保育士とコーチ、二つの対人支援をする西尾涼子さん
番組「自己理解を深めてキャリアを描くラジオ」の10月のテーマは「対人支援者自身のキャリア観」です。金岡さんは、同じライセンス契約で自己理解コーチをしている西尾涼子さんをゲストに迎えます。
ようこそ、自己理解を深めてキャリアを描くラジオへ。
このポッドキャストは、個性の裏表を認めて味わう人を増やすために、自己理解コーチの経験や国家資格を生かしてキャリア支援を行う配信者が、キャリアを描くための考え方についてお話をする番組です。
10月のテーマは対人支援者自身のキャリア観ということで、同じ対人支援を行っているゲストを迎えて、自己理解を深めてキャリアを描く視点から対話していきたいと思います。
では早速、ゲスト紹介したいと思います。私と同じライセンス契約で自己理解コーチをされている西尾コーチになります。西尾さん、今日はよろしくお願いします。
よろしくお願いします。お邪魔します。
ようこそお越しくださいました。西尾さんはですね、『おりょうの盛大なひとりごと』というユニークな名前のポッドキャストを配信されていて。
私は(その)番組を聴かせていただいていたり、個人的にすごく声のトーンだったり、お話の仕方が素敵だなと思って、今回お声がけをさせていただきました。
素敵な自己紹介をありがとうございます。改めまして、西尾涼子と申します。
仕事としては、金岡さんと同じように自己理解コーチをやっていて、今ライセンス契約でコーチングをやっています。あとは、愛知県の公立保育園で保育士をしています。
保育士がメインで今動いてるんですけど、また改めてコーチングっていうものを、個人的なコーチングつながりで学びながら、基礎をもう一回自分の中に入れています。
保育で子供に対する対人支援、コーチングでいろんな人に対する対人支援を、今後深めていきたいなっていうところでやらせてもらってます。
保育の「本当はどうしたかったの?」はコーチングか
金岡さんは、子供から大人まで幅広く支援する西尾さんに、保育の現場でもコーチングは使えるのかを尋ねます。
今日のテーマがね、対人支援者自身のキャリア観っていうことなんですけど。(西尾さんは)年齢層の広い方、お子様から大人まで対人支援をやられてるという、そんな感じですね。
私、自分自身に子供がいて、今5歳なんですけども。
子供が生まれるにあたって読んだ本の中で、少し印象に残ってるのが『子供の心のコーチング』っていう本があって。
その子供とコーチングが私の中では紐付かなかったので、すごく新鮮なタイトルだなと思った記憶があるんですけど。
お子さんに対しても、保育の現場でも、コーチングっていうのは使えそうな感じがしてますか?
そうですね。子供に対してコーチングっていうのはあるとは思いますし、できるかなと思うんですけど。
私がコーチングっていうもの自体に興味を持ったきっかけとしては、まさに保育でやっていることがコーチングに近いなと思ったので。
カウンセリングとかコーチングとか、人の心を扱う分野っていろいろあると思うんですけど、その中でも保育者と子供の会話って、コーチング的要素が自然と多く含まれているなと思います。
確かに。
一番近いなと思うのは、子供っていう存在は、子供と大人で分けられるんですけど、同じ人間として同じようにいろんな感情を持って、心の中を巡らせてるんですよね。
ただ、それを表現する引き出しが大人より少ないだけで。喜怒哀楽を表現する言葉とか、本当はこれがしたかったけど難しくてできなかったとかを、うまく表現できないんです。
足が止まったり、逆に攻撃的になったり、閉じこもっちゃったり、いろんな表現を子供たちはしてくれるんですけど、そこに何かノックするような関わりが、保育者は多いなと思って。
よくある場面だと思うんですけど、友達叩いたとか、もの取り合ったってなった時に、「本当はどうしたかったの?」っていう問いかけをすると思うんですよね。
これ多分、時代の流れもあると思うんですけど、「もうここはじゃんけんでしょう」とか、「後から取ろうとしたお前が悪い」みたいな教育も、多分かつてはあったんだと思います。
だけど、今の人を育てるっていう現場では、「本当はどうしたかったの?」「そういう時は貸してって言うといいんだよ」「相手はどう思ってたと思う?」っていう問いかけをしたり。
その子の気持ちを出すことのリードとか、一緒に読み解いていく。思わぬ感情が跳ね返ってきたりもするので、「そういうこと考えてたんだね」っていう話をしていく。
そのプロセスが、まさにコーチングだなって。ちょっと回答になってるかわかんないですけど。
いやいや、そうだなって思いましたね。大人の方がもしかしたら難しいのかもしれないですけど、感情にアクセスするって。
子供はその言葉を持ってなくて、適切な表現は難しいかもしれないけど、でも感情とは常に繋がってるような気がしてて、息子とか見てても。
だから元になってる感情を尋ねたり、「どうしたかったの?」っていう、その意思のところを尋ねたりして。
もしかしたら社会的に間違った出方をしてた時は、「こうしてあげた方がいいかもね」っていう、ちょっとアドバイスをあげるという、そんな感じ。
そうですね。社会的に間違っているって、確かにと思って。
そこをリードしてあげるのは、先に社会を生きている先人としての責任だなとは思うので、リードするっていうのは、大人に対するコーチングよりはちょっと強めの要素かなとは思います。
大人は逆に、その社会規範みたいなものにとらわれて、感情にアクセスできなくなってる人も多いな、なんていうことも思うので。
ここ(子供と大人)は比較するとすごく面白いんだなって、初めて気づきました。
興味深いですね。
キャリアのモヤモヤ、環境を変えるか残るか
金岡さんは、西尾さんがご自身のポッドキャストでキャリアのモヤモヤを赤裸々に話していた回を挙げ、本題に入ります。
ね。そっち(保育とコーチングの比較)でも一本取れそうですか。私が西尾さんのポッドキャストを聴いて、お話ししてみたいなというテーマがありますので、それをお話しできたらなと思っています。
ありがとうございます。
収録日の月9日時点の『おりょうの盛大なひとりごと』の最新回で、ご自身のね、キャリアにモヤモヤをされているっていうことを赤裸々にお話しされていたり。
もっと前の回で、人を支援するということは自分のためでもある、みたいなお話をされていて。
僕自身も5年ぐらい、対人支援をパラレルワークの一環、一部本業の中でもやってるんですけども、人に関わることで自分のキャリア観に何か跳ね返ってきてる、影響を受けてるなって感じることがあって。
それが何かがまだ言語化できていない状態なので、せっかくなので、このテーマについて一緒にお話しできたらなと思います。
ちなみに頭出し的に、西尾さんが最新回でお話しされてたご自身のキャリアに対するモヤモヤって、この番組で話せる範囲でいいんですけども、どんなことがあるんですか。
そうですね。最新回からまた気持ちが変化して、今は仕事っていう面だけで見れば、割とすっきりはしてきたんですけど。
あの時モヤモヤしていたのは、自分がやってみたいことをより実現可能そうな環境に自分の身を移すのか、それとも違う視点でこの場に残り続けるのかっていうところを、ちょっと迷ってたんですよね。
そこで一番モヤモヤが生まれていたのが、あの最新回の時でした。
もう少し言える範囲で具体的に言っていただくと、どんなことに対して、その2択で迷ってたんですかね。
その時は保育園で迷っていて。今、保育士◯年目に入ってるんですけど、だんだん自分の中の保育観、子供観が固まってきたんです。
自分にとっての保育が何なのか、広く言えば日本にとって、未来にとっての保育って何なのかっていうところの答えが、自分なりに一旦出たタイミングだったんですよね。
それが言語化できてすごく嬉しかったんですけど、同時に、今私パートの働き方をしていて、子供たちの直接的な担任にはなれない立場になってるんですけど。
一回環境をガラッと変えて、もう一度子供の担任になれて、かつ自分の中で固まった「保育はこういうものだ」っていうのと似た理念を持ってる保育園を、偶然見つけたので。
そういう自分の考えと合っている環境に身を移して、保育士としてもう一回子供と向き合うっていうものをしてみるか。
正直、今の保育現場で難しい出来事とか、このまま行っても苦しいだけだぞっていう、ちょっとトラブルが起きたりして。
(今の現場の)子供ではなく、大人側とか環境とか、組織の中の思考の渦巻き方みたいなところに、子供のためというより、コーチとして対人支援を学ぶものとして関わるのか。
っていうところの、2つの道で悩んでました。
おー、なるほど。◯年保育を続けられてきた結果として、現時点での答えが出たということでしたが、AなのかBなのか、どちらにすることにされたんですか?
今の現場に身を置いて、自分が学んできたものを使って、子供直接よりは、子供を取り巻く環境、そこの大人側に関わっていきたいなと思ってます。
(その関わり方は)一保育士としての立場を使った上での、対人支援で。
「ないものをずっと探してるな」という気づき
金岡さんは、西尾さんがどんなプロセスで「今の現場に残る」という答えにたどり着いたのかを掘り下げます。
どういうプロセスでそこに至ったのか、もう少し聞かせてもらってもいいですか。
さっきの、もう一個の保育園に移るのかどうかって悩んでいた時に、「ないものをずっと探してるな」って、自分の思考の癖と姿勢に気づかされて。
本当にふと気づいたんですけど、環境を変えるっていうのが、私にとってはすごく簡単なことで。
環境を変えて「すごいね」って言われたりもするんですけど、環境を変えればどこでも初心者になれて、「学びます」「1年目です」みたいな感じで行けるのが、なんだかんだ楽。
自分のことにガムシャラになってればいいんですけど。確かに、もう一個の自分の考えと合いそうな保育園に移動するのもアリかもしれないけれど。
今実際にここで向き合える子供がいて、向き合える保育士がいて、なんとかなってほしいっていう思いも問題点もある。
そこにあるなら、そこに向き合うっていうことをしてみてもいいんじゃないかって思ったんですよね。
今あるものに目を向ける。未来を向くことによって逃げるじゃないですけど、じゃなくて、今あるものにどう向き合うかを、一回やってみようかなって思いました。
なんかね、さらっと話されてますけど、今までの生きてきた思考パターン、環境を変えるのが得意だったり、言葉を借りると「逃げる」っていう行動を、多分やられてきた。
そこをグッと立ち止まれたのって、何なんですかね。
やってみたいのと、怖い気持ちがあったことですかね。
嫌だじゃなくて、できるかわからない、怖いっていう気持ちと同じぐらい、できたら最高なのにっていう思いがあったので。
それを差し置いて、もし環境を変えて何十年と生きていって、後から振り返った時に、やってみたかったのにやらなかったことの一個で思い出すなと思ったので。
ちょっとここ踏ん張ってみるかっていう感じで。
コーチ「をする人」ではなく、コーチ「である人」
金岡さんは、西尾さんが踏ん張れた理由を、人を支援することが自分のためでもあるという話と結びつけて仮説を立てます。
そこでなぜ踏ん張れたのかを考えた時に、僕も一支援者として、クライアントの方がやらない理由を探したり述べたりしだした時には、やりたい気持ちの方に目を向けてもらうことをやったりするなと思うんですけど。
その辺は、西尾さんの「人を支援することが自分のためでもある」みたいなところでもあるのかしらって、少し仮説が立ったんですが、そんな感じはあったりしますかね。
今感じました。
誘導尋問になってますか?
誘導じゃないです。ちょっと過去を思い返した時に、コーチングっていうものが、私はやっぱりまだわからなくて。
いろんな型とかやり方はあると思うんですけど、それをうまく使いこなせてるわけでもないし、自分のやってる対話はコーチングなのかとかはわからないんですけど。
でも、コーチングをする人ではなくて、コーチっていう人であるっていうのを意識する、という視点を人からもらった時に。
これまでのクライアントさんが「涼子さんに背中を押されてこれをしました」とか、「これはうまくいったけど、これはうまくいかなかった」みたいな、その挑戦を見た時に、シンプルにダサいなと思って。
自分が人に言ってるのに、自分がやってないのはダサいし。伴走者ってリーダーじゃないというか、隣に二人三脚みたいな感じで走るっていう感覚が、初めて今、そういうことかって腹落ちしたんですけど。
ああ、私も頑張るよというか、(クライアントは)仲間であり、若干ライバルみたいな。こんなとこ見せてられないみたいな。
対人支援って、本当に向き合うからこそ、自分にそういう影響を与えてくれてる。
毎日LINEをしてなくても、あの人との時間に嘘つきたくないなっていうのは、自分の選択に影響を与えてるなって気づきました。
金岡さんは、「コーチである」という言葉から、プロフェッショナルコーチの資格を取ったスクールで教わった「ビーイング」と「ドゥイング」の話を思い出します。
今のお話の中の「コーチである」っていう言葉って、僕も5年前、6年前ぐらいに、プロフェッショナルコーチの資格を取得したスクールの中で、教えてもらったことがあるなって思い出したんですけど。
コーチングって、どのように質問するのか、どういう間でいくのか、どういう受け答えをするのか、みたいなスキルにフォーカスが当たりがちなんですけども。
結局は、その質問をしているのがどんな人なのか、どんなマインドスタンスでいるのかの方が大事だよ、と。
コーチであるというビーイングを自分が持てていることが、何よりも大事。そのドゥイングとかスキル面ではなくて、っていうことをすごく伺って。
ドゥイングとかスキル面って、相手に対して会話の中で小手先で使おうと思ったら、本心がどうあれ使えるじゃないですか。
だけどビーイングは、直接的に相手に出るもんじゃないからこそ、嘘偽りが効かない。うまいこと相手にだけ使って、自分には使わないみたいなことはできないよなと、聞いてて思っていて。
西尾さんが、コーチであるイコール、やろうとしてる人を前向きに伴走したり応援する人である、みたいにビーイングの方で思えてるから。
自分に対しても勝手に適用されるというか、適用せざるを得ない。そういうことが起こったのかしらっていうふうに思いましたね。
そうですね。ドゥイング、スキルに目が向きがちですよね。
でもさっき、西尾さんはビーイングの話をしていたなと。コーチであるみたいなことをおっしゃられてたんで、自分にも矢印が向くことにもなったのかなって。
今までやってこなかったチャレンジングな、A案B案のB案の方に行こうとされてるわけですもんね。
そうですね。
いや、今日のテーマの、対人支援をすると自分の在り方が変わることで、キャリア観も今までとは違う選択をされていきそうだ、みたいなことがわかって、嬉しいなって思いました。
まとめ
この回では、保育士で自己理解コーチの西尾涼子さんが、保育の問いかけとコーチングの近さを語ったうえで、ご自身のキャリアの迷いと決断を明かしました。環境を変えるのが得意だった西尾さんは、今の保育現場に残り、大人側に関わる道を選んでいます。その背景には、クライアントに伴走する「コーチである」という在り方が、自分自身の選択にも向いてきたことがあると語られました。
- 保育者の「本当はどうしたかったの?」という問いかけは、コーチングに近い関わり
- 西尾さんは「ないものを探す」癖に気づき、今の現場で向き合う道を選んだ
- 怖さと同じぐらい「できたら最高」という思いが、踏ん張る理由になった
- ビーイングとしての「コーチである」は相手だけに使えず、自分のキャリアの選択にも影響する







