書きたいものが一致して生まれた「図解労務入門」
今回のゲストは、特定社会保険労務士でワーケーション社労士としても活動する岩田佑介さんです。テーマは、岩田さんが共著で執筆した書籍「図解労務入門」のエッセンスをたどることです。
この本ができたきっかけは、共通の知り合いである古茶さんが、坪谷さんと岩田さんをつないだことでした。初対面のオンラインミーティングで一気に話が盛り上がったといいます。
初対面で1時間のZOOMで(出版企画書を書くところまで)そこまで盛り上がったのが印象的でした。
坪谷さんの側は「次は労務を書きたい」という思いがあり、岩田さんも同じ時期に労務の考え方を記した本を書きたいと考えていました。書きたいものがぴったり一致して、執筆が決まったそうです。
岩田さんが本を書きたかった理由は、自身が労務担当者として未経験で働き始めたとき、こういう本が欲しかったからでした。
入門者の方がそもそも労務って何なの?みたいなところとか、労務の仕事ってどういうスタンスでやればいいのっていうところがなくて、当時困った覚えがあってですね。
執筆は3人で「バレーボール」のように進めたそうです。岩田さんが本文を書き、古茶さんが図解のドラフトを作り、最後に坪谷さんが図と本文を再編集して仕上げる、という流れでした。制作期間はおよそ1年です。
「労務」を漢字2文字に分けて定義してみた
labelとしてよく使われる「労務管理」に対して、「労務」単体の定義はしっくりくるものが意外となかった、と岩田さんは言います。学術論文や大学の先生にもあたったものの、納得できる定義が見つからなかったそうです。
そこで3人は、労務という漢字を2文字に分けてアプローチしました。「労」は何を指し、「務」は何を指すのかを考えたのです。
(労務は)企業と働く人が労働における義務を果たすことだというふうに定義をしました。
「労」は労働の労です。岩田さんは哲学者ハンナ・アーレントの考え方を手がかりに、この「労働」の部分にフォーカスを当てたと説明します。
生命を維持するために稼ぐ、産業的なものを生み出す営み
自然にないものを作り出す営み
コミュニケーション。当時のギリシャでいう政治など
この整理を、岩田さんは現場でも使うそうです。たとえば、やりがいを理由に長時間働きたいと訴える従業員がいたとき、こう説明すると納得してもらいやすいといいます。
どんな仕事にも労働っていうものは混ざってるよと。だから思いもよらないところで体をきつくしていったりとか、労働っていうのは基本でリスクが内在しているっていう考え方だと思いますので。
楽しいと思っている仕事でも、その一部にはつらい作業が混ざっていて、それが体を蝕むことがある。だからこそ労働基準法は、労働にまつわるリスクを抑えるために時間の上限を設けている、という説明です。
一方の「務」は、辞書では義務を指します。ただ、岩田さんは義務だけではないと考えました。労働に危険が内包されているからこそ、企業は安全配慮義務などを果たし、働く側も労働契約に基づいて義務を果たす。お互いに労働における義務を果たすこととして、労務の全体像を捉えようとしたのです。
人事と労務は「対立」ではなく、人事の中に労務がある
産業保健の現場でも、人事と労務の違いや関係性はよくぶつかる疑問だと小橋さんは言います。人事と労務は別物なのか、人事の中に労務が含まれるのか、そこが不明確なことも多いそうです。
岩田さんの答えはシンプルで、人事という大きな枠組みの中に労務が含まれるというものです。労務担当者が「私、人事じゃないんですけど大丈夫ですか」と言うことがあるものの、それは誤解だといいます。
いや、皆さん立派な人事ですよとよく言っていて。
岩田さんは、師匠でもある坪谷さんの言葉を借りて「人事」を定義します。人事とは「人を活かして事をなす」ことであり、それは人事担当者がやっても経営者がやっても、すべて人事だという考え方です。その中に採用や労務、人材マネジメントといった役割が入っている、という整理です。
この理解が広まると、労務が人事を敵視するような対立構造も減っていく、と2人は話します。そもそも同じ人事の中にいる、という認識が出発点になるわけです。
人事
人を活かして事をなすこと。担当者でも経営者でもやれば人事
採用・労務・人材マネジメント
人事の中で細分化された役割
労務は「平等なインフラ」、人材マネジメントは「差をつける」
小橋さんが特にわかりやすかったと挙げたのが、労務を「平等なインフラ」として捉える図です。働く人が仕事ができようができまいが、誰にでも等しく与えられるべき土台だ、という見方です。
これに対して人材マネジメントは、能力などに応じて公平に差をつけていく世界だと整理されます。岩田さんは、労務が1階部分の土台で、その上に人材マネジメントの2階が乗るとイメージしています。
働き方、福利厚生、労働時間など。みんなに平等に適用する。イメージは法の下の平等
誰を高く評価し、誰に高い賃金や賞与を与えるか。意識して偏らせて投資する
1階の基本的な部分は平等にルールを適用すべきで、意識して平等にしないと悪平等になってしまう、と岩田さんは言います。一方で2階部分は、能力の高低で差が出るのを企業の中でもきちんと実現しよう、という発想です。
「労務は守り」への違和感と、攻める労務の考え方
「人事は攻め、労務は守り」という言い方はよく耳にします。ただ岩田さんは、この表現にしっくり来ていないと率直に語ります。
これ私がしっくり来てないのは、何を攻めて何を守っているのかがよくわからなくて。
一般には、経営戦略を前に進めるのが人材マネジメント、トラブルで企業価値が毀損しないよう守るのが労務、と捉えられがちです。しかし岩田さんは、労務こそが経営戦略を前に進められると考えています。
理由は、労務が土台の1階部分だからです。基準を上げていくほど優秀な人が集まり、安心して働けるようになる。安心して働けるからこそ人はリスクを取るようになる、というロジックです。前回話したワーケーションや、フルフレックス・リモートを盛り込んだ就業規則づくりも、この「攻めの労務」にあたります。
さらに岩田さんは、守る力があるほど攻められると指摘します。労働法を無視した自由な働き方と、守るべきを守った上での創造的な働き方とでは、組織の足腰が違うというのです。
守るべきものをちゃんと守った上で創造性を持ってやってる組織って、やっぱり足腰が違うなっていう感じはすごくしますね。
だからこそ、人材マネジメント側と労務側は対立するのではなく、一緒に関わっていける方がいい、と小橋さんは受け止めます。育ってきた価値観の違いから対立しがちですが、「深いところで人事だ」という共通のバリューを持てば、向かう先は同じだと気づけるといいます。
岩田さんが坪谷さんの人事塾で労務コースを担当していると、人材マネジメントの人も労務の人も、最後は共感し合って卒業していくそうです。自社の労務担当者とランチに行って困りごとを聞き、深く共感したという声もあるといいます。
労務の役割は「オペレーション・ルール・ストラテジー」の3層
労務の仕事を「役割は何ですか」と聞くと、多くは給与計算や福利厚生、メンタルヘルス対応といった「機能」で返ってくる、と岩田さんは言います。そうではなく役割そのものを考えると、大きく3つに分けられるそうです。
この3つは、よくピラミッドで示され、ストラテジストが上、オペレーションが下っ端のように描かれがちです。しかしこの本では、あえてそうではないと言い切ります。強いて言えば、オペレーションエクセレンスが最も大事だという立場です。
本では3つを、上下のピラミッドではなく「年輪」のように描いています。オペレーションを中心に、その外側にルールマスター、さらにストラテジストが広がる。ルールマスターにはオペレーションが必要で、ストラテジストにはその両方が必要、という「超えて含む」構造です。
理由は、コアであるオペレーションを正確に理解していないと、ルールも作れず、ストラテジーを言っても現場感覚とずれてしまうからです。
自分の毎月の給与をミスられてるのに多様な働き方とか言われても、多分は?ってなると思うんですよね。
他分野出身の労務責任者は、まず「オペレーションをかじる」
現実の会社では、経理出身の管理部長が人事労務も見るなど、他分野の人が労務の責任者になるケースもあります。そのとき、労務のオペレーションの大変さがわからないという課題が起きがちです。
岩田さんによれば、3つの役割は1人が全部担う必要はなく、組織の中でカバーできていればいいそうです。ただ、経理出身の人が労務責任者になった場合、労務経験がなければストラテジストも本来は務まらないといいます。
そこでのおすすめが、全部でなくていいので一度オペレーションをやってみることです。
年末調整の時にちょっと労務担当者の年末調整を一軒二軒チェックがてらやってみるとか(で)だいぶ見えてくると思うんで。
体験してみて、はじめて想像力が働くというわけです。岩田さんは、外からヘッドハンティングされたCHROが、労務担当者との信頼を作れないまま新しい制度を打って崩壊する事例は世の中に多いと指摘します。
労務に興味を持たず「給与計算は適当にやっといて」という態度だと、労務担当者は自分の仕事をないがしろにされたと感じ、信頼関係ができません。だからこそ「チェックという位置づけでいいので、オペレーションを触りに行く」ことを勧めているそうです。
結局労務が最後動かないと人事制度を変えても給与変わらないんで、結構労務大事ですよね。
オペレーションを極めるのも立派なキャリア
岩田さんは、全員がストラテジストを目指すべきだとは一切言っていません。オペレーションエクセレンスの神様のようになるキャリアもある、という考えです。
たとえば、AIやシステムを使ってオペレーションをどう効率化するかを突き詰めるのも、オペレーションエクセレンスの範疇です。岩田さんは、成長には2つの方向があると整理します。一つは同じ役割を深めていく「深化」、もう一つは次の役割へ進む「進化」です。
ただ現実には、オペレーションよりルールマスター、ルールマスターよりストラテジストのほうが待遇や序列で上になりがちです。小橋さんは、産業保健でも「名プレーヤー、名監督にあらず」と同じで、極めたプレーヤーがきちんと評価される組織が望ましいと話します。
岩田さんは、オペレーションエクセレンスが「ただの事務」と誤解され、すぐアウトソースすればいいと扱われがちな点を課題に挙げます。意外とオペレーションが全てを決めていることも多い、という実感です。
君の仕事アウトソースすりゃいいよねって言われて気持ちいい人いますか?
岩田さんが強調するのは、相手の仕事に敬意を払うという、当たり前のことを労務にも適用することです。同時に、オペレーション側も自分たちを「ただの事務」と卑下せず、出している価値を言語化して経営や上司にPRしていくことが大事だと語ります。
まとめ
岩田佑介さんとの回では、「労務とは何か」を漢字の分解から問い直し、人事との関係、労務の役割まで一貫して整理されました。労務を守りだけの機能ではなく、土台を攻めていける仕事として捉え直す視点が印象的でした。
- 「図解労務入門」は、労務を「企業と働く人が労働における義務を果たすこと」と定義している
- 人事という大きな枠組みの中に、採用・労務・人材マネジメントが含まれる
- 労務は平等な「1階のインフラ」、人材マネジメントは差をつける「2階」という関係
- 土台を上げれば人が安心してリスクを取れるため、労務は「守り」だけでなく「攻め」にもなる
- 労務の役割はオペレーション・ルール・ストラテジーの3層で、コアであるオペレーションが最も大事



