なぜ10代からアメリカを目指したのか?
Beyond Homeは、海外に暮らす日本人をゲストに迎え、その人生を深く聞く番組です。今回はMikaさんとEmikoさんが、Solanさんの自宅を訪ねての初めての訪問収録となりました。
収録日はサンフランシスコの航空ショーが開かれるフリートウィークと重なり、窓の外には街の景色が広がっています。飛行機の音が入るかもしれない、と断りながらの収録でした。
Emikoさんの紹介によると、Solanさんは現在、シリコンバレーのテクノロジー業界で50名近い部下を抱え、3つのチームのマネージャーを務めながらMBAも取得中です。渡米は2019年、コロナ禍が始まる半年前でした。
Solanさんがアメリカで働こうと決めたのは、10代の頃だといいます。グローバルに働きたいという思いがあり、世界経済の中心地であるアメリカに行きたかったと振り返ります。
一回そのニューヨークに行った、2ヶ月ぐらい行った時に、もう到底太刀打ちできないな、自分のスペックではっていうことに気づき。
米系投資銀行時代にニューヨークに約2ヶ月滞在したSolanさんは、そこで実力不足を痛感します。すぐには挑まず、日本で修行して力をつけてからにしようと考え直しました。
最初からアメリカに狙いを定めた理由として、Solanさんは先輩たちから聞いた「日本人はシンガポール止まり」という言葉を挙げます。東南アジアなど近隣の国に出ると、その先に進む壁を越えるのが大変だというのです。
シンガポールまで行くと、さらにその先に行けないっていうのがあるのね。
そこでSolanさんは、最初からアメリカを目指せる「スペック作り」に取り組むことにしたといいます。
日系大企業には応募すらできなかった。3年遅れの就職活動
Solanさんは新卒で米系投資銀行に入りました。業界を選んだ基準は、長くいたい業界かどうかではなく、キャリアを築くうえでいい経験ができるかどうかでした。
当時、世界全体が見える業界として候補にしたのは金融とコンサルの2つです。新卒1年目から大きい仕事を任されるのも外資系だったため、この2業界を受けると決めていました。
ところが、念のため日系の大企業も受けようとしたとき、Solanさんは年齢制限があることを初めて知ります。大学に2度通い、留年もしていたため、社会人デビューが人より3年遅れていたのです。
大学時代はそんなことも気づかず、「やったもう人生リセットしてやり直すぞ」みたいな感じの勢いでやってたんだけれども、
蓋を開けてみたら、「あ、日本の社会に求められてないんだ」っていうことに気づき。
Mikaさんが言う「新卒一括採用のレール」に乗れなかったことで、Solanさんの覚悟は決まりました。外資に落ちれば就職先はどこにもない状況だったといいます。
Solanさんは、この追い込まれた状況を「そこにレーザーフォーカスして準備する」きっかけになったと前向きに捉えています。
金融とコンサルの両方を受けた結果、Solanさんは戦略コンサルを自分には合わないと判断しました。ロジカルな頭脳も長時間労働への適性もないと考え、当時の経歴と一番マッチする金融を消去法で選び、米系・欧州系を片っ端から受けたそうです。
新卒で一番最初に厳しいところに行った方が後が楽だなって思うのよね。
投資銀行でのSolanさんは、まず投資家一人ひとりに合わせて金融商品をテーラーメイドするチームに所属しました。その後、複雑な商品が売れなくなったことで、債券の営業に回っています。
「お前39だぞ」。トイレで泣いた投資銀行時代
Solanさんは投資銀行のカルチャーにも合わず、能力面でも「万年落ちこぼれ」だったと振り返ります。入社はリーマンショックの頃で、その後は採用凍結となり新卒が入ってこなかったため、ずっと一番下の立場が続きました。
上司からは毎日のように詰められたといいます。「30億」と聞き返したMikaさんに、Solanさんは「39」、つまり年齢のことだと答えます。
お前は歳もいってるし、まあ3年遅れてるからね。で、あの、ブスだし、別に美人でもないし、頭も良くないし、「お前39だよ、どうするんだ?」って言われて。
はい、39なので、人の3倍働いて頑張ります。
ハラスメントではないかと驚くMikaさんに、Solanさんは「そういうカルチャー」だったと答えます。Emikoさんは、Solanさんは美人なのでリスナーは誤解しないように、と付け加えていました。
もうね、あの、毎晩シャワーを浴びると涙が出てくるぐらい辛くて。
Solanさんは、週に何度もトイレに駆け込んで泣いていたといいます。みんなの前で涙は見せられないため、トイレで泣いてデスクに戻る毎日が続きました。投資銀行にはインターンを含めて4年半在籍しています。
それでも当時のSolanさんは、ほかの世界を知らないため「社会ってこういうもの」だと思い、ここで踏ん張らなければどこに行っても通用しないと考えていました。
「もう無理です」。レイオフがもたらした解放
転機は入社3年ほどが経った頃でした。上司にいつものように「本当にやる気あるのか」と聞かれたSolanさんは、初めて「もう無理です」と答えます。
体には帯状疱疹が出て、病院ではうつ病の薬を処方されるほどの状態でした。Solanさんは薬は飲まなかったものの、医師から見てもかなり追い詰められていたのだろうと話します。
Emikoさんは、米トップ投資銀行は外から見ればキラキラした場所で、体調を崩してもそこに留まる人は多いと指摘します。そのうえで、そこでブレーキをかけられたのは勇気だと評価しました。
多分その時はあの心の声が、心の声が出たんだろうね。
それまではもう死ぬ気で頑張りますとか、人の3倍働きます、頭悪いからって言ってくる感じだったのが、あ、もう無理だなっていうのが多分来てて。
「もう無理です」と答えた1ヶ月後、Solanさんは上司によってレイオフされます。ショックはあったものの、救われたという思いも強かったといいます。
もう本当に解き放ってくれてありがとうっていう。
「人の3倍働きます」と答え続け、毎晩涙を流し、帯状疱疹が出るほど追い詰められていた
本音を口にした1ヶ月後にレイオフされ、ショックと同時に「解き放ってくれた」という救いを感じた
上の図は、Solanさんが心の声に従った前後で、状況と受け止め方がどう変わったかを整理したものです。
なぜ次はテック企業一択だったのか?
再び就職活動を始めたSolanさんは、外資金融しか見てこなかったため、まずどんな業界があるかを知ることから始めます。各業界の最前線を走る企業を10業界ほど受けました。
面接を進めるなかで、Solanさんの目に留まったのがテクノロジー業界です。ベンチャーキャピタルの資金が大量に流れ込み、一等地にオフィスを構えるキャッシュリッチな様子に、リーマンショック以前の金融の匂いを感じたといいます。
今大きな波に乗っているような業界に行った方が面白いことが経験できるっていうのもわかってたし、その中でもやっぱり優秀な人材が集まるっていうこともわかってたから、
Solanさんの業界選びの軸は、新卒で金融を選んだときから一貫しています。いま大きな波に乗っている業界に行くという考え方です。
ただ、業界を変えるのは簡単ではありませんでした。担当のリクルーターからは「まだ20代でよかった。30代を過ぎると業界は変えられない」と言われたそうです。
テック企業への入社を後押ししたのは、かつて「お前39だぞ」と言っていた上司を含む元上司や先輩たち3人でした。オファー直前のレファラル ── 採用の最終段階で、企業が候補者の元上司や同僚に連絡し、働きぶりや人柄を確認すること。リファレンスチェックとも呼ばれますの電話に、強い推薦をしてくれたといいます。
「こいつを雇わないとバカだぐらいに言っといたからな」みたいな感じで強く推してくれるほど、
投資銀行での成績は悪かったというSolanさんは、元上司たちの推薦がなければ入社できなかっただろうと話します。厳しく詰めるのはその業界の「ルーティン」で、そこには「愛があった」と振り返りました。
内向的な営業職が、マーケティングを目指した理由
テック企業に移ったSolanさんは、最初の2、3年を営業職として過ごします。しかし客先に会いに行くのが嫌で仕方がなかったといいます。
その理由について、Solanさんは後から内向的か外向的かという特性の違いだったと気づきます。外向的な人は人に会うのが楽しいのに対し、内向的なSolanさんには苦痛でしかありませんでした。
私は本当にイントロバートで内向的だから、それ(営業)が苦痛でしかなくって。
そこでSolanさんは、社内の人を相手にする内勤の仕事を望むようになり、マーケティングに関心を持ちます。ところが、テクノロジー業界では営業とマーケティングの社員比率がおよそ9対1で、営業からマーケティングへ移ろうとして失敗する人も多かったといいます。
マーケティングを志した原点として、Solanさんはシャンプーのテレビコマーシャルを挙げます。パンテーンだったかは記憶が定かでないとしつつ、投資銀行時代に見て涙が止まらなかったそうです。
そのCMは、男性が確固たる態度で交渉に臨めば賞賛されるのに、女性が同じ態度を取ると貪欲だ、野心的だとネガティブに捉えられる、という対比を描いたものでした。
そこでやっぱりそのクリエイティブっていうものにすごい惹かれるっていうことに気づき、人の心を動かす仕事をしたいなって思ったのね。
「正面から入らない」。未経験からマーケティング職をつかむ攻略法
Solanさんはまず、マーケティング部署にいる人の経歴を調べました。多くは戦略コンサルか、クリエイティブ・広告エージェンシーの出身だったといいます。
戦略コンサルの経歴がないSolanさんは、クリエイティブと広告の知識を身につけようと考えます。カンヌライオンズ ── 毎年フランスのカンヌで開かれる、世界最大級の広告・クリエイティブの祭典。世界中の広告業界人やクリエイターが集まりますをはじめ、世界各地で開かれる広告祭に着目し、アジアの広告祭に自費で参加しました。参加費だけで20万円ほどかかったそうです。
広告祭では、テレビ、新聞、雑誌、デジタルまで1年分の最前線の広告を見て回り、毎晩のパーティーで50人ほどと名刺交換をしました。有名なクリエイティブディレクターもいたといいます。
内向的なのに、なぜそこまで動けたのか。Mikaさんの問いに、Solanさんは目標があると難なくできることに気づいたと答えます。
Mikaさんは、投資銀行の営業に納得できる目標があれば、内向的か外向的かは関係なかったのかもしれないと返し、Solanさんもそれに同意しました。
そのうえでSolanさんが語ったのが、正面のドアを叩いても入れない世界がある、という考え方です。投資銀行への入社も、留学経験を生かしてボストンキャリアフォーラム ── 毎年アメリカ・ボストンで開かれる、日英バイリンガル向けの大規模な就職イベント。数日の会期中に面接から内定まで進むことがありますから入ったといいます。
正面のドアから叩くとやっぱり入れない世界ってあるわけよ。
マーケティングでも、Solanさんは本丸の部署ではなく、営業組織の中でマーケティング施策を担う「マーケティングプログラムマネージャー」のようなポジションを見つけ、「穴場」として入り込みました。
リサーチ
マーケ部署の人材の経歴を調べ、足りない知識を把握する
行動
自費で広告祭に参加し、最前線の広告と人脈に触れる
穴場への参入
営業組織内でマーケ施策ができるポジションに入る
実績と関係づくり
施策を出し続け、本丸のマーケ部署と協業する
吸収
組織変更で、チームごとマーケ部署に統合される
この図は、Solanさんが未経験からマーケティングの本丸にたどり着くまでの道筋を整理したものです。施策を重ねるうちに本丸の部署から注目され、最後はチームごと吸収されました。
Solanさんは組織変更をラッキーだったとしつつも、2、3年かけてマーケティングの実績を積み上げていたので、正面から挑んでも行けたはずだと話します。求められる人材に合わせてレジュメを積み上げることが、この攻略法の核だといえます。
「自分はできない人間」という認識は今も変わらない?
正攻法を取らないことに抵抗はないのかと聞かれたSolanさんは、そもそも正面からは行けないと思っているからだと答えます。
自分はね、いかにできない人間かっていうのは私常に感じてるし、思ってるし、本当世の中に自分よりできる人たちがたくさんいるっていう。
MikaさんとEmikoさんはこれを、自己肯定感が低いというより、自分を一歩引いて見るメタ認知 ── 自分の考えや状況を、もう一段上の視点から客観的に捉えること。自分の強み・弱みを冷静に把握する力とも言われますだと受け止めます。
多分私のことを上から見てる自分がいる。で、全体像を考えた時に、いや私そこまで強みないよなって見えるから、じゃあ戦略変えよう。
今の立場になってもそう思うのかと尋ねられると、Solanさんは「毎日だってば」と即答し、本当に優秀な人がたくさんいるからだと話しました。この話題は後の回で改めて聞くことになります。
32歳で初めて知った「仕事が趣味になる」感覚
日本で就いたマーケティングの仕事は、Solanさんにとってドリームジョブだったのか。Mikaさんの問いに、Solanさんは仕事を始めた瞬間から楽しくて仕方がなかったと答えます。
朝から晩まで楽しんで働き、会社に行くのが楽しみでしょうがなかったというSolanさん。クリエイティブの世界の楽しさを毎日のように実感し、これが天職だと気づいたのは32歳ごろだったといいます。
話題は営業時代に約3ヶ月海外に出た経験や夫との出会いへ移りかけますが、その続きは次回に持ち越され、日本編の第1回はここで締めくくられました。
まとめ
Solanさんのキャリアは、日本の新卒採用から外れたことを出発点に、投資銀行での挫折、テック業界への転身、そして遠回りでのマーケティング職獲得へと続きます。どの局面でも、自分を冷静に見て戦略を変える姿勢が道を開いてきました。
- 社会人デビューが3年遅れて日系大企業に応募できず、外資一本に絞ったことが覚悟と集中を生んだ
- 米系投資銀行では心身ともに追い詰められたが、「もう無理です」と本音を言った1ヶ月後のレイオフが救いになった
- 業界選びの軸は一貫して「いま大きな波に乗っている業界」で、次の転職先にテクノロジー業界を選んだ
- 未経験のマーケティング職には、リサーチと広告祭への参加、そして本丸ではない「穴場」のポジションから入った
- 「自分はできない人間」というメタ認知が戦略の起点で、32歳で仕事を趣味と感じる天職に出会った



