丁寧すぎる敬語は、コミュニケーションの目的を見失ってる
ビジネスである以上、社外でも社内でも、基本は敬語ですよね。いきなりタメ口はきかない。
それはわかるんですけど、日本語的に正しい敬語を使い続けたがる人って、Webディレクターにもめっちゃ多いんですよ。
「していただけると幸いです」「お試しいただけますでしょうか」「こうすることは可能でございましょうか」みたいな、硬い敬語をひたすら繰り返す人ですね。
結構近い間柄、たとえば仕事のやりとりを頻繁にしている他部署の人にまで、この調子だと、なんか人間味がないなと思うんです。
そんなに怒ってないのに「大変失礼いたしました」と謝られると、いや、そんな怒ってないよ、っていう。デザイナーさんとかにも多いですよね。
これって、コミュニケーションの目的を見失ってると思うんですよね。相手と自分がいて、相手にどう受け取ってほしいか。そこを考えてないんじゃないかと思うんです。
正しい敬語を使うのが常に正しいんだと勘違いしてる。言い方を変えれば、杓子定規なんですよね。
びっくりマークを連発する人も、方向が違うだけで同じ
そうすると今度は逆に、びっくりマークを多用する人が出てくるんですよ。だんだん増えてる気がします。
僕も使うことはありますよ。ただ、バランスを考えて、2〜3行に1個多くてもぐらいにしてます。ルールじゃなくて結果的にそうなってる感じですね。
でも、やたらつける人っているんですよね。ずっとびっくりマークがついてると、うわ、うるせえな、って思っちゃう。
要するに、びっくりマークをつければ砕けて人間味があるように見えるんだ、と思い込んで、ひたすらつけてるんですよね。
だからこれも目的を見失ってて、コミュニケーションとして考えてないんです。最上級の敬語を使う人と、びっくりマークを連発する人は、方向が違うだけで間違ってる度は一緒なんですよ。
相手に何を伝えて、どういう気持ちになってほしいか。そこまで考えるべきなんですよね。硬くなりすぎず、自然に受け取ってほしいなら、こっちの人間味が見えた方がいい。
もちろん、見えない方がいい時もありますよ。商談の一番初めからそれをやったらダメじゃないですか。
「ね」を足すだけで、だいぶ人間っぽくなる
僕がよくやるのは、「やります」じゃなくて「やりますね」と、わざと「ね」をつけることなんです。社内でも社外でもやりますね。
「そうです」じゃなくて「そうですね」、「やっておきます」じゃなくて「やっておきますね」。この「ね」がつくだけで、すごく日常会話っぽくなるんですよ。
ずっと硬くしている必要が、どこにあるの?っていう。「ね」をつけるだけで、だいぶ人間っぽくなります。
もちろん、これも考えないで何にでも「ね」をつけまくったら、それはそれで違うんですよ。トータルで、コミュニケーションをデザインしろよという話をしてるんです。
僕は顔文字も入れますよ。距離感によっては、2ちゃんねるに出てきそうなニヤニヤっていうやつとかも入れます。
顔文字の何が悪いんだっけ?って話なんですよね。仕事なんだからちゃんとしなきゃ、顔文字なんて入れちゃいけない、って思うんでしょうけど、それで仕事が順調になるなら入れた方がいいじゃんっていう。
絵文字も多用します。『Backlog』にある、万歳してくるくる踊ってる丸いアイコンとか、意味わかんないけど、なんかちょっと砕けるじゃないですか。
「明日までにやっておきますね」に、コーヒーのアイコンをつける。それだけで柔らかくなるし、別に誰も怒りはしない。これもコミュニケーションデザインだと思うんですよね。
昔、前の会社で、10行ぐらいのちゃんとした文章をチャットで送って、その一番左を縦読みすると「フリーザ様ですよ」って書いてあったこともあります。まあこれはさすがにふざけすぎですけど、仲の悪い人でもないし、社内の仕事だし、そのくらいの遊び心があってもいいんじゃないの、っていう。
丁寧さも手段。それ杓子定規だなって思われますよ
そういう意味で言うと、丁寧さって全く手段に過ぎないんですよ。当たり前なんですけど、実践となると難しいんですよね。
仕事だからちゃんとしなきゃ、って言うけど、仕事でちゃんとするって何だ、成果が出るように動けばいいだけだろ、って思うんです。
常に丁寧に丁寧にやりすぎて、杓子定規な対応になってない?というか、それ杓子定規なやつだなって思われますよ。特に文章をちゃんと読んでる人ほどね。
もう一つ気になるのが、社内の仕事の依頼に「ご依頼ありがとうございます」って言う人が結構いることなんです。
僕がクライアントなら、お金をもらってるんだからわかるんですよ。仕事をいただくのはありがたいことですから。
でも社内の依頼で、その依頼者に「ご依頼ありがとうございます」は行き過ぎだと思うんです。だって、そいつが金を払ってるわけじゃないですから。
仕事がもらえてありがたいなら、それは会社に言うことですよね。せめて言うなら、アサインしてくれた上司です。依頼者に言うことじゃないんですよ。
謙虚さの表れなのはわかるんですけど、それで思考が停止しちゃってる。何でもありがとう、何でもありがとうって、それ、ありがとうっていう単語の価値を下げてるだけなんですよね。
「弊社」を社内で使う人と、AIに奪われないディレクション
もっと話が逸れますけど、社内で「弊社」って言う人、結構いるんですよ。
「弊社」の「弊」って、へりくだる意味ですよね。社外の人に言うならいいけど、同じ社内の人に「弊社」って言ったらおかしいじゃないですか。
自分をへりくだってるつもりが、同時に相手もへりくだしてる。若干貶してるのと一緒なんですよね。あろうことか、社長に向かって「弊社はそうですね」って言っちゃう人もいるんです。
社内なら「うちの会社」でもいいし、丁寧な単語を使うなら「当社」ですよね。「弊社」に言い慣れてると切り替えが難しいのはわかるんですけど、僕は慣れました。
結局これも、その言葉が何を意味していて、今誰に何を言っていて、なぜその単語を使うのか。そこを考えるべきだ、っていう話なんですよね。
僕がいつも言ってることって、剥いていくと目的と課題と解決策しかないので、ガワを剥いたら全部一緒なんですよ。バレちゃいますね。
Webディレクターたるもの、こうしておけば正解なんだと思った瞬間に、ディレクションのスキルは死んでいくと思うんです。
日本語を話す時に考えてない人は、対応も杓子定規になる。そういうディレクションは、AIに仕事を奪われちゃいますよ。だって正しい日本語はAIの方が得意ですから。
一般論ではなく、その個別事象の最適化を図れる人間が、優秀なディレクターであり、AIに仕事を奪われない人間だと思うんですよね。
まとめ
丁寧さも、びっくりマークも、顔文字も、全部が手段でしかないと僕は思っています。時と場合と相手によって、一文字レベルでコミュニケーションを考える。それが結局、ディレクションの一番大事な部分なんじゃないかなと。
- 日本語的に正しい敬語を使い続けることが、常に正しいわけではない
- 最上級の敬語を使う人と、びっくりマークを連発する人は、方向が違うだけで「考えてない」点は同じ
- 「ね」やコーヒーのアイコンひとつでも、受け取る側の印象は柔らかくなる
- 今誰に何をなぜ言うのかを一文字レベルで考える人が、AIに仕事を奪われないディレクター




