週明けの牧場、今日のテーマは牛群検定の情報漏えい
この回の配信日は11月2日の月曜日です。出雲は雨のち曇りの予報で、川上さんは台風の接近も気にしつつ、ぐずついた天気が続くと話しています。
川上さんのこの日の仕事は、翌日か翌々日に控えた牛群検定 ── 牛1頭ごとの乳量や乳成分、繁殖状況などを定期的に記録・分析する仕組み。酪農家が牛群の改良や管理に役立てていますの準備です。ボディコンディションや爪の状態、餌の給与量を測るほか、注文の多い堆肥の切り返しや、新しい試みのための電気工事の立ち会いも予定しています。
そのうえで川上さんは、この回のテーマを紹介します。AIの発展とともにサイバーセキュリティや情報漏洩が話題になるなか、「牛群検定のデータが漏洩したらどうなるか」という質問が届いたので、シミュレーションして考えてきたそうです。
あわせて川上さんは、関東で始まった牛乳の生産調整にも触れています。需給しだいでは調整が全国に広がるおそれがあり、酪農家もメーカーも費用を拠出して対策しているので、消費者にもコップ1杯の牛乳を毎日飲んでほしいと呼びかけています。
ここでなんとか食い止めていかないとマジでやばいなというところですけども。
ほかにも、毎日の配信を記事にしているnoteやメンバーシップ、週1回まとめが届く公式LINEの案内がありました。季節の変わり目で、全身症状が出る乳房炎の牛がぽつぽつ出ていることも話されています。
「牛群検定の情報が漏れたら打撃は?」に対する川上さんの結論
お便りコーナーで読まれたのは、配信アプリSpoonのリスナー、ヤマさんからの質問です。
最近情報漏洩が流行ってますが、牛群検定の情報が漏洩したら酪農家に打撃はありますか?素人質問失礼します。牛乳飲んでね。
ヤマ さんから
川上さんは、消費者が牛乳だけでなく牛群検定について質問してくれるようになったことを喜んでいます。川上さん自身は島根県の牛群検定の会長で、全国の関連団体の役員も務めているため、情報漏洩は考えなければいけないテーマだといいます。
話の前提として川上さんは、GMOや楽天、配達業者など、企業の顧客情報の漏洩が相次いでいる状況を挙げます。クレジットカードやメールアドレス、パスワードの漏洩ニュースをよく見かけ、農林水産省も業種を問わず不正アクセスによる漏洩が続いていると注意喚起していると紹介しています。
では、人間の個人情報ではない牛のデータはどうなのか。川上さんの結論は、すぐ倒産するほどではないが、経営の弱点はかなり細かく推測できるというものです。
なので単純な漏洩よりもですね、書き換えられたり消されたりする方が現場ではもっと怖いと思っています。
牛群検定は「牧場全体の健康診断表」だった
川上さんは、牛群検定を簡単に言うと「牛1頭1頭の成績表」だと説明します。中身は、乳量、乳脂率、乳タンパク率、体細胞数、分娩から乾乳までの乳量の推移、産次数、分娩の履歴、人工授精の回数、妊娠の有無、分娩予定日などです。
川上さんによると、家畜改良事業団 ── 牛の改良や牛群検定の成績集計などを担う一般社団法人。全国の検定データをとりまとめていますの資料でも、牛群検定の成績から栄養状態や病気、繁殖管理を評価しているそうです。
つまり、ただのこの牛は今日30リットル出ましたという記録ではありません。牧場全体の健康診断表みたいなものなんですよね。
川上さんは、ある牧場のデータを何か月分も見られたら、平均乳量や泌乳ピーク、分娩間隔、今後の分娩予定などから「乳量が高い」「繁殖が遅れている」「更新したばかりかも」といったことがある程度推測できると話します。
実際、SNSで頭数と乳量や牛群検定の成績表を出している牧場もあり、川上さんはそれを見るだけで直近1年ほどの経営状況がうまくいっているかどうかわかるそうです。
ただし、牛群検定だけで利益や借金の額まではわかりません。川上さんは、一般企業でいえば売上そのものではなく、生産ラインの稼働率や不良率、在庫状況が見えてしまうのに近いとたとえています。
牛群検定データが漏れたときに一番わかりやすい被害は、経営上の弱点が見えることです。繁殖成績の悪さや体細胞数の高さがわかれば、餌会社や機械会社、コンサル業者にとっては営業の材料にもなりえます。
川上さんは、普通の営業マンが不正にデータを盗むという話ではないと断ったうえで、データが世に出れば牧場だけが持っていた弱点が第三者にも見えてしまうと指摘します。逆に成績のよい牛群なら、育種や管理のノウハウが見える可能性もあるそうです。
繁殖データからは牧場の未来まで見える?体細胞数の切り取りが招く風評
牛群検定の繁殖データについて川上さんは、今の状態だけでなく将来の姿まで見えてしまう点を強調します。人工授精や妊娠確認を登録すると、分娩予定や子牛の生産予測にも使われるからです。
登録
人工授精や妊娠確認を牛群検定に登録する
予測
今後の分娩予定頭数や子牛の生産が予測される
将来像
半年後、8か月後の牛群や搾乳頭数、生産計画が見える
川上さんは、後継牛が何頭生まれるか、和牛のETがどれくらいあるか、分娩が集中する時期はいつかといった情報は、酪農家にとってかなり大事な情報だと話しています。
もう1つ川上さんが「特に怖い」と挙げるのが、体細胞数の切り取りです。ある牛の体細胞数だけがSNSに出され、「この牧場の牛乳は体細胞が高い」と拡散されたらどうなるか、という想定です。
体細胞数は乳房炎の管理に使う大事な指標ですが、1頭の検定値と、出荷しているバルク乳 ── 牧場のタンクにまとめられた出荷用の生乳。複数の牛の乳が混ざったもので、乳業メーカーへはこの単位で出荷されます全体の品質は同じではありません。問題のある乳を出荷から外すこともあるため、数字だけが流出すると本来とは違う意味で受け取られかねないといいます。
川上さんは、自社生産の牛乳でブランドを作っている牧場なら、ブランドが傷つくこともありうると話し、経済的な被害より風評被害のほうが怖い場合もあると見ています。
全国平均は公開されている、では牛のデータは個人情報?
川上さんは、牛群検定のデータがすべて秘密情報ではない点も大事だといいます。全国や地域で集計した平均乳量や産次数、体細胞、繁殖成績などの統計は、研究や酪農改善のために公開されていて、それ自体に大きな価値があります。
問題になるのは「川上牧場のこの牛のこの日の数字」のように、特定の牧場や個体に結びついた詳細データです。
全国・地域の平均乳量や繁殖成績など。研究や酪農改善のために公開されている
特定の牧場や牛に結びついた詳細な数字。漏れると経営状態や弱点が推測される
では、牛の情報は法律上の個人情報にあたるのか。川上さんの整理では、個人情報は生きている人間に関する情報で特定の人を識別できるもので、法人そのものの情報は原則として該当しません。
たとえば「12345番の牛の乳量が35リットル」という情報だけなら、普通は個人情報保護法でいう個人情報ではないそうです。
牛ですからね。
ただし、牧場主の名前や住所、電話番号、メールアドレス、個人事業主としての情報が結びつくと話は変わり、個人情報に該当する可能性が出てきます。
川上さんによると、個人情報保護委員会 ── 個人情報保護法を所管する国の行政機関。漏洩時の報告受付や事業者への指導などを行っていますは、不正アクセスによる漏洩や財産的被害のおそれがある場合、大量の個人データの場合などに、委員会への報告や本人への通知が必要になるとしています。
そのため、牛群検定のシステムに牧場主や従業員の個人情報まで入っているなら「牛のデータだから関係ない」とは言えません。川上さんは、実際に事故が起きたらシステム管理者や専門家に確認する必要があるとしています。
一番怖いのは「書き換え」と「使えなくなること」
川上さんが「ここからが一番怖い」と話すのが、データの改ざんです。情報漏洩というと誰かに見られることを想像しがちですが、牛群管理では書き換えられるほうが怖いことがあるといいます。
人工授精日や妊娠情報、分娩予定日が変わる、牛の番号が入れ替わる、体細胞の履歴が消える。そうなると、交配や乾乳の時期、妊娠鑑定、分娩準備、淘汰の判断といった日々の判断がすべて狂ってしまいます。
川上さん自身も、牛群検定やウェブ上の繁殖台帳、ゲノム成績、交配情報、乳成分などの数字を見ながら判断しています。そのとき無意識に「画面の数字は正しい」という前提で仕事をしているそうです。
もしそこが壊れたらどうなるか。これはですね、情報漏洩より現場への影響が大きい場合があると思います。
さらにもう1つのリスクが、ランサムウェア ── 感染したパソコンやシステムのデータを暗号化して使えなくし、復旧と引き換えに身代金を要求するマルウェアなどでシステムそのものが使えなくなることです。
川上さんは実際、PHPの影響で、ホルスタインの近交係数を計算できるウェブアプリが1週間ほど使えず、種付けのときに困った経験があるといいます。分娩予定や繁殖履歴、治療履歴がクラウドにしかなければ、現場は止まってしまいます。
| リスク | 起きること | 現場への影響 |
|---|---|---|
| 漏洩 | 第三者にデータを見られる | 経営の弱点や将来像が推測される、風評被害 |
| 改ざん | 日付や番号、履歴が書き換えられる | 交配や分娩準備、淘汰などの判断が狂う |
| 停止 | システムそのものが使えなくなる | 分娩予定や治療履歴が見られず現場が止まる |
川上さんは、牧場のデータセキュリティは情報を隠すだけでなく、牧場を止めないための防災でもある状況になってきていると話しています。
データは経営資産、AI時代に高まる価値と基本の対策
川上さんによると、農林水産省はスマート農業の広がりを受けて、農業者のデータやノウハウをどう守りどう使うかについて「農業分野におけるAI・データに関する契約ガイドライン」を作っています。
川上さんは、農業データは単なる数字ではなく、農家が何年もかけて蓄積した経営資産だと強調します。牛群検定も1か月分ならただの成績表ですが、5年、10年と積み重なると、その牧場の改良方針や管理の歴史がわかるようになるそうです。
川上牧場の場合は、乳量、乳成分、繁殖、交配、ゲノム数値、疾病、餌の情報を組み合わせています。1つ1つはそこまで重要でなくても、全部がつながるとかなり詳しい経営情報になるといいます。
川上さんは、この傾向はAI時代ほど強まると見ています。昔は酪農のような専門的なデータを大量に盗んでも読み解くのが大変でしたが、今はAIに「この牧場の問題点を分析して」と頼めば短時間で整理できてしまうからです。
では酪農家は何から始めればよいのか。川上さんは、難しいことからでなくても基本だけでかなり違うと話し、農水省の資料にも挙がっている次のような対策を紹介しています。
SNSの映り込みと「データがなくても牧場は動くか」
SNSで発信している農家に向けて、川上さんは画面の映り込みにも注意を呼びかけています。牛群検定の成績表1枚で経営状況がわかることもあるからです。
牛群検定の画面や繁殖台帳、牛の一覧表を撮って投稿すると、牧場コードやログインID、メールアドレス、個体番号、取引先が写り込んでいることがあります。悪意がなくても自分で情報を公開してしまうので、投稿前の確認が必要で、川上さんも気をつけているそうです。
そして川上さんが一番重要だと話すのが、データがなくても牧場を動かせるかという点です。もし今日、牛群検定も繁殖管理もスマホもクラウドも見られなくなったら、明日の朝、分娩予定の牛や乾乳予定、治療中の牛はわかるのか、という問いかけです。
川上さんはこれを災害対策と同じだと考えています。データは便利だからこそ依存しすぎると止まったときの影響が大きく、バックアップや別の方法で確認できる仕組みがこれから重要になるといいます。
あらためて、ヤマさんの質問への答えは「打撃はある。ただし、どの情報がどこまで漏れたかで影響は大きく変わる」です。個別牧場のデータが大量に漏れれば、生産性や繁殖の弱点、疾病管理、将来の牛群構成まで推測されかねず、切り取り拡散による風評被害もありえます。
それでも川上さんがもっと怖いとするのは、書き換えと停止です。搾乳ロボットや繁殖管理、ゲノム数値などでデータ化が進むほど、牛を守るのと同じようにデータを守る必要が出てくるといいます。
牛舎に病原菌を持ち込まないようにする防疫がありますよね。これからはデジタルにも同じようなデータの防疫という考え方が必要になるんじゃないかなと思います。
知らないUSBを挿さない、怪しいメールを開かない、そしてデータが消えても最低限牧場を動かせるようにしておく。川上さんはこう締めくくります。
海外では牛舎が止まった例も、川上牧場の備え
川上さんによると、海外ではサイバー攻撃で牛舎が動かなくなった例や、乳業メーカーとの直接取引のデータが消えて出荷乳量がわからなくなった例もあるそうです。搾乳ロボットやパーラーがインターネットにつながる牧場が増えた日本でも「明日は我が身」だといいます。
川上牧場では、手書きの繁殖カレンダーを併用しています。牛群検定の成績も家畜改良事業団から紙で届くので、一時的にデータが使えなくなっても確認すればなんとかなる状態にしているそうです。
また川上さんは、AIを使ったサイバー攻撃がある一方で、防御もAIが得意だと話します。自分の情報の守り方をAIと壁打ちしながら考えるのは有効ですが、データそのものはAIに渡さないでほしいと念を押しています。パスワード管理サービスにAIが入り、個人でもセキュリティを上げやすくなっていることにも触れています。
配信の最後には、Kindle書籍筋どるもん「酪農未経験者のために 遺伝改良と飼養設計編」と、その内容を読み込ませたFarmEcho AIが紹介されました。黒毛和牛の近交係数を計算できるアプリ「和牛交配チェック」は86牧場が登録していて、年内100牧場が目標だそうです。
ちなみに和牛交配チェックは、牧場名とパスワードだけで入れるようにして、メールアドレスを控えない設計にしているとのこと。川上さんは、この点をぜひ評価してほしいと笑いまじりに話していました。
まとめ
牛群検定のデータは牛の成績表であると同時に、牧場の経営や将来像まで映す「健康診断表」です。漏洩による弱点の露出や風評被害もありますが、川上さんが本当に警戒するのは書き換えと停止で、データを守り、データがなくても牧場を動かせる備えまでが酪農DXだと話されています。
- 牛群検定データが漏れてもすぐ倒産はしないが、経営の弱点や将来の牛群構成が推測されうる
- 1頭の体細胞数などが切り取られて拡散されると、風評被害につながるおそれがある
- 現場で一番怖いのは、データの改ざんとシステム停止による判断の狂い
- パスワードの使い回しをやめる、多要素認証、不要アカウントの削除などの基本対策が有効
- 紙の台帳やカレンダーを併用し、データがなくても牧場を動かせる備えが大切

