「真似したい」から始めるプレイリスト
今回のきっかけは、他の人が配信しているPodcastの概要欄を眺めていたことでした。
佐々木さんは40回近く配信してきても、この番組の概要欄がまだ固まりきっていないと感じていて、リンクの置き方などを「お勉強」のつもりで見ていたそうです。
そんな中で、エピソードの配信に合わせてSpotifyのプレイリストを更新している人をたまたま見つけます。
参考にしたいとか、着想を得たとかっていうより、素直に真似したいと思ったんですよね。
そこで、考えるより先にとカバーアート作りから手を動かし始めたと話されています。
創作は模倣の失敗
ちょうど同じ頃、佐々木さんが編集を担当した『佐渡島庸平の好きのおすそわけ』で、コンテクストデザイナーの渡辺浩太郎さんの回が配信されていました。
改めて聞いていたら、自分がやろうとしていることとつながる部分があったといいます。
渡辺さんの著書『生きるための表現手引き』から強く受け取ったのは、「創作は模倣の失敗である」という考え方でした。
誰かの表現を模倣しても完全には同じにならず、模倣しきれなかったところや型に収まりきらなかったところに、その人自身が出てくるという考え方です。
ゼロから全く新しいものを作れなければ創作とは呼べないと考えると、創作って急に遠いものになってしまう。でも、誰かの型を借りるところから始めてもいいと思うと、入り口が少し広がるように感じて。
この本はクリエーションを諦めていた人に向けて書かれたもので、佐々木さんは自分について「諦めきれていない」「諦めきるほど強くもない」と話します。
それでも「もしかして自分のこと?」という感覚があり、模倣から始まることがあるというメッセージが、自分にとってありがたかったと振り返っています。
言葉で考えすぎる自分に、選曲という抜け道
今回作ったプレイリストは、まず番組のあり方やイメージから曲を選び、以降は配信のたびに浮かんだ曲を数曲ずつ追加していく形にしたそうです。
ただし、エピソードの内容を音楽で説明したいわけではないと念を押しています。
このテーマにはこの曲が正解ということでもなくて、話し終えた後に聴いてみて、この曲が浮かんだ。そんな反応を記録として置いていきたいんですよね。
PodcastやnoteはAIともやり取りを重ね、書き直しを繰り返すなど、かなり言葉で考えていると話します。
一方で選曲はそれとは違い、聴いてきた音楽の中から曲が浮かんだり、最近の曲が不思議とつながったりして、理由は後から考えることになるといいます。
言葉とは違う入り口から、同じ出来事に触れ直せるかもしれない。そんな切り口を見つけられたことが、結構嬉しくて。
最初に浮かんだ「COLLAGE」
いざプレイリストを作ろうとしたとき、最初に浮かんだ曲はHIPHOPグループROMANCREWの「COLLAGE」でした。
割と自然にその曲名が出てきたというか、手書きの一筆書きみたいにサッと繋がった感じがあったんですよね。
ROMANCREWは活動を休止していた期間を経て、再び集まってこの曲をリリースしたそうです。
佐々木さんが特に好きなのは、Ali-KICKさんが歌う一節でした。
そんな絵を描いてたんだね。少しずつ切り取って貼り重ねる。新しくて、そして懐かしい虹がキャンパスにまた咲くらしい。
この歌詞について、佐々木さんは自分なりの解釈を語ります。
一緒に活動していなかった時間も何もなかったわけではなく、それぞれが別の場所で別の絵を描いていたと。
再会したときに「そんな絵を描いてたんだね」とお互いの時間を眺める、その感じが美しいと感じているそうです。
番組そのものがコラージュだったのかもしれない
この曲が最初に浮かんだのは、番組「ぼんやりおきもち」自体がコラージュのようなものだからかもしれない、と佐々木さんは考えます。
子育てや会社員生活、創作、地域での出来事などを、一つのテーマに決めきらずに話しているからです。
その時々の出来事や気持ちを、少しずつ切り取って貼り重ねている。それが後から眺めたときに、その時期の自分らしきものがぼんやり立ち上がるかもしれない。
それを少しだけカッコつけて「セルフドキュメンタリー」と呼んでいると話します。
一方で、この番組は説明しづらいという迷いもあります。一つのテーマや専門性があって、ためになる話がある番組の方が、聞く理由もわかりやすいと感じる部分があるそうです。
個人的な話をしていますと言っても、自分の個人的な話を誰が聞きたいんだっけ。そういうのはどこまで行っても付きまとうというか。
それでも、いろんな出来事を切り取って貼り重ねていく場だと考えると、それもこの番組の形と言えるのかもしれないと着地させています。
整えたくない、そんな絵を描いていた自分
「そんな絵を描いてたんだね」という言葉を、佐々木さんは自分に引き寄せてみます。
うまくいかなかったことや、停滞していると感じた時期があったといいます。二項対立を作っては自分の気持ちを取り下げたことや、なりたかった自分と比べて遠くに来たと感じたこともあったそうです。
それでも、何も描いていなかったわけではないのかもしれない、と考えます。
会社に行き、家族と過ごし、友達と会い、Podcastやnote、音楽を作ってみたりしたものを切り貼りしたら、どんな一枚になるか。きっと整ったものではないだろうと話します。
ここで佐々木さんは、全部を肯定したいわけではないとも言います。
そうやって整えてしまうことには強く抵抗があって。良かったかどうかは一旦脇に置いといて、こういう絵だった、そんな絵を描いていたんだったというところで留めておきたいんだと思います。
自分を知りたい、でも決め切りたくない
もう一つ思ったこととして、この番組はセルフドキュメンタリーであって、セルフポートレートにはしたくないと話します。
一枚の自画像として「これが自分です」「この出来事はこういう意味でした」と確定したくないというのです。
確定した自画像として描くと、絶対にイケメンにしようとするんだと思うんですよね、自分は。
自画像的な言葉にすると、何かがこぼれ落ちたり、逆に盛ってしまったりしそうだと考えています。
Podcastで話したことをnoteにすると、切実さが増す感じがあるとも話します。声の調子や雰囲気が漏れ出るPodcastに対し、文章では切実さだけが前に出るように感じるそうです。
そこに今回はプレイリストも加わります。言葉にする自分と選曲する自分では、少し違う方向のものが浮かぶかもしれないといいます。
声の調子や反応、雰囲気が少し漏れ出る
切実さだけが前に出るように感じる
佐々木さんは、自分のユニークさを知りたい気持ちと、全てを理解したことにはしたくない気持ちの両方があると打ち明けます。
確定することのかなり近くに、諦めきることがあるように感じるんですよね。自分はこういう人間だったと決めた瞬間に、他の見え方があるかもしれないという可能性を閉じてしまう。
だからこそ、Podcastで話したものも、noteに書いたものも、プレイリストに置く曲も、どれか一つを完成した自分にはしたくないと話しています。
型を模倣しても、その型の中で自分が何に反応するかまでは同じにならない。「創作は模倣の失敗である」という言葉を、小さく実践してみたいと締めくくっています。
まとめ
他の配信者の真似から始めたプレイリスト作りが、「自分は何を残したいのか」というぼんやりした問いにつながった回でした。決め切らずに貼り重ねていくという姿勢が、番組そのものの形として静かに立ち上がっています。
- きっかけは「素直に真似したい」と思ったプレイリストの更新方法だった
- 「創作は模倣の失敗」という言葉が、模倣から始めることの入り口を広げてくれた
- 最初に浮かんだROMANCREW「COLLAGE」が、番組をコラージュとして捉え直させた
- 整えて意味づけるのではなく、「そんな絵を描いていた」と留めておきたい
- セルフドキュメンタリーであってセルフポートレートにはせず、どの表現にも自分の全部を背負わせない




