なぜ居酒屋で上場を目指したのか
話は上場の準備を始めた2010年に戻ります。川邊さんが上場を志した理由を尋ねると、大倉さんの答えは創業まもない頃にさかのぼりました。
大倉さんは創業の翌年、2年ほどの時点ですでに上場を目指していたと話します。理由の一つは、外食業界の社会的地位を上げたかったからでした。
まず一つは、この業界の社会的地位を上げたかった。水商売と呼ばれて、採用にも弱いですし。
それとやっぱり大倉商店ではなくパブリックにしたかったですね。
個人の会社ではなく、社会の公器としての会社にしたい。この思いは、多くの経営者の著書を読む中で共鳴したものだったと言います。
川邊さんも上場企業を経営してきた立場から、公器であることは間違いないと応じます。大倉さんにとっては、創業1号店の大学アルバイトから付いてきた専務・常務の存在も大きかったようです。
1号店の大学アルバイトからついてきてくれたんですから、彼らにもみんなの会社にしようよ、だから上場を目指すよと言ってきました。
利益が下がっても諦めなかった上場までの道
上場を目指す過程では、苦労もありました。労働環境の改善や体制整備を進めると、コストがかさみ、一旦は利益が下がる局面が訪れます。
いざ2010年から上場を目指す上では、なかなか一旦利益下がりますよね。いろんなのを整備していくと。
同業他社では、この局面で経営を退く社長もいたと言います。それでも大倉さんは乗り越える道を選びました。
2014年、ジャスダックへの上場を果たします。大倉さんは、シェア1位になったときよりも感慨深かったと振り返ります。上場パーティーには、北海道からも正社員とその家族を招待しました。
見送るため、我々役員が並んで、ご両親、家族から、いい会社入れた、本当にありがとうございますとか、感謝の言葉を結構もらったんで、やれたなと思いましたね。
川邊さんは、1985年に25歳で起業してからの道のりを「完全に立志出世の人物」と評します。上場まで至れた理由を問うと、大倉さんの答えは明快でした。
諦めなかった理由の一つが、創業から付いてきた専務・常務の存在です。夢を語って一緒に来てくれた仲間に、今更辞めるとも諦めるとも言えなかったと話します。
当時は金融機関からも「居酒屋で上場なんか無理」と言われたと言います。理由として挙げられたのは、酒を提供する会社であることと、利益率の低さでした。
まずお酒を提供する会社というのと、利益率が低いということを言われましたね。前例が少なかったのもあると思う。
500店舗突破、そして2018年の出店凍結
上場後の勢いは目覚ましく、2015年に東証2部、2016年に東証1部へと進み、500店舗を達成します。どんどん店を増やすビジネスモデルは、コロナ前まで続くかに見えました。
しかし、拡大は2018年で一度止まります。理由は、出店を続ける中で不採算店が増えていったことでした。
店舗同士が近すぎて客を奪い合うカニバリ ── カニバリゼーションの略。同じ企業の店舗や商品同士が客を奪い合い、全体の売上を伸ばせなくなる現象が起きていたのです。繁華街は問題なかったものの、沿線の駅ごとに出店したことが裏目に出ました。
お客さんをまだ掴んでる最中に、また隣駅出してるもんですから、奪い合うというか。それで、もうちょっと決断で出店を凍結しましたね。
このままだと危ないと感じた大倉さんは、出店を止めると同時に、聖域なき経費削減に踏み切りました。
さらに京セラ発祥のアメーバ経営 ── 京セラ創業者・稲盛和夫が生んだ経営手法。組織を小集団に分け、各単位が独立採算で採算を意識して動く仕組みも導入します。こうして筋肉質な体質を作り上げた矢先、過去最高の利益が出た第2四半期の直後にコロナが訪れました。
過去最高の利益が第二四半期終わった時に出た時にコロナが来たんですね。でもこれ良かったんですよね。筋肉質にした上でなったから。
店舗数の推移を見ると、最大670店まで伸びた後、不採算の50店ほどを閉め、620店ほどまで整理したと言います。出店は、東名阪に集中させるドミナント戦略 ── 特定の地域に店舗を集中出店し、認知度や物流効率を高める戦略。一方で近接店同士のカニバリが起きやすい面もあるで進めていました。
聖域なき経費削減を、社員はどう受け止めたか
筋肉質化の過程で印象に残ったことを尋ねられると、大倉さんは自社の社員を「素直」だと表現します。
うちの社員って素直なんですよね。右向け右言ったらみんな向いてくれて。
アメーバ経営を入れると経理や財務の担当が抵抗勢力になると聞いていたそうですが、鳥貴族では誰一人いなかったと言います。ただし、経費削減の場面では一部に反発もありました。
長年付き合ってきた取引先を変えることへのためらいです。阿吽の呼吸で進められた関係を、ここで切り替えられては困るという声でした。それでも大倉さんの答えは変わりませんでした。
いや、もうそんなの言ってられない。やってくれ。
社長の意志の強さを見て、社員も受け入れていったと川邊さんは受け止めます。コロナ前に筋肉質化を終えられたことが、その後の危機を乗り越える土台になりました。
全店休業と給与100%補償、いち早い決断
コロナが広がり始めた2020年2月、大倉さんはまだアメリカ視察に出かけ、店舗展開の夢を描いていました。しかし状況は1か月ほどで一変します。
店を閉めてくれとか、政府、自治体が言ってくる。想像もできなかったですよね。
店を閉めろという要請は、それまで一度も経験したことのない事態でした。要請には強制力がなく、破ることもできましたが、大倉さんはそこで一つの決断を下します。
鳥貴族は、業界の中でもいち早く休業を発表したと言います。志村けんさんの訃報などにも触れ、人命第一の判断でした。
もう休業するわと緊急に取締役会開いて、みんなも賛成してくれました。と同時に給与を100パーセント保証していく。
この方針は、社内向けに動画配信でも発表されました。給与を100パーセント保証していくという決断は、利益率が高くない業態にとって、資金繰りの大きな試練でもありました。
資金繰りを救った協力金と、政治の大切さ
経営者として最も気になるのは、キャッシュフローです。当初、大倉さんは2〜3か月で収束するだろうと甘く見ていたと言います。
当初はやっぱり僕も甘くて、二、三ヶ月もすれば収束するんだろうなと思ってたら、これはとんでもないねと思い始めました。
結果として、コロナ禍は2〜3年に及びました。賞与も払い続ける中、外食業界を救ったのが翌年からの協力金でした。
翌年には協力金が。あれでも会社持つなと思いましたね。
この経験を通じて、川邊さんも大倉さんも政治の大切さを実感したと語ります。一方で、店舗には協力金が出ても、仕入れが止まった取引先は苦境に立たされました。
大倉さんは各協会や経営者仲間とともにロビー活動を行い、取引先のことも訴えたと言います。危機の中で、自社だけでなく業界全体に目を向けていたことがうかがえます。
不安な社員に、社長は「楽しんでる姿」を見せた
緊急事態宣言下では全店を休業し、時短要請になれば時短対応を取りました。社員は自宅で待機し、賞与も支払われていました。安心してもらおうとしたところ、逆に社員から心配される場面もあったと言います。
逆に心配されてね。大丈夫ですか、安心してもらおうと思ったら逆に心配されて。
コロナをきっかけに変わったこととして、大倉さんは経営に対する心構えを挙げます。うまくいく時もあれば、悪くなる時もある。その備えができたと言います。
もう一つは、社員の立場に立って考えることでした。自宅待機が最も不安だったであろう社員のために、大倉さんはSNSで意外な発信を続けます。
妻の協力を得て100均でハート型の器を買い、来店したチェーン店の料理を写真に撮って流したのです。狙いは「社長が楽しんでいる」と思ってもらうことでした。
社長はもう心折れてるんじゃないかとか思われてはいけないなみたいな。
株価は2020年3月頃から下がり、上昇に転じるまで2年ほど低迷しました。それでも大倉さんは、株価は仕方ないと開き直れたと言います。視線はすでに次に向いていました。
協力金が決まった瞬間、アフターコロナの攻めを考えた
転機となったのは、協力金の拡充が分かった瞬間でした。存続のめどが立つと、大倉さんはすぐにアフターコロナの攻めを考え始めます。
まずホールディング制へ移行し、焼き鳥チェーン「大吉」の買収をサントリーに打診します。あわせて地方進出、海外進出も動き出しました。危機の最中でも、大倉さんは常に次の準備をしておこうと考えていたのです。
店舗数が倍になる、初めてのM&A
コロナ後、大倉さんはコロナ中に考えていたことを次々と実行に移しました。その中心が、大吉のM&A、地方進出、海外進出です。
大吉は買収時点で約500店を持つ焼き鳥チェーンでした。約600店の鳥貴族と合わせると、1100店を超える規模になります。
もともと大吉はサントリーが保有していましたが、事業としてはノンコアだったと大倉さんは見ています。サントリーにとっては、ビールを扱ってもらえれば十分だったのではないかと話します。
サントリービールさえ売ってくれたらいいなと思っただけやと思います。
大吉はサントリーにとって創業者から買ってくれと言われて引き受けた経緯があり、ずっと保有していたものでした。価格は、大倉さんが財務諸表を見て想定した水準で、適正だったと言います。
これが大倉さんにとって初めてのM&Aでした。しかも店舗数が倍になる規模です。ただし大吉は全店フランチャイズであり、一番の狙いは別のところにありました。
大吉ブランドをうちのグループにすることによって、焼き鳥グループとしてのブランドが今までに上がるなと思ったんですよね。
大倉さんの師匠は大吉の出身であり、大倉さん自身が外食業界に入るきっかけも大吉でした。雲の上の存在で、目標でもあったところがグループになったことに、感慨深さもあったと語ります。
大吉と鳥貴族は客層や立地が異なるため、共存できる点も買収の理由でした。
若い層が中心、駅前・駅近に出店
40代以上が中心、住宅街に出店
地方進出と、福岡で学んだ「よそ者」の壁
都市部の出店がほぼ飽和状態に近づく中、大倉さんは地方進出を進めます。2022年10月、初めての地方として福岡に出店しました。
福岡は人口当たりの焼き鳥店が最も多く、競争が激しい上に地元が強いと言われる土地でした。周囲からは、鳥貴族には厳しいのではないかと心配されたと言います。
それでも、約3年で14店舗まで拡大しました。ただし、単に店を出せば通用したわけではありません。
地元の知人からは、東京や本土から来た人間は「よそ者」と見られると助言されたと言います。
大倉さん、もし福岡出身の者がおったら、その子に店長させた方がいいよ、もしくは九州から選んだ方がいいよと。
大倉さんは実際にこの助言を取り入れ、マネージャーや店長を福岡の人材で固めました。地元の感覚を受け入れながら進めたことが、成果につながっています。
直営は札幌から沖縄まで広がり、今では27〜8都道府県に達しています。買収後の大吉については、加盟店の高齢化と後継者不足が課題となっており、新規加盟をどう取るかが今後のテーマだと言います。
フランチャイズは店舗が小さく直営には合わないため、そのまま運営する方針です。現在の鳥貴族は、直営2に対しフランチャイズ1ほどの割合になっています。
まとめ
出店凍結からコロナ危機、そして再攻勢まで。大倉さんの語りに一貫していたのは、危機の最中にも次の一手を考え続ける姿勢でした。守りを固めた上で攻めに転じる判断が、鳥貴族の歩みを支えています。
- 上場は業界の社会的地位を上げ、個人の会社を公器にするための挑戦だった
- 2018年の出店凍結と経費削減が、コロナ前の筋肉質化につながった
- 全店休業と給与100%補償をいち早く決断し、翌年の協力金で存続のめどが立った
- 協力金の拡充が分かった瞬間に、アフターコロナの攻めを考え始めた
- 大吉のM&Aや福岡進出では、ブランド価値と地元人材の登用を重視した






