慶應の教授が「YouTuberとして小学1年生」?
この回は、学生服を着せられた井上逸兵さんが、教室のようなセットに呼び出される場面から始まります。熱血教師の役を演じる堀元見さんが、井上さんのYouTubeチャンネルに説教をするというコント仕立ての授業です。
井上さんは、英語学者の堀田隆一さんと「いのほた言語学チャンネル」を運営しています。堀元さんは、このチャンネルが「基礎ができてなさすぎる」と切り出します。
堀元さんが最初に例に出したのは、いのほた言語学チャンネル第320回のタイトル「Systemic Functional Grammarはなぜ選択体系機能言語学と訳されるのか」です。
タイトル、Systemic Functional Grammarはなぜ選択体系機能言語学と訳されるのか。誰が見るんだ。
めっちゃバズると思ったんですけど。
お前な、慶應の教授かなんか知らんけどなぁ。YouTuberとしては小学1年生だ。
井上さんは以前から「YouTuberとして成功したい」と話していたそうです。堀元さんはその心意気を買っているからこそ、今日は厳しくYouTubeの基本を教えると宣言します。
同じことを3回言うタイトルは何がまずいのか
堀元さんによれば、井上さんの一番の問題は「感覚が大学教授すぎる」ことです。次に取り上げられたのは、いのほた言語学チャンネル第404回のタイトルでした。
このタイトルは「エンレジスタメント ── 社会言語学の用語。ある話し方や言葉づかいが、特定の集団や場面と結びついた「型」として人々に認識されていく過程を指します(enregisterment・レジスター化)とレジスター―コンビニ敬語、ファミレス敬語を社会言語学から見ると?【いのほた言語学チャンネル第404回】」というものです。
同じこと3回言ってないか?
堀元さんは、エンレジスタメント、英語表記、レジスター化がほぼ同じことを指していると指摘します。井上さんも「言っちゃってますね」と認め、急いで付けたのかもしれないと答えました。
一方で堀元さんは、このタイトルの後半「コンビニ敬語、ファミレス敬語を社会言語学から見ると」は素晴らしいと評価します。「こちらサラダになります」のような言葉づかいが正しいかどうかは、定番の言語ネタだからです。水野さんも、ゆる言語学ラジオで敬語や言葉づかいの正誤を扱う回は伸びると補足しています。
引きのある情報はなぜタイトルの前に置くのか
井上さんは、タイトル前半の専門用語には理由があると説明します。いのほた言語学チャンネルの動画は一定数、大学の先生が授業で使っているため、前半はその人たち向け、後半は一般向けのつもりで書いたそうです。
堀元さんの答えは、YouTubeの基本は手前に引きのある情報を持ってくることでした。大学の先生のようにもともと見る人は、どうせタイトルを最後まで読むからです。
パッと見てクリックしようかなって悩んでるやつのために、引きのある情報を前に持ってこないとダメなんだ。
大学の先生に届けたい情報は概要欄に書けばよい、というのが堀元さんの提案です。末尾の【いのほた言語学チャンネル第404回】も、チャンネル名はタイトルのすぐ下に表示されるので不要だと指摘します。
井上さんは、YouTubeのタイトルは100字まで入るので「埋めなきゃ」と思っていたと明かします。堀元さんは、YouTubeには最低字数の制限がないので、字数を稼いでも評価が下がるだけだと答えました。
「第404回」という回数表記も、手前の403回を全部見ないといけないのかと視聴者を不安にさせるため、タイトルには入れないほうがよいとされます。概要欄なら、真面目なファンしか読まないので書いてかまいません。
タイトルとサムネは再生数のどれくらいを決めるのか
井上さんは根本的な疑問として、タイトルが再生数にどれほど影響するのかを尋ねます。サムネは大事だと思っていたものの、タイトルはそれほど見られていないと考えていたそうです。
サムネとタイトルが再生数のほぼ全てだ。
堀元さんは、日本でもタイトルのABテスト ── 2つ以上の案を実際に視聴者に出し分け、どちらの反応がよいかをデータで比べる手法。YouTubeではタイトルやサムネイルの比較に使われますが解禁され、「?」と「!?」のどちらがよいかというレベルで調整されていると説明します。ところが井上さん自身も、動画を見るときはタイトルを見ていると認めてしまい、堀元さんに「退場だ」と言われます。
水野さんは、生物学のチャンネルで「セレクションは淘汰と訳すべきか選択と訳すべきか」というタイトルがあったら内輪向けに見える、とたとえます。堀元さんは、何も知らない外の人間として見るかどうかに毎回立ち返るのが、サムネとタイトル付けの基本だとまとめました。
大学の授業とYouTubeの違いについても話が及びます。井上さんによれば、授業は話が面白ければタイトルに関係なく聞いてもらえます。水野さんは「視聴維持率がないんだ授業って」と表現しました。
YouTubeは学校じゃねえんだよ。
さらに堀元さんは、スマホではタイトルが途中で省略される点を挙げます。第404回の動画は、スマホでは「エンレジスタメント(エンレジスタメント・レジスター化とレジスター」までしか見えません。そのため、YouTuberは20文字以内ぐらいに引きのある情報を詰め込むゲームをしているといいます。
「コンビニ敬語は正しいのか」はどう生まれたか
堀元さんは、エンレジスタメントの要素を消すだけで第404回のタイトルは及第点になると言います。「コンビニ敬語、ファミレス敬語を社会言語学から見ると?」は、大学の先生のチャンネルとしては合格です。
ただし、YouTuberとして頑張りたい井上さんにとっては、まだ35点だと堀元さんは続けます。世の中は言語学にそれほど興味がなく、「言語学ブーム」も実際には来ていないというのが、ゆる言語学ラジオを運営してきた堀元さんの実感です。
コンビニ敬語とファミレス敬語はどちらか一方でよく、残すのはコンビニ敬語です。コンビニのほうが行く機会が多く、しかもファミレスより1文字少ないからです。堀元さんは、1文字でも短い言葉を選ぶのはYouTubeの「第一歩」だとし、「〜より多い」を「〜以上」にするような工夫もみんなしていると話します。
さらに「社会言語学から見ると」や「解説する」のような言い方も、タイトルとしては弱いとされます。そのことを知りたい人しか押さないからです。こうして元のタイトルは、次のように削られていきました。
堀元さんは、「コンビニ敬語は正しいのか」にすれば「そんなもん正しいわけねえだろ」と怒る層を集められると説明します。井上さん側からは、言語学は基本的に言葉の正誤を判断しない立場だという反論が出ました。
堀元さんはあえて露悪的に、YouTuberは「視聴者を騙す仕事だ」と言い切ります。問いを立てているだけで正しいとも正しくないとも言っていない、叩かれて批判記事が2万リツイートされればむしろ儲かる、とまくし立てました。
一方で水野さんは、このタイトルの技術的なうまさを分析します。「間違いなのか」ではなく「正しいのか」と問う点に工夫があるという指摘です。
間違いが前提になるため、コンビニ敬語に腹を立てている人は見に来ない
正しいという前提に反発したい人が見たくなり、タップされやすい
我々YouTuberは怒りと憎しみを食って大きくなる生き物だ。
どんな言語ネタならみんなが見たくなるのか
水野さんは、敬語の正誤以外で、みんながうっすら気になっていそうな言語ネタを考えてみようと提案します。井上さんが「明日喋るのはバズらないと思います」と口にすると、堀元さんはすかさず注意しました。
これはバズらないと思いますって二度と言うな。
水野さんが挙げたのは「生成AIっぽい文って何?」というテーマです。生成AIが嫌いな人は腹を立てて見に来るし、レポートを採点する先生からは「こういうのあるよね」という共感も得られます。水野さんは、3方向ぐらいに取りに行けるテーマだと説明しました。
井上さんは面白いと認めつつも、まず研究をしなければならないと答えます。感覚では言えても、感覚で話すのには抵抗があるそうです。堀元さんはここでも「感覚が教授すぎる」と返しました。
横長の画面とヨルシカに何の関係が?
続いて堀元さんは、いのほた言語学チャンネルの細かい気になる点を挙げていきます。最初はMLBを社会言語学で語る動画で、井上さんと堀田さんがZoomで話している画面です。
何が問題かを問われた井上さんは「堀田さんの髪が短い」と答えますが、正解は水野さんの「横長すぎる」でした。YouTubeは縦横比が16対9と決まっているので、それ以外の比率の動画はみんな気持ち悪く感じるといいます。
井上さんはFinal Cut Pro ── Appleが提供するMac向けの動画編集ソフト。プロの映像制作でも使われる本格的なツールですを使っていますが、書き出しという言葉を知りませんでした。堀元さんは、書き出し時のプリセットを登録しておけば、こうした比率のずれは起きないと助言します。
さらに堀元さんは、この縦横比がヨルシカの「春泥棒」のミュージックビデオと同じだと指摘します。ヨルシカはおしゃれだから、あえて通常と違う比率で新鮮な体験を作っているのだと説明しました。
イケてるやつの表層だけをなぞったダサいやつになってる。お前は。自認ヨルシカになっちゃってる。
冒頭の「つかみ」とループ映像はなぜ失敗したのか
堀元さんは、井上さんには表層だけを真似する癖があると続けます。驚いたのは、YouTuberのテンプレートまで表層だけ真似していたことでした。
YouTuberには、動画の中で一番盛り上がる5秒間を冒頭に持ってきて、最後まで見たいと思わせる技術があります。井上さんもこれをやっていましたが、冒頭に入っていたのは「なかなか難しいですね。最終的」という、意味の取れない一瞬でした。
井上さんによれば、これは単なるミスで、別の箇所を入れるつもりだったそうです。公開前の確認はしておらず、理由は「確認の時間ないんですよ」というものでした。
堀元さんは大笑いしたものの、コメント欄はツッコミではなく「大変興味深いお話でした」ばかりだったといいます。時間がないなら、盛り上がり部分の切り出しはやめて普通に撮って出ししてよい、というのが堀元さんの提案です。
ミスの話はもう1つあります。WBCを扱った回では録画に失敗し、音声も途中で途切れていました。井上さんは、5秒ほど撮れていた映像をループ再生して音声に合わせたそうです。
誰も口開けてないところでベラベラベラベラ喋って、ずっと喋ってるのに全く無音で、いっこく堂見てるのかと思った。
視聴維持率の話にもなりました。堀元さんは、途中で維持率が大きく下がる動画を上げると、YouTubeのアルゴリズムに「ダメな動画を作るやつ」と判断されると説明します。更新頻度は大事だとしつつも、本当にひどいものはボツにしたほうがよいという考えです。
堀元さん自身も、ゆるコンピュータ科学ラジオの「伽藍とバザール」の回は出すべきではなかったと振り返ります。何年も改善を続け、数字を見ながら伸びる・伸びないを判断すれば、少しずつよくなると話しました。
ダメ出しの先で堀元さんが褒めたかったこと
ここまでダメ出しを続けてきた堀元さんですが、実は井上さんを褒めたかったのだと明かします。井上さんの素晴らしいところは、面白くしたいと思い、実際に口にしていることです。
堀元さんによれば、慶應の教授なら「知識と権威がある人がありがたい話をしてやる」というスタンスになり、編集に凝る必要はないと考えるのが普通です。それでも井上さんは、食事のたびにYouTuberとして成長する方法を尋ねてくるといいます。
これなあ、大学教授が普通持たない感覚どころか、お笑い芸人とかも持ってない感覚。
多くの人は、再生数が出なくても「適当に回してるだけだから」とスカしてしまうと堀元さんは話します。その中で、数字を出したいと言い続ける井上さんはありえないほどすごい、という評価です。
これに対して井上さんは、真面目な考えを語ります。大学が権威の象徴として中央集権的なトップにいた時代は20世紀で終わった、というものです。
20世紀は大学が一番偉く、そこから民に啓蒙する中央集権型
21世紀は分散型・アルゴリズム型の社会で、バラバラの場所から新しい知の流れが湧き上がる
井上さんは、ゆる言語学ラジオがその象徴の1つだと考えています。水野さんが「その思想に準じてるからYouTuberも全力でやってる」とまとめると、井上さんはうなずきました。
YouTuberを始めるなら忘れてはいけない気持ちとは
最後に堀元さんは、カメラの前の視聴者全員に向けて語りかけます。みんながYouTuberをやるべきだとは思わない、なぜなら難しく、業を背負うからだという話です。
1文字を削る緻密な調整や、数百万円単位の制作費、心をすり減らす戦いがあり、誰もが向いているわけではないと堀元さんは話します。それでも始めるなら、今使えるリソースの中でなるべく面白くしようという気持ちだけは忘れてはいけない、というのが結論です。
堀元さんは、その結果として空回りしてヨルシカやいっこく堂のようになってもいいとまで言います。そして最後に、いのほた言語学チャンネル第78回のタイトル「なんでもない飲み会2です。おもしろい自信はありません。」を取り上げました。
面白い自信はありませんだったら出すな。
忙しくて今ある素材を出すしかない事情はわかる、と堀元さんは理解を示します。そのうえで、公開しておきながら「面白くないので暇な方だけ見て」という姿勢はリスナーに失礼だと話しました。
小手先の技術ではなく、YouTuberとして持つべきマインドで授業は締めくくられました。コントの形を取りながらも、面白くしようと努力する人への敬意がにじむ結末です。
まとめ
この回は、堀元見さんが熱血教師を演じ、井上逸兵さんのYouTubeチャンネルを題材に、タイトル術から作り手の心構えまでを語った授業回でした。細かなテクニックの話を経て、最後は面白くしようとする努力に誇りを持つという一点に着地しています。
- タイトルは引きのある情報を前に置き、専門用語や回数、チャンネル名は概要欄に回す
- スマホでは表示が切られるため、1文字でも短い言葉を選ぶのが基本とされる
- 「正しいのか」と問う形にすると、反発したい層も含めて視聴者を集めやすい
- 他人の手法は表層だけ真似せず、公開前の確認やボツにする判断も大切にする
- 公開するなら「世界一面白い」と虚勢を張ることが、見に来た人への礼儀だと語られた






