労務の成果は「従業員体験」で測る
今回のエピソードは、社労士の岩田佑介さんをゲストに迎えた対談の最終回です。まず話題になったのは、会社や経営者を主語にしたとき、労務担当者には何が求められるのかという問いでした。
小橋さんは、労務の仕事は売上のように数字で対比しにくいと前置きしたうえで、労務のKGIやKPIとしてどんなものを置くのが一般的かを尋ねます。
これに対して岩田さんが挙げたのが、従業員体験(EX)という考え方でした。EX(Employee Experience) ── 従業員が入社から退職までに会社で得るあらゆる体験の総体。近年、人事・労務領域で重視されるようになった概念。
労務担当者の成果って何だ?って言うと、よくやりがちなのは給与のミス件とか、ハラスメントは何件以内とか。でも、それって皆さんがコントロールできるんでしたっけ?っていう話で。
岩田さんは、コントロールしづらい「ミスの件数」より、コントロールできる「従業員体験の質」を目標に置くほうがいいと話します。
労務を「会社のウェブデザイン」に例えると
では、具体的にどうやって従業員体験の質を上げるのか。岩田さんは、まず施策やアクション、体験の改善そのものをKPIにすればいいと語ります。
たとえばハラスメントを何件以内に抑えるという目標ではなく、ハラスメントが起きない土壌をどう作るか、入社時に嫌だった点をインタビューして改善するか、といった発想です。
ここで岩田さんが持ち出したのが、ウェブデザイナーの視点でした。
ここで何人流入してここで離脱しました。これって顧客体験が悪いから人がいなくなってるってことで。これを会社もウェブデザインだと捉えた時に、会社のインターフェイスが労務だとすると。
会社に入ってきた人が何を嫌だと感じたのか、どうすればスムーズに溶け込めたのか。その「ペイン(痛み)」を和らげていく発想は、ウェブデザイナーの仕事とまったく同じだと岩田さんは説明します。
給与ミスやハラスメントの件数を減らす。ただしコントロールしづらい
会社を「ウェブデザイン」と捉え、従業員が感じるペイン(痛み)を改善していく
いや、その視点はなかったです。非常に勉強になりました。マーケティング視点みたいな感じですよね。
労務は「人材戦略のラストワンマイル」
続いて話題になったのは、岩田さんが著書の中で使っている「労務は人材戦略のラストワンマイル」という言葉です。小橋さんは、この響きが強く残ったと語り、どういう意図で書いたのかを尋ねました。
岩田さんは、人事制度や評価制度をどんなに綺麗に描いても、最後は「その人にどう給与を払うか」「管理職がどうコミュニケーションするか」に行き着くと話します。
さらに岩田さんは、上司と部下の間で出てくる本音は本音ではないことも多く、それをどう引き出すかも労務の手腕だと語ります。双方向のコミュニケーションの最後に、労務が一枚挟まっているというイメージです。
産業保健も労務のパートナー
ここから話は、労務と産業保健の関係へと移ります。小橋さんは、上司と部下だけでは解決が難しいとき、産業保健職だけでなく労務担当者にも相談を勧めることがあると話しました。
これに岩田さんは、産業保健職も労務の中に入っている、つまりパートナーだと考えていると応じます。
もう労務の中にも皆さんのような産業保健職も入っていると私は思っていて。もうパートナーだと。
岩田さん自身、事業会社の人事だった頃から、何かあれば産業医の先生にすぐ相談していたそうです。個別の事案だけでなく、季節性の課題への先手にも産業医を頼っていたといいます。
5月になると離職が増えるよねみたいな。5月病リスクみたいなのがあったら、これ何かできることありますかねとかって産業医の先生に相談して。
コロナ禍で人事を担っていたときも、メンタル不調が増えることを見越して先手を打ちたいと相談したところ、産業医が個別面談を入れる制度づくりなどを戦略的に動いてくれたと振り返ります。
いや、大体なんかあの産業医のエピソードを聞くと、全然仕事してくれなかったっていうのが多かったりするので。
逆に(産業医が)いなかったら僕のメンタルやばかったんじゃないかなぐらい相談しましたね。
労務担当者はもっと産業医を頼っていい
岩田さんが産業保健周りの課題として挙げたのは、産業保健サイドではなく、労務担当者の側でした。自分のように気軽に産業医へ相談する労務担当者が、まだまだ少ないと感じているそうです。
もっと産業医の先生に頼ったらいいのになって、労務担当者の方を見てて思いますね。
では、労務担当者が相談しやすくなるために、産業保健側は何ができるのか。小橋さんの問いに、岩田さんは衛生委員会などを通じたコミュニケーションと、支援メニューの明示を挙げます。
遠慮せずこういうところは相談してくれていいんだよと。こういうところはむしろそれは社労士に聞いてねとかっていう風に分けてもらえると、より分かりやすいんじゃないかな。
小橋さんは、衛生委員会や職場巡視といった毎月の定型業務の中で普段からコミュニケーションを取っておくことで、不調者が出たときやコロナ禍のような非常事態のときに連携しやすくなるのではと応じます。
岩田さんは、産業医が毎年メンタル研修などを担当していると、従業員が顔を知っている状態になり、いざ面談となったときに受け入れてもらいやすいと語ります。
そこで初めましてだと結構やっぱ本人ハードルが高いみたいで、あの先生だよって言うと、ああ、あの先生なんですねって言って、面談に応じてくれたりとかする。
岩田さんは、個別の研修についても「自分でもできるけれど、後々のことを考えると産業医にお願いしたほうがいい」と労務担当者に伝えているそうです。産業医が従業員に顔を見せておくことの価値を、労務の立場から語りました。
AI時代のキーワードは「アンテナ」
話は、これからの労務担当者の在り方へと進みます。小橋さんは、生成AIやアウトソーシングなど労務の形態が多様化する中で、これからの時代に身につけておくべきスキルやスタンスを尋ねました。
岩田さんが挙げたキーワードは「アンテナ」です。実は「図解労務入門」の表紙にも、電波を受信するアンテナのデザインが意識的に入れられているそうです。
岩田さんによれば、AIはデータになっているものの加工は得意ですが、労務担当者が扱うのは、表情やコミュニケーションの状況など、綺麗なデータになっていない情報だといいます。
岩田さんは、このアンテナを従業員に対しては健康やコンプライアンスの観点で、経営陣に対しては経営戦略や人材戦略の観点で立てる必要があると整理します。両者を調整し、最適な道を導くのがこれからの労務担当者だと語りました。
コミュニケーションの質と量
従業員や経営陣との日々のやり取りを積み重ねる
知識の滋養
労働法や産業保健の知識を土台として身につける
アンテナが立つ
「うちは大丈夫だっけ?」と気づける状態になる
AIを活用して解決
データにならない情報を吸い上げ、AIで解を導く
岩田さんは、AIがもっともらしい誤りを出す「ハルシネーション」を見極める力も必要だと補足します。ハルシネーション ── AIが事実に基づかない、もっともらしい誤った情報を生成してしまう現象。
ドキュメンタリーで「人の人生」を知る
岩田さんは、アンテナの感度を高めるには、いろんな影響体験をすることも大切だと語ります。移動が難しくても、たくさんのドキュメンタリーを見ることを著書で勧めているそうです。
その理由は、人生のライフイベントは一人ですべて経験できないから。結婚、育児、出産、介護、病気など、人の人生の様々なケースをどれだけ知っているかが、支援の必要性に気づくアンテナにつながるといいます。
できれば越境していろんな人に会って、いろんなライフイベントを経験した人に話を聞く。それが難しければテレビでもいいので、ドキュメンタリーをたくさん見て、人の人生を知る。
小橋さんも、産業医として自分がすべての病気を経験するわけではないと語り、育児から介護まで人に関わる幅広い理解が必要だと共感を示しました。
労務は社会と政治のラストワンマイル
最後に小橋さんが、著書で特に思い入れのある部分を尋ねると、岩田さんは労務のキャリアの多様さと、手に職がつく仕事であることを語り始めます。もっと多くの人に労務へ誇りを持ってほしいという思いから、「労務を楽しくわかりやすく」というキーワードで活動しているそうです。
そして岩田さんは、労務は人材戦略のラストワンマイルであるだけでなく、社会や政治のラストワンマイルにもなっていると語ります。例に挙げたのが、男性の育休でした。
かつては「男性の育休なんて何それ」という空気だったのが、労務担当者が配偶者の妊娠・出産のたびに男性育休を案内し続けた結果、今では当たり前になってきたといいます。
岩田さんは、法律やルールがあっても、それを使い、履行する労務担当者がいなければ世の中は変わらないと語ります。一件一件の法改正への対応が、世の中を良くしているという成果を、統計上も実感していると話しました。
小橋さんも、ルールがあっても使われなければ意味がなく、たくさん使われるからこそ組織だけでなく社会への提言につながると受け止めます。労務が社会全体を変えられる仕事だという岩田さんのメッセージが、対談の核心となりました。
VOICYと人事力検定で「労務入門」を学ぶ
番組の締めくくりに、岩田さんは告知として複数の学びの場を紹介しました。労務を楽しく語り合える仲間を増やすことが、今の人生の目的だといいます。
労務ってちょっと嫌だよねとか暗いよねとか守りだよねとかってなくてですね、労務が社会変えてますと一緒に胸を張って言っていく仲間を増やしたい。
1つ目は、ラジオプラットフォーム「Voicy」での「ラジオ労務入門」です。「図解労務入門」は100のツボで構成されており、毎週月曜と木曜の朝8時から、1ツボずつ10分で解説しているそうです。
2つ目は「人事力検定 労務入門」という検定試験で、3ヶ月に1回のペースで実施されているといいます。本の理解度を確かめ、勉強のペースメーカーにする狙いです。
さらに深く学びたい人向けには、坪谷さんや前回ゲストの吉田さんがファシリテーターを務める人事塾もあり、多面的に「図解労務入門」を学べるようになっていると岩田さんは紹介しました。
- Voicy「ラジオ労務入門」:月曜・木曜の朝8時に1ツボ10分で解説
- 人事力検定 労務入門:3ヶ月に1回、本の理解度を確かめる検定試験
- 人事塾:坪谷さん・吉田さんが入り、より深く学べる場
まとめ
社労士・岩田佑介さんとの対談最終回では、労務を「従業員体験」や「アンテナ」といった視点で捉え直し、産業保健との連携から社会を変える仕事としての誇りまでが語られました。労務を暗い守りの仕事ではなく、世の中を良くする仕事として一緒に語れる仲間を増やしたい、という岩田さんの思いが印象に残る回でした。
- 労務の成果は、件数の管理ではなくコントロールできる「従業員体験の質」で測るのがよい
- 会社を「ウェブデザイン」と捉え、従業員のペイン(痛み)を改善する発想が役立つ
- 労務は人材戦略のラストワンマイルであり、産業保健もそのパートナーになる
- AI時代の労務担当者には、データにならない情報を受信する「アンテナ」が求められる
- 一件一件の法改正への対応が社会を変えており、労務は世の中を良くする仕事である



