なぜ今「産業医の業務範囲」を取り上げるのか
今回のテーマは、産業医の業務範囲です。第17回から第23回までの対談企画の振り返りという流れのなかで取り上げられています。
きっかけは第18回の内山先生との回で、「これって私たちの仕事なの?」という話で盛り上がったことだと小橋さんは説明します。会社に悪意があるわけではないものの、社労士に医学的な判断を求めたり、産業医に紛争性の高い案件の会社対応を仰いだりするエピソードが出てきたそうです。
たとえば産業医に紛争性の高い案件の対応を仰ぐケースについて、熱心な産業医なら相場観くらいは共有できるかもしれないと小橋さんは言います。ただし非弁行為 ── 弁護士資格を持たない者が、報酬を得る目的で法律事務を扱う行為。弁護士法で原則禁止されています。のリスクがあるため、本質的には弁護士の業務範囲になると整理します。
そのうえで小橋さんは、産業医の業務範囲を以前から伝えている「三本柱」であらためて示します。
仕事による健康被害の確認
仕事によって健康を害していないかを見る
就業可否の医学的判断
医学的に働けるのかを判断する
健康に働くための支援
心身とも健康に働くにはどうすればよいかを考える
とはいえ、人事労務の実務のなかで、何が産業医の業務として適切なのかをいちいち把握しきれるものではありません。そこで今回は、よく依頼されるが実は産業医では力になれない具体例が紹介されていきます。
依頼されがちだが実は業務範囲外「人事権に関すること」
1つ目の具体例は、人事権に関することです。本来は産業医ではなく会社が本人に伝えるべき内容を、産業医に頼んでしまうパターンだと小橋さんは言います。
第26回の産業医面談の目的の回でも触れた例として、パフォーマンスを十分に発揮できていない社員に対し、産業医からかつを入れてほしいという依頼が人事担当者から来ることがあるそうです。
産業医の先生から、あなた働けてないですよって、かつを入れてやってくださいよみたいな、そんなご依頼が人事担当者の方からあったりするんですよね。
さらにシビアなケースとして、退職勧奨や解雇通告があると小橋さんは挙げます。よくあるのは休職満了前で、事前情報を聞く限りまだ元気になっていないかもしれない場合です。
(産業医の先生から)あなたもう契約終了ですよと言ってもらえませんか、みたいな、そんなご依頼をいただくこと、さすがに昔よりは減りましたけれども、意外と我々の界隈では珍しくない、そんな話があります。
これに対し小橋さんは、第16回のいい産業医の探し方の回にも触れつつ、産業医の立場を整理します。産業医にはパートナーとして企業に伴走する姿勢が求められる一方で、独立した立場から労使双方を支援する姿勢も求められています。
つまり産業医は、会社や労働者の代理人というわけではないという点です。特に紛争に発展しそうなケースでは、社労士から弁護士へとつなぐ形で、産業医ではない別の専門家によるかじ取りがメインになります。
加えて小橋さんは、産業医は労働者の健康管理に関する指導・助言・勧告を会社に行う立場であり、解雇や退職、懲戒、降格、配置転換といった人事権を行使する権限はないと述べます。あくまで健康管理の観点から産業医業務を行うという整理です。
ただし、産業医面談を通じて結果的に懲戒につながることはあり得ると小橋さんは補足します。たとえばパフォーマンス不良の原因が病気ではなく、夜な夜な遊びほうけていたとわかったようなケースです。
それはあくまで結果であって、懲戒降格配置転換、これ自体を主目的として産業医面談で尋問していってくださいとか、そういった使い方はちょっと産業医としては間違ってるかなと。
「産業医面談を通じたスパイもどき行為」という依頼
2つ目の具体例として小橋さんが挙げるのは、産業医面談を通じたスパイもどき行為とでも言うべき依頼です。
たとえば本人のストレス要因について、本人はあまり言いたがらないが家庭で揉め事があったらしいという場合に、会社が「その情報をこっそり産業医面談で聞いて会社にフィードバックしてほしい」と依頼してくるケースがあるそうです。
もう一つよくあるのが転職の意向で、本人が転職をどう考えているかを産業医面談で聞き出せないか、という依頼だと言います。
小橋さんによれば、こうした情報自体は産業医面談のなかで本人から出てくることは珍しくありません。メンタル不調が疑われるケースでは本人の思い当たる節を聞いていきますし、転職についても本人から自発的に話が出ることがあるためです。
産業医側から本人が今後について行き詰まっているように見える場合に、選択肢が頭のなかにあるかどうかを確認することもあると小橋さんは言います。転職を勧めるような物言いはしないものの、今後をどう考えているかを尋ねる形で可能性を探ることはあるそうです。
ここで小橋さんは、なぜそうした話まで聞けるのかという理由を語ります。直接的な利害関係がなく、守秘義務が担保された面談だからこそ教えてもらえる部分があるという点です。
身近だからこそいっぱい相談できるっていうこともあるんですけれども、一方で身近で利害関係があるからこそ相談しづらいっていうこともあるんですよね。
だからこそ、利害関係が少なく職業として話を聞く産業保健専門職には、むしろ多く教えてもらえることもあると小橋さんは説明します。
ただし、プライベートな内容や転職の意向は、就業上の医学的な意見を述べるうえで絶対に必要な情報とは限りません。そのため本人が「それは言わないでくれ」と望む場合、意向を無視して会社に一方的にフィードバックするのは難しいと小橋さんは述べます。
そこで小橋さんが勧めるのは、産業医を介して情報を取るのではなく、会社と本人が直接対話することです。直接対話することが、1周回って近道になることも少なくないと言います。
暴れる来客対応まで頼まれた過去と「頼り先」の学び
最後に小橋さんは、本編以外にもバラエティに富んだ依頼を受けてきたと語り、状況や設定を脚色したうえで一つのエピソードを紹介します。
産業医としてクライアントに訪問していた際、別の来客が奥の会議室で急に暴れ出し、社内がざわついたことがあったそうです。総務の担当者が小橋さんのところに来て、精神的に参っているかもしれないので、話をして裏口から穏便に帰してほしいと依頼してきたと言います。
当時は産業医経験も浅く、それが産業医の業務なのかもわからないまま、言われるがままに会議室に入ったと小橋さんは振り返ります。1時間ほど話を聞くうちに相手が落ち着き、結果的に穏便に帰ってもらえたそうです。
今だったら、これ絶対ファーストタッチは産業医じゃなくて、防災とか警察じゃないですかっていうふうに言えるんですけれども、もうこれは社会勉強ですよね。
こうしたイレギュラーなケースを経験するたびに、これは社労士、これは弁護士、これは警察、これは保健所、というように、産業医業務との境界線がクリアになっていったと小橋さんは言います。
小橋さんが大事だと考えるのは、会社として適切な頼り先を知っていくことです。また専門家の側も、自分の周辺領域については「これならここに頼るとよい」と言えるようになっておくと、感謝もされやすいのではないかと述べます。
まとめ
産業医の業務範囲は「仕事による健康被害の確認」「就業可否の医学的判断」「健康に働くための支援」の三本柱です。人事権に関わる依頼や、プライベート情報を探るような依頼は、善意であっても産業医の役割からは外れます。困りごとに応じて、弁護士や社労士、警察といった適切な頼り先へつなぐ視点が大切だと語られました。
- 産業医の業務範囲は健康被害の確認・就業可否判断・健康支援の三本柱
- 解雇通告やかつを入れる役目など、人事権に関わる対応は産業医の業務ではない
- 紛争性の高い案件は弁護士や社労士など別の専門家がかじ取りを担う
- 本人が望まないプライベートや転職の情報を会社へ一方的に伝えることはできない
- 気になることは産業医を介さず、会社と本人が直接対話するほうが近道になることも多い


