なぜDMM会長がちいかわを語るのか
この回は、DMM.com創業者の亀山敬司さんが「ちいかわについて語りたい」と言い出したことから急遽収録されました。MCの高木新平さんは、以前の出演後も雑談の回を打診していたものの、亀山さんには「話すことがまだない」とかわされていたと明かします。
亀山さんが語りたくなったきっかけは、中年男性がちいかわを考察する流れが最近広がっていることでした。
最近おやじがちいかわについて考察するの流行ってるわけよ。
書いてて、あーだこうだ言ってるけど、ちょっと俺もやりたいと思って。
一方の高木さんは、自身を「ちいかわ初心者」だと言います。娘にせがまれて映画を見に行ったものの、すぐに寝てしまったそうです。
今映画すごい流行ってますけど、映画も最初娘に言われて見に行ったんですよ。
亀山さんは、ちいかわを入り口にしながら、話の軸は「ちいかわと牛魔君」の比較だと切り出します。こうした作品に目線を移さないと今の社会が理解できない、というのが亀山さんの問題意識です。
ちいかわと闇金ウシジマくんが交わる理由
亀山さんは、闇金ウシジマくんの作者である真鍋昌平さんと友人で、たまに一緒に飲む仲だといいます。亀山さんがちいかわとのコラボを頼んだところ、無理だと思っていたのに意外と引き受けてもらえたそうです。ちいかわの作者のナガノさんも、ウシジマくんをよく読んでいたといいます。
亀山さんは昔から漫画が好きで、日常系のよつばと! ── あずまきよひこによる漫画。5歳の少女よつばの日常を、事件らしい事件なく穏やかに描いた作品として知られていますと闇金ウシジマくんを交互に読むタイプだったと振り返ります。
四つ葉とと牛魔君と俺、交互に見るタイプだったわけ。
亀山さんによれば、日常系はありきたりな毎日の中のささやかな喜びを描き、ウシジマくんは現実のドロドロした人間関係や残酷さを描きます。そして両者はまったく交わりません。
残酷な世界を排除し、家庭の中の楽しい部分やささやかな幸せを描く
社会の仕組みの中の残酷さや裏側を描き、ほのぼのとした部分は排除する
亀山さんは、どちらも「片手落ち」に見えるといいます。そのうえで、ちいかわは両方をごちゃ混ぜにしてファンタジーを加え、残酷な世界ごとかわいいものに変えた作品だという見方を示します。
で、なんとなく俺が思うのは、そのちいかわはこれ(日常系とウシジマくん)をごっちゃんこしたみたいな。
たとえば、ちいかわの世界ではかわいいキャラクターも、力を欲したりストレスを抱えたりすると「キメラ」と呼ばれる怪物になります。逆に怪物側がちいかわのようになりたがる話もある、と亀山さんは紹介します。
オチのない日常系を、大人はなぜ上から見るのか
高木さんは、ちいかわのどこが面白いのかがまだわからないと率直に言います。亀山さんも、テレビ版はラーメンを食べて「美味しいね」で終わるだけで、オチもないと認めます。
そのうえで亀山さんが話したかったのは、NPOの人など、ちいかわの世界でいえば「ヨロイさん側」の大人たちと感想を話したときの違和感でした。多くの人は、ちいかわたちが労働させられている、資本主義の搾取の世界だ、格差の象徴だ、と社会問題として読んでいたといいます。
俺から見ると、その人たちがそのちいかわの世界を見る時に、むしろ同情的なというか、あの、上から見てる感があるんだよね。
亀山さんは、幸せはもともとささやかな場所にあると考えています。ちいかわたちの姿は、見方によっては「向上心がない」と映りますが、見方を変えれば「足るを知る」生き方でもあります。
でも見方を変えると足るを知るっていうか。
亀山さんによれば、子どもにはその幸せが見えているのに、大人は子どもの目線に降りて学ぼうとしません。そして「自活した方がいい」「給料を上げる交渉をした方がいい」「結婚しなさい」と押しつけてしまうといいます。
昭和の向上心と、今の若者のズレ
亀山さん自身も昭和の世代で、「男ならもっと大きく考えて頑張れ」と思ってきたタイプだと認めます。仕事をしている立場からは、「会社に行きたくない」「なるべく楽をしたい」という若者の感覚に否定的になる気持ちもよくわかるといいます。
それでも今は、おひとりさまが増え、結婚そのものも問い直され、出世したくないという感覚も広がっています。亀山さんは、大人から見て情けなく映るこうした感覚に対して、一度目線を下げてみることを勧めます。
いや、むしろ一回ちょっと降りてみて、何を考えているか感じてみようねっていう。
ただし亀山さんは、これは自分の受け取り方にすぎないと断ります。作品のメッセージとしては「残酷な世界をかわいく描いた」だけだといいます。
かわいく描いたからこそ、ちいかわは親子で話ができる内容になり、見る立場によって見え方が変わる二重構造になっている、と亀山さんは話します。
今の若者たちの思いと、今の大人たち、おじさんたち、おばさんたちとのずれも意外と埋めてくれそうな。
そんなちいかわが社会のクッション全体になってるんですね。
子どもは「一緒にいる」だけでいられる
高木さんは、ちいかわたちの関係が「女子中高生の仲良し3人組」のノリに見えると話します。一緒に何かをするよりも、一緒にいること自体が大事にされているように感じたそうです。
高木さんは、ウェルビーイング研究者の石川善樹 ── 予防医学研究者。ウェルビーイングや幸福の研究で知られ、メディアでの発信も多い人物ですさんの話を引きます。子どもは「いる」が先にあってから一緒に何かをしますが、大人は仕事や役割など「やる」ことがないと一緒にいられないといいます。
まず一緒に「いる」。そのあとで何かを一緒に「やる」
まず仕事や役割など「やる」ことがあって、ようやく一緒に「いる」
大人からしたら何もやってないように見えるから、あれやれこれやれって思っちゃうっていうことなのかなって、今聞いて。
亀山さんは、キャラクターがほとんど喋らず、性別も定かでないことにも注目します。はっきり描かれていないからこそ、見る人が自分の想像力で解釈できるといいます。
モモンガとカニちゃんは、ホストと推しなのか
亀山さんは、わがままで「あれもくれ、これもくれ」と求めるモモンガを例に出します。見方によってはキャバ嬢にも、ホストにも見えるキャラクターだといいます。
比較の相手は、ウシジマくんの作者によるNetflixドラマ九条の大罪 ── 真鍋昌平による漫画を原作とした作品。弁護士の九条を主人公に、裏社会や法の隙間で生きる人々を描いていますです。作中には、ホストが女の子をアダルトビデオの世界へ誘い、女性弁護士がそれを止めようとする話があります。
ちいかわでは、古本屋のカニちゃんがモモンガからカチューシャをもらい、それを友達の証だと思い込みます。もともと顔のないモブキャラだったカニちゃんに、その瞬間から表情が生まれます。
そのホストと出会ったことで彼女の世界が開かれたわけよね。
九条の大罪では、女性弁護士は良かれと思って女の子をホストから引き離します。亀山さんは、同じ先生がモモンガとカニちゃんを見ても引き離そうと思えるか、と問いかけます。
亀山さんの見立てでは、同情で引き離された彼女は、生きる術さえ失ってもっと不幸になるかもしれません。しっかりした大人が、しっかりしていなさそうな若者や子どもを上から見て「良かれと思って」動く構造がここにある、と話します。
くりまんじゅうの一杯は、なぜ許されるのか
亀山さんが次に挙げたのは、お酒を飲んで「カーッ」と言うキャラクターのくりまんじゅうです。ヨロイさんのところで草むしりなどをする日雇い労働者のような立場で、稼いだお金で外で柿ピーをつまみながら飲んでいます。
ウシジマくんにも似た場面があります。タクシードライバーたちがコンビニの酒を公園で飲み、その横をOLたちが怪訝な顔で通り過ぎていくシーンです。
公園で飲むおじさんたちは汚らしく描かれ、OLたちが怪訝な顔で見ていく
くりまんじゅうはちいかわたちと交流し、ぬいぐるみになって女の子にも持たれている
すごく同じ現象なんだけど、これを可愛くすることによって全部許容してるわけよ。
亀山さんは職場にたとえます。皿を割ったり、よく働かなかったりする人に「出ていけ」と怒る人もいますが、「しょうがねえな、またやったのかよ」と受け止めるのは、欠点も含めて「愚かだけど可愛い」と見ているからだといいます。
高木さんも、年を取ってもかわいい人は許され、偉そうな人は嫌われていくと応じます。
残酷な物語とほのぼの日常系を混ぜる
亀山さんは、ウシジマくんのほかにも『みいちゃんと山田さん』や『タコピーの原罪 ── タイザン5による漫画。かわいらしい絵柄で、いじめや家庭環境などの重い題材を描いたことで話題になりました』など、シビアな漫画はたくさんあると話します。ちいかわの違いは、残酷なものを笑いにしてしまう点だといいます。
これが混ざらない、混ざったらいいのになと思ってたんだよね。
亀山さんは、以前の出演で「A面とB面を混ぜる」と話したこととも同じ考えだと説明します。世の中は「あれはあっちの世界」と分断し、大人は子どもの目線から学ばず、子どもから見た大人はただ怖い存在になっているといいます。
だからこそ亀山さんは、おじさんやNPO、政治家こそ、子どもと一緒でなくてもちいかわを見る価値があると考えています。亀山さん自身も最初は「何これ?」と思っていましたが、見ているうちに「かわいい」と感じるようになったそうです。
2人でおじさん2人でさ、マナミさんと2人でしがみながら酒飲んでたわけよ。
高木さんは、線もセリフも少ない余白の多さに注目します。討伐や労働、お酒といった現実のキーワードが散りばめられているため、神話や戦争など、見る人が見たいように読める考察コンテンツになっている、という見方です。
ちいかわは現代の南無阿弥陀仏なのか
亀山さんは「すごい大げさに言うと」と前置きし、ちいかわを仏教になぞらえます。飢饉のような絶望の時代に「南無阿弥陀仏と唱えれば極楽へ行ける」と説かれたことは、慰めであると同時に生きる術でもあった、という見方です。
ちいかわの、家族がいなくても友達と「おいしいね」と言い合い、その時々の幸せの中で生きる姿にも、それに近い働きがあると亀山さんは考えています。
なんかちいかわのこういうの見て、あ、なんかちょっと楽しかった、元気出たみたいなのは結構あると思うんだよね。
亀山さんは、ちいかわっぽい友人たちと回転寿司に行ったエピソードも話します。皿を5枚食べるとガチャが1回引けるしくみで、隣のテーブルの女の子2人組や家族連れも「もう1枚食べたらもう1回引ける」と盛り上がっていたそうです。
刺激慣れした目には何もないように見える
高木さんは普段、Netflixの裏社会系ドラマや『全裸監督』のような作品をよく見ると話します。そうした作品やTikTokのようなショート動画は、情報量が多く感情の起伏も激しいアテンション重視のコンテンツです。
刺激に慣れた目でちいかわを見ると、半径1メートルほどの身の回りの話しかなく、最初は「何もないじゃん」と感じてしまうといいます。
ドパガキになってる。
亀山さんは、ちいかわではドーパミンは出ず、セロトニンやオキシトシンのような感覚を味わえると表現します。そして、経営者を含め亀山さんたちが出会う層は「社会を変えたい」と意気込む活きのいい人が多い一方で、そうではない人のほうがずっと多いと指摘します。
情報量が多く、感情の起伏が激しい。ドーパミンが出る
半径1メートルの日常。ドーパミンは出ず、穏やかな感覚を味わえる
くら寿司の転売炎上は、何を奪ったのか
亀山さんは、くら寿司の景品を社員がメルカリで売ってしまったとされる件の炎上を例に挙げます。「なぜグッズくらいで燃えるのか」と疑問に思う人もいますが、亀山さんの受け止め方は違います。
この自分たちのこのささやかな、何て言うかな、喜びみたいなものをずるいやつに奪われたような気持ちなの。
亀山さんは、店で「当たった」と騒いでいる人たちの姿を見に行けばわかる、と言います。当たりが抜かれていたとしたら、あの楽しい時間そのものが台無しになるからです。
亀山さん自身は、世間から見ればヨロイさんのさらに上の立場だと認めます。そのうえで、ヨロイさんのように時々ちいかわたちとコミュニケーションすることが大事だといいます。
ヨロイさんとちいかわの関係を格差として読む人もいますが、亀山さんは両者が仲良しであるところが日本っぽいと見ています。もし別の島に「アメリカちいかわ」や「中国ちいかわ」がいたら、ヨロイさんはもっと厳しく「明日から来なくていいよ」と言うだろう、と話します。
境界線のない世界と、キメラになる理由
亀山さんは、キメラになって力を得たことを楽しむ者もいれば、怪物の世界から癒やしのある場所へ戻りたいと願う者もいると話します。それぞれが互いを羨ましく思っている、という構図です。
亀山さんはこれを、一般の人と、犯罪者やヤクザのように見られている人との関係にたとえます。両者はほとんど同じで、ちょっとしたきっかけで普通の人が反社会的な側に回ることもあるといいます。
つまりその辺に境がないよっていうのが、でも世の中ってついつい境がつけて
高木さんは、作者がどこまで意図して設計しているのかを尋ねます。亀山さんは、結構設計されていると思うと答えつつ、意識的か無意識かはわからないとも話します。
意識的なのか無意識なのかわかんないけど、織り込んではいいるよね。自然と。むしろ自然と織り込んでたらすごいと思うんだよね。
亀山さんによれば、子どもと一緒に見ているうちにキャラクターがわかり、歌が耳に残り、愛着が湧いてきます。道で柿ピーをつまんで飲んでいるおじさんを見て、子どもが「くりまんじゅうがいる」と言うほうがかわいい、と亀山さんは話します。
海外のドラッグ中毒者が路上に倒れる「ゾンビタウン」はどう見てもかわいく見えない一方で、日本では同じような光景もかわいく見られなくはない、と亀山さんは言います。世の中をどう認識するかが大事だ、というのが亀山さんの考えです。
考察にハマるおっさんは何を見落とすのか
高木さんは、小中学生の女の子や中年以上のおじさんはちいかわを見ているのに、20〜30代の男性はあまり見ていない印象があると話します。
亀山さんは、おじさんがハマっているのは「おいしいね」の部分ではなく考察のほうだろうと見ています。たとえば人魚の塔は実はパレスチナではないか、といった読み方です。
おっさんの俺ハマり方もちょっと多分おっさんは考察にハマってると思うんだけど。
亀山さんは、社会を変える、人魚と交渉する、といった問題解決型の読み方を挙げ、それでは「ちいかわがわからない」と話します。政治家や弁護士が具体策を考えるのは当然ですが、表現者の役割は世の中をどう見せ、どう認識させるかにあるといいます。
なんていうかな、考察してるうちはちょっと違うと思うんだよね。
高木さんは、自分の視点を変えないまま都合よくちいかわを解釈し、かわいい目線へ移行できていない状態ではないか、と整理します。亀山さんはそれに同意し、親が子どもに「幸せはこうだ」と押しつけるのと同じだといいます。
お一人様や結婚観のように、時代とともに多様なものを受け入れなければ分断が進む、と亀山さんは話します。自分の美学を持つのはいいけれど、それだけでは「頑固おやじになっちゃう」という言い方です。
ちいかわはなぜ二次創作でもブレないのか
亀山さんは、作者が世の中を少し冷めた目で俯瞰し、ダークな部分も含めてかわいく仕上げているのではないかと推測します。高木さんは、LINEスタンプのキャラから始まり、1枚漫画、アニメ、映画と育ってきた経緯に注目します。
亀山さんは、ヨロイさん、ちいかわ、キメラのような面はどれも自分の中にあると話します。それらを分けてわかりやすいキャラにすると物語になっていく、という見方です。
亀山さん自身も二次創作を考えるといいます。ちいかわが拾ったペットがだんだん賢くなり、草むしり検定でちいかわより先に上の級に合格していく、AIを絡めた話です。
で、なんか微妙な気持ちになる。自分の友達なんだけど、自分よりも優秀になっちゃったねみたいな。
高木さんは、普通は作者の軸がないと二次創作が空中分解するのに、ちいかわはブレないと指摘します。亀山さんは、それを成立させているのは作者が天才だからだといい、解釈の解釈が生まれ続ける仏教にも似ていると話します。
かわいいは最強の生存戦略なのか
高木さんは、かっこいいや綺麗に比べて、かわいいは射程が広いと問いかけます。亀山さんは、かっこいいはかっこつけないといけないから泣けないが、かわいいは怒っても泣いてもかわいいと答えます。
ある意味最強の兵器みたいな。
亀山さんは、苦手だった港区女子と飲みの席で話したエピソードも紹介します。整形代について「私90万」「私120万」と2倍速のような早口で話す様子を横で聞いていると、意外とかわいく見えたそうです。
だからその辺可愛く見えるってことは、ある意味ちょっとなんていうかな、ちょっと近づいたというか、ちょっと和解したというか。
高木さんは、亀山さんがイラストのスタンプを顔の代わりに使っていることにも触れます。かわいいフィルターがかかっているから、大物経営者がちいかわのような日常の話をしても成立するのではないか、という指摘です。
まあ生きる術としてなんかやってるのかもしれない。
高木さんは、妻から「かわいくありなさい」と言われることがあると明かします。年を取るほど、かわいい人は場にいても受け入れられ、偉そうな人は若い人から見放されるからです。価値観が多様化する時代に調和をつくるのはかわいいというアプローチではないか、と高木さんは話します。
かっこつけないといけないから泣けない。差を生みやすい
怒っても泣いてもかわいい。欠点も含めて許容でき、調和を生む
日常が続くことを願う日本の強さ
亀山さんは、西洋的な「山を制覇する」発想よりも、日本には「山と生きる」ような調和の感覚があると話します。映画版では、ちいかわが星に願ったのは「今日みたいな日が毎日続けばいい」ということでした。
望みというのが、もう日常が同じ日常が続いてほしいなんだよ。
亀山さんは、足るを知る、意識が低いとも言えるこの感覚こそが、意外と今の日本の強さではないかと考えています。そう思えない社会では治安も悪くなるかもしれない、という見方です。
一方で亀山さんは、別のメディアでは若者に「普通でいいと思っていると実質減給の社会になるから頑張れ」と語ってきたことも認め、「言ってることバラバラなんだけどね」と笑います。
高木さんは、グローバルな競争に出る人がいる一方で、競争に行かない人たちにとっては、かわいいで許容度を上げ、互いを受け入れ合うことが無意識の生存戦略になっているのかもしれないと話します。亀山さんは、西洋資本主義の中では勝ちにくい日本にとって、それが世の中がぐちゃぐちゃになったときの希望になるかもしれない、と応じます。
ちいかわはハリウッドに勝てるのか
高木さんは、世界でヒットしているクリストファー・ノーラン監督のオデュッセイア ── 古代ギリシャの叙事詩。英雄オデュッセウスがトロイア戦争後、故郷へ帰るまでの苦難の旅を描いた物語ですを題材にした映画を引き合いに出します。神々の掟を破り、勝ち負けや生死をかけて戦う壮大な物語です。
その一方で、日本ではちいかわがヒットしています。高木さんは、このギャップこそ日本らしいアプローチなのかもしれないと話します。
多分なんとなく想像つくにちいかわの勝ちだね。
亀山さんは最後に、どちらが上かはともかく、「まあそんな国があってもいいんじゃない?」とまとめます。
周りにもちいかわを語る人はいるものの、亀山さんには上から目線に見えるといいます。理解できないものがあるなら、子どもでも大人でも、少しずつ近くに寄って話を聞いてみればいい、というのが亀山さんの考えです。
亀山さんはなぜ自転車で移動するのか
高木さんは、亀山さんがコンフォートゾーンの外へ出る理由を尋ねます。亀山さんの答えは、孫と「これいいよね、じいちゃんならわかる」とワイワイ話したいから、というシンプルなものでした。
65歳の亀山さんは、お金のある人だけで安全な場所に集まる世界や、過去の話ばかりの同級生の集まりも、それはそれで楽しいとしつつ、それだけではつまらないと話します。
高木さんは、これだけお金があるのに亀山さんが毎回自転車で移動している理由を尋ねます。亀山さんは、SNSでの炎上を恐れて遠目に世の中を眺める経営者たちを「城壁の中の殿」にたとえます。
いやいや、殿、たまに城壁の外に出てくださいみたいな話じゃない?
ブッダだって城から出てさ、修行に行ったわけだからさ。
亀山さんは、城壁を高くするほど外の世界は見えなくなるけれど、外の世界も結構楽しめるし、そんなに怖くないと話します。高木さんは、現場に出て同じ目線で見ることが今日のちいかわの話にも通じると受け止めます。
亀山さんは、承認欲求にとらわれて悪目立ちしたがることもキメラ化のようなものだと話します。顔のないモブキャラでいるくらいなら、悪くてもいいからキメラになりたい。昭和の親父世代は特に、退屈な幸せより何者かになることを求めてきたといいます。
キメラ化した時もあったかもね。あったような気もする。
今も会社に入ればヨロイのボスになり、ヨロイ、キメラ、ちいかわを行き来している気がする、と亀山さんは笑います。高木さんの「スタンプをヨロイにしてほしい」というリクエストに、亀山さんは「俺鎧スタンプ作るわ」と応じて収録を終えました。
まとめ
亀山さんは、ちいかわを残酷な世界をかわいいで包み込み、見る人の立場によって見え方が変わる作品として読み解きました。考察で理屈をつけるより、子どもや若者の目線に降りて「かわいい」を感じてみることが、世代の分断を埋め、ささやかな幸せに気づく入り口になるかもしれません。
- ちいかわは日常系とウシジマくん的な残酷さを混ぜ、かわいさによってすべてを許容する世界として描かれている
- 同情も軽蔑も上から目線であり、大人は目線を下げて若者や子どもから学ぶ必要があると亀山さんは語った
- 幸せは回転寿司のガチャで盛り上がるようなささやかな場所にあり、それを奪われると人は強く怒る
- かわいいは怒っても泣いても許される「最強の兵器」で、調和を生む生存戦略でもある
- 城壁の外に出て同じ目線で世の中を見ることが、亀山さんが自転車で移動する理由につながっている






