ポッドキャストを再開してまで始めた「人生相談」という新企画
この回から、高木新平さんは家入一真さんと一緒に新しい企画を試すと切り出します。舞台は、高木さんが1年ちょっと更新を止めていたポッドキャスト「インサイドビジョン」です。
更新を止めた後も「なんで再開しないんですか」という声が届き、YouTubeも試したものの、高木さんは自分の関心が別のところにあると気づいたと話します。
僕、人の話聞くの好きだなと。セッションしていくのが好きというか。人のなんか新しい人生観とか価値観を発見するのが楽しい。
そこで今回からは、起業家の人生を深掘りする従来の形ではなく、起業家や経営者の悩みに一緒に答える「人生相談」に切り替えると説明します。正論を出す場ではないというのが、この企画の前提です。
家入さんはやっぱ常にそのね、悩みと向き合ってるから。だからその家入さんに相談することで、なんか本当に悩みを一緒に、むしろ一緒に悩んでいくぐらいの感じでやっていけたら面白いんじゃないかな。
「クリエイティブと経営は本当に相反するのか」という家入さんの問い返し
最初の相談は、地方の若手経営者から寄せられたものです。高木さんが読み上げます。
クリエイターとして事業をスタートしました。最初は自分の表現がそのまま事業になっていく感覚が楽しかったのですが、関係者が増えるにつれて、いつの間にか経営者として数字の判断ばかり求められるようになってきました。好きで始めたことなのに、だんだん自分の感性を隠す癖がついてきているような気がします。クリエイティブな発想や仕事を大切にしながら会社を動かしている方は、どうやって経営者としての責任と表現者としての衝動を両立させてきたのか、その折り合いのつけ方をぜひ聞いてみたいです。
この相談に、家入さんはまず「クリエイティブとマネジメントが相反する」という前提そのものに引っかかると答えます。
そもそもそのクリエイティブであることとマネージメントみたいなものが、その相反するものであるっていうのがなんかちょっといまいちまだ腑に落ちてない。
家入さんは、自分が経営をちゃんとしてきたか自信はないと前置きしつつ、表現したいものを届けるために会社という組織があるのだと整理します。
表現したいものを表現するために必要なこととして経営があるんだとしたら、なんかそれはその表現の一部なんじゃないかな。
一人でやるか、仲間とやるか。「振り幅」を楽しめるかという分岐
高木さんは、スタートアップでは高い成長率を求められ、好きで始めたことより社員を食わせるビジネスが優先されて、いつの間にか表現の優先順位が下がるのではないかと重ねて問います。
家入さんの答えは、そこで一人か仲間かの分岐が立ち上がるというものです。面倒なことを抜きにして自分のやりたいことだけやるなら、一人でやればいいと言います。
本当に面倒くさいこと抜きで、自分のやりたいことだけやりたいんだったら、自分一人でやれることを自分一人でやればいいじゃないですか。
一方で、人を巻き込んで社会にインパクトを出したいなら、クリエイティブとビジネスの間を行き来する「反復横跳び」のような振り幅こそが、表現の幅になると家入さんは続けます。
その振り幅こそが表現の幅になっていくというか。クリエイティブなことをやってるんだったら、それすら面白く感じられないんだったら、まあ一人でやればいいんだと思うんですよね。
どちらが偉いという話ではないと家入さんは念を押します。相談者が苦しくなるのは、クリエイターか経営者かのどちらかに分けて考えてしまうからかもしれない、という論点が浮かびます。
面倒を抜きに自分のやりたいことだけをやる。表現だけに集中する道
人を巻き込み社会にインパクトを出す。クリエイティブと経営の振り幅を表現として楽しむ道
高木さん自身が「一番きつかった」と振り返る、感覚に蓋をした時期
今度は家入さんが、クリエイティブな会社をやっている高木さん自身はどうなのかと問い返します。高木さんは正直に難しいと認めます。
高木さんが振り返る一番きつかった局面は、クリエイティブか経営かという分け方そのものより、自分の目指したい気持ちに蓋をし始めた時期だったと言います。
どちらかというとクリエイティブか経営かというよりは、自分のこういうことを目指したいとか、そういう気持ちにどっか蓋をし始めた時があって。
事業がうまくいかず、巻き込んだ人たちのニーズを満たそうとするうちに、自分の感覚を後回しにしていったと高木さんは話します。全社集会での発言も上滑りしていったといいます。
僕はなんかそれを自信持って言えなくなっていって、みんなのためのことを言おうとして。発言するたびになんか上滑りしていくっていう感覚がすごいあった。
これに対し家入さんは、創業者には「創業者ボーナス」があると返します。創業者はわがままに自由にしていい、むしろ自由にできなくなったらそこにいる意味がない、という考え方です。
創業者っていうのは、そのなんか創業者ボーナスみたいなものが僕はあると思っていて。要は創業者はもう本当にわがままに自由にしていいっていう。
起業家と経営者は違う?「経営って何をするのか、いまだにわからない」
高木さんは質問を変え、クリエイターと経営者ではなく、起業家と経営者の違いについて尋ねます。家入さんは連続起業家と呼ばれ、次々に事業を立ち上げては渡していくスタイルだからです。
家入さんは、ゼロイチは好きだと認めつつ、経営者が日々何をしているのかは自分でもいまだにわからないと打ち明けます。
経営者って言われる人たちが日々経営って何やってるのか、僕いまだにやっぱわかんなくて。自分でもやってきたけど。
家入さんは、一時期その疑問を山田慎太郎 ── 文脈から、家入さんが経営について尋ねて回った経営者の一人。書き起こしでは名前のみが挙がっていますさんなど、いろんな経営者に「経営者って何してるの」と聞いて回ったこともあると話します。
高木さんは、起業と経営で使う筋肉が違うと整理します。立ち上げは短距離走的なゼロイチ、経営はより大きな市場で人・物・金を調達しながら伸ばす中長距離だ、というイメージです。
それをよりでかいマーケットの中ででかくしていく。より市場から資金、人、物、金を調達して、よりでかくしていくみたいな。使う筋肉というかは違うなと思ってて。
立ち上げ・創業・プロダクト作りのエネルギー。短距離走的にガーッと進む
より大きな市場で会社を数百人・数千人に。資金・人・物・金を調達して大きくする
10年で会社を渡していく感覚。「自分がボトルネックになる」
家入さんは、これまで立ち上げてきた会社を大体10年ぐらいで次の人に譲り渡してきたと明かします。10年やる中で自分の視座が上がり、まだ解決されていない次の課題に興味が移っていくのだと言います。
年やっていく中で、こう自分の視座も上がっていくというか。じゃあ次まだ解決されてない問題、こんなところあるじゃんみたいな。それをまたゼロからチャレンジしてみたいみたいな気持ちになっていく。
さらに家入さんは、会社を立ち上げた初日から、いかに自分の仕事を渡していくかを考えていると話します。自分の存在がボトルネックになると考えているからです。
権限をどんどん移譲していった結果、最後にやることがなくなり、「経営ってなんだっけ」という状態になるのが理想だと家入さんは笑います。何もしない「いるおじさん」のような存在が理想だといいます。
立ち上げ初日から権限移譲を意識
自分の存在がボトルネックにならないよう仕事を渡す前提で始める
10年かけて渡していく
やる中で視座が上がり、次の未解決の課題に興味が移っていく
やることがなくなる
権限移譲が進み「経営ってなんだっけ」という状態になるのが理想
飽きとテンションの波。会社の浮き沈みと個人がシンクロする瞬間
家入さんは、全社会などで大勢に向けて話すのは今もすごく苦手で、脇汗が出るほど緊張すると打ち明けます。それでも役割として、饒舌でなくても丁寧に伝える大事さはあると考えています。
一対一とかだと喋れるんだけど、一対多になった瞬間になんか緊張しちゃって。
家入さんは、法人には法人格という一つの人格があり、経営者個人という人格と、途中まで一緒に歩んでいくと語ります。そして、どこかで別々の道を目指し始める瞬間があるのではないかと考えています。
個人にはプライベートも含めたバイオリズムがあり、そのバイオリズムと法人の浮き沈みがシンクロする瞬間があると家入さんは言います。その時に、ここにいてはいけないと感じて飛び出していく感覚だと話します。
僕はこのままここにいちゃいけないんだなみたいな感じで飛び出していく感覚がある。
家入さんは20代前半で起業し、27年ほど経営もしてきたといいます。同じ会社を続ける友人たちを見ると、一時的に飽きているような時期があると観察します。
一旦今やってること、ちょっとなんか飽きて。なんか個人でなんか違うこと始めたりとか。でもそれでもその会社の経営者としてはずっと居続けるから。
その飽きた時期を過ぎると、また時代の変化の中でテンションが上がっていく瞬間が来ると家入さんは続けます。既存の会社を母体にすれば、そこからさらにインパクトを出せるのだと言います。
「島」と「島」をつなぐ生き方。中途半端に見える人の役割
高木さんは、何かを行ききっている人を両方見てしまうと、その間にいる自分が中途半端に見えてしまう現象について尋ねます。成功しているように見える友人でさえ、自分は経営者として成し遂げられていないと悩んでいたと紹介します。
家入さんは、自分にも中途半端な生き方をしているという感覚はあると認めた上で、よく勧める本として、浅田渡さんの「コミュニティ難民のすすめ」を挙げます。
家入さんはこの本の考え方を、私たちはそれぞれの島に住んでいて、島の山のてっぺんを目指す生き方もあれば、周縁にいるからこそ他の島との橋渡しができる人もいる、と説明します。
島の山のてっぺんを目指すっていう生き方もあるし。でもその周縁に住んでるからこそ、他の島との橋渡しをできる人たちもいるよねみたいな。
高木さんは、自分が関わる富山の地域活動を例に出します。月に2回ほどしか現地に行かない自分を「風」と捉え、風が栄養を運ぶように、その役割にしか出せない価値があると語ります。
風の役割がないと栄養を運ばれないし、橋をかけるじゃないけど。どのグラデーションにも、そこにしかない役割とか存在価値があるってことですよね。
ただし家入さんは、そこで自分を肯定しすぎることに一瞬でイラッとしたと正直に言い添えます。「風の人だから」と言い切るのではなく、土の人への謙虚さも必要だと釘を刺します。
俺は風の人だからみたいに言われるとすごい今イラッとしたのね。だから大事なのは土の人に対して、風なんかですいませんみたいな、ちょっと謙虚な部分も必要かもしれない。
一つの島(コミュニティ)を極めていく生き方。橋はかけられない
周縁に住み、ジャンルを超えた掛け算を生む。ただし土の人への謙虚さも必要
答えは出なくていい。個人と法人をつなぎ直す「ビジョニング」
高木さんは、この相談は答えが出そうで出ないと言いますが、家入さんは答えは出ないと言い切ります。答えを求めること自体が違うのかもしれない、という受け止めに落ち着きます。
家入さんは、実現したいものがあれば、そこに至る過程の苦手なことも、耐えて頑張るのではなく楽しんでいった方がいいという価値観を示します。
高木さんは、自分が手がける「ビジョニング」を例に出します。会社が大きくなるうちに、自分というアイデンティティと法人のアイデンティティが乖離するケースが多いといいます。
自分っていうアイデンティティと法人のアイデンティティが乖離し始めてると。それをもう一回つなげたいみたいなのってすごい多いんですよ。
高木さんは、個人のwhyを会社のオフィシャルなビジョンにすることで、両者をつなぎ直すのがビジョニングだと説明します。事業自体は変えなくても、本人の捉え方が変わることで人生がつながって見えるといいます。
振り子のイメージ。しんどさは一生続かない
家入さんは、目の前のしんどいことは一生続くように錯覚するが、実際はそうではないと語ります。長年やってきたからこそわかる感覚だといいます。
目の前のしんどいことって、なんか一生これが続くんじゃないかって錯覚するじゃないですか。でもなんか後から振り返ると一瞬だったりするじゃないですか。
家入さんはこの感覚を、振り子のイメージだと表現します。片方に振り切るからこそ、逆の表現もできるという考え方です。例として、ビートたけしを挙げます。
芸人としてのビートたけしと、映画監督としての北野武という人格が振り子のようなもので、片方に振り切るからこそ逆の表現もできる。家入さんはその話を聞いて、なるほどと思ったと語ります。
片方にめちゃ振り切るからこそ、逆の表現もめちゃめちゃできるんだみたいなこと言ってるのを聞いて、ああ、なるほどなって思ったんだよね。
まとめ
クリエイターと経営者の両立という相談に、二人は明確な答えではなく、そもそも二つに分けなくていいのではという視点を返しました。振り幅そのものを表現として楽しめるか、そして苦手なことも「実現したいもの」に至る過程として捉え直せるかが、この回のヒントになっています。
- クリエイティブと経営を相反するものとして分けるほど、どちらかを選ばされる感覚に苦しくなる
- 人を巻き込むなら、クリエイティブと経営を行き来する「振り幅」こそが表現の幅になる
- 家入さんは会社を約10年で渡していく連続起業家で、自分がボトルネックにならないよう権限移譲を前提に経営している
- 島の山を極める人も、島と島に橋を架ける人も、それぞれにしか出せない価値がある
- 目の前のしんどさは一生続くように錯覚するが、実際は振り子のように一瞬で過ぎていく




