なぜ今、太宰治なのか
今回のプレゼンター栗下直也さんが取り上げたのは、ミネルヴァ書房から出た安藤宏さんの『太宰治 尊重すべき困つた代物』です。
首藤淳哉さんは「なぜ今さら太宰なのか」と率直に問いかけます。太宰はこれまで何百という水準で語られてきた作家だからです。
正直、なぜ今太宰なの、っていうリスナーの方多いと思うんですよ。だけど散々擦られてるじゃないですか。
それでも栗下さんは、語り尽くされているからこそ読んでみたと話します。人によっては太宰の見方がガラッと変わる、スリリングな一冊だといいます。
著者の安藤宏さんは、『太宰治論』で日本学士院賞も受賞した太宰研究の第一人者です。この本は作品解説ではなく、他の文豪たちとの人間関係から太宰の本質を深掘りする内容だと紹介されます。
太宰は「時代遅れの炎上系プロレスラー」だった
栗下さんはこの本のメッセージを、太宰は「時代遅れの炎上系プロレスラー」だったと要約します。
ただし、これはあくまで栗下さんの解釈だと念押しされます。安藤さん自身が太宰をレスラーと呼んでいるわけではありません。
もちろん誤解のないように言っておくと、安藤さんは直接そのレスラーと言ってないですね。ガチの論文賞ですから。ただ、この本文の中に、要はリングネームだとか、文壇を公的な道場であるとか、ほのめかしてですね。
本の中では「リングネーム」や「文壇=道場」といった言葉がほのめかされていると、栗下さんはその読み筋を説明します。この切り口で、太宰の「四試合」を追っていきます。
ルーツは雪国の大富豪・四男坊のコンプレックス
まず太宰のルーツが整理されます。太宰は青森の五所川原、金木で生まれました。当時の人口は二千人ほどで、東京から約八百キロ離れた雪深い土地です。
中央から距離があったからこそ、東京の権威に対する強い反骨精神があったと語られます。津軽弁でいう「じょっぱり」の気質です。
同時に太宰の家は大富豪でした。青森県で四番目の納税者であり、貴族院議員も出した家柄です。
ただルーツをたどると、もとは百姓から金貸しなどでのし上がった家系でした。そのため太宰の中には、百姓と貴族という複雑なコンプレックスがあったとされます。
おまけに太宰は四男坊で、家を継ぐ必要もなく「小津カス」として育てられました。叔父に「カス」と書く津軽の言葉です。
四男坊だからこそ、心のどこかでこう、ダメな自分を叱責してくれる、強い兄を求めるっていう独特の思いがあったと。
反骨心がありながら、強烈な甘えん坊でもある。首藤さんは「もうすでにめんどくさい」と評します。この二面性が、後のプロレスラー太宰の下地になります。
中央や権威に噛みつく、津軽の「じょっぱり」的な強さ
強い兄に叱ってほしいと願う、四男坊としての弱さ
芥川への憧れと「文壇=リング」の思い込み
田舎にいても家は裕福でした。芸大に通う兄が最先端の文学雑誌を持ち帰り、太宰はそこで芥川龍之介に出会って猛烈に憧れます。
芥川のニヒリズムのポーズや皮肉を、太宰は田舎にいながら全身にインストールしていったと語られます。
ここで太宰は大事な思い込みを身につけます。作家は小説を書くだけでなく、自分というキャラクターを演じ、雑誌上で他の作家と渡り合うものだ、というものです。
文壇っていうのはそのポーズが大事だと。ポーズとポーズがぶつかり合うリングなんだと。そういうことを太宰はこう学ぶわけですよ。
この「文壇はリングだ」という刷り込みが、上京後の太宰の行動をすべて方向づけていきます。
第1試合・第2試合―川端康成と佐藤春夫
上京した太宰は、刷り込まれたノリのまま東京に殴り込みをかけます。しかし時代はすでに変わっていて、空回りしてしまいます。
第1試合の相手は川端康成です。第一回芥川賞で候補になった太宰に対し、選考委員の川端が私生活を問題視する選評を出します。
怒った太宰は雑誌に抗議文を発表する一方、川端には私信で芥川賞をくれとねだるパフォーマンスを仕掛けます。一メートルほどの巻物の手紙です。
これもすごいプロレスっぽくて。だって手紙でいいじゃんって話じゃないですか。私信だし。でも太宰はこうやって、強い愛を挑発してプロレスをしたかったんですね。
しかし新感覚派の川端は挑発に何も反応しません。メディアが発達し始めた時代に、太宰の振る舞いは相手のいない一人芝居になってしまいました。
第2試合の相手は、川端より少し上の世代で古い文壇の作法を持つ佐藤春夫です。太宰の師匠にあたる存在で、かつては谷崎潤一郎と並び称された時期もありました。
佐藤春夫は太宰に、芥川賞の賞金にあたる「金五百円はやがて君のものになる」と匂わせるはがきを送ります。ところが太宰は落選してしまいます。
すると太宰は、そのはがきをそのまま自分の小説に引用して晒してしまいます。佐藤春夫も無視すればいいのに、「芥川賞」という小説で暴露に暴露で応じました。
二人のやりとりは文壇から冷ややかに見られました。「こんなものが文学なら廃業した方がいい」とまで書かれ、二人はしばらく疎遠になってしまいます。
せっかくのプロレスの受け手を自分から潰しちゃったんですね。
第3試合・井伏鱒二―受け身の怪物
もう一人の師匠、井伏鱒二とのプロレスはどうだったのか。栗下さんはここを本の読みどころだといいます。
結論から言うと、井伏は太宰のプロレスをのらりくらりとかわし続けました。太宰は井伏の代作をするほど仲がよく、最も仕掛けやすい相手だったのに、取り込まれませんでした。
太宰からすれば、本当にこう叱り飛ばしてほしいのに、肝心なところでなんかこう、トボけてどっか行っちゃうみたいな。
強い兄になってほしいのに、肝心なところで避けられてしまう。太宰は井伏を「化け物」だとメモに残しています。
そして太宰は最後の遺書に、身内宛で「井伏さんは悪人です」という強烈な一言を残しました。
強い兄の役割を引き受けてくれないので、恨みと強烈な甘えの裏返しとしてその言葉が出たと。
この一言をモチーフに、猪瀬直樹さんが小説『ピカレスク』を書いています。本当に悪人なのかは今も意見が分かれると、栗下さんは補足します。
一周遅れが先頭になる―そして志賀直哉との最終決戦
ここまでだと、太宰はただ時代遅れなことをしているだけに見えます。ではなぜ、それほど有名になれたのか。
安藤さんは「一周遅れのランナーが先頭に転じた」という表現で指摘します。一人芝居のプロレスを続け、自分の弱さや自意識過剰な部分を赤裸々にさらけ出したことが、逆に誰もやっていない表現になりました。
それが戦後、傷ついた大衆の心に強烈に刺さり、太宰を人気作家へ押し上げたと語られます。
人気者になっても、太宰は同じスタイルを続けます。そのプロレスの最後が、小説の神様・志賀直哉への噛みつき事件でした。
昭和初期の志賀直哉は、今のお笑いで言えばひと昔前のダウンタウンのような存在でした。みんなが文体を真似する「ミニ志賀直哉」が溢れ、普通は誰も噛みつかない相手です。
その志賀直哉が座談会で太宰の作品を軽く批判すると、太宰はエッセイで志賀直哉批判へ転じます。
なぜ大御所に噛みついたのか。志賀直哉はありのままを書くスタイルで、太宰の露悪的に弱さをさらけ出すやり方を、一言でいえば「キモい」と評したからだといいます。
自分の文学とか生き方を守るために切実な抗議をしたんですね。
これが死の原因とする指摘もあります。批判の最中に、太宰は自殺してしまいました。
どこまでが本気で、どこまでが計算されたキャラ作りだったのか、よくわからない。栗下さんは、その曖昧さが今も太宰人気につながっていると語ります。
回想録で見える太宰―走れメロス誕生と、税務署に勝てない男
もっと太宰を知りたい人向けに、実際に関わった人の回想録が二冊紹介されます。
一冊目は、親友の作家・檀一雄が書いた『小説 太宰治』です。有名なのが「温泉での置き去り事件」です。
熱海の温泉宿でお金がなくなった太宰に、檀がお金を届けます。ところが二人で散財してまた宿代がなくなり、太宰は菊池寛のところへ取りに行くと言って檀を宿に置き去りにします。
親友を借金のカタに置いて。
いつまでも太宰は帰りません。困った檀が井伏鱒二の家を訪ねると、太宰はそこで井伏と将棋を指していました。
見つかった太宰は檀に、「待つ身がつらいか、待たせる身がつらいか」と言い放ちます。そしてこの一件から名作『走れメロス』が生まれたと語られます。
メロス走ってないですけどね。将棋させてるだけなんで。
もう一冊は、妻の津島美知子さんが書いた『回想の太宰治』です。プロレスに明け暮れた外向きの顔とは違う、家庭での太宰が見えてくるといいます。
この本には「税金」というエッセイがあります。無頼派の太宰は税金対策を全くしないので、稼ぎがわかりやすいのだと栗下さんは笑います。
亡くなる前年の昭和二十二年、税務署から売り上げ二十万円ほどとして、十万円を払えと通知が来ます。当時の十万円は、都知事の月収が一万円ほどだったことを踏まえると、相当な額です。
文壇の権威には噛みつくのに、太宰は税務署には頭を下げ、経費を差し引いた実際の稼ぎを申告します。しかも税務署へは妻を行かせました。
文壇ではヒールだったのが、税務署には勝てない。
乳母車を押して行った美知子さんは、太宰がこのとき弱っていたことがないと書き残しています。外向きの演技とは別の顔が浮かび上がる回想録だと紹介されます。
まとめ
『太宰治 尊重すべき困つた代物』は、作品解説ではなく、川端康成・佐藤春夫・井伏鱒二・志賀直哉との人間関係から太宰を読み解く評伝です。時代とすれ違い続けた男が、時代遅れを貫いたからこそ誰にも描けない文学にたどり着いた、という筋を追う一冊として紹介されました。
- 著者は太宰研究の第一人者・安藤宏さん。文豪たちとの関係から太宰の本質に迫る評伝
- 栗下さんは太宰を「時代遅れの炎上系プロレスラー」と読み、文壇をリングに見立てて四試合を語った
- 川端・佐藤春夫との試合は空回りし、井伏には受け身でかわされ、志賀直哉への噛みつきが最後の試合になった
- 一人芝居のように弱さをさらけ出し続けた結果、一周遅れが先頭に転じ、戦後の大衆に強く刺さった
- 檀一雄『小説 太宰治』と津島美知子『回想の太宰治』からは、演技の太宰とは別の人間くさい姿が見えてくる
