一時帰国と、順応中の1ヶ月
番組冒頭、二人が近況を語り合います。さぼってんさんは長い一時帰国から帰ったばかり、カフカさんは新しい環境に順応中です。
この番組は元アスリートのカフカと編集者のさぼってんが、日々の気づきや違和感を本音で語り合う対話番組です。というわけでよろしくお願いします。
よろしくお願いします。
最近どうですか?
最近はですね、長い一時帰国から帰ってきて、早速というか、疲れもあって、子供が風邪を引いたのをまんまともらい、ちょっとぶっ倒れてました。
大丈夫ですか?
もう一日倒れてたら次の日治ってたんで、ほとんど。よかったですけど、ちょっと不覚でした。
多分、免疫力落ちると思うんですよね。その間に移動したり、結構激しく動いてたので。でもなんとか持ち直してきたところです。
いかがですか?カフカさんは。前回は、環境変わって数日みたいな時にお話聞いたような。
そうですね、数日だって。今もう1ヶ月経って、まだ順応している最中ですが。でも本当にみんな人が良くてありがたいなと思っている今日この頃です。
なんか思ったよりというか、今日お会いして、オンラインですけど、すごく切羽詰まっているという感じではなく。
それでいうと、まだ切羽詰まってはないかな。徐々にこれから増えていくフェーズかなって思ってますね。
大体そうじゃないですか。2ヶ月目、3ヶ月目ぐらいが結構、どんどん仕事を任されてくるみたいな。なので、結構ビビってます。
誘うことが苦手な私を後押しした「制限」の力
今回のテーマは「人を誘うときに必要な力」です。さぼってんさんは、自分にとってのその力が「制限」だったと切り出します。
今日は、私が日本にいる間に体験したことを基に、「人を誘う時に必要な力とは?」というお話をしたいと思います。
私、もともと人を何かに誘うとか、編集者のくせに得意じゃなくて。もともと社交的ではないし、自分からっていうのがすごく苦手なんですね。
長年の友達は普通に、一時帰国した時に「帰るからご飯食べよう」というのは普通にあるんですが。もう少し距離がある、友達って言っていいのかなって悩むような相手とか。
具体的に言うとカフカさんもお誘いしたんですけど。
ありがとうございます。
カフカさんと会いましょうって言った時に、ブックマーケットというイベントがある日で、私が気になってたのもあって、思い切ってお誘いして一緒に行ったら楽しかったっていう。
めっちゃ良かったですし、素敵な本にも出会えてとっても良かったです。
あれもそんなに気軽にホイホイと誘ったというよりは、私的には勇気がいることではあったんですけど。
誘う時に必要な力という題材にしたんですが、私にとっての必要な力は制限だったなと今は思うんですよ。
私が日本にいられる期間って、ずっと日本に住んでる人よりは短いですよね。そこの期間でできることって限られてるんですよ。
人に会えるタイミングも予定が合わないと無理だし。だから「行っちゃえ」ってなるんですね。それぐらいのものがないと、私、人を誘えないタイプなんですけど。
でも、気軽に誘える人もいますよね。断られても平気だっていう人と、断られない自信がある人?ちょっと自己肯定感みたいな部分とも絡まってるようなイメージが私の中ではあるんですが。
人を誘う時の後押しする力に、みんな何が働いてるものなのかなっていうのは一つ興味があるので、カフカさんにも聞いてみたいなと思って、このテーマを挙げてみました。いかがですか?
相手の負担を想像してしまう心理と、誘うための3つの軸
カフカさんも自分から人を誘わないタイプだと言います。二人は、誘うときにどんな条件がそろえば一歩を踏み出せるのかを掘り下げていきます。
今の話をまとめると、せっかく日本にいるし、日数も少ないし、今回は自分が思い切って勇気を出して、普段誘うタイプじゃないけど誘ってみた。で、みんな気軽に誘ってるけど、それって何なんだろうっていう疑問ってことかなと思ったんですけど。
気持ちはめっちゃわかるなと個人的には思っていて。僕もあんまり人を誘わない、そもそも誘わないタイプなんですね。
なんでだろうなと思って自分で考えた時に、相手の負担を結構想像しちゃうからなんですよね。
友達とはいえ、その数時間、その時間を奪ってしまうみたいな、その時間があれば、その人はもっと他のことできたかもっていう、その想像がつくみたいなところで、誘いづらいというか、そもそも誘わないみたいな選択を取ることは結構あるかなと思っていて。
って考えた時に、やっぱりその人との関係性ですよね。その負担も含めて。とはいえ、一緒に行きたいんですとか、一緒に何かをやりたいですみたいなのがあるかなと思っていて。どうですか?想像しがちというか。
まず、相手の負担を考えるのは一緒です。それを上回るものがあるかは考える。相手もこれが好きだろうし、もしタイミングが合えば嫌ではないかな、というところまで頭の中で想像したら声をかけるという感じでしょうかね。
今話しながら思ったのは、そのタイミングと、いつどんなことを一緒にやりたいと思っているか、そしてその人の関係性は何なのかみたいな、三つぐらいの軸で、閾値を超えたら誘えるかなみたいな。
そうそう、その閾値があるんですよね。
さぼってんさんは、その閾値を超えて動いたもう一つの体験を語ります。息子の親友を、リアルで会わせてあげたかったという話です。
今回もう一つ思い切った行動をしたのは、息子がシンガポールで仲良かった子が、山梨に本帰国したんですよ。来年は受験生だからなかなか会えないだろうというのもあって、会わせてあげたいなと思ったんですよ、リアルで。
ただ相手の予定もあるし、こちらも行けるのはここしかないっていう、すごいピンポイントだったんですよ。二日のどっちかでしか行けないみたいな。
結構ギリギリまでモジモジしてて。でも、もうここしかないからって聞いたんですよ、予定。そしたらスポってそこで予定が合うことがわかり。
付き合わせちゃうことになるかなと思ったんですけど、いやいや、もうここしかない、一生ないかもみたいなタイミングだと思って声かけて行って。結果すごく良かったんですよ、お互いにね。
あちらもあちらですごく喜んでくれて、葡萄狩り連れてってくれたりとか、結果的にはすごく良かったなっていうのがありました。
だから、自分にも行くメリットがある、タイミングが合う、あちらにも何かしらのメリットがありそうという、その辺の兼ね合いで。あとは、もうここしかないという制限ですね。
私はその最後のここしかないっていうところがすごく大きな力になっているような感覚があります。
リアルのイベントに一人でも飛び込むわけ
話題は、カフカさんがよくリアルのイベントに足を運ぶ理由へ移ります。誰かを誘わずとも、一人で飛び込むようになったといいます。
カフカさんって結構、イベントとかによく行かれますよね。それはどういう動機ですか?このタイミングを逃してはならぬっていう気持ちはありますか?
ここ最近、多分二年ぐらいなんですけど、割とリアルのイベントに積極的に出ようって思っているところがあって。
AI時代だからとかはあんまり言うつもりはないんですけど。やっぱりリアルで人と会う、そして話すっていうのって、むちゃくちゃ大事だなって思ってるんですよね。
五感で感じられる、その人がいるっていうのを感じられるのもそうだし、雑談ベースとか、こういうフォルムだったのかみたいな。うまく言葉にできないんですけど、それはすごい思いますね。
だから一人でも結構イベントに行っちゃうようになりました。人を誘わずに。
でも比較的そういうのも勇気というか、えいやっていうのはありません?
あるし、どちらかというと人見知りだし、初対面でバッと喋れたりはしない方なんだけど。面白そうと思ったら行っちゃえばいいじゃんって思うし。
それこそタイミングで、イベントって多分もうその時にしかやってないから、後から後悔してもしょうがないというか。行かないより行った後悔だろうみたいなところは今思ってるところはありますかね。
何なんだろうな、このリアルでしかない。ちょっとまだよくわかっていないんですけど、やっぱりしっかり目に見えるっていうのは結構大事なのかな、自分にとっては。
自分の目に映るってことですね、その人が。
そうです。ちゃんと実在するんだみたいな感覚。
私、オンラインだけで基本やっているので。コロナの時はそれが普通だったんですけど、それが収まると同時にオンラインの価値がすごく薄れてきた感があって。
そういう意味でも、会うことの意味とか、価値みたいなものがなんとなく上がっているっていうのは感じますね。
リモートで不自由ないのに、それでも会いたくなる何か
一方でカフカさんは、仕事はほぼリモートで不自由ないと言います。それでもリアルに残る「何とも言えない何か」を、二人でたどっていきます。
ただ一方で、僕、今ほぼほぼリモートで仕事をしていて、あんま不自由ないんですよね。リアルに会ってミーティングしないといけない場面ってあんまりなくて。
なんとなく人となりも理解しているし、アジェンダに対して決めないといけないことを決めてっていうミーティングの場だったら、あとはもうチャットベースで問題ないですね。
仕事は、もう決まっている、やることが決まっている仕事を進めるのは確かにできる。
できるんだけど、人との繋がりとか、信頼感は別にオンラインでもつくへれるんだけど、何とも言えない何かは、やっぱり会った方がいいなっていうのはあって。
私、それこそZOOMが出る前、その頃の仕事でこじれた時とか、意見が合わない時は、なるべく会って打ち合わせするようにしてたんですよ。そうするとなんとかなるっていうのが実感としてあったんですね。
こじれた時とか、そういう時にオンラインの限界ってあるんでしょうかね。
どうかな。こじれるケースがあんまりわかんないですけど。
一方で、あのトップ5%社員の習慣を書かれた越川慎一さんが、アイデアとかは会議室の前のドアの前とか、壁の踊り場とかで、雑談ベースで強いアイデアは生まれるんだっておっしゃっていて。
お互いに気が緩んだ状態での関係性の中でなんか出てくるものっていうのはあるんでしょうね。リアル、それはオンラインだとなかなか生まれにくいというか。
目的だけになるからですね。目的のためだけにコミュニケーションを取るから、目的が終わった後の力が抜けた状態でのコミュニケーションが生まれにくい。リアルの方が人間味が伝わるっていうのはあるかもしれないですね。
だから目的がなくても別に一緒にいられるみたいな、強制的にそういう場になった時に、また違った何か生まれるってことなんだろうなぁ。
でもまああれですよ、仕事上で特に好きでもない人とやんなきゃいけないんだったら、オンラインの方が多分気楽ですよね。その余計な部分が逆に生まれないから。
会って初めてこぼれ落ちる「どうでもいい話」
さぼってんさんは、会わないと出てこない話があると続けます。LINEには乗らない、家族や友人の見えない事情の話です。
会わないと話さない話っていうのがなんかあるような気がしてて。オンラインでは話さないけど会うと話すことってありません?
あんまりわかんないな。
どちらかというとどうでもいい話ですね。
どうでもいい系の話ですね。なるほど。確かに。
あとは感じたのは、リアルだからこそ見える景色っていうのもあるなっていうのは思いました。実家にいて、母が15、6歳上のお姉さんの世話をしてるんですよ。老老介護っていうんですかね。
その電話とかを聞いてると、こういうところで困ってるから、こういうものをAmazonで買って送んなきゃとか、お風呂で服を着る時に転んだら危ないから椅子を買わなきゃとか。そういうのが見えてきたり。
夫の親戚の若者が、全然知らなかったけど、こういうことで大変なんだとか。あえて目的を持って伝えないけど、そこに行くと伝わってくる、見えてくるものみたいなのがすごいあるなと思って。
さっきお話した息子の友達のお母さん、私の友達なんですけど、と話すと、LINEとかでは伝わってこない話が出てきたりするんですよ。実は体調をこういう風に崩しててとかね。
シンガポールではこうだったけど今はこうなんだよとか、あえてLINEでは打たないような話が出てくるんですね。
だからそういうのはやっぱり会うことの意義みたいなものはあると思いました。誘って会った時に初めて聞ける話とか、見えるものとかがすごいあったなという、今回の日本でした。
身体の「同期性」がもたらすつながり
最後にカフカさんは、近内悠太さんの本を引きながら、身体の同期性という視点を差し出します。二人は、会うからこそ生まれる言葉やつながりへ話を収束させていきます。
今お話伺っていて、思い出したのが、近内悠太さんが書かれた新刊の『贈与を巡る旅』っていう本があって。それは近内さんがいろんな日本各地を巡りながら、贈与の概念とか、ケアの概念について具体例が書かれている本なんですけど。
その中で言っていたのは、やっぱり身体性とか同期性みたいなことで。同期性っていうのは、シンクロニシティみたいなところですよね。一緒に踊ったりとか、お祭りで一緒に笑ったりとか。
そこに、その問題解決の外側にある、人にとって大事なものであり、贈与となるようなものっていうのがあるはずだっていう風に言っていて。
確かにオンライン上は、今こうZOOM上で話してるけど、目が合ったりとか、聞こえてる音声もイヤホンから聞こえてくるから、その同期性っていうのはリアルに比べてだいぶ下がってしまっているのかなっていうふうにも思ったりしていて。
お互いに同期をするものを、やっぱリアルでは体感してるんだろうなっていうふうには思いますね。
特にオンラインが始まった頃って、オンラインで話すのめちゃくちゃ疲れたんですよね。なんかうまく同期できない感じがして。
わかるわかる。今もう慣れっこだし。なんなら画面オフで全然喋れますけどね。
そっちの慣れはできちゃったけど、元々はそっちの同期する方が普通だったんですよね。
そう考えると、いわゆる対談本とかインタビュー集とかって絶対オンラインじゃできなさそうとか思っていて。その場でしか生まれない言葉っていうのもありそうですよね。
ありそうですよね。数値とかでは出せないものだけど、その現場に一緒にいて、リアルで会ってるからこそ出てくる何かっていうのがあるような気はしますね。
ちょっと話ずれましたけど、会うからこそ生まれるものがあるから、もうここしかないって思うから、誘うっていう力になるのはあるかも。
だからやっぱり潜在的に会うからこそ生まれる何かっていうのをみんな感じていて。それを叶えたい、この人と話したい、一緒に生きたいって思えるから、閾値を上回って誘えるんだろうなって思ったりしますね。
あとは後悔したくないっていう気持ち。もうここしかないみたいな。人生そんなに次の機会があるってことはないと思うので。
そういう機会があったら、断られた時はそれはそれとして、閾値を上回った時は声をかけるようにしたいなと思います。
あるいは断られるっていうのも、単純に忙しいとか、予定が合わないってこともあるかもしれないし。お互いに良い関係性だと思っているから、別に断られても大丈夫って思えるっていうことも大事かなって、今思いますね。
そう思います。実際に単純に予定が合わないってこともありうるので。それの土台となる関係性っていうのがまずは大事ですね。
会うことの意義っていうのを、皆さんなんとなく感じているからこそ、逆に声をかけて嫌でなかったら積極的に会ってくれる、相手の力にもなってるのかなって思いました。
というわけで、今回は人を誘う時に必要な力とは?というお話をしていきました。最後までお聞きくださり、ありがとうございました。
まとめ
この回では、人を誘うときに背中を押す力と、オンライン全盛の今にリアルで会う価値が語られました。さぼってんさんにとっての力は「もうここしかない」という制限で、タイミング・メリット・関係性の閾値を超えたときに声をかけられると話します。カフカさんは相手の負担を想像してしまう心理を明かしつつ、リアルでしか感じられない実在感や身体の同期性を挙げました。会って初めてこぼれる「どうでもいい話」や、断られても大丈夫と思える関係性の大切さも見えてきた対話でした。
- 誘うことが苦手でも、「もうここしかない」という制限が一歩を後押しする力になる
- タイミング・メリット・関係性の3つの軸で、閾値を超えたら誘える
- リモートで不自由なくても、五感で感じる実在感や身体の同期性はリアルにしかない
- LINEには乗らない「どうでもいい話」や見えない事情は、会って初めてこぼれ落ちる
- 断られても大丈夫と思える土台の関係性があるからこそ、声をかけられる







