ママ友の輪に入れない「ぼっちパパ」の相談
この回は、赤ちゃんを平日に連れて外出してもママ友の輪に入れない、というハイエナさん自身の状況から始まります。まだ喋れない我が子を見つめながら考えたことを語る一人回です。
赤ちゃんを平日連れて外出して、ママ友の輪に入れないぼっち。どうもハイエナです。
テーマは、どうやったら「ハイエナぼっち」を卒業できるか。ママ友に爽やかに挨拶して仲良くなればいい話ですが、コミュニケーションが苦手なので、代わりにパパ友を増やす方法を考えたいといいます。
きっかけは、Xとnoteでほぼ同じ質問が寄せられたことでした。「育休を1年取っているパパは少数派ですよね」「どうやったらパパの育休を増やせるんですか」という相談です。
育休を1年取っているパパは少数派ですよね。どうやったらパパの育休を増やせるんですか。
ハイエナさんの答えは、まだ「自分もどうしたらいいんだろうと考えています」と返すにとどまっているそうです。それでも、その相談を受けてからずっと考え続けていると話します。
取得率はもう約50%。次の課題は「期間」
そもそもパパの育休取得率は低いのか。ハイエナさんは、以前記事に書いたところ、もう50%くらいあると指摘します。
制度面でも、パパとママの両方が一定期間以上の育休を取ると育休手当が高くなる仕組みがあります。取得そのものを促す制度は、ある程度できあがっているという見立てです。
そのうえで、次に上がってくる課題として挙げるのが、パパの育休取得期間をどうやったら伸ばせるのかという問いです。取るか取らないかの話は半分終わっていて、論点は「期間」に移っているという整理です。
すでに約50%まで来ていて、両親が取ると手当が増える制度も整いつつある
半年以上取る人は数パーセントとみられ、こちらが次の課題になっている
パパが少ないから、パパ向けサービスが育たない
ハイエナさんは、期間が伸びにくい理由をネットワーク効果 ── 利用者が増えるほどサービスの価値や成立しやすさが高まる現象。ここでは、育休パパが増えるほどパパ向けの場やサービスが成り立ちやすくなることを指していますや密度の経済という言葉で説明します。
育休を取るパパが少ないと、パパ向けのコンテンツや市場が育ちません。市場が育たないと、育休中のパパは肩身が狭くなります。
結果として「こんなことなら早く職場復帰しよう」という人が増え、パパの育休がさらに短くなる。ハイエナさんは、これを悪循環だと指摘します。
育休パパが少ない
平日に子供といるパパの絶対数が少ない
サービスが育たない
需要が薄いため、パパ向けの場やイベントが生まれにくい
肩身が狭い
親子イベントがママと子供前提ばかりで、パパが居づらい
早く復帰する
しんどくなって職場復帰を早め、育休がさらに短くなる
ピアノ教室が消える街と同じ構造
この悪循環の分かりやすい例として、ハイエナさんは少子化を挙げます。地元がまさにそうで、人口が減り続けているといいます。
知り合いが出産したとき「今は少子化だから子供は大事にされる」と言ったのに対し、ハイエナさんは「それは違うぞ」と思ったそうです。
たとえば町に子供が100人いれば、習字やそろばん、ピアノなど、子供向けの習い事を始めようとする人が増え、サービスが充実していきます。
ところが子供が10人になると、ピアノの先生はシニア向けに切り替えたり、塾自体を閉じたりします。すると「子育てしづらい街だ」と子育て世帯が引っ越してこなくなり、出て行き、ますます子供が減っていきます。
子供が多い街では、習字・そろばん・ピアノなど子供向けの教室が増えて充実する
子供が減ると、ピアノ教室はシニア向けに転換したり閉じたりし、子育て世帯が離れてさらに子供が減る
「子持ち様」が生まれるのも同じ理由
ハイエナさんは、「子持ち様」と呼ばれる話も同じ構造だと見ています。子供を持つ家族がマイノリティとして悪目立ちする環境だからこそ、そうした見方が生まれてしまうという指摘です。
逆に、自分以外みんな子持ちの街なら、公園で子供が騒いでも「子持ち様が」ではなく「独身様が邪魔だ」となりかねない、とも話します。それはそれで良くない、と付け加えます。
要点は、サービスを受ける側がある程度そろわないと提供する側は成り立たず、提供する側が育たないと受ける側も増えない、という循環が回りやすいことです。これは好循環にも悪循環にも働きます。
パパが地域に関わることの中長期的な価値
今は育休を長く取り、子供とたっぷり過ごすパパはそう多くありません。そのため親子イベントや習い事が「ママと子供前提」ばかりになり、パパの肩身が狭くなります。
俺これちょっとしんどいから、もうちょっと申し訳ないけど、もう仕事に復帰しようかなと思うことが少なくない。
ハイエナさんは、これはこれで良くないと考えます。パパ育休を楽しいと思える機会が増えることには、単なる本人の満足以上の意味があるという見方です。
一つは、災害が多いなかで、父親が子供のコミュニティや地域に入っていくと、いざという時に相互に支え合えるネットワークが生まれること。もう一つは、子供にとっての価値です。
友達のお父さんの職業を知ることで、子供の視野が広がります。自分の親の仕事しか知らないと視野が狭まるところ、「何々くんのお父さんはこんな仕事をしている」と触れられるのは良いことだ、とハイエナさんは話します。
だから、単に自分がぼっちが嫌だというだけでなく、父親が余暇の時間を持って子供と地域に関わることは、中長期的にとても良いことだと考えているそうです。
打ち手の案。毎週水曜を「パパデー」にする
論点を課題に戻すと、取得率は約50%でも、半年以上取っている人はおそらく数パーセントしかいない、という認識です。では、どうすれば期間を伸ばせるか。ここからは思いつきベースだと断りつつ、案を出していきます。
出発点は、パパ友が作れない、パパが行きやすいイベントがない、という状態です。数パーセントとはいえパパがいるなら、まずそこに向けて密度を濃くする働きかけをすべきだといいます。
たとえば児童館に平日来るパパが週に3人いても、別々の曜日なら顔を合わせません。そこで、毎週水曜日を「パパデー」にすればパパだけが集まり、パパ同士のコミュニティが生まれる可能性が出てきます。
さらに、水曜に児童館でパパデーをやるなら、周辺の喫茶店が「その日パパが来たらドリンク無料」といった形でパパ向けメニューを出せます。曜日・時間帯・場所を絞れば、パパが少なくても商売として成立しうる環境が作れるかもしれません。
そこで情報を発信する人が増えれば、プレパパが「パパ育休を取ったらこんなに楽しいのか」と知る機会も増えます。一定数までパパが増えれば、最初の2週間だけでなく、もっと長く育休を取ろうというパパも少しは増えるのでは、という見立てです。
土日はもうパパだらけ。それでも会話が生まれない理由
ここまで考えて、ハイエナさんは自分で気づきます。現状、土日の児童館はもうパパだらけになっている、と。
ところが、土日の児童館でパパ友同士の会話が生まれているようには見えません。毎週通うと分かるのは、ほぼ同じ顔ぶれではないということだといいます。
パパが児童館に連れて行くのは、多くて月に一回くらいなのかもしれません。だから同じ人が毎週来る状態が生まれにくく、単純接触効果 ── 同じ対象に繰り返し接するほど、その相手に好意や親しみを感じやすくなる心理効果。ここでは、同じ顔ぶれが繰り返し会うことで生まれる親近感を指していますのようなものが働きづらい。人数が多すぎることもあって、出会いが生まれにくいという分析です。
パパは多いが、顔ぶれが毎回入れ替わり、繰り返し会わないので会話が生まれにくい
育休中のパパが同じ曜日に集まり、同じ顔ぶれが毎週会うので交流が生まれやすい
だからこそ、毎週水曜の朝10時から児童館や図書館で、パパの読み聞かせコーナーや音読の練習講座があれば、そこに毎週来るパパは育休中のパパになり、何らかの交流が生まれるのではないか、と提案します。
復帰後も「水曜だけは休める」働き方はどうか
中長期的には、育休から復帰したあとのパパにも案があります。給料は変えずに週4日働き、水曜日だけは休める。そんな「水曜はパパデー」という働き方をイメージします。
そうすれば、たとえ奥さんが育休中でも、水曜はパパに子供を任せて自由になれます。ハイエナさんは、こうしたサービスは奥さん向けの新しい市場にもなるのでは、と話します。
もっとも、これは難しい問題で、自分でも答えは出ないといいます。ぼっちで公園にいる時間、まだ喋れない子供と二人でいるあいだ、ずっと悶々と考えていることを話した回でした。
またXとかnoteでも情報発信しているので、こういうアイデアどうですか、みたいのがあったらコメントもらえると嬉しいです。
まとめ
パパ育休は取得率では約50%まで来ていて、次の課題は「期間」です。パパが少ないから場やサービスが育たず、肩身が狭くて早く復帰する、という悪循環を、ハイエナさんは少子化の街と同じ構造として捉えました。打ち手として、曜日・時間・場所を絞って密度を作る「水曜パパデー」を提案しつつ、土日の児童館では会話が生まれない現実にも突き当たり、答えは出ないまま考え続けています。
- パパ育休の取得率は約50%まで来ており、論点は取得「期間」をどう伸ばすかに移っている
- パパが少ない→サービスが育たない→肩身が狭い→早く復帰する、という悪循環がある
- これは、子供が減った街からピアノ教室が消えていく構造と同じだとハイエナさんは見ている
- 打ち手の案は、毎週水曜を児童館の「パパデー」にし、曜日・時間・場所を絞って密度を作ること
- 土日の児童館はすでにパパだらけだが会話が生まれない。違いは「同じ顔ぶれかどうか」だった






