植物工場はなぜ20年間「儲からない」と言われてきたのか
Oishii Farmは、ニューヨークの一流シェフやアーティストからも評価されるイチゴを作っている企業です。三浦さんは、The Solutionsの過去回でもたびたび名前が出ていたこの会社について、代表の古賀大貴さんに改めて話を聞きました。
古賀さんによると、Oishii Farmは植物工場 ── 建物の中で光・温度・湿度・水などを人工的に管理して作物を育てる施設。天候に左右されず、年間を通じて安定した生産ができるのが特徴ですを運営するスタートアップです。完全に室内で、LEDやエアコンを使って野菜や果物を育てています。
古賀さんが植物工場に取り組む背景には、農業のコスト上昇があります。人口が増える一方で農地や水が足りず、天候不順も重なり、農業のコストは大きなペースで上がっていると古賀さんは説明します。
植物工場なら農地はいらず、水もリサイクルでき、自動化もしやすいため、農家の人手不足にも対応できます。ただし工場を作る初期投資や電気代がかかるため、植物工場は「サステナブルでも事業として成立しない」と20年ほど言われ続けてきた産業だといいます。
電気自動車ですら、じゃあテスラですら20年ぐらいかかってるわけじゃないですか。ここまで来るのに。
古賀さんが挙げた最大の壁は、受粉の問題です。イチゴなどレタス以外の作物は蜂による受粉が必要ですが、太陽光がないと蜂は飛ばないと言われ、植物工場ではレタスしか作れないとされてきました。
植物工場で作れるのがレタスだけだと、安く美味しい露地物のレタスと戦うことになり、ビジネスとして成り立ちません。古賀さんは、その結果として植物工場業界が抜け出せなかった悪循環を次のように説明しています。
受粉ができない
太陽光がないと蜂が飛ばず、レタス以外は作れないとされていた
レタスしか作れない
露地物のレタスが安く手に入り、差別化できない
ビジネスモデルが成立しない
工場で作っても儲からない
投資が入らない
お金が集まらず、イノベーションが進まない
Oishii Farmは、工場の中で蜂を飛ばすことに成功しました。アメリカの工場を見学した三浦さんも、工場内に巣箱があり蜂がいることに驚いたと話しています。
ライン生産みたいになってるんですよ、いちごが。昼の部屋通って、夜の部屋通って、ロボットの部屋通ってみたいな感じになってきて。
Oishii Farmの工場では、画像認識ですべての苗を24時間追跡し、農場の状態をデータ化しています。そのデータをAIに分析させ、蜂の活動を増やすか減らすかを判断し、自社開発のロボットが自動で蜂の活動を制御しています。
古賀さんによれば、この仕組みによって屋外の既存農業より高い受粉成功率を実現できたそうです。初期投資や電気代は高くても、生産性を上げることで1パックあたりのコストが下がり、アメリカでは一番安いラインで1パック7ドルで販売できるところまで来ています。
コンサル出身の古賀さんは、なぜイチゴに賭けたのか
三浦さんの質問は、元コンサルタントの古賀さんがなぜイチゴを始めたのかというものでした。古賀さんは、起業家になりたくて起業したわけではないと答えています。
古賀さんはコンサル時代、植物工場に取り組んでいた当時のパナソニックなどをクライアントに持ち、日本に面白い技術があるのに全然儲からないと感じていました。その後アメリカへ留学した時期に、水不足や人手不足といった農業のサステナビリティ問題から世界的な植物工場ブームが起き、古賀さんはちょうどシリコンバレーにいました。
技術的には日本が世界最先端の技術をたまたま持っていて、でも問題的にはこのグローバルな問題。
これって僕が生きてるうちに、こんなチャンスは間違いなく二度と巡ってこない。
古賀さんは、農業を地球上で最も就労人口が多い産業と捉えています。植物工場が広がれば売上が兆円単位の会社が生まれ、そこを日本が取れば、20世紀のエレクトロニクスや自動車のように21世紀にもう一度国を興せる規模になると考えたといいます。
Oishii Farmの累計調達額は525億円です。古賀さん自身も、イチゴを育てるのに525億円というのは普通に考えれば「頭がおかしい数字」だと笑います。それでも投資が集まるのは、数百兆円規模の産業の中でイチゴがセンターピン ── ボウリングで最前列の中央にあるピン。これを倒すと他のピンも連鎖的に倒れることから、ビジネスでは成功の鍵を握る最重要ポイントのたとえに使われますだからだと古賀さんは説明します。
古賀さんがイチゴを選んだ理由は3つありました。それぞれの理由を整理すると次のようになります。
| 理由 | 中身 | レタスの場合 |
|---|---|---|
| 早く収益化できる | 日本品質のイチゴを手に入らない場所で作ればプレミアム化でき、コストが高くても売値も高くできる | 単価が安く差別化できない |
| 競合が入りにくい | 受粉ができないと言われていたため、できれば参入障壁になる | 受粉が不要で参入しやすい |
| ブランドを作れる | 「イチゴといえばあまおう」のように、ブランドが成り立つ作物 | 味の差が出にくくブランドにしにくい |
3つ目の理由が、この回の中心になる考え方です。古賀さんは、製造業はいつかビジネスモデルも技術も陳腐化すると考えています。だからこそ、真似される前に「野菜、果物、植物工場といえばOishii Farm」というブランドを作り、その状態で競合を迎え撃つことが30年後に生き残るために最も重要だと話しています。
デパ地下のイチゴをスーツケースに詰めてマンハッタンで飛び込み営業
Oishii Farmの事業づくりの第一歩は、資金調達の前に行った需要の検証でした。古賀さんは、ニューヨークで日本のイチゴを作れたとしても、アメリカ人が好まなければ意味がないと考え、本当に買う人がいるのか、いくらの値がつくのかを先に確かめようとしました。
古賀さんが最初にしたのは、冬に日本のデパ地下で有名ブランドのイチゴを大量に買い、スーツケースに詰めてニューヨークへ持ち帰ることでした。共同創業者のブレンダさんと2人で、ミシュランのレストランやスーパーのバイヤーへの飛び込み営業を始めます。
だから僕らが自分で作ったイチゴですらないんですよ。
古賀さんたちは事前にメールでアポイントを依頼していましたが、返事は誰からも来ませんでした。イチゴは3日ほどしかまともに持たず、最初に投資された500万円で持ち帰ったイチゴを3日で売り切らなければならなかったため、返事を待たずに突撃することにしたといいます。
マンハッタンを右半分と左半分に分け、2人はスーツケースを引きながら南端からひたすら店を回りました。ただし古賀さんは、レストランが多いのは左半分だったと後から知ったそうです。
飛び込み営業の初日は成果ゼロでした。2日目、あるレストランの受付で「シェフが来ることは知っていますか」と聞かれ、古賀さんはとっさに「はい」と答えてしまいます。
お前は誰だ?って聞かれる前に、もうこれ(イチゴ)を目の前に出せばとりあえず食べるんじゃないかなと思って。
古賀さんは受付からキッチンまでの暗い通路を歩きながら、スーツケースからイチゴを出し始めました。案の定シェフには「なんだお前」という反応をされましたが、とりあえず食べてみてくれと頼むと、職人であるシェフはきれいなイチゴを口にし、こんなイチゴは食べたことがないという反応になったといいます。
この経験から古賀さんは、食べさせてしまえば会話が続くと気づきました。大きな声では言えないとしつつ、それがOishii Farmの営業スタイルになったそうです。三浦さんは、アポもなく一流レストランに行き、自己紹介の前に、しかも自分のものではないイチゴを食べさせていたことに驚いています。
YouTubeと100均の化粧筆から始まった最初の工場
ニューヨークの高級レストランで日本品質のイチゴが喜ばれるとわかり、古賀さんたちは次に、どうやって作るかに集中します。倉庫を借り、中古のコンテナを80万円で港から仕入れ、その中に自分たちで配管などを組み立てていきました。
日本でイチゴの植物工場を研究する会社から大まかな考え方の指導は受けたものの、配管やLEDの具体的なつなぎ方までは教えてもらえません。古賀さんたちは、何ミリのどんな塩ビパイプが必要か、どの接着剤を使うべきかといった細部を、YouTubeを見ながら一つずつ作ったといいます。
共同創業者のブレンダさんもエンジニアではありません。古賀さんによると、ジョージタウン大学を出てアメリカ海軍の特殊諜報員をしていた文系の人物で、古賀さん自身も経済学出身のコンサルタントでした。
配電盤とかも結構高圧って危ないんですけど、そういうのもゴム手袋しておけば感電しねえだろみたいなぐらいのノリで最初はやってました。
最初の工場では、蜂による受粉もうまくいきませんでした。古賀さんは六本木の100円ショップで化粧筆を100本ほどまとめ買いし、一つひとつの花を手で受粉させたそうです。
こうして採算度外視でできた美味しいイチゴを、古賀さんはミシュラン三つ星のシェフのなかでも特にこだわりが強いことで知られるセザールさんのもとへ持ち込みました。自分たちで作ったイチゴを営業に持っていったのは、このときが初めてでした。
この品質を百発百中年中で出せるんだったら、これはある種の革命だよねっていうことで、値段も聞かずに買ってくれて。
セザールさんは後日届いた請求書の金額に驚いたものの、唯一無二だから赤字でもいいと買い続けてくれたといいます。古賀さんはこの出来事を、10年間の事業のなかでおそらく一番感動したことだと振り返っています。
なぜ1000ドルではなく1パック50ドルだったのか
Oishii Farmのイチゴは、最初アメリカで1パック50ドルで販売されていました。三浦さんは、その価格設定をどう決めたのかを尋ねます。
古賀さんによると、三つ星レストランに卸し始めてから、そこで食べた客からOishii FarmのInstagramに「直接買わせてほしい」というDMが殺到しました。ニューヨークには富裕層が多く、オンリーワンの商品であれば価格はいくらでもつけられる感覚があったといいます。
多分1000ドルでも最初の1日出てくる数十パックとか100パックぐらいだったら多分売れる。
だけど、僕らがやりたかったのってフェラーリを作ることじゃなくて、最終的なゴールっていうのは、やっぱり一般の人にも買ってもらうところまで持っていきたかったんで。
古賀さんは、1000ドルのような値段をつけて一般の人の反感を買うのは避けたいと考えていました。一方で安売りもしたくなかったため、当時のアメリカには高級フルーツの市場がなかったことも踏まえ、批判を招かずに「とんでもなく高いイチゴ」というブランドを作れるぎりぎりのラインとして50ドルを選んだといいます。
当時のアメリカでは一番高いイチゴでも1パック5ドルほどでした。古賀さんが検討した価格帯を並べると、50ドルという設定の位置づけが見えてきます。
| 価格 | 古賀さんの見立て | 判断 |
|---|---|---|
| 1パック5ドル | 当時のアメリカで一番高いイチゴの価格 | 比較の基準 |
| 1パック50ドル | 批判を買わずに「とんでもなく高いイチゴ」というブランドを作れる | 採用 |
| 1パック100ドル | 「イチゴに100ドルなんてふざけるな」という声が大きくなりそう | 見送り |
| 1パック1000ドル | 少量なら売れるが、一般の人の反感を買う | 見送り |
セレブが勝手に広めたイチゴと「売らない」戦略
Oishii Farmのイチゴを広めたのは、レストランで食べたセレブや、Instagramを見ていたセレブのマネージャーたちでした。古賀さんによると、最初期にある人物から誕生日パーティーで使いたいという依頼が届きます。
古賀さんは、その人の誕生日パーティーなら他のセレブも来るはずだと考え、イチゴを最優先で確保し、別の人に頼んでLAまで届けました。案の定、会場には多くのハリウッドセレブがいて、そこからまたDMが次々と届くようになったそうです。
(セレブたちは)インスタで一回投稿するのに5000万とか1億とかっていう人たちが、リールとかで勝手にアピールし始めるんですよ。
セレブの結婚式やパーティーでの依頼が続き、さらにスポーツ選手や体に気を使う人にも広がっていきました。三浦さんは、品質の高い商品を極端に限定して流通させたことで、本来ならお金を払って依頼する投稿を、スターたちが自ら無償で行う状態になったと整理しています。
それでも古賀さんは、一般販売をしませんでした。古賀さんの戦略では、30年後に負けないためにブランドを作ることが大前提で、売上は二の次でした。100万円で買ってくれる人がいても、その人に売ろうという発想にはならなかったといいます。
三浦さんは、この手法をSUPREMEや藤原ヒロシさんのfragmentの例と重ねます。三浦さんによれば、Instagramなどのメディアがあふれる今、モノの流通は絞りつつ、モノに関する情報の流通を広げるほど価値が上がり、ブランドになっていきます。
レストランや特定の顧客だけに絞り、一般販売はしない
セレブのInstagram投稿などで、画像や評判が無限に広がる
三浦さんは、アパレルでは時々見られるこの手法を、コンサル出身の経営者が農業、しかもイチゴで実現したことを「革命」だと評価しています。古賀さん自身は、ブランディングを物を売るための手段とは考えていないと話します。
古賀さんによると、Oishii Farmではどの経営指標よりも先に「自分たちのブランドを毀損しないか」が前提にあり、その上に売上目標などが置かれています。この考え方は創業初日から続けてきたものだといいます。
ホールフーズに並べることは創業時から決めていた
Oishii Farmは事業が広がった次のフェーズで、高級スーパーでの販売を始めます。一般のスーパーで扱ってもらうには、価格を1パック10〜20ドルまで下げる必要がありました。
最初のプロトタイプの工場では、20ドルで売れば大赤字でした。古賀さんたちは投資と研究開発を進め、10〜20ドルで売っても利益が出るところまで技術が進んだ段階で、ようやくホールフーズ ── アメリカの高級スーパーマーケットチェーン。オーガニック食品や自然食品の品ぞろえで知られ、全米に店舗を展開していますでの販売を始めました。創業から4〜5年目ごろだったといいます。
古賀さんは、小売りで売るならホールフーズと起業時から決めていました。全国展開するチェーンのなかで一番の高級スーパーがホールフーズであり、そこに入れば、ウォルマートやクローガーなどの下の価格帯のスーパーが廉価版を待ち構えるようになるからです。
五年後にこれがみんなの近くのホールフーズに並ぶからなっていう約束をして、それでそこからそこ目掛けてずっとやってたんで。
この約束は、ミシュランのレストランに初めて卸した直後、社員がまだ20人ほどだったころの全社会議で交わされたものです。古賀さんは、ホールフーズの棚に並んだときが、三つ星レストランに販売したときの次ぐらいに嬉しかったと話しています。
Oishii Farmの価格と販路の変化をたどると、技術の進歩に合わせて段階的に一般へ近づいてきたことがわかります。
日本でもゼロからブランドを作り直す決断
三浦さんは、最近で一番ドキドキしながらも貫いた意思決定を尋ねます。古賀さんが挙げたのは、Oishii Farmの日本ローンチでの販売方針でした。
アメリカでの創業期と違い、日本では最初からある程度の量を作り、一気にスーパーへ卸すこともできます。アメリカ本社には「やり方がわかったのだから日本でもどんどん売ればいい」と言う人もいる中で、古賀さんは売上を先行指標にせず、日本でもゼロからブランドを作る道を選びました。
お金を払ってでもうちのことを宣伝してあげたいよっていうファンをきちんと作っていくか、そこにきちんと時間をかけていくかっていう、ここは結構なかなか説得するのが大変な作業。
古賀さんは、アメリカでの初期の手法は戦略というより、お金がなかったからそうするしかなかったものだと振り返ります。例えばオンラインの事前予約販売では、マンハッタンのワールドトレードセンター駅に夜6時に来た人にだけ受け渡していました。
ワールドトレードセンター駅で受け渡していた理由は、マンハッタンに住んでいた唯一のインターン生が、仕事帰りに6時ごろその駅を通るからというものでした。マーケティングとして狙ったわけではなかったといいます。
今のOishii Farmは、やろうと思えば多くの手段を取れます。それでも古賀さんは、お金をかけるのではなく、本当に刺さる人に刺さる方法で進めたいと考えています。日本では一般販売の前に、Oishii Farmのイチゴの価値をわかってくれるシェフたちへ届けるところから、草の根でブランドを作り始めています。
美味しいイチゴがあふれる日本で、どう戦うのか?
三浦さんは、日本ならではの難しさを指摘します。アメリカには高いものにお金を払う文化があり、美味しいイチゴも他にありませんでした。一方の日本には、古賀さんがアメリカのシェフに食べさせたあまおうのような、既に美味しいイチゴがたくさんあります。
古賀さんが挙げた日本での勝ち筋の1つ目は、価格と品質です。10年近くの技術革新によって、例えば5000円で売られているイチゴと同等のものを1500円で売れるところまで来たといいます。
勝ち筋の2つ目は、季節です。古賀さんによると、日本のイチゴは12月から3、4月ごろしか作れず、残りの約8か月はイチゴが好きな人がいても供給できない状態になっています。
12月から3、4月ごろまでしか作れず、残りの約8か月は手に入らない
室内で一年中、旬と同じ品質のものを供給できる
欲しいのに、どんなにお金を出しても手に入らないプロダクトって、もう農作物ぐらいしかやっぱないんですよ。
古賀さんは、旬ではない時期のイチゴ市場を数千億円規模のブルーオーシャン ── 競合がいない、または少ない未開拓の市場のこと。競争の激しい既存市場を指す「レッドオーシャン」と対比して使われる経営用語ですと見ています。そこに供給できるのは今のところOishii Farmしかいないため、大きなチャンスがあると考えているそうです。
日本で食べられるのはいつ?イチゴから始まる世界一のブランド構想
日本でOishii Farmのイチゴを食べられる場所について、古賀さんは現時点で3つのレストランを挙げました。シェカルバート、銀座の篠原、クローニーで、いずれもデザートとして提供されています。
日本ではまだOishii Farmのイチゴを直接買うことはできません。ただし年内には、オンラインで事前予約し、麻布台ヒルズで受け取る限定的な販売を始める予定だといいます。来年中には生産量を増やし、一部のスーパーで一般の人が買えるようにしたいと古賀さんは話しています。
最後に三浦さんは、Oishii Farmをどう世界一のブランドに育てるかを尋ねました。古賀さんの答えは、イチゴを「一丁目一番地」として世界で確立し、そのブランドの力でほかの作物へ広げていくというものです。
三浦さんは、この構想を「最初は大事にしなかったレタスまでブランドにする」ものだとまとめ、トマトもとても美味しかったと付け加えました。古賀さんは、日本でも研究センターと生産拠点を構え、事業を急速に広げるため全方位で採用を進めていると話しています。
一個の事業を本気でやりたいんだったら、おいしいファーム(Oishii Farm)もめっちゃいいから、どっちか気に入った方に入んなよって紹介したもんね。
まとめ
Oishii Farmの古賀大貴さんは、植物工場が抱えていた受粉の壁を技術で越えたうえで、ブランドを作ること自体を30年後の生存戦略と位置づけてきました。デパ地下のイチゴを持ち込んだ飛び込み営業、1パック50ドルの値付け、一般販売をしない判断、そして日本でのゼロからのブランドづくりまで、一貫して売上よりブランドを優先する姿勢が語られた回です。
- 植物工場は受粉の問題からレタスしか作れず、20年近く儲からない産業とされてきたが、Oishii Farmは工場内で蜂を飛ばすことに成功した
- イチゴを選んだのは、プレミアム化しやすく、参入障壁があり、何よりブランドを作れる作物だったから
- 1パック50ドルは、ブランドを作りつつ一般の人の反感を買わないぎりぎりのラインとして選ばれた
- モノの流通を絞り情報の流通を広げたことで、セレブが自ら宣伝する状態が生まれた
- 日本でも売上を先行指標にせず、シェフを起点に草の根でブランドを作り直している







