女性の心情を描くサスペンスを探すリスナーへ
この回は、ペンネーム「グミ」さんから届いたお便りの紹介から始まります。好きな作家は挙げられるものの、なかなか新しい作家に冒険できずにいるという内容です。
バタヤンさん、いつも出勤前の家で準備中に聞かせていただいております。私は近藤史恵さん、坂木司さん、柚木麻子さん、原田マハさんなどをよく読みます。リアリティもありながらほっこりするような小説、または女性独特の心情を描いたサスペンスが好きなのですが、なかなか冒険できずにいます。おすすめがあれば教えていただけると幸いです。
バタやんは、グミさんが作家ベースで作品を選んでいるのではないかと受け止め、新しくハマれる作家が見つかれば選択肢も広がると話します。そこで以前からタイミングを見計らっていたという、佐野広実さんの作品を勧めることにしました。
そんなグミさんに私は佐野広実さんはどうかなと思って、おすすめしたいなと思っていまして、タイミングを見計らっておりました。
今回の「勝手に貸出カード」は、佐野広実さんの『シャドウワーク』です。バタやんは同じ作者の『誰かがこの街で』と、最近読んだ『反乱の家』も合わせて、3作ともすごく面白かったと振り返ります。
バタやんによると、佐野さんの3作はそれぞれ異なる抑圧を題材にしながら、虐げられた人々のレジスタンスを描いている点で共通しています。
| 作品 | 舞台・題材 | 描かれるもの |
|---|---|---|
| 誰かがこの街で | 郊外の住宅地の小さなコミュニティ | 同調圧力 |
| 反乱の家 | 家父長制の強い家庭 | 家庭内のモラハラ |
| シャドウワーク | DV被害者のシェルター | ドメスティックバイオレンス |
グミさんの求める「ほっこり」とは言えないかもしれないものの、女性の心情を描いた重厚なサスペンスで、どこか温かみもある作品が多いというのが、バタやんがこの作家を選んだ理由です。
江の島のシェルターで交差する二人の女性
『シャドウワーク』を今回取り上げたもう一つの理由は、映画版が9月25日に公開されたばかりだったことです。バタやんは、この小説が事件の真相解明を大事な要素として含むため、まっさらな状態で楽しみたい人は、読んだり観たりしてから戻ってきてほしいと断っています。
この登場人物たちの関係性を説明せずに紹介するのはとても難しい小説です。その関係性そのものがミステリー要素になっているといいますか。
そのうえでバタやんは、文庫裏の紹介文と映画の概要に書かれている範囲で舞台設定を説明します。舞台は、江の島を望む高台にある古民家で、シェルターともシェアハウスとも呼べる一風変わった共同住宅です。
夫の深刻なDVから命からがら逃げてきた主人公の典子は、同じくDV被害者である住人たちとの共同生活を通して、少しずつ傷を癒し、自立する強さと生命力を取り戻していきます。
もう一方の軸は、海で女性の死体が見つかる事件です。警察は自殺として片付けようとしますが、女性刑事の薫は引っかかりを覚え、後輩の若い刑事と二人で真相を追い始めます。程なくして、亡くなった女性の同居人の男性も事故死します。
実は刑事の薫もまた、警察のエリートである同業の夫から家でDVを受けています。典子と薫がどこでどう出会い、つながるのかが物語のキーポイントだとバタやんは話します。
夫のDVから逃れ、江の島のシェルターで住人たちと暮らしながら傷を癒し、生命力を取り戻していく
エリートの夫からDVを受けながら、海で見つかった女性の死の真相を後輩刑事と追う刑事
公開直後の感想合戦で失われる「観たい気持ち」
バタやんは、実はまだ映画版の『シャドウワーク』を観ていないと打ち明けます。公開直後の週末は行ける時間帯の映画館が満席で、一番前の席しか空いていなかったそうです。次の週末に観てから収録すると放送が3週間ほど後になるため、先に紹介することにしました。
ここから話は少しそれて、最近のエンタメの「賞味期限」の短さに移ります。バタやんは「ルックバック」の実写版など観たい邦画がたくさんあり、ドラマではNetflixの「ダウンタイム」に夢中になっていたといいます。
ところが公開されるやいなや、バタやんのSNSのタイムラインは感想でいっぱいになりました。深い考察や演者の評価、良かったシーンや疑問に思ったシーンが、すぐに読めてしまうのです。
ちょっとずつ読もう、ちょっとずつ見ようって思ってると、もうすぐに先にそういう優れた感想が目に入ってきちゃって、なんかもう見た気持ちになってしまうといいますか。
バタやんは、本もドラマも一気見・一気読みをしないタイプだと話します。そのペースで楽しもうとすると、盛り上がりの波に置いていかれてしまうという実感が語られています。
公開直後
SNSで感想や考察が一斉にあふれる
数日後
感想合戦のフィーバーがスンと終わる
上映館の減少
そのうち観ようと思っているうちに劇場の館数が減る
配信待ち
「すぐ配信されるだろうから配信で見よう」という気持ちになる
プロモーションする側が公開直後の盛り上がりを重視するのは理解できるとしつつも、バタやんは、一気に盛り上がって興味をスンと失ってしまう流れを残念だと話しています。
吉岡里帆さん・奈緒さんの映画版と、WOWOWドラマ版
映画版の『シャドウワーク』では、主人公の典子を吉岡里帆さん、事件を追う刑事を奈緒さんが演じています。バタやんは、収録を聞いて興味を持った人と次の週末に一緒に観て、感想を言い合えたらと呼びかけます。
『シャドウワーク』は映画化の前に、WOWOWで連続ドラマにもなっていました。ドラマ版では多部未華子さんが典子を、桜井ユキさんが薫刑事を演じ、バタやんもこのドラマ版を観て、すごく面白かったと振り返ります。
桜井ユキさんってすごいいいですよね。好きなんですけど、多部未華子さんもとても好きなので、すごく面白かったです。
バタやんが持っている文庫には、ドラマ記念の多部未華子さんバージョンのフル帯が付いていたそうです。『シャドウワーク』も佐野さんの他の2作も講談社文庫で、講談社に勤めるバタやんは、はっきりとした自社本の宣伝になると断りつつ、3作とも勧めています。
ババ抜きと栗ご飯が取り戻させる「私の輪郭」
バタやんは、『シャドウワーク』の事件の真相は割と早々にわかってしまうかもしれないと話します。それでも興味が削がれることはなく、大事なのはそこだけではないといいます。
バタやんが読み取ったこの本のテーマは、存在を認めてもらうということです。その温かさと優しさ、そして難しさと、それゆえに諸刃の剣でもある功罪を描いた小説だと捉えています。
バタやんが好きだと挙げるのは、小説の序盤で典子がシェルターに迎え入れられてすぐ、夕食後にみんなでトランプのババ抜きをする場面です。ババ抜きは相手の表情や目線の動きを観察するトレーニングになっていて、典子は3日目ほどでそれをマスターし、みんなから褒められます。
この思いがけない特技を誰かに褒められるっていうのは、そこをすごくキュア、回復するっていう感じがしたんですよね。
もう一つは、ドラマ版にあった場面です。シェルターではご飯作りが持ち回りで、凝ったものは作らない決まりですが、典子が入居したのが秋だったため、手のかかる栗ご飯をみんなで分担して作ることになります。
栗に切れ目を入れる人、皮を剥く人、渋皮を取る人と分かれるなかで、典子は地味に神経を使う渋皮剥きを引き受けます。それが上手で「渋皮マスターじゃん」と盛り上がる場面に、バタやんは胸が熱くなったといいます。
バタやんがこの二つの場面に見たのは、ここにいていいと静かに許されることの大切さです。名前を呼ばれ、得意なことを言葉にしてもらうことで、見えなくなっていた自分が取り戻されていくと語ります。
タイトル「シャドウワーク」が指す見えない労働
タイトルのシャドウワーク ── 賃金が支払われないが、社会や生活の維持に欠かせない労働を指す言葉。思想家イヴァン・イリイチが提唱した概念として知られていますという言葉について、バタやんは、報酬が支払われないにもかかわらず社会や生活の維持に不可欠な労働を示す社会用語だと説明します。
バタやんによれば、栗ご飯の渋皮剥きもまさにシャドウワークです。誰からも褒められないけれど、やっておかないと美味しい栗ご飯は作れません。
なんかあの電池が切れてたのを買いに行って入れ替えるとか、まあそういった小さな小さなもの、みんなまあシャドーワークと言えるかもしれないです。
名もなき家事やお世話、買い出しなども同じだとバタやんは話します。典子をはじめとするシェルターの女性たちは、夫の機嫌を損ねないことが全てだった生活から、仲間の役に立つ小さな特技を見いだし、ただここにいていいという感覚を取り戻していきます。
夫の機嫌を損ねないようにすることが生活の全てだった
仲間の役に立つ小さな特技を見いだし、ここにいていいという感覚を取り戻す
神フレーズ:王を殺した人物を、あなたは差し出すか
今回の「神フレーズ」としてバタやんが選んだのは、『シャドウワーク』がほっこりした被害者女性たちの再生の物語だけではないことを示す、作中の問いです。シェアハウスの住人たちは、トランプの時間のほかに、こうしたクイズのような問いを出し合っています。
作中の問いの内容は次のとおりです。村人にひどい仕打ちをしていた王を、ある人物が殺しました。あなたはその人物をかくまっていますが、王の配下は犯人を火あぶりにすると言い、村人を次々と拷問にかけています。犯人を知っているのはあなただけで、村人を助けるか、犯人を助けるかを選ばなければなりません。
バタやんは、この問いをトロッコ問題 ── 暴走するトロッコの進路を切り替えれば多くの人が助かるが別の人が犠牲になる、という状況で行動の是非を問う倫理学の思考実験の変形版だと捉えます。一方のレールには子供が1人、もう一方には大人が10人いて、どちらかしか救えないという究極の選択です。
あの、さっきの問いは皆さんはどうしますか?私はっていうのと、その典子はどっちを選んだかっていうのは。言わないでおきますね。
犯人を差し出せば村人の拷問は止められますが、王の悪事の側に味方することになってしまいます。バタやんは、ここにもこの問いのジレンマがあると指摘しています。
「仲間を裏切るな」という連帯の影
バタやんがこの問いの本当に怖いところだと考えるのは、暗に「仲間を裏切るなよ」というメッセージが含まれている点です。
作中のシェルターには入居条件があり、子供がいる人や両親が健在な人、外国人、前科がある人は入れません。誰でも受け入れる場所ではなく、入る時点で選抜が行われているのです。
連帯とかシスターフッドとかって、こう、感動的で美しい一面がある一方で、連帯は新たな排除を呼ぶといいますか。
バタやんは、排除があるからこそ連帯が強まるという闇がそこにあると話します。佐野さんは、仲間や連帯という美しい言葉に縛られて判断力を失うことへの警鐘を込めているのではないか、というのがバタやんの読みです。
「この人たちから嫌われたくない」とか、「この人にダメなやつだと思われたくない」、「じゃないとここにいられない」って思っちゃうと、
そう思ってしまうと、元の夫の機嫌を損ねないよう自分を殺して生きていた頃と同じ状態に戻ってしまう、とバタやんは続けます。救いだったはずの連帯が、別の形の拘束になりうるという視点です。
名前を呼ばれ、得意なことを認められて、ここにいていいと許される
選抜と排除の上に成り立ち、嫌われたくない思いから再び自分を殺してしまう
最後にバタやんは、映画と小説のどちらが先でもよいので、グミさんにも楽しんでほしいと締めくくりました。
まとめ
佐野広実さんの『シャドウワーク』は、DVから逃れた女性たちがシェルターで互いを認め合い、自分の輪郭を取り戻していく物語であると同時に、仲間や連帯という言葉が新たな縛りになる危うさを問いかける作品として紹介されました。
- 『シャドウワーク』は、DVをテーマに典子と刑事の薫という二人の女性を軸に進む重厚なサスペンスで、映画版とWOWOWドラマ版もある
- ババ抜きや栗ご飯の渋皮剥きといった小さな特技を褒められることが、ここにいていいという感覚を取り戻させる
- タイトルのシャドウワークは、報酬がないが生活に不可欠な見えない労働を指す
- 作中の「王を殺した人物をかくまう」問いには、暗に「仲間を裏切るな」というメッセージが潜んでいる
- 連帯は救いになる一方で、排除と同調を生み、自分を殺していた頃に戻らせる危うさもあるとバタやんは読んでいる




