キッズ部門がなかった時代、大人の大会に混ざったスーパーキッズ世代
GRAFFYでLOCKを教えるUDIさんは、PUNCHしょーへーさんが「元祖スーパーキッズ世代ロッカー」と紹介するダンサーです。収録はUDIさんの金曜日のレッスン終わりに行われ、冒頭から裏声のあいさつで場を和ませています。
UDIさんは現在28歳になる年です。UDIさんによれば、自身が小学校低学年のころに、キッズダンスのコンテストやバトルがちょうどでき始めたのではないかといいます。
(キッズの)部門分けみたいなのあんまなかったんで。
(今は)レパートリー豊富にいろいろあるんですけど、それがなかったんで、もう大人と混ざってやるしかないみたいな。
当時のUDIさんにとって、コンテストに出るなら大人と同じ土俵に立つしかありませんでした。今のように年代別の部門が整う前の世代だったことが、「スーパーキッズ」と呼ばれた背景の一つと考えられます。
UDIさんの幼少期はキッズの部門分けがほとんどなく、大人の大会に混ざって出るしかなかった
現在はキッズ向けの部門やイベントが豊富にそろっている
両親ともダンサー、母は50歳過ぎてバトルへ
PUNCHしょーへーさんが「異色」と語るUDIさんの経歴の土台には、父親も母親もダンサーという家庭環境があります。UDIさんは親によれば4歳ごろから、ダンサーでインストラクターだった父親のレッスンに通い始めました。
UDIさんは高校生になるころまで、ほぼ父親だけに習っていたといいます。その後、地元の滋賀に教えに来ていたHANAIさんのレッスンにも通うようになりました。
UDIさんの父親はもともとBボーイで、KNITさんやDJのTOGAさんらとAIRGROOVECREW ── 関西を拠点に活動したダンスチーム。今回の話では、UDIさんの父親がKNITさんやDJのTOGAさんと組んでいたチームとして紹介されていますを組んでいました。UDIさんは父親から、ブレイキンやロックに加えて、父親がハマり出したタップダンスも一緒に習っていたそうです。
UDIさんの母親もブレイクとロックを踊るダンサーです。ブレイクから始め、出産後にロックへ移り、3人の子どもを育てたあと最近またブレイクを再開したといいます。
この間なんか(母親が)バトル出たって言ってました。
50過ぎてるんですけど、なんかバトル出た楽しかったみたいな言ってました。
UDIさんは、両親ともダンサーという家庭は自分の知る限りほとんどいないと話しています。PUNCHしょーへーさんも、ダンサー同士の家庭が増えたのは最近の話で、この世代では珍しいと応じています。
家でも父を「先生」と呼んだ親子チームの関係
UDIさん一家は、教えるだけでなく親子でコンテストにも一緒に出ていました。PUNCHしょーへーさんは、親が教えていても一緒には出ないケースが多いなかで、この活動はシーンの中でも特徴的だと指摘します。
親と同じチームで出ることについて、UDIさんは出づらいと思ったことはなく、普通の感覚だったと振り返ります。ただ、親との関係には独特なところがありました。
僕ずっと父親のこと先生って呼んでたんで。
家で過ごしてても先生って言うんで、それが抜けないんで、いまだにそれが抜けないんで。
UDIさんは父親を「先生」、母親を「おかん」と呼んでいたといいます。弟の綾人さんも父親を「先生」と呼び、家の中で「お父さん」と呼んだことはおそらくないそうです。
最近のUDIさんは、父親を「先生」ではなく「親父」と呼ぶかもしれないと話します。その変化について、HANAIさんのレッスンに通い始めたことも関係していると考えているそうです。
4歳から高校ごろまで父親だけに習い、家でも「先生」と呼んでいた
HANAIさんなど外部の先生にも習うようになり、今は「親父」と呼ぶかもしれない
父親とのチームでの出場は、UDIさんが20代前半になるまで、今から5年前ごろまで続きました。父親は現在50代で、今も滋賀でレッスンを続けています。
「舐められたくない」と尖っていたキッズ時代
キッズ時代のコンテストやバトルへのモチベーションを聞かれ、UDIさんは「めっちゃ勝ちたかったです」と即答しています。その背景には、滋賀の田舎で同世代のダンサーもイベントもほとんどなかった環境があります。
毎週末コンテストとかバトルとかを大阪まで連れてってもらって、綾人と弟と一緒に出るみたいな感じやったんで、もう負けたくないみたいな。
舐められたくないみたいなのはめっちゃ強かったと思いますね。
当時のUDIさんは「めちゃめちゃ尖ってた」といい、会場でも他の人とはほとんど話さなかったそうです。その気持ちに火をつけたのは、当時のキッズシーンの事情でした。
当時のキッズダンスシーンには男性ダンサーがもともと少なく、ロックの男子2人チームとなると周りがライバルとしてはやし立てたといいます。
あそこライバルやなんちゃんみたいな。別にそう思ってないけどみたいな。とかやられると、もう余計火がつくっすよ。
環境
滋賀には同世代のダンサーもダンスイベントもほとんどない
遠征
毎週末、大阪のコンテストやバトルに弟と出場
周囲の声
数少ないロックの男子チームとして、周りがライバル扱いする
心境
「絶対負けたくない」「舐められたくない」と尖っていく
弟・綾人さんとは、なぜ揉めずに組み続けられるのか
UDIさんは今も弟の綾人さんとメンバーを加え、Freezyなどのチームで活動しています。綾人さんについて聞かれたUDIさんは「弟やなって感じ」と答え、ずっと一緒でも飽きないといいます。
UDIさんと綾人さんの間でも喧嘩はありますが、そのほとんどは普通の兄弟喧嘩で、ダンスのことで揉めたのは数えるほどしかないそうです。振り付けの方向性で意見が分かれても、衝突には至らないといいます。
同じ環境でずっと育ってきて、常に2人一緒やったんで、(お互いの)考えてることとか、そうしたい理由とかもなんとなくこっちもわかるんで。
同じ師匠のもとで育った兄弟だからこそ、UDIさんと綾人さんは互いのアイデアを聞いて、その時々で良いほうを選べるといいます。PUNCHしょーへーさんは、長く組めば別の人と組みたくなるのではと想像していたものの、一番の理解者がそばにいるからこそだと納得しています。
挑戦を始めたGRAFFYの生徒たちへの期待
PUNCHしょーへーさんは、GRAFFYのロッククラスをはじめ、子どもたちがバトルやコンテストに挑戦し始めている現状を紹介し、UDIさんにどう見ているかを尋ねます。
うーん、でもいいなと思います。
たまにバトル興味ないとか、コンテスト興味ないみたいな声かけはしてて、それが今結構ね、ぐわっと来てる子は出たりしてるんで、それはすごくいいなって思ってます。
UDIさんは、今は興味のない生徒たちも、いずれ挑戦する仲間の姿を見て頑張ってくれたら嬉しいと話しています。
オーナーのPUNCHしょーへーさんによれば、GRAFFYは歴史の長いスクールに比べてまだ年数が浅く、先輩の姿を見て後輩が挑戦する文化はこれから育つ段階です。UDIさんのクラスを小学2、3年生で受けた子たちが中学生になって大会に出始め、それを見た下の世代も続こうとしているといいます。
きっかけ
UDIさんがレッスンでバトルやコンテストへの興味を声かけ
第1世代
小学2、3年生でクラスを受けた子が中学生になり大会に出始める
次の世代
その先輩を見た子たちが「出ようかな」と動き出す
PUNCHしょーへーさんはこの時期を、挑戦のムーブメントが起きようとしている重要な時間だと捉えています。高校生くらいの生徒には、UDIさん自身の挑戦の経験をシェアしても面白いのではと提案しています。
生徒に伝えたい「脳みそを使って踊る」時間
PUNCHしょーへーさんから生徒へのメッセージを求められたUDIさんは、レッスンで聞いた話を自分の頭で考えることの大切さを挙げました。
UDIさんの言う「考える」とは、振り付けや言われたことをこなすだけで終わらせない、という意味です。せっかくGRAFFYでレッスンを受けるなら、そこまで持っていってほしいと話しています。
(レッスンで先生が言ったことを)その場その場で「はいはい」みたいな感じで聞くというよりかは、まあ学校の宿題じゃないですけど、なんかそれをちゃんと家に持ち帰って。
先生が今日言ってたことってどういうことなんやろうみたいなのをちゃんと脳みそ使ってやってほしいなみたいな。
その場で「はいはい」と聞き、体を動かすだけで終わる
先生の言葉を家に持ち帰り、どういう意味かを自分の頭で考える
スパルタ指導と情報の少なさが育てた「自分で考える力」
「考えるダンス」というUDIさんのメッセージの源を探るため、PUNCHしょーへーさんは父親の指導方法を尋ねます。UDIさんの答えは「めちゃめちゃスパルタでした」というものでした。
あの時代やから許されたかなみたいな。
UDIさんによれば、母親もダンサーで、両親ともに指導者のような家庭だったといいます。綾人さんとの兄弟の絆が深いのは、その環境を一緒に切り抜けたこととつながっているかもしれない、とUDIさんは話しています。
UDIさんは当時、反復練習もたくさんしましたが、負けたくないチームに負けて落ち込んだときにこそよく考えたといいます。
でも弟と、「いや、ここが理由で負けたんかな」とか、「いや、俺ら絶対勝ってたよな」とか、なんか自然と考える瞬間があったかなみたいな。
UDIさんは、今より情報が少なく、動画ですぐ答えを見られなかったことも関係していると考えています。PUNCHしょーへーさんも、今は考える前に動画を見たり、すぐジャッジに聞いたりする子が多いと応じています。
さらにUDIさんは、当時は父親の言うことが絶対で、ジャッジから講評を受けても先輩なので「はい」と聞きはするものの、あまり聞いていなかったと明かします。
親父しか信用してなかったっていうのもある。
だから自分らで考える時間の方が多かったんかなって今なんとなく思いました。
スパルタな家庭
両親とも指導者のような環境で、反復練習を重ねる
負けの経験
負けたくないチームに負け、弟と理由を話し合う
情報の少なさ
動画などですぐ答えを見られない時代
結果
==自分たちで考える時間==が自然と長くなった
UDIさんは、自分のキッズ時代とは状況が違うと認めたうえで、それでも考えることは大事だと語ります。PUNCHしょーへーさんは、ダンスは受け取るだけでなく自分で生み出すものであり、UDIさんのメッセージは自身の経験から来ていると受け止めています。
PUNCHしょーへーさんは、飲み会でも面談でも出ない深い話を先生から聞くためにこの番組を始めたと話し、特にUDIさんのクラスの生徒に聴いてほしいと締めくくりました。次回は、自身も父親になったUDIさんのパパとしての話が予告されています。
まとめ
両親ともダンサーの家庭で4歳から踊り始めたUDIさんは、父を「先生」と呼ぶ師弟関係と、弟・綾人さんとの二人三脚の中で育ちました。スパルタ指導と負けの悔しさ、情報の少なさが自分で考える習慣を育て、それが今、GRAFFYの生徒に伝えたい「脳みそを使って踊る」というメッセージにつながっています。
- UDIさんはキッズ部門がない時代に、大人の大会に混ざって挑戦したスーパーキッズ世代
- 父親を家でも「先生」と呼び、高校ごろまで父親だけに習っていた
- 弟の綾人さんとは同じ環境で育ったため、ダンスで揉めることはほとんどない
- 負けた悔しさを弟と分析した経験が、自分で考える習慣につながった
- 生徒には、先生の言葉を家に持ち帰り、自分の頭で考えて踊ってほしいと語っている



