サッカー談義から「わからない」と言うポリシーへ
井上ヨウスケさんは、億万長者やFIREは目指さないけれどお金には困りたくない人に向けて、地に足のついたお金の話をしている、と番組を紹介します。今回のテーマは「欲望なんて他人からの借り物なのだから、もっと楽に生きていい」という話です。
井上さんは冒頭で、欲望にはキリがなく、元をたどれば近くの人の欲望を模倣していることが多いと前置きします。そのうえで、他人を模倣した欲望のために人生の時間やお金を使う価値があるのか、と問いかけます。
自分らしく生きるみたいな、そんなんも割とマーケティングやと思ってるので、もうちょっと楽に生きていいんじゃないかなと思っているので。
本編の前の雑談は、前回の放送に寄せられたコメントへの反応から始まります。月曜と火曜に東京での仕事があるため、いつもより早めに収録していることも伝えられました。
雑談の話題はサッカーです。井上さんは、ネーションズリーグでのスペイン代表とフランス代表の強さに触れ、フランスのオリーセやデュエといった若手を「エグい」と評します。
井上さんが学生のころ、スペインはプジョル ── カルレス・プジョル。2000年代にバルセロナとスペイン代表で主将格として活躍したセンターバックがいた時代で、「無冠の無敵艦隊」と揶揄されていたといいます。それがいつの間にかタイトルを取るようになった、と振り返ります。
ただし井上さんは自分を「ハイライト勢」と呼び、次の森保ジャパンがどうなるかは「わからない」と話します。そこから、わからないことはわからないと言うのが自分のポリシーだ、という話に移ります。
意見持つって僕あんまいいことやと思ってないんですよ。
井上さんは、知人が「監督が悪い」と言ったときに、どうやってそれがわかるのかを尋ねた経験を語ります。監督の要求を選手が実現できていない可能性もあるのに、何を見て監督のせいだと判断したのか、と聞くと、相手は言葉を濁したそうです。
井上さんによれば、意見を持つとそれがアイデンティティのようになり、否定されるとムキになってしまいます。もともと大した意見でなかったのなら、最初から持たないほうが楽に生きられる、というのが井上さんの考えです。
わからんって言ってる方がね、僕は生きやすいというかね、まあ謙虚でいれるかなって気もしてるんでね。
うまくいったときこそ「まぐれ」と思う理由
リスナーのそらみさんからのコメントに触れながら、井上さんは成功体験の扱い方に話を広げます。成功体験は強く、人は自然と自分が正しいと思ってしまうからです。
井上さんは、不確実なものを不確実のまま置いておくことは一つのスキルだと考えています。自分は間違っているかもしれないと思い続けることも、能力の一つだといいます。
自分になんか良くない解釈をする癖って、僕はある種のスキルやと思っていて。
投資がうまくいったときは「マーケットが良かったから」と考え、YouTubeの登録者数が増えたことも「全部運」だと捉えている、と井上さんは話します。運の確率を上げる努力はしてきたものの、究極的には運だという言い方をしているそうです。
井上さんの理屈では、運を実力だと勘違いすると次からマイナスが増えます。逆に、実力まで運だったと思えば、次に成功する確率を上げるにはどうすればいいかを考え、もっと努力するようになります。
うまくいく
投資やYouTubeで成果が出る
運だと解釈する
「マーケットが良かった」「まぐれやな」と考える
努力を続ける
成功確率を上げる方法を考え直す
次も成功しやすい
勘違いによるマイナスを避けられる
井上さんは、一般的にはなかなかそう考えられないからこそ、一つのスキルと言えるのかもしれない、と雑談を締めくくります。
物好きなのにミニマム、食事への関心が薄いわけ
本編で井上さんは、自分はとても気楽に生きていて、人生にもかなり満足していると話します。その考え方のエッセンスと、具体的にやっていることを紹介するのがこの回の本題です。
井上さんは、自分を「割とミニマムに生きている方」だとします。ただし物が少ないわけではなく、紙の本に愛着があり、電子書籍では本が読めないそうです。
本に囲まれて生きられるなんてなんて幸せなことなんだろうって思うんで、全然物は好きですね。
井上さんがミニマムだと言うのは、お金をあまり使わなくても楽しく生きられるタイプだからです。食べ物にもそれほど関心がありません。
セミナーで訪れた先で「地元の美味しいものを食べてください」と言われるのは嬉しい、と井上さんは話します。ご飯は基本的に人と食べるもので、自分ひとりで美味しいものを食べることには関心がないといいます。
自分の食欲を満たすためになんか包丁とかまな板使うのなんてもうめっちゃ嫌です。
空腹のときは味の濃いものを食べたくなりますが、最初に納豆を食べると「何でもいいわ」と思える、と井上さんは言います。だから空腹時の食欲は信用しないようにしているそうです。
井上さんは最近、翌日の読書に頭痛が響くのを嫌ってお酒もやめました。おやつは買っても食べずに賞味期限が切れ、妻に食べられてしまうといいます。
井上さんの昼食は毎日、玄米、納豆、味噌汁、生野菜のサラダです。妻が3日分ほど作り置きしてくれていて、オリーブオイルをかけて食べるそうです。何を食べるか考える時間がもったいない、というのが理由です。
毎日同じ白Tシャツと月2万円のお小遣い
井上さんは、服も毎日何を着るか考えるのが面倒なので、毎日同じ白Tシャツを着ています。ヘインズ ── アメリカの肌着・Tシャツブランド。厚手の「ビーフィー」は定番モデルとして知られますのビーフィーというTシャツで、家に全部で7枚ほどあるそうです。
ズボンもいつも同じものに決めていますが、井上さんは食事の喜びがないわけではありません。毎日「玄米うまいわ」と思いながら食べていて、十分楽しめているといいます。
服選びは面倒だと言いながら、井上さんは洋服自体は大好きです。今年の正月に大阪へ帰った際には、憧れだったバブアー ── イギリスの老舗アウトドアブランド。オイルドジャケットが代表的なアイテムですのジャケットを買ったそうです。
井上さんは毎月2万円のお小遣いでやりくりしています。ガーデニングのバーク堆肥や植物、剪定バサミもその中から買いますが、それでも毎月1万円ちょっとは余るといいます。
貯まったお小遣いで、ときどき2〜3万円くらいの服などを買い、それで欲は満たせているそうです。人と話すと「何が楽しいの?」と言われることもあると井上さんは明かします。
欲求と欲望はどう違うのか?
井上さんがお金を使わずに満足できるのには、はっきりした理由があります。本を読むなかで、自分の中から生まれた欲望はそれほど多くない、という考えにたどり着いたのです。
人を真似して、自分のもんやと思う欲望のために、お金使って、で、またそのために仕事してみたいな。すごい虚しいなと。
井上さんは、「欲望」という言葉を欲求と欲望の2つに分けて考えるべきだと話します。空腹、眠気、甘いものを食べたい気持ち、色欲などは、本能から生まれる欲求です。
欲求は人間の動物的な部分なので、抑えるには自律的な努力が要ります。井上さんは哲学が好きで、「暴食は悪徳」と考えて食べすぎを抑えることもありますが、意志の力が必要なので難しいと認めています。
一方で欲望は種類が違う、と井上さんは言います。なぜそれが欲しいのかをたどると、「あの人が持っているから」「流行っているから」という理由が多いからです。
井上さんは例として、海外旅行や買い物を「誰にも言ってはいけない」「誰にも見せてはいけない」と言われたら、やらない人が多いのではないかと挙げます。欲望のエンジンが他人の側にある、ということです。
空腹・眠気・甘いもの・色欲など本能から生まれる。抑えるには意志の力が必要で難しい
「あの人が持っているから」「流行っているから」など他人がいて生まれる。他人との接触で増減する
ジラールの答えは「遠い存在を模倣する」
井上さんは、この考えの背景にある理論として、ルネ・ジラール ── フランス出身の思想家。人は他人の欲望をまねて欲しがるという「模倣的欲望」の理論で知られますの「欲望の模倣理論」と、ボードリヤール ── フランスの社会学者・思想家。消費が記号の交換になっているとする消費社会論で知られますの記号論を挙げています。
ボードリヤールについては『消費社会の神話と構造』という本の考え方だと紹介しています。井上さんは、どちらの理論も「芯を食っている」と感じているそうです。
ジラールの理論を井上さんは「他人がいて初めて成り立つ欲しいものは無限だ」とまとめます。そのためにお金を使い、足りなくなってまた働くループは割に合わないので、そこから降りたいという気持ちがあるといいます。
本質的に欲望を減らすのは難しいとしたうえで、井上さんはジラールの解決策を紹介します。宗教的な結論ではあるものの、わかりやすく言えば「遠い存在を模倣する」ことで、近い存在を模倣するのが一番よくないといいます。
ブッダが何食ってるとか、何着てるとか、モーニングルーティン何やったかとか知らないじゃないですか。
遠い存在であるイエスやブッダを模倣しようとすると、残っているのは教えだけなので、教えを模倣することになります。逆に会社の同僚のような身近な人に憧れると、食べ物や化粧品、ブランド、モーニングルーティンといった「側」を真似してしまう、と井上さんは説明します。
| 模倣の対象 | 例 | 真似するもの |
|---|---|---|
| 遠い存在 | イエス、ブッダ | 教え |
| 近い存在 | 会社の同僚、身近な憧れの人 | 食べ物・化粧品・ブランド・モーニングルーティンなどの「側」 |
井上さんによれば、側は消費に結びつきやすく、終わりがありません。
スマホを「めっちゃつまらないもの」にする工夫
欲望を具体的に減らす方法として、井上さんは近い存在を見る機会を減らすのが一番だと考えています。そのために、スマホをつまらないものにする努力をしているそうです。
井上さんは、「ドパガキ」というネットスラングが新聞でも使われるほど、スマホにはドーパミンが出るコンテンツがあふれていると指摘します。ただし、それが幸せにしてくれるとは限らないといいます。
井上さんのスマホは、ホーム画面にアプリを一切置いていません。ブラウザを使うにもアプリ検索で名前を打ち込む必要があり、開いてもフォーカスモードで制限がかかっているそうです。
AIは課金して使っていますが、スマホにはアプリを入れていません。井上さんは、手軽に答えが見つかることを自分にとってよくないと考えています。
自分の頭の中に問いが残ってる状態で生きることっていうのは、僕はすごい大切やと思うんですよ。
AIを使いたいときは、ブラウザの検索窓に「C」と打ち、予測変換に出るClaudeを選んで使います。X、Facebook、YouTubeなどのSNSアプリも入れておらず、同じようにブラウザから開いているそうです。
井上さんは、スマホは大体惰性で触っているので、その惰性をやりにくくしているのだと説明します。そうすることで、他人の欲望に触れにくくなるといいます。
井上さんがSNSを「地獄」だと考えるのは、本来は物理的に遠い人間を近い存在に変えてしまうからです。人はイーロン・マスクではなく、年齢や年収、家族構成が近い人を「参考になる」と模倣するもので、それは本能的なものだろうと井上さんは話します。
田舎暮らしと暴走族が示す「近い存在」の模倣
井上さんは、近い存在の模倣について体感があるといいます。田舎に移って5年になりますが、周りに同年代はほとんどおらず、ファッションの好みが近い人もあまりいないそうです。
街を歩くと、自分と好みが近そうな服装の人に目が行き、他人の視線も感じます。そのため井上さんは、人の欲望に触れる機会は都会のほうが多いと考えています。芸術家なら都会にいるほうがいいのだろう、とも添えています。
おじいちゃんとおばあちゃんしか会わないんですよ。で、どうやってもね、おじいちゃんとおばあちゃんの欲望を模倣はできないですよね。
田舎に来てから欲望の機会が減ったという体験から、井上さんは「破滅的な模倣は近い存在を模倣すること」というジラールの指摘に納得しています。
井上さんは、自分の属さないグループがみんな同じに見える例として、暴走族、ギャル、ママ友のファッションを挙げます。暴走族は社会に染まりたくないと言いながら、同じようなファッションやバイクの改造をしていると揶揄されることがあります。
井上さんの解釈では、近い存在同士で模倣し合うと差異がなくなり、ごく小さな差異で競争するようになります。しかも模倣し合うのは敵対し合っている人たちだったりする、と井上さんは指摘します。
一緒一緒。一緒。ボタンの数が違うだけ。一緒。
近くなるほど似通っていくのに、本人たちは似ているとは思わない、というのが井上さんの見方です。ジラールの本は難しいので、興味がある人にはルーク・バージスの『欲望の見つけ方』を勧めています。
「自分らしく」も広告の言葉かもしれない
無意識に受け取った他人の欲望を自分の欲望だと思って叶え、そこにお金を使っているのだとしたら、それは嫌な人生だと井上さんは感じています。「自分らしく」という言葉も、結局はマーケティングの言葉だといいます。
井上さんによれば、多くの人が余暇を持てるようになったのは1950年ぐらいからで、もともと余暇は貴族のものでした。昔は稼ぎのほとんどが食費で、余暇を持てるようになってから100年も経っていないと話します。
そのころに人間が科学の対象になったとガルブレイス ── ジョン・ケネス・ガルブレイス。アメリカの経済学者で、豊かな社会では広告や販売術が欲望を作り出すと論じましたが言っている、と井上さんは紹介します。どうやって物を売るか、どうすれば欲しいと思わせられるかが考えられ、今の広告につながったという見方です。
食費の割合が下がる
昔は稼ぎのほとんどが食費だった
余暇が一般化する
1950年ぐらいから多くの人が余暇を持てるようになる
人間が科学の対象に
どうすれば欲しいと思わせられるかが考えられる
今の広告へ
他人も「歩く広告」のような存在になる
他人なんていうのは歩く広告みたいなもんですから、人を見なくて広告見なかったら自然と欲望は減っていく。
人は心のどこかで、何が欲しいかを他人に教えてもらいたがっている、と井上さんは言います。YouTubeで人のおすすめを聞きたがるのも、次の欲を欲しがっているように見えるそうです。
楽しさで埋めるより、ただ生きる普通の人生
話をまとめるにあたって、井上さんは、欲がないのは決して変なことではないと話します。作られた欲望で人生が埋まっているなら、それは全部やめてしまっていいといいます。
井上さんは、毎日楽しいことで埋まった人生ではなく、やりがいや充実感のある人生を目指すべきだと考えています。楽しさの多くは人から与えられたものだと見ているからです。
単純に朝起きて、仕事して、ご飯食べて、寝て、別にスマホ見なくて、今日一日何にもしてないなみたいなのが、僕はまあそれが普通の人生やと思ってるので。
井上さん自身、今年はどこにも出かけておらず、毎日同じ時間に起きて同じものを食べ、同じ時間に散歩しているそうです。夕日を見て「最近涼しくなってきたな」と感じるだけで十分幸せだといいます。
いや、でもその幸せって別に商品でしょ?みたいな感じもするんで。
井上さんは、何者でもないこと、無であることを恐れる必要はないと話します。雑談で触れた「意見がなくて何がいけないのか」という話もここにつながります。
井上さんは、人がこれほど意見を持ちたがるのはネットのせいだと考えています。その意見をたどると知識人が言っていたことである場合が多く、意見を持とうとするから知識人の意見を受け取ってしまう、という見方です。
「夢があるのは素晴らしい」という言葉も売り手のセリフだ、と井上さんは言います。人に説明できない人生の何がいけないのかと考えていて、今年の目標のようなものも要らない気がすると話します。
お金も楽になるが、退屈とどう向き合うか
井上さんは、こうした生き方のほうがお金の問題も楽になると話します。子どもがいる家庭の教育費は、競争から逃げられない面があるので仕方ないとしつつ、自分の人生に限れば、お金を使わずに楽しく生きられると考えています。
井上さんの休日は、草や植物をいじったり畑をしたりするだけで終わり、あとは本を読めば満足だといいます。
ただし井上さんは、人の欲望を受け取らない人生は「めっちゃ退屈」だと認めています。退屈を埋めるには楽しいことのほうが楽で、楽しいことにはお金がかかるのが現代の難しいところです。
最終どうしても退屈になると思うんで、まあどっかから退屈の練習をしとくって意味では、それはそれでいいと思ってるんですけど。
井上さん自身も、もともとは欲の多い人間でした。役者をしていたころは「有名になりたい」という気持ちが強かったそうです。
井上さんは、YouTubeがうまくいくなど望んでいたことが叶ったときに、欲望には終わりがないと気づいたといいます。30代前半ぐらいから少しずつ「もうええな」と思い始め、今はそのほうが楽に生きられていると話します。
最後に井上さんは、お金のTipsの話は頻繁にするものでもないので、今回は生きやすさの話として少しでも参考にしてほしい、と締めくくりました。
まとめ
井上ヨウスケさんは、欲望の多くは身近な他人の模倣だという考えから、近い存在との接触を減らし、普通の人生を肯定することで、お金も心も楽になると語りました。ただし、退屈と向き合う必要があることも率直に認めています。
- 本能的な欲求は抑えるのが難しい一方、他人がいて生まれる欲望は接触を減らせば自然と減らせる
- ルネ・ジラールによれば、近い存在の模倣は消費に結びつく「側」の真似になりやすく、遠い存在からは教えを模倣できる
- 井上さんはスマホのアプリや通知を消し、田舎暮らしで他人の欲望に触れる機会を減らしている
- 毎日楽しさで埋めなくても、朝起きて働き、食べて寝る普通の人生で十分だという考え方
- 欲望を手放した人生は退屈にもなるので、退屈と向き合う練習が必要になる


