脳のないクラゲも眠るなら、睡眠は何のため?
「人ってなんで寝るんでしょうね」というレンさんの問いに、エマさんはまず「脳も体も疲れるから」と答えます。体感としては、多くの人が同じように考えるはずです。
ところがレンさんは、脳みそがない生き物も眠ると切り返します。その代表例がクラゲで、クラゲには脳がないのに睡眠があることがわかっているといいます。
ってことは、(睡眠は)別に脳のリフレッシュとかじゃなくない?
レンさんは、休息が目的なら横になっているだけでよく、わざわざ寝る必要はないのではと問いかけます。そのうえで、寝ない生き物は基本的にいないことから、睡眠の理由は意外に不思議なのだと話します。
睡眠への関心の高さについて、レンさんは1日30分しか寝ない人が話題になった時期を例に挙げ、ショートスリーパーで世の中があれほど湧いたことに触れています。睡眠の理由をめぐっては研究者がさまざまな「容疑者」、つまり仮説を挙げてきたといいます。
睡眠の正体を決める3つの条件
エマさんが最初に思い浮かべた睡眠のイメージは、目をつぶってじっとしている状態や、レム睡眠とノンレム睡眠の区別でした。レンさんは、レム睡眠 ── 睡眠中に眼球がすばやく動く状態の睡眠。Rapid Eye Movement の頭文字から名付けられ、夢を見やすい時間帯とされていますは眼球が素早く動く睡眠で、ノンレム睡眠はそれがない睡眠だと補足します。
ただ、眼球の動きや脳の状態で睡眠をとらえると、目も脳もないクラゲには当てはまりません。そこでレンさんは、クラゲにも当てはまる睡眠の特徴を、エマさんに当てさせていきます。
1つ目は「なるべく動かない」こと、2つ目は「呼んだり叩いたりしても反応が鈍い」ことです。3つ目について、エマさんが「いびき」と答えると、レンさんは「みんなは悩んでないだろ」とツッコみました。
レンさんが挙げた3つ目の特徴は、睡眠が足りないと次の日に取り返そうとして眠くなる、いわば「リバウンド」です。クラゲはこの3つにすべて当てはまるため、睡眠があると考えられているそうです。
レンさんによれば、睡眠の厳密な定義は誰かがかっちり決めているわけではありません。人間の脳波で入眠はわかるものの、脳波は「睡眠の結果としてそうなっている」もので、睡眠そのものの定義ではないといいます。
休むための睡眠は、実は省エネ1割弱
最初に検討する仮説は、エマさんが冒頭で挙げた「疲れた脳や体を休めるため」という説です。レンさんは、要素としては合っているとしながらも、本当にそれだけなのかと疑問を投げかけます。
1990年ごろの研究では、寝ている人の脳のエネルギー消費を測定しています。人間の深いノンレム睡眠のとき、脳のエネルギー消費は起きているときより3〜4割ほど少なかったそうで、睡眠はエネルギーを節約するためだと考えられていました。
一方、2011年の研究は、ベッドの上で寝る場合と、ベッドの上で寝ずに過ごす場合とで、1日に使うエネルギーを比べました。体を休めている条件は同じで、眠るかどうかだけが違う比較です。
エマさんは「2割くらい減る」と予想しましたが、結果は1割弱でした。一晩寝ずに過ごすと、1日の消費エネルギーが1割弱増える程度の差しかなく、カロリーにするとご飯1杯分にも満たないといいます。
深いノンレム睡眠中、脳のエネルギー消費は起きているときより3〜4割ほど少ない
横になって寝る場合と寝ない場合では、1日の消費エネルギーの差は1割弱
わざわざ意識なくしてすごいリスクを負うわけじゃん、睡眠って。まあ動物的に言うと。
意識を手放すという大きなリスクを負うわりに、睡眠による省エネの得は小さいことになります。このためレンさんは、「脳や体を休める」だけでは睡眠を説明できないと昔から言われてきたと話しています。
記憶整理説は、シナプスを細くする仕組みだった
次にエマさんが挙げたのは、寝ている間に記憶を整理するという説です。レンさんも、1日の記憶を必要なものと不要なものに仕分けるという、立派な仮説として存在していると認めます。
レンさんの説明では、記憶は神経と神経のつなぎ目であるシナプス ── 神経細胞どうしが情報を受け渡す接合部分。信号を伝えるつなぎ目で、使われ方によって伝わりやすさが変化しますが太く強くなることで作られます。起きている間はシナプスが太くなり続けるため、寝ている間にリセットして、大事なものは残し、不要なものを細くするという整理が起きていると考えられています。
マウスの脳を顕微鏡で観察した研究では、大事なつなぎ目は細くならず、あまり強化されていないシナプスは細くなっていたといいます。エマさんは、すべてを太くしていたらエネルギーを使うから取捨選択が必要なのでは、と受け止めました。
(睡眠は)記憶を強化するっていうよりは、いらない記憶を消す方向に向かってるってことね。
ただし、脳を持たないクラゲには、こうした記憶整理は起きません。エマさんは、クラゲを考えることで睡眠を理解できると話し、レンさんも「じゃあこれでもないか」と仮説を一つずつ外していきます。
脳のゴミ掃除説は、なぜ真逆の結論に割れたのか
3つ目の仮説は、寝ている間に脳の老廃物を物理的に掃除しているという説です。体にはリンパ管 ── 体内の余分な水分や老廃物を回収し、血管へ戻す管のネットワーク。免疫の働きにも関わっていますなどがあり、細胞の老廃物を運び出していますが、脳では老廃物をどう出しているのかが長くわかっていなかったといいます。
レンさんによると、2012年ごろ、脳を包んでいる液体が老廃物のやりとりに関わっていると考えられるようになりました。寝ているときは脳の細胞どうしの隙間が少し広がり、液体が通りやすくなって老廃物を運び出すのではないか、という説です。
エマさんは、寝ているときにしか老廃物を出せないのであれば、脳をシャットダウンしてでも寝る理由になると納得します。ただ、この説はまだ決着がついておらず、真逆の結論が2つある状況だそうです。
脳の周りの液体に目印を入れると、液体が脳の中に入り、老廃物を回収して外に出しているように見える
脳のど真ん中に目印を入れると、寝ていても起きていても外に出る量は変わらない
レンさんは、両者の違いは目印を入れる場所、つまり測定方法の違いだと説明します。どちらもゴミそのものを直接追いかけているわけではなく、2025年ごろにも議論されているものの、正解はまだわからないといいます。
エマさんは、仮説の一つだったり、脳の一部にしか当てはまらなかったりするのかもしれないと話しました。いずれにしても、脳のゴミ掃除説もクラゲの睡眠は説明できません。
眠らせないクラゲの神経に起きたDNAの傷
睡眠の謎を解くには、クラゲの睡眠にも当てはまる理由を考える必要があります。レンさんが紹介したのは、クラゲを眠らせない実験でした。
実験では、20分おきにクラゲへ水をピュッとかけ、眠らせないように刺激を与え続けます。すると次の日の昼間、クラゲはボーっとして、傘をパカパカ動かす動きが少なくなったといいます。
ほう、(水をかけ続けるのは)かわいそうだね。
クラゲやイソギンチャクでもこうした現象が確認されており、クラゲは1日の3分の1ほど眠っているそうです。人間とほぼ同じ割合で、毎日眠り、昼寝をするクラゲもいるといいます。
細胞レベルで調べると、眠らせずに起こし続けたクラゲでは、神経細胞のDNAに傷が溜まっていくことがわかりました。体にはDNAを修復する仕組みがあるものの、睡眠不足ではその修理が進まず、傷が蓄積していったといいます。
じゃあ寝てるっていう目的は、神経の細胞そのものを修復することだったんじゃない?
DNAを傷つける犯人は活性酸素だった
睡眠不足でDNAが傷つくとき、紫外線を浴びる量が増えているわけではありません。外から何かを取り込んでいるわけでもないため、レンさんは犯人は体の内側にいると考えます。
エマさんが「酸素?酸化させちゃうんかな」と答えると、レンさんは即座に「正解」と返しました。生きるために欠かせない酸素が、体を傷つける可能性も持っているというのです。
神経細胞が特に影響を受けやすい理由は、エネルギーの使用量にあります。人間の脳は体重の割合に比べて全体の2割ほどのエネルギーを使うとされ、レンさんは神経細胞を「大食い」とたとえます。
起き続ける
神経細胞が休まず動き続ける
ミトコンドリアが稼働
酸素を使ってエネルギーを作り続ける
活性酸素が増える
エネルギーと一緒に、ゴミのような活性酸素を作りすぎる
傷が溜まる
活性酸素がDNAや発電所自体を傷つけ、活動が鈍っていく
細胞の中で、酸素からエネルギーを作る発電所の役割を担うのがミトコンドリア ── 細胞内でエネルギー源となるATPを作る小器官。酸素を使う過程で、副産物として活性酸素も生じますです。このとき使われた酸素がゴミのように出てきたものが活性酸素 ── 反応性の高い酸素の総称。細胞のエネルギー生産などで日常的に生じ、増えすぎるとDNAやたんぱく質を傷つけますで、DNAにダメージを与えることが多くの生物で知られています。
睡眠不足になると、ミトコンドリアがちぎれたりダメージを受けたりします。レンさんの整理では、寝ないと発電所が動き続けて活性酸素を作りすぎ、その活性酸素が発電所自体まで壊してしまうのです。
逆に、寝ることでミトコンドリアの数が増えることもわかっています。そのため、起きたときに再び酸素を使ってエネルギーを作れるという循環につながっていると考えられています。
エマさんは、クラゲにも神経細胞があることを確かめたうえで、脳の有無にかかわらず、睡眠不足の影響は神経細胞の修復の問題だと整理しました。レンさんも、この説がかなり有力になってきていると話しています。
抗酸化物質でショートスリーパーになれるのか?
クラゲ以外では、ハエやネズミでも、眠らせずにいると体の中に活性酸素が溜まっていくことがわかっています。神経だけでなく腸にも影響が出て、それを続けると死んでしまうといいます。
一方で、マウスに活性酸素を分解する抗酸化物質 ── 活性酸素と反応して無害化し、酸化によるダメージを抑える物質の総称。ビタミンCやビタミンEなどが知られていますを投与すると、眠らせなくても普通の寿命まで生きたという研究もあるそうです。
じゃあショートスリーパーになりたければ、抗酸化物質を打ってあげたらいいってことなんかな。
まあそんな単純な話じゃない。
エマさんは、活性酸素を抑えることは睡眠が重要な理由の一つにすぎず、ほかの理由まではカバーできないのではと考えます。レンさんはそれに同意しつつ、抗酸化物質を与えることで別の影響が出る場合もあると付け加えました。
レンさんによると、クラゲの研究は2025年から2026年ごろのごく最近のものです。2021年ごろには魚でも神経にダメージが溜まることが眠気のスイッチではないかと言われ、マウスでも活性酸素の量に比例して眠りが誘発されると考えられています。
エマさんはここで、活性酸素が増えるとダメージを受けるだけでなく、それ自体が睡眠のスイッチを押すのだと気づきます。ただし、睡眠を誘発する細胞は特定されつつあるものの、どの分子がどう変化して眠りが起きるのかという仕組みは、まだわかっていない部分が多いそうです。
生きた脳の活性酸素は測れるのか
エマさんは、仕組みがわかれば睡眠の定義もきっちり決められるかもしれないと期待します。しかしレンさんによれば、人間の脳内の活性酸素を、外から簡単に測ることはまだ難しいといいます。
クラゲなどの動物なら、眠らせた個体と眠らせない個体を比較し、細胞を取り出して調べることができます。一方、人間で同じことをするのは倫理的に不可能で、脳の細胞を取り出すわけにもいきません。
二人は、脳以外の神経細胞を取って、睡眠時と非睡眠時を比べる方法なら可能かもしれないと議論します。ただレンさんは、それを睡眠と直接結び付けられるかは別の問題だとして、「睡眠研究者に話聞きたいな」とこぼしました。
現在は、活性化した脳の場所で血流が速くなることを利用して、生きている脳の状態を外から見られるようになってきています。ただ、活性酸素のような細かいデータまで取るのは難しいとレンさんは見ています。
(ミトコンドリアが)同時にさ、酸素使ってエネルギー出してってのもうワーってずっと起きてるじゃん。もう追いきれないんじゃない?
レンさんは、活性酸素は顕微鏡で見えず、外から物質を入れて光らせる方法も間接的だと話します。だからこそ、活性酸素は細胞の中で常に生まれ続けており、抗酸化物質で簡単にコントロールできるものではないという見方を示しました。
僕らは細胞の塊として眠っている
最後にレンさんは、ここまでの流れを振り返ります。休息説、記憶整理説、脳のゴミ掃除説は、いずれも寝ると起きる現象としては確認されているものの、脳のないクラゲが寝る理由の答えにはなっていません。
| 仮説 | 内容 | クラゲの睡眠を説明できるか |
|---|---|---|
| 休息説 | 脳や体を休めてエネルギーを節約する | 省エネ効果が1割弱と小さく不十分 |
| 記憶整理説 | 不要なシナプスを細くして記憶を整理する | 脳がないため説明できない |
| 脳のゴミ掃除説 | 脳を包む液体が老廃物を運び出す | 脳がないため説明できず、決着もついていない |
| 細胞修復説 | 活性酸素で傷ついた神経細胞のDNAを修復する | 神経細胞があるため説明できる |
そのうえで、神経細胞が酸素を使って働きすぎると活性酸素が生まれ、DNAなどを傷つけるため、寝ることでそれを修理しているのではないか、というのが現在の状態です。人間が眠る直接の理由はまだ確定していないものの、神経細胞のダメージが眠気につながっているのかもしれないと、レンさんは納得感を示しました。
エマさんは、長期的な睡眠不足が健康を害するイメージも、DNAの損傷で説明がつくのではと話します。レンさんは、睡眠不足が続くと健康に良くないことは確実にわかっていると応じ、いきなりショートスリーパーを目指すと、見えない細胞レベルで損傷が溜まる可能性があると注意を促しました。
二人の会話は、エピソード冒頭にも置かれた「細胞の塊が楽しいと思ったり、ポッドキャストをしたり、眠いと言ったりしている」という不思議さに戻っていきます。エマさんの「細胞に支配されてますね」という言葉から、「僕らとは?」という哲学的な問いへと話が広がりました。
そういうこと考えたらさ、眠たくなるよね。
レンさんは、今回の内容は1度録り直し、かなり簡略化して話したと明かします。睡眠の答えはまだはっきり出ていないため、この先の研究に期待し、面白いアップデートがあればまた話したいと締めくくりました。
エピソードの最後には、シーズン2「科学史と人生史」が11月ごろに終了し、シーズン3に移ることが初めて発表されました。シーズン2の最後にはお便り回を予定しており、印象に残ったエピソードや感想を募集しています。
まとめ
脳のないクラゲも眠るという事実は、睡眠を脳の休息や記憶整理だけで説明する見方に疑問を投げかけます。現在有力なのは、神経細胞で生じる活性酸素によるDNAの傷を、睡眠中に修復しているという説ですが、人間での仕組みはまだ解明途中です。
- クラゲの睡眠は「動かない」「反応が鈍い」「不足を取り返す」という3つの特徴で判断されている
- 寝る場合と横になるだけの場合の消費エネルギーの差は1割弱で、休息説だけでは睡眠を説明しにくい
- 記憶整理説や脳のゴミ掃除説は、脳のないクラゲの睡眠を説明できない
- 眠らせないとミトコンドリアから活性酸素が増え、神経細胞のDNAに傷が溜まることがわかってきた
- 抗酸化物質で睡眠を代替できるほど単純ではなく、睡眠不足は細胞レベルで損傷を残す可能性がある




