そもそも「法的思考」って何なのか
今回はより実務的な内容として、労働事件の全体像がテーマです。井山さんはまず、その土台になる「法的思考」について説明します。
法律は「こういう時にこういう効果が発生する」という要件効果の形になっている、と井山さんは言います。ルールに事実を当てはめて結論を出す、この三段論法が法的思考の基本だそうです。
ただ、条文をそのまま読んでも中身がわからないことは多いようです。例えば解雇のルールには「解雇権を濫用してはいけない」程度しか書かれていません。
合理性とか相当性とか書いてあって、じゃあ合理性とか相当性って何なの?ってことは全く条文に書いてないみたいな。
そこで、なぜその条文ができたのか、過去の判例からどんな要素が抽出されているのかを読み解いて、何に事実を当てはめればいいかを考えていく。これが現場の法的思考だと井山さんは話します。
弁護士の仕事は、良くも悪くもトラブルになった時のことを考える仕事だと井山さんは言います。すでに揉めている時は見通しを立てて依頼者に有利に動き、揉める前なら「ここがポイントになる」という点に先回りして準備する。予防の場面ではそういう頭の使い方になるそうです。
労働事件は「任意交渉→労働審判→訴訟」の三点セット
労働事件の全体像は、任意交渉、労働審判、通常訴訟という三点セットになります。フルセットで争うと、そこに控訴審や最高裁まで加わることになると井山さんは説明します。
ただ、いきなり訴訟になるのは労働事件では珍しいそうです。多くはまず交渉から始まります。
残業代請求なら、労働者側の弁護士から「タイムカードや就業規則、賃金規定を開示しろ」という書面が初手で届き、そこから計算して請求されるのが典型的な流れだといいます。
一方、解雇のケースは少し様子が違います。小橋さんは、ある日辞めたはずの社員の代理人からいきなり文書が届く、という周りの例を挙げます。
解雇されると賃金止まりますから、生活苦しくなりますから、やっぱすぐに弁護士相談行って、解雇ってやっぱ全然通らないんで、裁判所で。
解雇無効だろっていうので復職させろみたいな書面が弁護士から飛んでくる。
いきなり文書が来たら、まず何をすべきか
いきなり法的な文書が届くと、経営者はどうしても慌ててしまいます。ここで井山さんが挙げるポイントは、とにかくまず弁護士に相談することです。
自社に過去の経験やノウハウがあればいいものの、ほとんどの会社にはありません。だからまずは専門家に相談するのが一番安全だ、というのが井山さんの考えです。
顧問弁護士がいない場合でも、付き合いのある社労士や税理士に「知り合いの弁護士はいないか」と聞くと、意外と紹介してもらえるそうです。士業のコミュニティは狭く、横のつながりがあるからだといいます。
逆にやってはいけないのが、自分でパワープレイで対応してしまうこと。売り言葉に買い言葉で喧嘩腰の文書を返すと、それが決定的な証拠になってしまうことがあると井山さんは指摘します。
この喧嘩腰で送った文書がダメな決定的な証拠になってるんですけどみたいな。
初動から相談していれば初回の弁護士費用だけで終わることもあるのに、こじれてから来ると費用が跳ね上がる。井山さんはその落差を具体的な金額で語ります。
初めだったらこれ1日相談してくれれば3万円ぐらいで終わった事件なのに、もうちょっとここまでこじれにこじれたら、着手金でも最低100万円もらわないとみたいなとかで、もう10倍以上になっちゃってるじゃんみたいな。
だからこそ、早めの相談のほうがトータルの費用も時間もかからないことが、労働事件では意外に多いと井山さんは話します。
なぜ最近は交渉で終わることが増えたのか
最近は任意交渉の段階で終わるケースが増えているそうです。背景には、経営者側の労働知識の底上げがあると井山さんは見ています。
「解雇したら負けやすい」「管理監督者だと会社が負けやすい」といった結論を、なんとなく知っている経営者が増えました。その分、慎重に対応する会社が多くなり、相手方も簡単には詰めきれなくなったといいます。
さらに、弁護士同士は「訴訟になったらこうなる」という見通しで動いているため、双方の見立てが一致すれば交渉で決着しやすくなります。
1年かけて300万もらうんだったら、3ヶ月で300万もらった方が得なんですよ。
もう一つ大きいのが、判決まで行くと企業名が残るという問題です。井山さんは、労働事件はここが厄介だと言います。
勝っても負けても会社面で事件ってなるんですよね。
採用面などを考えると、勝っても無傷では済まない。だから会社としては判決を避けたいと考えるのは、非常に合理的だと井山さんは話します。
ちなみに労働審判は非公開で、通常訴訟でも判決までいかず途中で和解すれば公開されません。最後まで争って判決になると公開される、という違いがあります。
超スピード決着の「労働審判」とは
続いて、労働事件に特有の「労働審判」です。通常の裁判が1年から1年半かかるところ、これを原則3回以内にまとめる、超迅速な手続きとして売り出されていると井山さんは説明します。
実務上も1回か2回で終わり、東京地裁ではトータルの審理期間が3ヶ月かからないことが多いそうです。
ただ、迅速な分だけ会社側は大変です。申立書が出てから1ヶ月ほどで第1回期日が入り、その1週間から10日前には答弁書で反論を全部出さなければなりません。
普通だったら1年かけて各書面を1ヶ月で書いて出さなきゃいけないっていう、すごい会社側にはタイトな手続きなんですけど。
資料の整理や打ち合わせの負担も重く、弁護士から見ても会社にとってかなりの負担だといいます。しかも労働審判は、労働者側も会社側も当事者本人が同じ席に出席し、裁判官から直接質問される手続きです。
そのため、聞かれることへの想定質問の練習が必要になります。事務所で弁護士が裁判官役になり、本人を詰めていくロールプレイを2〜3回やるそうです。
本番では答えを見てもいいものの、印象が悪くなるといいます。台本を読んでいると「都合のいいエピソードを必死にしゃべっているな」と裁判官に思われてしまうからです。
担当者の営業担当者がずっとパワポ資料しか見てなかったら、やっぱ買わないじゃないですか。
ビジネスのコミュニケーションと同じで、目を見て臨機応変に答えるほうが説得力がある。だからこそロールプレイで練習する、というわけです。
通常訴訟の「序盤」──書面のラリーが半年以上
最後は通常訴訟です。ドラマでイメージするような法廷での手続きが法律上のデフォルトですが、今はTeamsでできるようになり、実際に出向くことは減ったと井山さんは言います。
流れとしては、訴える側(原告)が裁判所に訴状を出し、それが被告に送達されてスタートします。第1回期日は原告の都合だけで決められるため、会社側には無理な日や間に合わない提出期限になることも多いそうです。
そこで多いのが、第1回は「請求を棄却する」といった形式的な答弁書と認状だけを出し、期日を飛ばすやり方です。その後は弁論準備手続きに切り替えて、書面のやりとりが半年以上続きます。
進行は、訴状に対して答弁、それに反論、さらに再反論、というラリーです。大体1ヶ月に1回のペースで書面を出していきます。
裁判所には夏季休廷などで止まる期間もあり、書面のやりとりだけで半年以上かかることも。しかも、その間の裁判期日自体は5分ほどで終わってしまうといいます。
本番は一瞬で終わります。
期日では次の書面の担当と提出期限を確認するだけで、2〜3分で終わることもある。大変なのはその「間」の書面作成のほうだ、というのが井山さんの説明です。ここまでがまだ「序盤」だといいます。
和解を働きかける「中盤」──裁判官の人間力
中盤に入ると、双方の主張立証が出そろい、裁判官の中に「判決になったら多分こうなる」という見立てが生まれます。これを心証と呼びます。
心証を持つと、裁判官は判決前に和解を打診します。ここからは三者で顔を突き合わせるのではなく、裁判官と一方の代理人だけというクローズな形で調整するそうです。
判決は判決で500万になるけど、今だったらあっちを400万で説得できるよみたいな。
この和解のコーディネートこそ、民事の裁判官に一番求められる力だと井山さんは強調します。判決の上手さより、和解が上手いかどうかが大事だというのです。
下手な裁判官だと、依頼者を無駄に怒らせる言い方をしてしまうこともあるとか。逆に上手な裁判官が言うと、依頼者も「そこまで言うなら」と気持ちよくお金を払える。この上手い下手が如実に出るそうです。
コーディネートは一度では終わらず、「これで持ち帰ってください」というラリーを2〜3回繰り返します。これもTeamsで行われ、また1〜2ヶ月が過ぎていきます。
証人尋問という「終盤」と、ドラマとの違い
和解が無理となると、いよいよ証人尋問です。労働事件では尋問をほぼ必ずやるため、まず何を話すかを書面でまとめる必要があります。
当日は、自分の代理人が事案について聞く「主尋問」と、相手方の代理人が突っ込む「反対尋問」を受けます。主尋問は練習できますが、反対尋問は予想でしかなく、ぶっつけ本番の面があるそうです。
そこは結構こう、証人の方の、会社の方の力量も試されるという。
ここで小橋さんが話を向けたのが、ドラマとの違いです。井山さんによれば、リーガルハイのように長いセリフをまくし立てる場面は、現実にはあり得ないといいます。
端的な質問で一問一答で引き出していってくれってルールなんで、弁護士がパーって喋ったら代理人そういう手続きないんで、普通にめっちゃ怒られると思います。
理由は実務的です。裁判官はその場で全部メモできないため、後で録音を反訳した調書で確認します。長々と演説されるより、一問一答で短く端的なやりとりのほうが読みやすいからだと井山さんは説明します。
弁護士が長尺のセリフをまくし立て、その場で相手を追い詰める見せ場になる
端的な一問一答で引き出すのがルール。演説すると裁判官に怒られ、主張は書面で出すよう求められる
判決・控訴──「和解したい」のは裁判官も同じ
尋問が終わると手続きはほぼ終わり、残るは判決だけです。裁判官の中では8〜9割固まっているため、尋問後にもう一度和解を勧誘されることもあります。
判決になると、裁判官は結論やロジックは決まっていても、それを30〜40ページの文章にしていきます。証拠番号も打ち、公文書としての手続きも踏むため、尋問後2〜3ヶ月ほどかかるそうです。
この判決文はほぼ一からのオリジナルで、事案ごとにアレンジするため、裁判官にとって大きな負担になります。だからこそ、和解で終わらせたいのは裁判官の側にも共通する事情だといいます。
この大量の判決書くの自分の仕事増えるから、やっぱりこう、和解で終わると、和解だと本当にもうA4の1、2ページぐらいの書面で済むんで、労力すごい少ないんですよ。
判決が出た後には「控訴しますか」という選択があります。三審制のもと、不服がある側は2週間以内に控訴の意思決定をしなければなりません。
この2週間は非常に短いため、「認容額が100万円以下なら払う、100万円を超えるなら控訴する」といった線引きを、あらかじめ依頼者とすり合わせておくことが多いそうです。
なお、控訴しても理由がないと判断されれば、両者の控訴が棄却されて一審維持で終わることもあります。控訴すれば必ず争えるわけではない、という点も押さえておきたいところです。
思い入れのある一件──試し勤務を拒否した復職事案
最後に、井山さんが思い入れのあるケースを語りました。適応障害などで休職していた社員が復職できるかどうかが争われた、判決の出ている事案です。
主治医は復職可能と判断し、専門医も「配慮すればいけそう」との見立てでした。ただ長期の休職でメンタルの問題でもあったため、産業医から休職期間中の試し勤務が提案されたそうです。
ところが本人が、その試し勤務を拒否しました。慣らしはやだ、いきなり100パーセントで働きたい、という主張です。
これが実は先例のない論点でした。似た早稲田大学事件は脳疾患による発語障害のケースで、メンタルでの試し勤務拒否がどうなるかを扱った例はなかったといいます。
井山さんはこの案件に、交渉前の予防から交渉、訴訟、判決までフルセットで関わり、すべて勝訴しました。勝てた理由は、多くの人との連携にあったと振り返ります。
産業医に「どんな情報を主治医から取れば判断しやすいか」「試し勤務の意見は出せるものか」を確認し、復職後にどこまでやらせて大丈夫かも調整した。会社も労働者を粘り強く面倒見てくれたといいます。
まとめ
労働事件は、任意交渉から労働審判、訴訟、控訴審までが一連の流れとしてつながっています。使用者側弁護士の井山さんが繰り返し語ったのは、こじれる前に早く相談することの大切さと、判決を避けて和解で終わらせることの合理性でした。
- 労働事件は「任意交渉→労働審判→通常訴訟(→控訴審)」が基本の流れで、いきなり訴訟は珍しい
- いきなり文書が来たら自分でパワープレイせず、まず弁護士に相談するのが費用も時間も一番かからない
- 判決まで行くと企業名が残るため、会社側は交渉や和解で終わらせるほうが合理的
- 労働審判は原則3回以内の超迅速手続きで、当事者本人の尋問対策のロールプレイも必要
- 和解のコーディネートは裁判官に最も求められる力で、判決の負担が大きい分、裁判官も和解を望む



