トリプルライセンスって、どれくらい珍しい?
今回のゲストは、株式会社コンダクト代表の植西祐介さんです。植西さんは公認会計士・税理士・社会保険労務士という3つの資格を持つ、いわゆるトリプルライセンスの保有者です。
植西さんが代表を務めるコンダクトは、税理士法人・社会保険労務士法人・株式会社の3つからなるコンダクトグループとして経営されています。仕事としては経営コンサルティングと、税理士・会計士の仕事、社労士の仕事を手がけています。
植西さん自身は、専門士業としての仕事に加えて、経営管理やコーポレートバックオフィスを長く経験してきた経歴を持っています。
小橋さんが「トリプルライセンスって珍しいのでは」と尋ねると、植西さんは、そんなにいるわけではないと答えます。
だから、お金と人回りが結構強い人間といいますか。
最強じゃないですか。
バックオフィスの中に人事労務があり、人事労務の中に産業保健がある。そう考えると、バックオフィスや経営に一貫して関わってきた植西さんから学べることは多い、というのが小橋さんの狙いです。
目立つのが嫌いだった、川越育ちの少年時代
植西さんの出身は埼玉県川越市です。今でこそ「小江戸」として観光地になっていますが、植西さんが子どもの頃はまだかなりの田舎だったといいます。
大学は国立の一橋大学商学部に進みます。一橋大学はもともと商科大学として成り立った学校で、テーマは「キャプテンオブインダストリー」、つまり経済界の人材を育てる学校でした。
植西さんが商学部を目指した理由は、商学部あるあるだといいます。「経営ってかっこよさそう」というイメージからでした。
一方で、科目の得意・不得意も進路に関わっていたそうです。英語や言語が得意な人は法学部や社会学部へ進みますが、植西さんは数学など理数系が得意だったため、商学部と相性が良かったといいます。
大学時代は、本当に普通の大学生だったと振り返ります。学校の中でも一、二を争う大きなテニスサークルに入り、週5日練習する、ほぼ部活のような日々を送っていました。
ゼミは経営戦略と経営組織の分野で、一橋大学の王道といえるゼミでした。当時は公認会計士試験の勉強は全くしておらず、周りに受けている人がいるのを知っている程度だったといいます。
だから遊びほうけてたんですね。どっちかっていうと。
なぜ化学メーカーだったのか、縁の下の力持ちへの志向
大学卒業後、植西さんが新卒で入社したのは住友化学です。財閥系の大手化学メーカーでした。
化学メーカーを選んだ背景には、経営学の学びがあります。研究・開発・生産・営業がそろった「生産圏」を持つメーカーが、経営学のモデルケースとしてよく扱われ、ゼミのOBや先生の思考にもメーカーが色濃くあったといいます。
ただし、ものづくりの中でも化粧品やビール、食品といったBtoCの消費財メーカーのほうが、学生からの人気は高いのが実情です。植西さんはそちらを選びませんでした。
その理由は、植西さんの性格にあります。当時は目立つのが本当に苦手で、自己主張もなく、サークルでもリーダーではなくフォロワーとしてみんなと動くタイプだったといいます。
だからこそ植西さんは、素材・化学・鉄といった「川上」の産業を志向しました。目立たないけれど役に立つ、縁の下の力持ちのような領域に惹かれたのです。
そういう目立たないけど役に立つっていうようなところを志向して、化学メーカーを受けたんですよね。
新卒で任されたのは「使いっ走り」の仕事
住友化学で植西さんが配属されたのは、計画系の部署でした。約2兆円規模の会社で、6つほどの事業部カンパニーに分かれており、植西さんは液晶テレビやリチウムイオン電池、半導体といった先端材料を扱う部署の計画部門にいました。
仕事の位置づけとしては、バックオフィスというよりミドルオフィスに近い、その中間くらいだったといいます。
担当していたのは、管理会計やファイナンス、予算づくり、設備投資の経済性計算、グループ会社の調整、中長期計画づくりの手伝いなどです。
ただし、新卒1年目の若手に大それた仕事ができるわけもなく、実態は役員や社長に言われたことを言われるがままに処理する日々でした。ミーティングの調整やプロジェクトの事務局など、いわば何でも屋のような仕事です。
何て言うんですか、細使い的なことをひたすらやってたという感じですね。
学生の頃は、経営企画や管理企画と聞くとかっこよく映ります。けれども実態は全く違い、毎日エクセルとにらめっこし、稟議書の誤字脱字や改行を直し、上司のパワーポイント操作を代わりにやるような、地道な仕事の連続でした。
ほんと何でも屋ですね。
愛媛の工場で、初めて「経理」に触れる
入社から約3年後、植西さんはメーカーの転勤ローテーションで現場に出ます。行き先は愛媛県新居浜市の工場でした。住友系のマザープラントが集中する土地です。
新居浜が住友の地であることには、歴史的な経緯があります。愛媛の別子銅山で銅を掘って商売を起こしたのが住友の成り立ちで、その銅山から出る有害物質を化学肥料で無害化する事業として住友化学ができました。
愛媛では、いわゆる工場経理を担当しました。原価計算や棚卸資産・固定資産の管理、工場の補修や設備投資の経済性評価の手伝い、コスト合理化の事務局などです。
同じ数字を扱う仕事でも、本社の経営企画時代とは大きく違いました。植西さんによれば、経営企画では漠然とした数字の扱い方をしていたのに対し、工場では細かい実務に初めて触れることになります。
植西さんは、管理会計と財務会計の違いをこう説明します。予算や業績管理で会社が儲かっているかをざっくり知るのが管理会計で、仕訳を打ち、借方・貸方を帳簿に記す細かい実務が財務会計です。
経理ってこういうことやるんだ、会計ってこういうことなんだっていうのを初めて知って。
この工場での経験が、公認会計士試験の資格を取ろうというきっかけになったといいます。
「このままだとやばい」、田舎の工場での一念発起
公認会計士を目指した背景には、工場勤務ならではの環境もありました。植西さんいわく、田舎で遊ぶところが全然なかったのです。
新居浜は四国の真ん中あたりにあり、松山まで行くにも約60キロ。遊びに行くところといえばイオンくらいで、休日は四国各地を回るうちに、半年弱で行き飽きてしまったといいます。
このままだともうダメになるなって思って。
時間があったことも大きな要因でした。工場の出勤は朝7時40分ごろで、終わるのも夕方4時半前後と早く、寮も近い。2時間残業しても7時には帰れてしまい、寝るまでにやることがなかったのです。
そうした環境の中で、植西さんはちゃんと専門性をつけなければと一念発起します。経営企画も何でも屋だったこともあり、資格を取ろうと決めました。
その決め方も潔いものでした。どうせ取るなら一番難しいものにしようと考え、簿記や税理士ではなく公認会計士を選びます。当時のボーナス約60万円を全額、資格講座につぎ込みました。
もう背水の陣でやろうっていうのでやり出して。
さらに植西さんは、2年で受からなかったらやめると最初から決めていました。公認会計士試験は一次試験・二次試験で終わる短期決戦型で、多くが学生の受験者だからです。
働きながら2年弱で合格、社会人受験の壁とアドバンテージ
愛媛での勉強は、すべて通信講座で行いました。教室に通おうとすると松山や高松まで約100キロ、片道2時間ほどかかってしまうためです。
平日は帰宅後に4〜5時間、土日は必ず1日を勉強に充て、10時間以上を費やす生活でした。朝の半日ほどはリフレッシュの時間として残していたといいます。
その道のりは、決して楽ではありませんでした。当時の思いを尋ねられた植西さんは、率直に答えます。
もうつらいしかなかった。
植西さんは、成果がなかなか出てこないことがつらさの理由だったと振り返ります。それでも一次試験は幸運にも一発で合格します。当初は合格ラインに乗っていなかったものの、最後の追い込みでギリギリ滑り込んだといいます。
一次試験に受かったあたりから軌道に乗り、8ヶ月ほど後の8月にある論文式試験まで一気に突き進みました。合計で2年弱という、平均よりかなり短い期間での合格でした。
必要な勉強時間も抑えられたといいます。一般には3000〜5000時間必要とされますが、植西さんは社会人で時間が割けない中、おおよそ2000時間ほどだったそうです。
その背景には、社会人ならではのアドバンテージがありました。仕事で経営学や管理会計に触れていたため、経営理論や投資意思決定の内容が実務のイメージと結びつき、吸収が早かったのです。
植西さんは、事業会社でゼロから始めて合格した人は、当時の同年代ではほとんどいなかっただろうと語ります。監査法人で働きながら受かる人はいても、全く関係ない業界からの合格は超レアケースでした。
会社を驚かせた合格、そして監査法人へ
公認会計士試験に合格すると、植西さんは会社にそのことを伝えます。周囲の反応は、まさに驚きでした。働きながら、しかも本社の経理部門ではないところから会計士に受かった人が現れたのですから、無理もありません。
ビビりますよね。え、勉強してたの?みたいな。
会社を辞めるにあたっては、自分の事業部門はもちろん、本社の経理の担当者など、いろいろな人と面談したといいます。
植西さんは、住友化学に今でも恩義を感じており、退社後も飲んだり交流したりする仲だと話します。それでも、せっかく取得した資格を生かすため、次のキャリアへ進みました。
転職先は、4大監査法人の一つである新日本監査法人、現在のEY新日本でした。植西さんはここで監査経験を積むことになります。
まとめ
化学メーカーの計画部門で何でも屋として働き、愛媛の工場で初めて経理に触れたことが、植西さんが公認会計士を志すきっかけでした。遊ぶ場所も少ない田舎で「このままだとやばい」と一念発起し、働きながら2年弱で合格するまでの、キャリアの原点が語られた回です。
- 植西さんは公認会計士・税理士・社会保険労務士のトリプルライセンスを持つコンダクトグループ代表
- 目立つのが苦手で、川上の素材産業である住友化学の計画部門に新卒入社した
- 愛媛の工場で工場経理に触れ、財務会計の実務を初めて知ったことが会計士を目指すきっかけになった
- 遊ぶ場所のない田舎で時間ができ、「一番難しい資格を」と公認会計士に一念発起した
- 仕事で経営学や管理会計に触れていたアドバンテージを生かし、働きながら2年弱で合格、監査法人へ進んだ




