働く時間と趣味の境界線
テーマは「結局、何時間働けばいいの?」。ただし就業規則や労働基準法の話ではなく、組織や学習を研究する2人が感じる違和感やモヤモヤを起点にしています。
安斎さんが挙げたのは、スマホにSlackが入り、土曜日にうっかり確認してしまうような現代の状況です。好きでやっている仕事を、残業申請せずに続けてしまうグレーゾーンもあると話します。
好きでやってる仕事は、勝手に残業申請しないで、これ自分がちょっと趣味でやってるだけだからみたいな、グレーゾーンの仕事とかありますよね
安斎さんは大学院時代、「そろそろゴールデンウィークですね、たっぷり研究ができますね」と言われて育ったと振り返ります。休みの日が「研究できる時間」という意味付けになっていたと言います。
東南さんも社会人大学院生として、平日の夜や土日に研究をしています。組織開発の論文を土日に読み、仕事に使えそうだと思いつく時間が、労働なのか趣味なのか曖昧だと話します。
週7で働いてもいい、という価値観
安斎さんが「働く時間を減らしたいのか」と問うと、東南さんは意外な答えを返します。ただし条件付きです。
私は週7働いていいタイプなんですよ
週7、朝から夜までミーティングがあったら、もう多分1ヶ月持たないと思う
東南さんにとっては、予定がない日に家で仕事をするのは、映画や美術館に行くのと同じ感覚だと言います。だから週7で働いても苦にならないと話します。
安斎さん自身も同じ特性を持ちます。お風呂に入りながらコンテンツを考えるなど、エネルギーがあればいくらでも働けるタイプだと言います。
AIで生産性が上がった先の「もったいない」
一方で、安斎さんには最近芽生えた欲望があると言います。AIによって生産性が上がり、ストッパーが外れている感覚です。
以前は1冊の本を書く労力が大きく、複数を同時並行で書くのは大変でした。今は2〜3冊を同時に進められるようになったと話します。
ここで安斎さんは、大企業で裁量労働制で働く後輩の話を紹介します。短い時間で成果を出し、余った時間で土地を買いブドウを育て、ワインを作っているそうです。
今この仕事が面白いからワイン作ってるんですって言ってて。なんかいいなって思って
ワイン作りは自然の変数が大きく、風のない時間でないと作業できないため、その後輩は朝3時に起きて畑仕事をし、早く帰って子どもの料理を作っているといいます。
安斎さんも早く切り上げることはできるはずなのに、やっていないと言います。生産性が解放された喜びから、もっと本を書けると考えてしまうためです。
もっとできるのに、もっとやってないっていうことが、生産性を持て余してる感じがしちゃう
その背後には、能力主義や「成長しなければいけない」「もっと生産しなければいけない」という囚われがあるのではないかと安斎さんは自己分析します。以前は年1冊で満足していたのに、今年は4冊書くつもりだと言います。
八時間労働は、たった1人の「オートミール事件」から生まれた
そもそも「何時間働くか」をメタ認知する考え方自体、産業革命以降に工場労働者を管理するために生まれたものだと安斎さんは指摘します。
2人はともに、なぜ八時間なのかを収録前に調べていました。行き着いたのが、19世紀イギリスの社会主義者ロバート・オウエンです。
当時の工場では、子どもでも十数時間働かされていました。オウエンは、労働時間を八時間に減らしても生産性は落ちないと検証し、八時間ずつ働き・休み・自由に過ごすサイクルが人間らしいと提唱したのです。
さらに安斎さんは、オウエンがこの問題意識を持ったきっかけまで調べていました。子どもの頃の、ある体験にさかのぼると言います。
5歳の頃に、遅刻しそうな時に、めちゃめちゃ熱々のオートミールを慌てて朝食で、かけ込んだらめっちゃ火傷したんだって
規律に定められた時間に追い立てられた結果、大やけどを負った。それが原体験となり、時間に急かされる働き方への問題意識につながったのではないか、と安斎さんは語ります。
東南さんは、安斎さん自身がルールや規律に怒りを感じるのも、泳げないのにプールの時間を強制された原体験からきていると重ねます。歴史や慣習が、一人の原体験から生まれることの面白さを2人は語り合います。
休日は「明日の労働のための準備時間」なのか
安斎さんは、オウエンの考え方に共感しつつも、根本的な不自然さは変わらないと指摘します。休息を取った方が持続的に働けるという発想は、結局は労働を前提にしているからです。
後輩がワイン作りのために朝3時に起きるのは、起こされているのではなく、自然の流れの中で自ら起きているのだと安斎さんは対比します。
令和は過去に比べて休日が増えているのに、多くの人が疲れている。安斎さんは、そこに問題の核心を見ます。
休日めっちゃ多いんですよ、現代って。でもなんかすごいみんな疲れてんじゃん
安斎さんは、ビジネス書作家・越川慎司さんの休息術の本がベストセラーになった理由にも触れます。年収や評価が高い人の休日の過ごし方を、みんなが知りたがるのは、休日が労働の準備時間として制度化されているからだと言います。
休む時間は基本的に労働のための時間なんですよね。として制度化されて休日が増えてる
東南さんは、休みが多いのに疲れる感覚を「稼働させられている感覚」だと表現します。会社や社会が主体で、自分が使われている感覚への疲れではないかと考えます。
そこで東南さんが思い出したのが、以前に安斎さんが使っていた言葉です。
自分の人生のゼンマイを自分で回すみたいな表現しましたっけ
ただし安斎さんは、「やらされているか、やりたくてやっているか」だけでは見えないものもあると付け加えます。自分は書きたくて本を書いているから相対的にしんどくない。しかし冒頭の話に戻ると、余裕があるともう1冊書こうとなってしまうと言います。
この資本主義社会のシステムに本を書かされてるみたいな感覚がなきにしもあらず
東南さんは、ここで自分のスタンスは少し違うかもしれないと切り出します。ソーシャルノイズ診断の結果は高くなく、自分のために何時間も煮物を作ることに喜びを感じているといいます。
一方で、もっと執筆やクリエイティブなことに力を向けられれば違うのかもしれない、とも東南さんは迷います。安斎さんはその点で「先を行っている」と感じると話します。
安斎さんは、大学院時代は誰にも読まれなくても博士論文のモデル図をいじるのが無限に楽しかったと振り返ります。その純粋な喜びが今も薄れるのは、「売れてないから」だと自己分析します。
売れたい、多くの人に読んでほしい、ビジネスにつながる循環を作りたい。そうした欲望から、いま書きたくて書いている時間が「未来のための時間」に侵食されていくと安斎さんは言います。
江戸時代の「抜け参り」に学ぶサボり方
話は、安斎さんが著書でも触れた「サボること」の重要性へと向かいます。ここで紹介されるのが、江戸時代の「抜け参り」です。
当時の奉公人が「もう無理、休みたい」となったとき、主人に無断で伊勢神宮へお参りに行ってよいという風習だったと安斎さんは説明します。
本人が「あ、もう無理、休みたい」とかなったら、無断で主人に何も言わずに伊勢神宮にお参りに行っていいっていう風習があったらしいんですよ
驚くのは、道中で人々が「抜け参りね」と手助けし、通行手形がなくても行けたという点です。社会的に黙認された、合法的なサボりだったといえます。
安斎さんは、現代人が社会に仕組まれたリズムの中で休まされ、遊ばされ、働かされていると指摘します。自分がうっかり4冊も本を書いてしまうのも、「書かされている」のだと言います。
この話を経て、安斎さんは自分の判断を振り返って反省します。書きたいテーマの本を、「これだと3万部いかなそう」という理由で出版延期にしていたのです。
東南さんはそれを「ソーシャルノイズにまみれている」と指摘しつつ、より多くの人に届けたいという「健全な悩み」にも見えると受け止めます。
今回のルール「自分のリズムで抜け参れ」
番組の締めくくりに、2人は「働く時間」に対する1つのルールを提案します。安斎さんの「好きなだけ働け」と、東南さんの「抜け参れ」を掛け合わせた形です。
安斎さん自身も、実はよく抜け参っていると明かします。カレンダーに何も予定を入れず「ブロック」した日を週に1〜2日設けているのです。
その時間は全力で本を書いたり探究に使ったりしていますが、たまにサウナに行くこともあると笑って認めます。社会のリズムから自分のリズムで降りることの実践だといえます。
午前中サウナ行っちゃおうとかね
まとめ
八時間労働という当たり前の起源をたどると、一人の原体験と、労働を前提とした制度が見えてきました。だからこそ、社会のリズムに休まされるのではなく、自分のリズムを取り戻す視点が問い直されます。
- 八時間労働は19世紀のロバート・オウエンが提唱したもので、その原点には子ども時代の火傷という原体験があった
- 休日が増えても疲れが取れないのは、休みが「労働のための準備時間」として制度化されているからだと安斎さんは指摘する
- AIで生産性が上がった今、「もっとやらねば」という囚われから、書きたくて書く時間が未来のための時間に侵食されていく
- 江戸時代の「抜け参り」は、社会的に黙認された合法的なサボりであり、自分のリズムで降りる知恵だった
- この回の提案するルールは「自分のリズムで抜け参れ」



