なぜ人事図書館の館長になったのか
今回のゲストは、人事図書館の館長を務める吉田洋介さんです。パーソナリティの小橋正樹さんとは、2023年秋に吉田さんが人事図書館を立ち上げるタイミングからの付き合いだといいます。
人事図書館は、産業保健も含めた人事関連の本がたくさんそろっている場所です。ただ、小橋さんが何より価値を感じているのは、人事に関わるメンバーの生の声を聞けて、自分の意見も安心して言える環境だといいます。
人と組織の学びが大好きすぎて、新卒でリクルートマネジメントソリューションズに入りました。今は人事図書館で、学びを深める場でありながら仲間ができる場を運営しています。
吉田さんが卒業したのは立命館大学大学院の政策科学研究科。いろいろな分野を横断する学部で、同じ研究室に音楽を研究する人、美術館を研究する人、そして若手の離職を研究する吉田さんが並んでいたそうです。
大学教授だらけの家で育った少年時代
吉田さんの生まれは北海道。隣にはおじいちゃんおばあちゃんが住んでいて、そのおじいちゃんは大学教授。親戚には大学教授が3、4人、公務員や官僚も多い、とてもアカデミックな家庭だったといいます。
僕の知ってる限り、周りで民間で就職したのは僕が初めてじゃないかなっていうくらいなんですよね。
研究が楽しくてしょうがないという大人たちを見て育った吉田さんは、大人になればなるほど楽しいことがあるというイメージを小さい頃から持っていたそうです。
一方で、忘れられない光景もありました。おじいちゃんが家で楽しそうに研究の話をしても、お母さんやおばあちゃんは「また始まった」と飽きた反応をする。その様子が、吉田さんにはとても嫌だったといいます。
一生懸命に楽しそうにしてる人にしっかり応えたいみたいな思いがあって、僕だけは絶対おじいちゃんの話を聞き続けよう、みたいな。
この体験が、吉田さんの原点になっているといいます。一生懸命やっている人が無視されたり、周りの面倒くさそうな反応で楽しさが消えてしまったりする姿が、どうしても嫌だったのです。
家が傾くほどの本と、憧れの「図書館」
アカデミックな家庭で育った吉田さんの身の回りには、本が大量にありました。隣のおじいちゃんの家は書斎のような状態で、本の重さで家が傾いていたといいます。
2階に本がありすぎて、この家が建ってから襖が1回も閉まったことがない、歪みすぎて閉まらない襖があるくらいでした。
本に囲まれた生活に憧れていた吉田さんにとって、図書館という概念は憧れの一つでした。これが後の人事図書館にもつながっていきます。
おじいちゃんは学術書ばかり読んでいて、吉田さんが小学1年生のときにくれた本は、おじいちゃん自身が書いた量子力学の本だったそう。「輝かしい君の未来に期待して」と書かれていたものの、いまだに読破はしていないと笑います。
一方の吉田さん本人は、漫画が大好き。小学生の頃は月曜にジャンプ、水曜にマガジンやサンデーを買う生活を続けていて、電子書籍の漫画だけでもかなりの数を読んでいるといいます。
バンド活動で気づいた「うまくいくチーム」の法則
吉田さんが人や組織に興味を持ったきっかけは、大学の軽音楽サークルでした。同時に何個ものバンドを掛け持ちし、卒業までにかなりの数のバンドを経験したそうです。
上手い人だけ集まってもうまくいかないこともあるし、下手な人ばっかり集まってもうまくいくこともあって、これ面白いなと思ったんですよね。
どうやったらうまくいくのかを知りたくて本を読むうちに、いつの間にか経営学や組織論に入り込んでいきました。その知見をバンドで試すと、活動がうまく回るようになったといいます。
バンドってプロジェクトチームみたいなものなんですよね。こういうチームはうまくいく、いかない、それはなぜかを、肌感として言語化できるようになっていきました。
吉田さんの担当はベース。ボーカルやギターが目立ちがちですが、組織を支えるのはベースやドラムだ、という小橋さんの見立てに、吉田さんも思い当たる様子でした。
好きな子に振られて練習に来なくなったギタリスト
バンド活動では、組織の課題がそのまま見える出来事もありました。学園祭に出ようとみんなで練習していたのに、ある日ギターの人が急にやる気をなくし、練習にも連絡にも来なくなったのです。
ようやく捕まえて理由を聞くと、その人は学園祭のコンサートがしたかったのではなく、そこで好きな子にこの曲を聞かせたかったのだといいます。ところが、先に振られてしまっていました。
振られてめっちゃダメージを受けてるから連絡もつかない、みたいな感じだったんですけど、こっちからしたら学園祭に出るって頑張ってたのに、理由違うんかい、みたいな。
この経験から吉田さんは、組織が目的にちゃんとコミットしているか、裏に別の思いがあるかで、うまくいくかどうかが変わると実感したといいます。
大事な局面で「実は違った」と露呈してしまう。だからこそ、ミッションやビジョンを定めることと、正直な理由を言える心理的安全性が大切なのだと肌で学んだそうです。
500社エントリーが当たり前? 3回経験した就活
就職活動で、吉田さんはなんと3回も就活を経験しました。卒業が2004年から2005年、さらに大学院進学で2007年へと、ゴールポストを動かし続けたためです。
2004年、5年の時ってエントリーを500社とか本当にやって、内定をようやく2つ3つ取るみたいなのが、よく聞く話としてあったんですよね。
ところが2007年になると状況は一変。エントリーは20、30社でよく、その中で2、3社の内定が取れるという感覚だったといいます。年単位で就活のトレンドが大きく変わることを、吉田さんは身をもって体験しました。
この頃はキャリア教育が始まり、自己分析をしっかりやろうという流れが出てきた時期でもありました。ただ受けるだけでなく、自分がどうありたいかを考えられるようになった最初の頃だったと吉田さんは振り返ります。
24時間、人と組織を考えていい会社を選んだ理由
3回の就活で経験を積んでいた吉田さんは、最後の2007年には受けたい企業がかなり固まっていました。最終的に5社受けて3社から内定を得ています。
内定先はベンチャーリンク、キーエンス、そしてリクルートマネジメントソリューションズと、毛色がまったく違う3社でした。人が元気に働くにはどうすればいいか、という興味で選んだそうです。
リクルートマネジメントソリューションズは、24時間、人と組織のことを考えてOKっていう仕事だなと思って。人と組織のテーマが好きなので、そこがすごくいいなと。
大学時代から人と組織の学びを追いかけてきた吉田さんにとって、その興味に24時間向き合える環境が、決め手になりました。
採用、研修、上海、九州支社長へ広がった14年
入社後の吉田さんのキャリアは、営業を軸に大きく広がっていきました。最初は学生に一番近いという理由で、採用領域の営業やコンサルティングを扱う部署に配属されます。
その後は東京で研修や人事制度、サーベイやアセスメントを扱う部署へ。さらに中国・上海で市場開拓を担い、拠点がないところから2、3ヶ月で500社にアタックするような日々を送りました。
その後は福岡に移り、九州支社長として山口から沖縄までを担当。最後の1年は公開型講座の事業責任者を務め、合計14年を過ごしました。
北海道出身の人なんで、どこに動かしてもいいだろう、こいつは、みたいな感じで、多分ひょいひょい動かしたんだと思います。
リクルートといえば「お前は何がしたいのか」を問う社風が知られています。吉田さんはこれを嫌な言葉とは受け止めておらず、自分が何をしたいのかを常に考えられたことを、むしろありがたかったと話します。
楽しすぎて辞め時がない。それでも40歳前に独立を決めた
14年間、吉田さんはずっと仕事が楽しかったといいます。やりたいと手を挙げればほとんど通してくれる会社で、辞めるきっかけがまったくなかったのです。
やりたいことがあったらどんどん叶えられるっていうのを繰り返しているので、辞め時がないんですよね。
それでも吉田さんには、1社だけで終わる人生は嫌だ、という思いがありました。働き方が多様化する話をお客様にしながら、自分は1社しか知らないことが引っかかっていたのです。
辞めるきっかけはないから、自分が40歳になる前に辞めようっていうことだけを決めて辞めました。
辞めること自体が目標だったため、独立した瞬間にその目標は達成されました。大きな志があったわけではなく、「これで1社で終わる人生じゃなくなった」という満足からのスタートだったと吉田さんは振り返ります。
旗を立てたい。何でもできる人がぶつかった壁
独立から人事図書館ができるまでには、およそ3年の期間がありました。家族からは会社員時代より月収を落とさないでと言われていたため、目の前の仕事はこなしていたといいます。
ただ、自分がどこに向かいたいのかという迷いは消えませんでした。周りを見ると、人事制度ならこの人、コーチングならこの人、と「旗」が立っている人たちがいたのです。
一方の吉田さんは、ずっと営業をやってきたため、何でもできてしまう分だけ、逆に何を頼めばいいかが相手に伝わりにくい状態でした。
何でもできますって、一番ピンとこないんですよね、相手からすると。何の時にお願いしたらいいかわからない。
だからこそ、旗を立てたい。でもフラットになりすぎている自分を、どう尖らせていくか。それにもがいていたのが、この3年間だったといいます。
13個目に生まれた人事図書館と、12個の失敗
人事図書館は、実は13個目のアイデアでした。それまでに12個の挑戦があり、いずれも失敗に終わっていたといいます。
たとえば大好きな適性検査を使い、採用のミスマッチを減らす支援をしたところ、とても喜ばれました。ですが、教えたそばからお客様ができるようになってしまい、継続的なお金にはつながりませんでした。
マネジメントの底上げを目指してプログラムを作ったこともありますが、後から自分たちより良いプログラムを見つけると「ここは自分がやらなくていい」と思ってしまったそうです。
人事の人たちが集まれる場所を作ろうと、レンタルスペースを借りたこともありました。ですが、イベントを数回開くうちに、その場所でやる必然性がないことに気づいて失敗を悟ります。
そこじゃなくても別に集まれるし、会場はいくらでも借りられるし、わざわざそこに行く理由もないしな、あ、失敗したな、みたいな。
こうした失敗を全部繰り返した末に、たまたま13個目として出てきたのが、人事図書館という考えだったのです。
当たるまでやる。旗を立てたいという不安の正体
もし13個目もうまくいかなければどうしていたのか。吉田さんの答えは明快で、当たるまでやるしかない、というものでした。
十二個目までも、一個一個、これで俺は旗を立てるんだって本気で思ってやってきてるんですよね。
人事図書館も同じ本気で立ち上げたもので、もしダメなら同じ熱量で14個目、15個目と探していただろう、と吉田さんは話します。
その原動力は、純粋に旗を立てたいという思い、そしてその裏にある不安でした。一度辞めた以上、この先20年、30年と続けていく中で、自分がどうなるのかが怖かったのです。
60とか70歳になったおじいちゃんに、わざわざ話を聞きたいってなる人たちが、どんだけいるのかなって思うわけですよ。
どこかで飽きられ、役に立てない人になってしまうのではないか。そんな恐怖感が、吉田さんを突き動かしていたといいます。
その話を聞いた小橋さんは、量子力学の本をくれたおじいちゃんを思い出します。吉田さんによれば、そのおじいちゃんは年を取って引退してもなお、大好きなことをやりながらお金をもらえる幸せな仕事につけたと語っていたそうです。
まとめ
今回は、人事図書館館長の吉田洋介さんに、その原点をたどってもらいました。アカデミックな家庭での原体験から、バンド活動、リクルート時代、そして12個の失敗を経てたどり着いた人事図書館まで、一貫して流れているのは「誰も犠牲にならない組織を作りたい」という思いでした。
- 吉田さんの原点は、一生懸命な人が報われる場を作りたいという幼少期の原体験にある
- バンド活動を通じて、目的へのコミットや心理的安全性がチームの成否を分けると肌で学んだ
- リクルートで14年働いた後、1社で終わる人生は嫌だという思いから40歳前に独立を決めた
- 人事図書館は13個目のアイデアで、それまで12個の挑戦と失敗を重ねてきた
- 当たるまでやるという姿勢の裏には、旗を立てたい、役に立ち続けたいという不安があった




