有楽町駅前の1万平米は、なぜ「公園」になるのか
三菱地所が東京・有楽町駅前に2027年開業予定で進めているのが、YURAKUCHO PARKです。建て替えまでの数年間、本来なら空白になるはずだった約1万平方メートルの土地を、国内外の多様なカルチャーを世界へ発信する場所に変えるプロジェクトです。
パートナーは、NOT A HOTELから社名を変えたNOTA株式会社です。ファレル・ウィリアムス、NIGOさん、KAWSといった世界的なカルチャーの担い手を巻き込んで進められています。
牧野さんの役職は「主事」で、このプロジェクトでは現場の主体として進める立場にあります。牧野さんの説明では、三菱地所がYURAKUCHO PARKというプラットフォームを作り、そこにNOTAが新プロジェクト「ジャパンバレー東京ジャパンバレー東京」をコンテンツとして入れ、企画から運営までを一緒に担う形です。
ざっくり100メートル掛ける100メートル、結構大きい土地。
この土地には、1966年と1967年にできた有楽町ビルと新有楽町ビルが建っていました。牧野さんによると、三菱地所は丸の内を中心に約120ヘクタールの街を捉えており、北側の東京駅周辺と南側の有楽町を「両翼」として機能更新している最中です。
牧野さんが挙げた有楽町の課題は、駅の西口に広場がないことです。西口は駅を出るとすぐ横断歩道とビルで、三菱地所が街づくりで大事にしてきた滞留空間がありません。
さらに牧野さんは、有楽町は便利で歴史も積み重なった街なのに、「有楽町に遊びに行こう」という声をあまり聞かないと話します。三浦さんも、有楽町で待ち合わせたことはないかもしれないと応じています。
どうせ建て替えるのであれば、一度壊して平らになる時というのがありますので、その時に街の課題も一緒に一度解いてみようみたいな。
建物を壊して平らになる時間を、街のシンボルとなる広場を試しに作る機会にする。それがYURAKUCHO PARKの出発点だといいます。
いずれなくなる場所に、なぜ本気で投資するのか
三浦さんが面白いと感じたのは、都心一等地の約1万平方メートルを数年間の暫定利用で本格的に使い、将来の街づくりの実験にするという考え方です。牧野さんも、駅の目の前でこの規模の暫定利用は聞いたことがないと話します。
いずれなくなる場所に大きく投資することについて、牧野さんは、暫定だからと手を抜けば未来は良くは変わらないと答えます。どうせやるなら本気でやるという姿勢は、三菱地所もNOTAも同じだったといいます。
未来は変わらない、もしくは良くは変わらない
有楽町の未来を変える都市空間をめざす
三浦さんは、NOTAの濱浦社長ともよく話すという持論を重ねました。
やり直しが必要になったりとか、結局お金払ったのに誰の記憶にも残らなかったりするんで、やる時は一気にドーンって張らないとやった意味がないことになりがちですもんね。
建築面の工夫も、暫定利用ならではです。牧野さんによると、数年後になくなるとわかっているため、建物を最初から運べるように設計しています。解体したビルの地下躯体は残したまま蓋をし、その上に人工地盤 ── 建物や構造物の上に人工的に造った地面。下の構造を残したまま、上に広場や建物を設けられますを敷いています。
また、防火地域 ── 火災の延焼を防ぐため、建物の構造に厳しい制限がかかる都市計画上の地域。都心部の多くが指定されていますである都心で、この規模の低層木造建築をいくつも建てる例はあまりなく、設計と施工のメンバーが相当工夫したと牧野さんは話します。
三浦さんは、いつかなくなるとわかっていることが「行ってみたい」という気持ちを生み、ずっと残るものを作る会社というイメージに新しい風を吹かせていると感想を述べています。
三菱地所とNOTAは、どこで握手できたのか
NOTAとの協業は、牧野さんがもともとNOT A HOTELに不動産として興味を持っていたところから始まりました。建築やクリエイティブが好きな牧野さんにとって、当時から注目の存在だったといいます。
たまたま全然違う件でお話しさせていただくことがあって、話してるうちにこのプロジェクトの話になって、そこからはもうあっという間に。
三浦さんは、図面の段階で物件を売り出すようなNOTAのスピード感と、日本の根幹を支える大企業である三菱地所の間に軋轢はなかったのかと尋ねます。牧野さんの答えは「あんまりなくて」というものでした。
もちろん会社の規模やルールが違うため、速度が完全に一緒だったわけではないと牧野さんは補足します。そのうえで社内で議論したのが、NOT A HOTELのミッションが「日本の価値を上げる」だったことです。
三菱地所は1890年に丸の内の土地を取得して以来、貸しオフィスを始め、1923年に丸ビルを作り、オフィスを街に開くなど、不動産を使って日本の価値を上げる挑戦を続けてきました。牧野さんは、その文脈がNOTAと少し似ていると考えています。
段階的に話していくうちとか、一緒に伴走していくうちに、どんどんプロジェクトの仲間が増えてきたかなって感覚はありますね。
牧野さんがNOT A HOTELを自腹で買った理由
三浦さんが「NOT A HOTEL、買っちゃったりするんですか」と聞くと、牧野さんは、すごく初期にギリギリ買える物件があったので購入したと明かします。
やっぱ興味持ったらまず自分で手に入れないと理解できないじゃないですか。
三浦さん自身も、ファミリーマートの仕事をするならファミリーマートのおむすびをたくさん食べるところから始めるといいます。経費では落ちない高価な物件を自腹で買ったと聞き、三浦さんは「こういうことよ」と反応しました。
全てのビジネスパーソンに自腹が大事だとかやっぱ伝えたくて。会社のお金で買うものと、自分の懐痛めて買うもので、やっぱリアリティが全然違うんで。
一緒に仕事をして感じたNOTAの一番のすごさを聞かれた牧野さんは、即座に「本気ですね」と答えています。クリエイティブや発信力の強さは外からもわかるものの、内側で感じたのは泥臭い本気さだったといいます。
自分があとちょっと努力すれば、きっと未来とかできるものは変わるって一人一人が本気で信じてると思うんですよ。
三浦さんは、濱浦社長がいまだにナイフとフォークまでチェックするという話を紹介します。牧野さんも、実際に物件を使ってサービスの居心地の良さを知っているからこそ、まだできていない次のプロジェクトを一緒にやっても大丈夫だと信頼できたと話しています。
課題が来る前に、答えをストックしておく
ここから三浦さんは、牧野さんがどう動いてプロジェクトを実現したのかを掘り下げます。三浦さんが指摘したのは、プロジェクトが来てから相手を探すのではなく、普段から気になるものを頭の中にコレクションしておくという点です。
牧野さんも、有楽町パークに限らず、事務所で目に入る植栽やアートでも、興味を持ったものはストックしているのだと思うと答えています。
課題が起きてから答えを探すんじゃもったいなくて。もう間に合わなくて。
三浦さんは、いつか出したい答えを先に持っておき、課題が来たときにアジャストさせる思考法が大事だとまとめます。そのうえで、出会う、自腹を切るの次にどう動いたかを尋ねました。
牧野さんの答えは「話す」です。プロジェクトを通すために必要な情報は整理するものの、それを超えた部分は言葉と信念しかないといいます。
話した相手は決裁者だけではありません。牧野さんによると、三菱地所には若手でも1人でプロジェクトを進める人がいて、別のプロジェクトで街を作っているメンバーもたくさんいます。そうした人たちにも、三浦さんの想像以上に話したといいます。
大人数の会議と、全公開のチャットで速度を上げる
牧野さんが意外な工夫として挙げたのは、あえて大人数を一度に集めることです。1人ずつ順番に上へ上げたり、下へ落としたりしていては、いくら時間があっても間に合わないといいます。
大人数で同じ場所にいるから、角度が違えば彼ら同士でアジャストしていただけるとかもあるじゃないですか。
意見が出るたびに中を取る調整が必要で、時間がかかる
違う意見の持ち主同士がその場で調整でき、速く進む
もう一つの特徴が、テキストの徹底活用です。牧野さんのチームでは、Teamsなどのチャットのやり取りを、ほぼ全公開で行っているといいます。
牧野さんによると、後から「先に言ってよ」となるのは、情報を知らないことが原因です。全部読んでもらえるとは思っていなくても、良いことも悪いことも誰でもアクセスできる場所に置いておくことが、今の時代にスピードを上げるコツだと考えています。
全部読んでなくても、今AIが拾ってくれるんで、そこに投げ込んどけば、AIで後から全部紹介したりとか、時系列で分析したりもできますよね。
牧野さんは、どんな小さな会話も言葉だけで終わらせず、必ずテキストで備忘を残し、チームにもそれをお願いしているといいます。テキストの蓄積を強く意識していることが、プロジェクトの速さを支えているようです。
有楽町を「通り過ぎる街」から目的地へ
YURAKUCHO PARKで体験できる内容の詳細は、最終の詰めをしている段階で、時が来たらNOTAと一緒に発表するとのことです。
現時点で話されたのは、ある程度の時間は誰でも入れる自由な公共空間にすることです。大きなビルが多いエリアに、高さ5メートルほどの木造の建物を十数棟建て、物販やカルチャーを楽しめる公園にする予定だといいます。
来てほしい人について、牧野さんは特定の層を挙げませんでした。有楽町に初めて来る人には、丸の内まで足を延ばして楽しい街だと感じてほしい。ずっとこの街で働き、遊んできた人には、有楽町の未来にワクワクしてほしいと話します。
今働き方とかもきっと変わってるので、どの時間どの顔の時に来ても有楽町楽しいなと思っていただいたら嬉しいですね。
YURAKUCHO PARKは期間が過ぎればなくなります。その先について牧野さんは、この期間に有楽町の認知と「有楽町が好き」をたくさん貯めたいと語りました。
将来は有楽町行こうよって普通に言われる街になってるといいなって思いますね。
三浦さんはこれを、通り過ぎる街から目的地になる場所への変化だと言い換えます。牧野さんも、交通の結節点である有楽町にはそのポテンシャルがあると考えています。
まとめ
YURAKUCHO PARKは、建て替えまでの空白期間を、有楽町の課題を試しに解く実験の場に変えるプロジェクトです。その裏には、暫定でも本気で投資する姿勢と、牧野さんの「出会う・自腹を切る・話す」という仕事の進め方がありました。
- 有楽町駅西口に広場がない課題を、解体後の更地を期間限定の公園にすることで解こうとしている
- いずれなくなる場所だからこそ手を抜かず、運べる建築など暫定利用ならではの工夫を重ねている
- NOTAとは「日本の価値を上げる」という共通の文脈で手を組んだ
- 興味を持ったものを日頃からストックし、自腹で体験し、言葉で仲間を増やすことが前例のない仕事を動かす
- 大人数の会議と全公開のテキストコミュニケーションが、大企業でのスピードを支えている






