東京は左、大阪は右。エスカレーターの立ち位置はなぜ違う?
この回は、レンさんがエマさんに「エスカレーターで右と左のどちらに立つか」と尋ねるところから始まります。エマさんは今は右に立つものの、東京にいたころは左だったと答えます。
二人の記憶では、イギリスでは右、札幌では左でした。エマさんは東と西で違うのではと推測しますが、レンさんは境目がわからないと首をかしげます。
レンさんが調べたところ、ロンドンには昔、人を右側に寄せる仕切りがあり、自然と右に立つようになったという説があるそうです。大阪については、1967年に梅田にできた長いエスカレーターで「歩く人のために左側を空けてください」というアナウンスが流れた、という説が紹介されます。
東京はもうね、諸説もないの。わかんないんだよ。なぜかみんな左乗ってるみたいな感じ。
| 地域 | 立つ側 | 番組で紹介された説 |
|---|---|---|
| ロンドン | 右 | 昔、人を右に寄せる仕切りがあった |
| 大阪 | 右 | 1967年、梅田のエスカレーターで左を空けるアナウンス |
| 東京 | 左 | 由来はわからない |
レンさんが注目するのは、エスカレーターの立ち位置が誰かの決めたルールではないのに、自然とどちらかに偏る点です。エマさんが「前の人に合わせるよね」と応じると、レンさんはこの偏りこそ今年のノーベル化学賞に似ていると切り出します。
(エスカレーターの偏りは)マジで分子もね、似たような感じなんよ。
レンさんは、心臓が左にあることも同じ謎だと続けます。分子には右型と左型があり、普通はランダムにどちらもできるはずなのに、人の体はほぼ片方に寄っています。いきなり受賞内容から入ると難しいため、右と左がどう決まるのかという話から順にたどる構成が示されます。
分子にも右手と左手がある?キラリティとうま味
分子の右と左の話は、かなり昔のサイエントークでも扱ったことがあり、エマさんは鏡写しの「プロリンくん」をアートワークに描いたことを覚えていました。プロリンはアミノ酸の一種です。
レンさんによれば、体をつくるアミノ酸にも右手型と左手型のような区別があります。右手と左手は形が同じでも、完全には重なりません。こうした性質をキラル ── 右手と左手のように、鏡に映した形どうしが重ならない性質を持つこと。この性質そのものはキラリティと呼ばれますと呼び、語源は「手」を意味するギリシャ語だといいます。
右型と左型の分子は、役割がまったく変わることがあります。レンさんが挙げたわかりやすい例が、うま味成分のグルタミン酸 ── 昆布だしなどに含まれるアミノ酸の一種。うま味調味料の主成分としても知られていますです。
普通の天然にあるグルタミン酸は旨味がある。だけど、それを鏡写しにしたグルタミン酸っていうのは、食べても旨味がまあほぼないと。
グルタミン酸の右型と左型は非常によく似ているのに、人の体はその違いを見分けているということになります。
1811年の水晶と1848年のパスツール。右と左はどう見つかった?
分子の右と左が見つかってから、まだ200年ほどしか経っていません。始まりは1811年ごろ、水晶に光を当てる実験でした。当時は光の性質を調べるために、いろいろなものに光を当てていたそうです。
水晶に光を当てると、光の振動の向きが変わることがわかりました。さらに調べると、ほぼ同じ物質なのに、光の波を右に傾けるものと左に傾けるものがあると判明します。
エマさんは「回る」という言葉から回転をイメージしましたが、レンさんの説明では、縦方向に振動していた波が5度や90度など右か左に傾いて進むイメージだといいます。
1848年には、パスツールがワインの樽にできた塩のような結晶に光を当てました。同じワイン由来の結晶なのに、光が右に曲がる場合と左に曲がる場合があったのです。
パスツールさんはね、あの結晶マニアなの。
パスツールがよく観察すると、結晶には2種類が混ざっていました。光を当てながらではなく、結晶の形の違いを見て選り分けたところ、片方は光を右に、もう片方は左に回すことがわかりました。
当時はまだ分子の構造式もわかっていませんでした。その後、分子が3Dの構造を持つと判明し、鏡写しの分子が光の傾く向きを決めていたのではないか、という理解につながります。
人の体のアミノ酸を調べると、ほぼ同じ向きのものばかりでした。DNAの二重らせんも、特殊なものを除けば右巻きに決まっています。レンさんによれば、この向きは人間も犬も猫も共通です。
そういう意味ではだからさ、エスカレーターと一緒なんよ。なんか知らんけどみんな右乗るなみたいな。
薬にも右と左がある?サリドマイド事件の教訓
分子に右型と左型があると、薬にも影響します。ある薬の鏡写しの分子も作れるため、どちらを薬として使うかが重要になります。エマさんは、体の中のものが右か左かに決まっているから、そこにぴったり合う薬を作る必要があると理解します。
レンさんによれば、昔は右と左はそれほど重視されていませんでした。害がなければ混ざっていてもよいと考えられ、今でも両方が混ざった薬はあるそうです。
転機になったのが1960年代のサリドマイド ── 1950年代末から販売された睡眠薬。妊娠中の服用で胎児に重い障害が起こり、世界的な薬害事件となりましたです。睡眠薬のサリドマイドを飲んだ女性から生まれた赤ちゃんに先天的な異常が起き、その数は何千人規模に及んだといいます。
原因を調べると、サリドマイドの鏡写しの分子のほうに問題がありました。片方は睡眠薬として働き、もう片方に赤ちゃんの異常を引き起こす作用があったのです。
(睡眠薬になる形を作って投与しても)途中で変わっちゃったりする。だから分けて作って使えばいいっていうものでもなかった。
サリドマイドは体内で勝手に半々になってしまう分子でした。この事件以降、分子の右と左が体の中で変わらないかを確認することが求められるようになったと、レンさんは説明します。
混合への無関心
害がなければ右と左が混ざっていてもよいと考えられていた
事件の発生
1960年代、服用した女性の赤ちゃんに先天的な異常が何千人規模で起こる
原因の判明
鏡写しの片方に害があり、体内で半々に変わってしまうとわかる
確認の徹底
体内で右と左が変わらないかを確かめるようになる
研究者は毎日キラルに振り回されている?
レンさんが強調したいのは、右と左の問題が事件の教訓にとどまらないことです。有機化学の研究者は、日々これに振り回されているといいます。
すぐ混ざっちゃってするんよ。右手型、左手型とかが。嫌いな人めっちゃ嫌いだと思うんだよね。
目的の分子を作っても、最後に右型と左型が混ざっていれば分けなければなりません。ところが形がほぼ同じなので、分けるのはかなり大変です。
分ける方法としてレンさんが挙げたのがキラルカラム ── 右型と左型の分子で、くっつきやすさが異なる素材を詰めた分離用の筒。通り抜ける速さの差を使って両者を分けますです。ペットボトルに砂を詰めて水を濾過する仕組みにたとえ、右型の石を入れておけば右手型は引っかかって遅れ、左手型はするすると先に出てくると説明しました。
ただし、この方法はとても面倒です。そのため、最初から片方だけをきれいに作ることが大事になります。
右型と左型を作り分ける不斉合成 ── 右型と左型のどちらか一方だけを選んで作り出す合成法。2001年のノーベル化学賞は、触媒を使った不斉合成の研究に贈られましたは、2001年にノーベル化学賞を受賞しています。レンさんによれば、作り分けの方法自体は初めてではなく、とても便利な方法を作ったことが評価されたといいます。
右型左型を作り分けられるっていうのだけでノーベル賞が出るレベルだから。みんな困ってんだよね。
「不斉」は「不正解」の「不」に「斉藤」の「斉」と書きます。世の中の多くのもの、特に薬は、この右と左の作り分けに支えられているとレンさんは話します。
95歳のカガンが見つけた「比例しない」非線形効果とは
今回の受賞者の1人が、95歳のカガンです。エマさんが思わず「生きてるんだ」と口にし、レンさんにたしなめられる一幕もありました。カガンは右と左を作り分ける分子も手がけた人物で、2001年に受賞してもおかしくなかったものの、受賞枠が3人までのため選ばれなかったといいます。
カガンが取り組んだのは、右と左が混ざった状態から右手型だけを作る研究でした。右手型のもとになる分子を加えるとき、それが90%ほど右なら、できるものも90%ほど右になるだろうと、比例関係が想定されていました。
実際はそんなことなくて、90パーセントぐらいのやつを使っても、もうさらに99パーセント以上とか、どんどんどんどんやっぱ偏りがすごいできるっていう。
比例するという想定:できる分子もおよそ90%が右になる
実際の結果:99%以上が右になるほど偏りが強まる
レンさんはこれをエスカレーターにたとえます。前の2人が右に立っていれば、自分もたぶん右に立ちます。その影響は2人で終わらず、後ろの人にも次々に伝わっていきます。
エマさんは、前に100人いて90人が右に立っていれば、後ろの人は90対10ではなく99%の確率で右に行くということだと言い換えます。レンさんによると、このような比例しない現象を非線形効果と呼び、カガンの発見が受賞理由の1つです。
硤合憲三の自己触媒。できた分子が仲間を増やす?
もう1人の受賞者が、東京理科大学の硤合憲三先生です。硤合先生は、カガンが示した非線形効果をさらに詳しく調べ、なぜ偏りが大きくなるのかを追究しました。
レンさんによれば、鍵になったのは反応でできてくる分子そのものでした。できた右型の分子が、その後に反応する分子も右になりやすいように働いているのではないか、という考え方です。
エスカレーターでいえば、「右に立つ人が多い」という光景を作っているのは、すでに乗った人たちです。その光景が後から来た人を右へ誘導します。分子でも同じように、生成物がまだ反応していない分子に影響して右型を作りやすくします。これを自己触媒と呼びます。
レンさんの説明では、触媒の右と左を50%ずつにすると生成物も50%ずつになります。ところが触媒を51%と49%にすると、生成物は51対49ではなく、80%や90%まで多いほうに寄るといいます。
わずかな偏り
触媒の右と左が51%対49%のように少しだけ偏る
右型の生成
少し多い右型の生成物ができる
生成物が触媒に
できた右型が、次の反応を右へ誘導する
偏りの増幅
生成物が80〜90%まで右に寄る
触媒くんだけじゃなくて、出てきたくんも一緒に、こう右に右に行こうよみたいに(なってるってことだよね)。
生命が片方の向きにそろった理由につながる?
硤合先生の自己触媒反応が重要とされるのは、生命の起源に関わるかもしれないからです。生命が右型なら右型、左型なら左型にそろっているのは、昔のわずかな偏りが増幅されまくった結果ではないか、という見方につながります。
エマさんはグルタミン酸に話を戻し、右も左も存在するのなら関係ないのではと尋ねます。レンさんは、体を構成しているのは左型だけだと答えます。
これだけで「生命の右左の起源わかりました」ではないんだけど。多分似たようなことが昔起きてて。
レンさんの見立てでは、一度できた左型が「もっと左を作ろう」と増幅し、地球の最初の生命が大きく偏らせ、それが増殖して今に至った可能性があります。生物由来のアミノ酸は片方の向きで、試験管の中で何も考えずに作れば右と左は半々になります。
雷が落ちてアミノ酸ができたという生命誕生の説でも、作られるアミノ酸は半々です。どこで偏ったのかはわかっていません。エマさんが「一度バランスが崩れればその後も偏りそう」と話すと、レンさんは、ちょっとの差が増幅された結果を化学反応として考えたことが受賞の理由だと応じます。
意外なノーベル賞?史上最もエレガントな実験
レンさんにとって、今回の受賞は意外でした。右と左の作り分けは世の中でとても役立ちますが、今回評価された非線形効果と自己触媒反応は、すぐに役立つ技術ではなく、現象があると証明した超ベーシックなサイエンスだからです。
レンさんによれば、ノーベル化学賞は基本的に実用性の高いものが多く、不斉合成のほか、CRISPR-Cas9 ── 狙った場所でDNAを切断して遺伝子を書き換えるゲノム編集技術。2020年にノーベル化学賞を受賞しましたや、鈴木カップリング、根岸カップリングのような名前のついた反応が例に挙がります。それらと比べると異色に感じたといいます。
それでもレンさんは、この研究を「おしゃれ」だと評します。できた分子が少し寄っているだけで大きく増幅する、その無駄のなさが美しいというのです。
もういろんなもん混ぜまくって無理やり作りましたより、すげえシンプルで、材料これだけでいいの?みたいな。だけどこんなもの作れるんだっていう方がかっこいい。
レンさんが見たページによると、ノーベル財団もこの研究を「史上最もエレガントな科学実験の一つ」と評価しているそうです。
レンさんはさらに『ドラゴンボール』のフリーザを持ち出します。いかつい形態を経た最終形態が、小さくてつるんとしているのに超強い。シンプルなのに強いという美学を、この研究に感じるといいます。
心臓はなぜ左?胎児の体内で回る小さな毛
レンさんは、昔起きた右と左のイベントが、心臓が左に偏っている理由にも突き詰めればつながると考えています。エマさんが関係はわかっているのかと尋ねると、レンさんは組織レベルでは仕組みがわかっていると答えます。
胎児のごく初期、心臓ができるタイミングに、体内の特定の場所で繊毛 ── 細胞の表面に生えているごく細い毛のような構造。動くことで周りの液体に流れを作るものがありますが回転して液体をかき混ぜます。この液体の流れが、体の中でどちらが左かを示す合図になり、心臓の位置も決まるといいます。
マウスの研究では、この毛をうまく作れないと、心臓の向きや位置がランダムになってしまうそうです。レンさんは、毛の動きがそろうことが大事だと説明します。
繊毛
左型のアミノ酸がつくる毛が胎児の体内に生える
回転
毛が回転し、液体を左向きに混ぜる
合図
液体の流れが、体の中で左を示す合図になる
心臓
心臓の位置が決まる
おそらく、これ確認されてないことだけど、全部逆のアミノ酸を作ったらそれが逆になっちゃったりね(する可能性は全然あると思いますよ)。
毛を作っているのは左型のアミノ酸です。回転する液体を右と左のどちらに混ぜるかを、分子の向きが決めているのだろうとレンさんは考えています。エマさんは「回転」から、放送中の『ジョジョの奇妙な冒険』第7部を連想していました。
地球の自転と鏡写しの生命。隕石のアミノ酸が示すもの
レンさんは、北半球と南半球で水の渦の向きが逆になるという話を思い出し、地球の回転の向きが分子の右と左に影響した説はないだろうか、と自身の推測を語ります。宇宙に左右の区別はほとんどないのに、星の回転は右か左かに決まるからです。
知らんよ、これ。知らんけど。なんかある気がするね、そういうの。
エマさんは、地球が逆向きに回っていたら違う生物だったかもしれないと想像します。レンさんは、まったく鏡写しの地球になっていたかもしれないと応じ、星の回転の向きはおそらくバラバラなので、逆向きの生命がいる星があってもおかしくないと話します。
手がかりとして、隕石から左型がやや多いアミノ酸が見つかったこともあるそうです。宇宙ではアミノ酸やDNAのパーツも見つかっていますが、生き物は見つかっておらず、それらが地球からばらまかれたものかどうかもわかっていません。
鏡写しの生命と出会っても、水以外はほぼ一緒に飲食できないだろうと二人は話します。食べ物を不斉合成で作るしかないものの、量的に無理で、とても高い食べ物になりそうだとレンさんは笑います。
ちょっとこれはね、非常にね、ロマンを感じるノーベル賞だったなという。
トリビアアワード2026、今年は知育菓子が賞品に
最後のお知らせは、昨年に続く「トリビアアワード」の開催です。リスナーから「へー」と思える豆知識を集め、良いものを番組内で表彰する企画で、昨年は50件弱が集まり、リスナー投票で大賞まで決めました。
今年は、以前「ねるねるねるね」でコラボしたクラシエが協賛します。レンさんの思いつきで受賞者の景品に知育菓子をと連絡したところ、二つ返事で了承されたといいます。どんな知育菓子かはまだ秘密です。
賞は1位から3位までがリスナー投票で決まり、さらにレン賞、エマ賞のような審査員特別賞も設ける予定です。応募の流れは次のとおりです。
(トリビアアワードは)トリビアも楽しみだし、なんかリスナーさんの声聞けるっていうのも楽しみだよね。
文字で応募したトリビアは二人が代読し、審査は平等に行うそうです。募集期間は3週間を切っているため、早めの応募が呼びかけられました。
まとめ
この回は、エスカレーターの立ち位置という身近な偏りから始まり、分子の右と左、薬の安全性、生命が片方の向きにそろった謎へと話が広がりました。カガンの非線形効果と硤合憲三先生の自己触媒反応は、すぐ役立つ技術ではないものの、わずかな偏りが自ら増幅する仕組みをシンプルに示した点で、エレガントでロマンのある受賞だと語られています。
- 分子には鏡写しの右型と左型があり、グルタミン酸のうま味やサリドマイドの害のように働きが大きく変わることがある
- カガンは、右型のもとが90%でも生成物が99%以上右になる「比例しない」非線形効果を見つけた
- 硤合憲三先生は、できた分子が次の反応を同じ向きへ導く自己触媒反応を示した
- わずかな偏りの増幅は、生命が左型のアミノ酸にそろった理由を化学反応で考える手がかりになりうる
- レンさんは、実用より現象の美しさが評価された異色でエレガントなノーベル化学賞だと見ている


