口下手が考える「言語化の本」とは
この回では、ヤギワタルさんが2026年5月に刊行した初めての著書について話が進みます。自身で書かれた本のテーマは「言語化」です。
一言で言うと、口下手が考える言語化の本という感じで、うまく喋れないなとか、どういうふうに説明したらいいんだろうとか、言葉で喋ったけど全然伝わらないなみたいな悩みを扱っています。
ヤギワタルさんによれば、伝え方の悩みを言葉だけで解決しようとするのではなく、イラストレーターとしての発想でビジュアルを使って考えたほうが伝わるのではないか、という本です。
どうやって言葉で説明したらいいかを言葉で考えるんじゃなくて、ビジュアルを使って考えてった方が、なんか伝わるようにできるんじゃないか。
ただし、この本は絵が描けない人でも読めるものだといいます。大事なのは実際に描くことではなく、頭の中でイメージすること、同じものを一緒に見ることだと説明されました。
想像したり、ものを一緒に見たりすると、言葉で頑張って伝えるよりも早くとか正確に伝わることがあるんじゃないか。
平田さんは、必ずしも絵を描くことが必要なわけではなく、言葉を補完するビジュアルの存在の大事さを語った本だと受け止めます。
環境が変わると喋れなくなる自分への気づき
お笑い芸人も志したヤギワタルさんが、なぜ自分を「口下手」と認識するのか。その原点には、環境によって話せなくなる自分への気づきがありました。
大学のサークルにいた時は面白おかしく言えたことが、別の会社に入ったら全然言えないとか。環境が変わると全然伝わり方が違う。
小学校、中学、高校、大学と、会う相手によって話す内容も話し方も変わる。特に社会に出てから、うまく喋れない自分に気づいたと振り返ります。
ヤギワタルさんは、口下手な自分も饒舌な自分もどちらも存在すると考えています。問題は能力ではなく、その場や相手との関係にあるという視点です。
頭の中ではいろいろ考えてて、それを言葉に出す瞬間がめちゃくちゃ難しい。
この気づきは、書くことにも共通します。話すのは好きでもSNSに書こうとすると手が止まる、といった経験も同じ現象だと整理されました。
さらにヤギワタルさんは、饒舌だと思われている人にも喋りにくい瞬間があるはずだと指摘します。親戚の集まりでは黙ってしまう、といった場面です。
おしゃべりなはずの人も、めっちゃ黙ってる時とか、親戚の集まり行ったら喋んないとか、そういうのあるはずなんですよ。じゃあそれって何が違うの?っていうのを考えてる。
「よく喋る人」平田も、実は苦手な場面がある
この話を受けて、平田さん自身も苦手な場面を打ち明けます。よく喋る人だと思われがちですが、異業種交流会のようなネットワーキングの場が非常に苦手だといいます。
いろんな人が交流目的で集まってるネットワーキングの場になると、ほんと何も話せなくなる。
フリーランス協会の交流会でも、自ら率先して話すのではなく、料理を運んだり飲み物を配ったりしているそうです。話しかけられれば話せるものの、自分から自分の話をするのが苦手だと語ります。
平田さんによれば、自分を知っている相手と近況を話すのは平気でも、知らない人に自分を紹介する行為がとても苦手だといいます。
自分の紹介はなんかね、もうほんと口が開かなくなっちゃいますね。
PRの仕事をしている平田さんですが、他人を紹介するのはできても、自分を紹介するのは別だといいます。ここでもヤギワタルさんの言う「シーンによる違い」が現れています。
ヤギワタルさんは、多くの人がコミュニケーションを能力の問題として捉えがちだと指摘します。ビジネス本にも「コミュニケーション能力を高める」といったものが多くあります。
みんな自分はコミュニケーション能力がある、ないみたいな能力の問題として考えちゃう。だけどそうじゃなくて、その場がどうか。
ヤギワタルさんの主張は明快です。大事なのはスキルではなく、その場と相手との距離感だという点に、山崎さんも強く興味を示しました。
なぜ言葉は「雑な道具」なのか
ここから、ビジュアルが言葉をどう補うのかという核心に入ります。ヤギワタルさんは、言葉をコミュニケーションの道具として「雑」だと表現します。
言葉ってすごい雑な道具というか、コミュニケーションの道具として雑なんですよね。
例として挙げられたのが「男性」という言葉です。何十億人もいる男性を一言でくくると、聞き手はそれぞれ自分の経験から違うイメージを浮かべてしまいます。
そのイメージを作ったのは、その人が今までどういう男性を見てきたか。やばい男性を見てる人は、男性って言われた時にやばい奴だよなって思う。
ここでビジュアルの出番です。具体的にどういう人のことなのかを絵で見せると、聞き手のあいだで理解が共通化されるといいます。
ビジュアルって共通の一個のものなんで、言葉のギュッてまとめちゃってるものを一つのものを見ることによって、これについて喋ってんだってすぐわかる。
平田さんは「犬」という単語を例に挙げます。チワワとゴールデンレトリバーは同じ「犬」でくくられるほど個体差が大きく、言葉がいかに広い概念かがわかります。
さらに平田さんは「フリーランス」という言葉のズレも指摘します。制作議論の現場でも、人によって全く違う像を思い浮かべているというのです。
Macで作業するノマドのクリエイター
フードデリバリーの配達員や、建築現場の一人親方
フリーランスって同じ単語で話してるようでいて、すごい制作議論の現場とかでもずれがち。
短文にするほど言葉が雑になるSNS
この「言葉の雑さ」は、SNSの言論空間でより顕著になるとヤギワタルさんは言います。短く伝えなければならないという圧力が、言葉を雑にしていくからです。
短く伝えなきゃいけないっていうのがあるんで、そうすると言葉は雑になる。丁寧に伝えようとするとどんどん長くなっちゃう。
その結果、議論はかみ合わなくなります。それぞれが自分の想像したものに対して意見を言っているだけ、という状態が起こりがちだといいます。
みんなが自分で勝手に想像しているものに対して意見言ってるだけなんで、別にその話じゃないんだけどみたいなことはかなり多い。
平田さんは、こうしたズレが不毛な小競り合いを生んでいると受け止めます。そこにビジュアルがあれば、認識のズレをなくしていけるのではないかと話が展開しました。
AI生成画像の何が難しいのか
話題は、誰でも画像を出力できるようになったAIへと移ります。平田さんは、AIで功罪があるのではないかと問いかけます。
AIで誰でも画像を出力できるようになったが、それも功罪がありそうではないか。
平田麻莉 さんからの質問
ヤギワタルさんは、AIの出力には間違いが含まれうる点を挙げます。問題は間違いがあること自体ではなく、どこが間違いかわからないまま出すことが危険だという点です。
間違いはあるけども、どこが間違いかわかってないものを出すっていうのはかなり危険。
ヤギワタルさんが特に強調したのは、作業としての難しさの逆転です。ゼロから作るより、AIが一気に作ったものを点検して削るほうが難しいというのです。
AIが一気にバーンって作ったものを削ったりチェックするのと、自分で白紙のとこから作るのと、どっちが難しいかっていうと、後者の生成AIをチェックする方が難しい。
その理由をヤギワタルさんは、AIが賢すぎることに求めます。人間の能力では、どれが間違いかチェックしきれないのではないかというのです。
AIが賢いイメージがありすぎて、人間の能力的にどれが間違いかチェックできないんじゃないか。だったらちゃんとあるものを写真で撮るか、絵で描く方が正しいものが伝わる。
華やかなイラストと、伝わるイラストは別物
伝えることに関して、ヤギワタルさんは「うまさ」は必ずしも必要ないと言います。伝えるだけなら、ポンチ絵で十分だという考えです。
伝えるっていう観点でいうと、ポンチ絵で全然いい。その方が情報がクリアに伝わる。
ここでヤギワタルさんは、イラストレーターの仕事を2つに分けます。華やかなイラストを描くことと、伝わるイラストを描くことは別物だという整理です。
見た目を華やかに飾ることを目的としたイラスト
情報をクリアに伝えることを目的としたイラスト。ヤギワタルさんはほぼこちら
問題は、AIを使うと華やかさと伝わりやすさを一度に両取りしようとしがちな点です。ヤギワタルさんは、その両取りは難しいと指摘します。
華やかかつ伝えるみたいなのをみんな結構やりがちで、そこが難しいところ。
AIの図解にも同じ傾向があるといいます。パッと見はすごく見えるものの、実際にはその図解を見ている人はほとんどいないのではないかというのです。
パッと見、めっちゃすごいってなるんですけど、多分その図解を見てる人ってほとんどいない。
その原因を、ヤギワタルさんは制作プロセスの違いに見ています。AIは全ピクセルを埋めがちですが、人間はそんなに頑張りたくないから、自然とシンプルになるというのです。
AIって全ピクセル作ってるから埋めがち。でも人間が描くとサボりながら描くから逆にシンプルになる。伝えるってそっちだと思う。
平田さんは、どこを捨ててどこを残すかというジャッジを人間は必然的にしているが、AIはしなくていい分、見る側が目をどこから動かしていいかわからなくなると受け止めました。
クライアントが「それでいい」と言い出す脅威
続いて、職業としての脅威という直球の話題に入ります。ヤギワタルさんは、AIの脅威をはっきりと感じていると認めます。
脅威はめちゃくちゃ感じてますね。
その脅威の本質は、品質を判断する側にあります。イラストレーターが「間違いがある」と言っても、クライアントや消費者が「それでいい」と言えば、それで通ってしまうというのです。
間違いがあるってイラストレーター側が言っても、クライアントや消費者がそれでいいじゃんって言い出したら、それでいいってなっちゃう。
一方で、仕事への実際の影響はまだ切り分けが難しいといいます。生成AIの登場とSNS全盛の時代が同時に来ているため、どちらの影響か判別しづらいのです。
AIのせいで本が売れなくなってるのか、SNSのせいで本が売れなくなってるのか、両方いっぺんに来てるんで難しい。
AIで再現できるなら、自分がいる必要がない
ヤギワタルさんは、自分の仕事では生成AIを使わないという立場を明確にします。その根拠は独自性です。
独自性っていう観点でいけば、生成AIは使わない方が自分は独自性を出せると思っているので、自分では使わない。
AIを使えば発注内容に確かに応えられる。しかしそれは、自分がいる必要がなくなることでもある、とヤギワタルさんは言います。
山崎さんは、それは誰でも再現できてしまうことだと言い換えます。独自性がAIで代替できるなら、その人でなくてよいことになる、という論点です。
何度も直したのに、手応えも喜びも減ったブログ
イラスト以外の領域、たとえば文章でもAIを使わないのか。ヤギワタルさんは、ブログ執筆で一時期AIを使い込んだ体験を語ります。
文章を自分で書いて、この文章どう思う?みたいな感じで、直した方がいいって言われて直して、もう一回これでどう?って何回も往復して投稿するんですけど。
何度も推敲したのだから、いい反応が来るだろうと投稿する。しかし反応は大したことがなく、自分の手応えも薄い。その繰り返しに違和感を覚えたといいます。
直す作業には満足感がある一方で、喜びは減っていく。最初に自分が考えたこととズレていく感覚もあったといいます。
最初自分が考えたこととめっちゃずれてきてんなとかっていうのもあって、これやりすぎると自分の考える力は衰えるかなって思って。
ヤギワタルさんが行き着いた基準はシンプルです。AIの言うことをなかなか否定できない。否定できないなら、使わない方がいいという判断です。
否定できないんだったら使わない方がいい。否定するためにはめちゃくちゃ勉強しなきゃいけなくて。
ただし、リサーチのサポートとしては使うこともあるといいます。書いた文章に対して参考文献や読むべき本を尋ねる、といった使い方です。
平田さんも、壁打ちにAIを使うと自分でなくなる気がしてほぼ使っていないと共感しました。
13歳の子供と40歳の師匠を分ける、判断材料
なぜAIの意見は扱いにくいのか。ヤギワタルさんは、人が意見を判断するときの材料に注目します。人は言葉そのものだけでなく、発言者の存在から判断しているというのです。
13歳の子供が言ってる意見だったらOKみたいな、40歳の師匠が言ってることだったら、そっかみたいな。人って判断する時の材料が、言葉以外というか、その存在から判断してる。
ところがAIには、その存在や人格がありません。だから判断が難しいとヤギワタルさんは言います。
たとえば「アイデアはすごいが雑な人」の意見なら、細かいところは自分で補おうと判断できます。相手の属性を手がかりに、意見の受け止め方を調整しているのです。
平田さんは、AIはある意味で全人類の英知の集合体だが、そこに人格がなくなると一気にジャッジが難しくなる、と受け止めました。山崎さんも、フラットに言葉だけで判断しなければならない難しさに触れています。
原点に戻る漫画と、講義から生まれた一冊
今後クリエイターとして取り組みたいことを問われ、ヤギワタルさんは依頼に応えることを軸としつつ、自分で漫画を描いていきたいと語ります。
漫画ってやっぱ文章と絵なんで。
文章と絵の両方を扱う漫画は、ヤギワタルさんにとって原点に戻る営みでもあります。イラストをメインにして文章を減らした、ストーリー性のある本の構想も語られました。
そもそも今回の本が生まれた経緯もユニークです。きっかけは、デザインの専門学校での講師の依頼でした。テーマは「ビジュアルコミュニケーション」でした。
自分でスライドを作って、6回、講義やって、それをXでビジュアルコミュニケーションの講義やってきましたって言ったら、編集者さんから面白そうですねって。
編集者に講義6回分の内容を説明したところ、「言語化」というテーマと相性がいいかもしれないという話になり、両者を混ぜた一冊が生まれたといいます。
平田さんは、つぶやいてみることの大切さを改めて指摘します。この番組でも、つぶやきから仕事が広がった話をよく聞くといいます。
SNSは必須科目か。「知ってもらうチャンス」の広げ方
山崎さんは、SNSはフリーランスの必須科目なのかと問いかけます。平田さんは、やらない主義の人もいるとしつつ、SNSの登場が独立をしやすくしたのは確実だと答えます。
SNSが登場したおかげで仕事が広がったとか、独立しやすくなったっていうのは確実にある。
ヤギワタルさんは、知ってもらうチャンネルを増やすためにSNSはやっておいたほうがいいが、どっぷりやる必要があるかは別だと整理します。
知ってもらうチャンスを増やすためにはSNSちょっとやっておいた方がいいけど、どっぷりやる必要があるかっていうと、また別の話。
ただしイラストレーターにとって、Instagramは事情が異なるといいます。すでにポートフォリオとして機能しているため、必須かもしれないという見方です。
Instagramはもうイラストレーターのポートフォリオになっちゃってるんで、イラストレーターに関して言うと必須かもしれない。
野望を抱かず、みんながいい社会を目指す
イラストの今後についても、ヤギワタルさんは出版社と共に生きていくことを軸にしつつ、絵を動かすことにも取り組みたいと語ります。書籍の表紙が少し動く、といった発想です。
書籍の宣伝とかでも、絵がちょっと動いてたっていいかな。表紙の絵がちょっと動いてるとかっていうのは、今後はあり得るかな。
最後に個人としての野望を問われると、ヤギワタルさんは自分は野望を抱かないと答えます。流れに身を任せて生きてきて、それでなんとかやってこられたといいます。
ただし、めざしたい方向はあると語ります。自分一人の生存だけを考えるのではなく、社会に対していい動きができたらいい、という思いです。
自分が生存できさえすればいいんだみたいな感じからはちょっと外れていきたい。みんながいい社会っていうのは、ぼんやりですけど思ってます。
まとめ
全3回にわたるヤギワタルさんの回の最終章では、言葉の限界とビジュアルの力、そしてAI時代のクリエイターの立ち位置が語られました。伝えることを軸に据えたとき、うまさや華やかさよりも「サボる」ことで残る情報のクリアさが効いてくる、という逆説が印象的です。
- 伝え方の悩みは能力ではなく、その場や相手との距離感の問題として捉え直せる
- 言葉は便利だが「雑な道具」で、聞き手ごとにイメージがずれる。ビジュアルは認識を共通化する
- 伝えるイラストはうまさより情報のクリアさが大事で、華やかさとの両取りは難しい
- AIはゼロから作るより点検の方が難しく、否定できないなら使わないという判断がある
- 人は発言者の存在から意見を判断しているため、人格のないAIの言葉は受け取りにくい






