認めます。ただ、本人にとってはそれが日常的に使っている、一番しっくりくる言葉なのだそうです。
それを逆になんか平易な言葉で語ろうみたいに思いすぎることによって、逆に熱量とかリアリティとかがなんかね、喪失されるような気がするの。
青木さんは、「こういう言葉なら今井さんもわかるでしょ」という態度が、実は上から目線の表現になってしまうことのほうが嫌だと話します。普段の自分の言葉でどこでも話したい、と考えているそうです。
平易な言葉で伝えることは大事だとしながらも、行き過ぎると鼻につくというのが青木さんの感覚です。「自分の性格が悪いだけかもしれない」と前置きしつつ、平易さを過剰に意識した話し方にはリアリティを感じにくいといいます。
学者の人とか研究者の人とかが、なんか2、3割自分にはわかんない言葉で喋ってるんだけど、めちゃくちゃ本人がこう、それに没頭してんだなとか、そういうのがリアルタイムで伝わってくる(方がよっぽど伝わる)。
わからない言葉は後で調べればいい、というのが青木さんの考えです。
新しい表現の獲得は新しい認知の獲得
今井さんが、会話中に知らない言葉が出てきたらどうするかと尋ねると、青木さんは「結構聞く方かも」と答えました。言葉に好奇心があるタイプで、その場で意味を確かめたり、聞けなければ後で調べたりするそうです。
さらに青木さんは、言葉がわかったらすぐに使うといいます。今井さんも、新しく知った言葉はなぜか1週間以内にまた出会う気がすると共感しました。
新しい表現の獲得って新しい認知の獲得でもあるから、単純にね、使うことで、なんか今まで表現できなかったことが表現できて楽しいんだよね。
青木さんの中では、ある言葉で表現できそうなことを一周全部言ってみたくなる「流行る時期」があるそうです。かっこつけではなく、表現できる範囲が広がる楽しさから使っているので、カッコつけていると言われるのは心外だと話しています。
「マネジメント」は「管理」では言い表しきれない
今井さんは、言葉を大事に選ぶ人にカタカナ語の意味を尋ねると、確かにそれでしか言えない場面で使っていることが多いと話します。「コンセプト」や「コンテンツ」がその例です。
青木さんも、近い日本語はあるもののニュアンスがずれると応じました。言語同士は1対1に対応して作られておらず、そもそも概念自体が日本語にない場合もあるといいます。
| カタカナ語 | 近い日本語 | 青木さんの感覚 |
|---|---|---|
| マネジメント | 管理、統制 | ちょっと違う。マネジメントのほうが感じが伝わる |
| イノベーション | 変革、革新 | ちょっと違う |
| ストック | 株 | 株と訳したことでだいぶ誤解が生じている気がする |
青木さんは「愛」という言葉も、西洋の「ラブ」をどう訳すかを学者たちが考えて作った言葉ではないか、と推測を交えて語りました。「株」の語源について今井さんに問われると、切り株的な意味かもしれないが自分もわからない、と率直に答えています。
そのうえで青木さんは、わかりやすく伝えることより「わかってほしい」という思いが大事だと話します。相手が腑に落ちない顔をしていたら例を挙げて説明を重ねればよく、平易な言葉を使ったのだからわかるはず、というものでもないといいます。
正解を外に探す前に「持論」を持つ
青木さんはここでテーマに立ち返り、借り物の言葉がダメで自分の言葉が良いというよりも、まず持論を作りたいと語ります。その持論も唯一無二である必要はなく、自分にしっくりくる価値観や美意識、目的があればよいといいます。
青木さんが例に挙げたのは、AmazonやGoogleのベストプラクティスをすぐに取り入れるケースです。持論を通過していないため、やり方を借りてきているだけになり、流行りを次々に試して一貫性がなくなってしまうといいます。
反対に、倫理観や価値観、目指すことがある程度形成されていれば、ベストプラクティスを取り入れる場合でも、今は不要か、急いで真似したいかを持論に照らして判断できると青木さんは話しました。
ベストプラクティスをそのまま借り、流行りを次々に試して一貫性を失う
取り入れるかどうかを自分の価値観や目的に照らして判断する
リモートも出社も上場も、同じブームではないか
今井さんは、5〜6年前の「リモートだ」という流れと、今の「出社だ」という流れを比べると、後者のほうが社長たちが本気に見えると話しました。
青木さんは、両者は同じだと応じます。持論を通っているように見えても、実際には自分の望みや不安を経由させているだけではないか、という見立てです。
青木さんはもう一つの例として上場を挙げました。以前は起業したら上場を目指すものだという空気があったのに、上場のハードルが上がると、今度は非上場化やM&Aがブームのように語られるといいます。
ブームが起きる
起業したら上場、リモートワークなど
深く考えずに乗る
自社にとっての意味を検討しない
環境が変わる
上場のハードルが上がるなど
逆のブームに乗る
非上場化やM&A、出社回帰などに移る
自分たちにとって資本市場ってどういう意味があって、上場っていうのはどういう意味があって、だとしたら自分たちはどっちの方が自分たちの目的に近づけるんだっけっていう上で、こう目指したり目指さなかったりすればいいだけの話だと思うんだけど。
持論があるなら、一番いい表現を借りればいい
青木さんは、持論がなければそもそも自分の考えを言葉にすることはできないと話します。そして持論があるなら、相手に誤解なく伝わることが最優先です。
そう考えると、自分で考えた言葉か、人が考えた表現かは関係ありません。青木さんの結論は、一番いい表現を使えばいいというものです。オリジナルの言語化にこだわりすぎる必要はまったくない、とも語っています。
持論を自覚できていれば、さまざまなネタや言葉が自然と入ってくるといいます。青木さんは、うまく説明できなかったことをぴったり表す表現を聞くと、その場で「自分が考えたかのように言っちゃうけどごめん」と許諾を得ることもあるそうです。
今井さんが、表現が本当にはまると無意識に使ってしまうと話すと、青木さんは、持論にはまりきった表現はその時点で自分の言葉だと応じました。
だけど多分それ(その表現)を僕に最初に言ってくれた人は、あいつって思うじゃん。しょうがないよな。そこで権利主張してもしょうがない。
まとめ
「人の言葉を借りちゃいけないの?」という問いに対して、二人がたどり着いたのは、借りるかどうかよりも、その言葉の背後に実感と納得を伴った持論があるかどうかが大事だ、という考えです。
- 借り物に聞こえるのは、言葉を知ってはいても理解していないように見えるとき
- 伝達するだけのマネージャーに欠けているのは、経営の意思とアラインした持論
- 平易な言葉にこだわりすぎると、熱量やリアリティ、敬意が損なわれることがある
- 持論がないと、正解を外に探してブームに流され続けてしまう
- 持論があるなら、自分の言葉か人の言葉かにこだわらず、一番伝わる表現を使えばいい



